再会
「それで? 友情運アップってなに?」
「知らねえよ! ののかが送ってきたんだよ! 『友情運アップ笑』って!」
「わらいが付いてたの?」
「そーだよっ!」
電話から声が漏れているのか、デスクから支配人の笑う声が届く。
健介から送られてきた写真をしばし呆然と眺めたあと、支配人に促されて電話を掛けた。
音沙汰の無かった元カノが、突然写真に一言を添えて送ってきたらしい。
これがほんの一時間前に撮られたものだと明かすと、健介は俺よりもずっと恐ろしがったけど、付いてきたコメントについて訊ねると、別れた日にやり合ったエネルギーが蘇ったように生き生きとした声に変わった。
「あれじゃねえ? 俺が聡太郎の友達か最後まで疑ってたから、『この人が友達みたいだね~お前も友達できるといいね~』的な」
「そんな嫌な含みがあんの?」
「ありかねない」
健介の意見には彼女へのマイナス感情が多分に影響していそうだけど、彼女のことを一ミリも知らない俺が言えることは何もない。
「もしどこかで彼女と会ったら健介も友達だって言うよ。顔知らないけど」
「じゃあ無理だろ!!」
健介のキレツッコミに支配人がまた笑い、俺は今後のために音量を二つ下げることにした。
真面目な顔で送り主を問いただしてきた支配人は、出所が一枚目と同じだと分かると、すぐに書類整理に戻った。
あっさり興味を失われたようで、妙な気持ちがする。別に心配して欲しいわけじゃないけど。
まあそれはそれとして、いつ撮られようと盗撮には変わりないわけだけど、ついさっき見られていたというのは、さすがに気味が悪い。幸いトオルくんの顔は手で隠れているものの、ほとんど全身が写っているから、知り合いなら一目瞭然だ。
「困ったな」
呟くと、スマホの向こうからもため息が漏れた。
「どっか相談行くか?」
「どっかって警察ってこと? 意味ないんじゃないの?」
「そうかもしんないけど。これが窓から自宅内を、とかだったらアウトなんだろうけどな~」
健介が惜しそうに言うので、俺は目が半分になった。
「怖いこと言うな」
「アハハ、ごめん。でも聡太郎がアイキの真心だった実績も邪魔する気がするんだよな~」
「なんで?」
「だってお前、あの映画の救世主だったじゃん。だからファンの間で回ってるんだろ? 有名税ってやつ?」
有名税という言葉に眉を顰め、救世主と呼ばれたことには頭が重たくなった。
「大げさな。律が無実だったからファンが戻ったんだよ」
「でも欲しい特典が必ず当たるって」
「だからあれはただの偶然だって。影響があったとしてもうちの映画館だけの話だし、そこまで殺到したわけでもないし」
俺は同意を得ようと支配人を見たが、もの凄い速さでテンキーを打ち込んでいる。
「でもののかは信じてたよ」
「そうなの?」
「だからあんなしつこかったんだって」
二人の間で俺がしつこく話題に上っていたなんて、改めてかなり気まずい。健介は俺のことを疎ましく思ったりしなかったのかな。
「取り合えず、ののかには引き続き頼むって言っといたからな」
「ありがとう。ごめんね、別れた子と繋がらせて」
「いいよ。止めてやれなくて悪いけど」
「悪いなんてないよ。ほんとどうもありがとう。うん、じゃあまたあったらよろしく。うん。じゃ」
健介の掛けてくれた温かい言葉に、通話の終了ボタンをタップしながらさっきの邪推を後悔した。
画面がアプリのトークルームに戻り、俺とトオルくんの写真が表示される。喫茶店を出て別れる直前。撮影者の立ち位置はほぼ真横だ。
どれくらいの距離から撮ったんだろう。人通りはそこそこあった気がするけど、あの時は別のことで頭がいっぱいで記憶がない。これが刑事ドラマなら、近くの監視カメラを見せてもらいにいくところなんだろうけど。
「はあ」
俺がため息を吐くと、支配人のオフィスチェアがキシッと鳴った。
「怖くなった?」
「いえ、トオルくんに話さなきゃだめかなーって」
兄ちゃんにも話す? 二人で会ってるのを不思議に思うかな。俺がカミングアウトしてなきゃただの友達って言えるのに。いや友達なんだけど。
どうしようとソファーにもたれて、それから俺は文字通り飛び上がるほど愕然とした。
「あの! 今のは聞かなかったことに――」
「トオルくん?」
追い打ちでショックを受ける俺に、支配人は「大丈夫だよ」と、いつも通り俺の脳内を全て察したように軽い調子で笑った。
「はあ」
勝手に名前を明かしちゃうなんて、なんて迂闊なんだ俺は。もしかしてかなり動揺してるのかな。あー。
「はあ」
俺が二度続けて息を吐く向こうで、タイピングの音が速まる。
「そんなに落ち込むな。さっきの友達みたいに怒ればいい」
「怒ったって意味ないじゃないですか」
「落ち込むよりはずっといい」
「でもトオルくんを巻き込んじゃったし」
「君が巻き込んだんじゃない。それに彼の顔は写ってなかった。恐らくあれは意図的だ」
「……どういうことですか?」
俺が顔を上げると、チラッとだけこっちを見た支配人は、すぐに画面に目を戻して話を続けた。
「写真を撮る時に一枚しか撮らないなんてことあるか?」
「……」
「何枚も撮るだろ? その中から写りのいいのを選ぶ」
「わざと、トオルくんの顔が写ってないのを選んだってこと?」
「そう。だからそれを撮ったやつの目的は君だけだ。君の言った通り、アイキの真心として関心が残ってるんだろ」
だとすると、これからも晒されるのは俺だけってことか。
「自分だけならいいと思うな」
支配人の言葉に、ホッとしかけた俺はぎくっと肩を竦めた。そしてふと、別のことに気が付いた。
つまり、これを写した人のスマホにはトオルくんの顔が写っているものがあるということか。
映画館で撮られているものにはバイト仲間たちが。それどころかまだ表に出ていないだけで、兄ちゃんや両親、荒木や透馬だって撮られているかも。
打鍵楽器のように子気味いいキーボードの音を聞きながら、ますます気持ちが下がっていく。
俺だけだったらなんて思慮不足だった。俺のせいで、見知らぬ盗撮者の写真フォルダにみんなの姿が収められているなんて、どうしたら……。
「できることがないのに変わりはないんだし、今日は帰りな。あと一枚で打ち込みが終わるから、送って行くよ」
萎びた菜っ葉みたいだった心が、忙しいタイピングの意味を知って潤いを取り戻していく。
単純だなあ俺。そろそろ認めた方がいいのかも。俺はこの人が結構好きだ。そうじゃなきゃ、大人に構われたい欲求を持った子どもだ。
「結構です。一人で帰れる年齢なので」
「雇ってるんだからわかってるよ。近いんだから気にしなくていい」
支配人の眼鏡にパソコンの光が反射している。ピアニストみたいに指が動いて、なんだか映画に出てくるハッカーみたいだ。
「いいんです。さよなら!」
「あ、おい!」
きっぱりと立ち上がった俺は、支配人の声を振り切って支配人室を出た。
「そーちゃん一人で帰るの?」
高橋さんに呼ばれて、反射的に笑顔を作った。
「もう大丈夫なので!」
「そう、なの……?」
支配人が俺を呼ぶ声を聞きながら、戸惑う高橋さんを置いて裏階段を駆け下りた。
ファンの暇つぶしになっている俺なんかに、誰一人巻き込まれていいわけがなかった。好きな人ならなおさらだ。それに、心に構って欲しい子どもを住まわせたままにしているのも良くない。春が来れば十八だ。
裏口の扉を開けて、暗く冷たい外気に身を投じる。
「十分後か」
バス時刻をチェックしてスマホをポケットに押し込み、足早に駐車場を抜けながらブルゾンのチャックを上まで上げた。
空気が澄んでいて、もう鼻先が冷たい。伸びてきた前髪がスタイリング剤の効果を失って、頬の高いところをさらさらと撫でてくる。
俺はそこでようやく、トオルくんと朔くんはどうなるんだろうと考えた。
本当ならあれが今日一番の出来事なはずだった。トオルくんについて、「やっぱりこの人も変なんだ」なんて、少し距離を感じていたところだったから、巻き込んだと知って一番がひっくり返った。
ああ、本当にどうしたらいいんだろう。早急に盗撮犯に俺への興味を失ってもらうには。
柵の隙間から歩道に出てバス停にたどり着いた。
「はあ」
口から吐いた息が白い。停留所のベンチに座ろうと振り返ると、そこに彼女が座っていた。
「どうも、イブぶり」
降って湧いたようとは、こういうことをいうんだろうか。まるで俺が来ると分かっていたみたいにそこに居るヒナに、俺の声帯はジッとして震えなかった。




