発光するアイドル
家を出ると、まだ日の出前。冷たい風が吹きつけて、ドアに掛けられたしめ飾りがゆさゆさと揺れた。
「随分と豪華に仕上がったなぁ」
黄金の稲穂が垂れて、南天の実や水引、組紐飾りまでついている。夕べは随分と揉めていたけど、こうしてちゃんとかっこよく仕上げてしまうんだから、さすがは美大生だ。
俺は感心したテンションで、ぴょいっと玄関前の段を飛び下りた――と、手に持っていた紙袋が太腿に当たって大きく跳ねて、慌てて中を覗き込む。
「よかった、壊れてない」
俺はホッとして、庭木にうずまるようにしてとめてある、ステッカーまみれのマウンテンバイクを引き起こした。
サドルに跨って、店から漂ってくるカレーの匂いに鼻をひくつかせる。
「行ってきまーす」
閑散としたバス通りを、人けがないのをいいことに、立ち漕ぎで爆走する。
昨晩、ミツルくんの提案に乗った俺は、アイキを見に行くことに決めた。会うんじゃない。見に行くだけ。スタッフに紛れて。
アイキに名乗り出ないからといって、ヒナに宣言した、「会わない」が嘘にならないわけじゃないけど、彼女に確認されるでもなし、俺の中でグレーであればいいだろう。そう納得した。
「うーーっ!」
冷えて沈んだ空気を切り裂くようにぐいぐいと進む。ハンドルに掛けた紙袋がバタバタと揺れて、心臓がドキドキしてる。
当然、これはチャリを爆漕ぎしているからだ。決してアイドルが見られることに高揚しているからではない。
冷え切った顔面を両手で温めながら階段を上がると、事務所は閑散としていた。
「おはようございます」
一人、パソコンに向かっている背中に声を掛けると、振り返った佐伯さんが笑顔に変わる。
「おはよう、そーちゃん」
「みんなは?」
「もちろんアイキを見に行ってるよ。本社の人も来てる」
本社か。やっぱ近江さんもいるんだよな。そりゃいるか。話付けたのあの人だし。
これ、渡せるかな。
「佐伯さんは行かなくていいんですか?」
手に持った紙袋の中身を確認しながら訊ねると、オフィスチェアーがギシッと不満気な音を立てた。
「よくないよ、俺も見たい! でも事務所をからっぽにするわけにもいかないからさ。ジャンケンして、十五分で交代」
「あー、なるほど。そういうシステムか」
「そー」
普段はリアクションの薄い佐伯さんが、戦隊ものの話題を振った時と同じように、顔を柔軟に歪ませている。男のアイドルにも興味があったのか。意外だ。
「そういうわけだから、俺のことは置いといて、そーちゃんも早く見ておいで」
「はーい」
拗ねた素振りの佐伯さんを置いて事務所を出た俺は、ロッカー室でユニフォームに着替えてフロアに向かった。
「うわー」
普段は薄暗いロビーが、眩しいほど明るい。映画の立て看板がいつもの場所から動かされて、持ち込まれたらしい照明に照らされている。あそこが撮影スペースになるらしい。
見知らぬ大人がたくさんいる。簡易テーブルの上に置かれたパソコンを覗いたり、機材の調節をしたり。あの人はカメラマンかな。高そうなカメラ。
どの人も、色味のないラフな服装なのに、不思議と洗練されて見える。
「あれが業界人ってやつか……」
きびきびと働く大人たちに目を奪われながら壁際を歩いていくと、柱の向こうに人影を見つけた。
あ。
後ろ姿だったのに、すぐにアイキだとわかった。
なんたって金髪だ。前にテレビで見た通り。そして衣装が上下白色で、それらが周囲の照明を受けて、全身が発光していると言っても過言ではない。
「は~」
全身が視界に入ると、いよいよため息が出た。
すらりとした長身。歪みのない立ち姿。白いシャツに包まれた背中からは、なんともいえない『自信』が満ち溢れている。
あれがアイドルか!
テレビで見るのとは存在感が全く違う。ドラマでも映画でもないこの現実世界で、主役だと断言できる人を見たのは生まれて初めてだ。ミツルくんの言った通り、確かにこれは稀有な体験と言えるかもしれない。
俺は新しい恒星を見つけたみたいな気になって、眩しさに目を凝らして足を速めた。
「おはようございます」
物販コーナーにいた社員の三人に囁く声で挨拶をすると、すでにテンションの上がった顔のみんなが、カウンターから身を乗り出した。
「そーちゃんおはよ! 見た? あそこ! めちゃくちゃオーラ出てるぞ!」
珍しい鳥を見つけたバードウォッチャーみたいに、興奮した佐藤さんが潜めた声で言う。「本当ですね」と同調していたら、高橋さんに背中をしばかれた。
「ほんともー、なんで支配人なんだろ! あんなことが無ければうちのアイドルが横に並んでたのに!」
「?」
うちの、とはどういう意味だろう。俺は首を傾げたが、傾いた視界の端に、黒いケープを掛けた人物を見つけて、その疑問は立ち消えた。
「あそこに座ってるのって、もしかして支配人ですか?」
俺の視線の先を見て、佐藤さんが頷く。
「そ、メイクなんてされちゃってんの。ちゃんと見栄え良くなるといいけどなあ」
「てかさ、今日の支配人、なにもしないで来てたから、あーいつもちゃんとヘアセットとかしてたんだーって思ったよね」
「俺もそれ思ったわ~」
「今朝もしっかりくたびれてたから、メイクさん手こずってるんじゃない?」
支配人よりも四つ年上の林さんが言って、二人が大いに頷いた。
三人のやり取りをカウンター越しに聞きながら、俺はてるてる坊主状態の支配人を眺めていた。
手にクッションのようなものを付けた女性が、支配人の顔に何かを塗っている。その迷いのないプロの動きに関心していると、女性が手を止めて笑顔になった。支配人がなにか面白いことでも言ったのかな。
「……」
なにもしてない状態の支配人か、見たかったな。普段ちゃんとセットしてるの、俺は気付いてたけど。
今日は例の香水付けてるのかな。いや、支配人からあんな匂いがしたら絶対にみんな何か言う。だから多分、あの日だけだ。
あの日、上がり時間が同じだった支配人は、俺を家まで送ってくれようとした。「昨日の今日だから」って言って。でも俺は断った。
気を利かせたつもりだったんだ。だってまさか、三日たっても気になってるとは思わなかったから。
「……」
ふと何の気なしに、支配人とアイキを視界に収めてみた。すると、不思議と同じ輝度を纏って見える。
「…………」
度々俺の思考を読む、二十も年上のくたびれたおじさん上司。あの人とアイドルが、どうして同じ強さの光力をもっているのか、俺は真面目に考えてみるべきなんだろうか。
「おはよう、森口くん」
覚えのある声に呼ばれて、背筋をぴゅうっと冷風が抜けた。
「……おはようございます、近江さん」
「来たんだ」
来たんだと言われて、にわかに心臓が騒ぐ。
「一応、芸能人を見ておこうと思って」
俺は意識して背筋を伸ばし、若者らしく軽薄な口調で言った。
「ふうん」
ゆったりと鼻を鳴らした近江さんが俺を捉え、反らした胸の辺りに視線が落ちていく。
隠し事なんて一つもないのに、何かが暴かれてしまうような焦りを感じて、頬がちくちくし始めた。
大丈夫。こうなったことに俺の責任はない。それに、あの佐伯さんですらアイドルを見たくてじりじりしていたんだ。高校生の俺が野次馬よろしくここにいたって不思議はない。大丈夫。問題ない。
「イブの日、大変だったんだってねえ」
「えっ……あ、はい。少し」
「なにもなくてよかったね。柿崎が役に立ったかい?」
「……はい。とても」
「そうか」
「……」
満足そうに頷かれて、妙な気持ちがする。すごく。
この人からすれば、支配人は部下なのかもしれない。だからこの言い方もおかしくはない……のかもしれない。けど、そもそもこの人が欲を出さなければあんなことは起こらなかったんだから、そのせいで怖い思いをした俺や、対峙した支配人に対して、「なにもなくてよかったねえ」なんて、他人事のように言うのは違うんじゃないか?
「律くんは、あれまで結構クリーンにやってたからなあ、きっと驚いたんだろう。ファンってのは感受性の豊かな人が多いから」
「はあ」
……でも、彼女が行動を起こしたきっかけはアイキの書き込みだし、あんなことになるなんて、この人にも予想できるわけがない。だから……だけど、俺だったら、もっと心配してみせると思うけど。
俺は沸き上がる反発心を俯いて抑え込み、紙袋を持つ手をぎゅっと握りしめた。すると、視界に映る近江さんの擦れ一つない革靴の先が、ちょいと外を向く。
「あの世界で上に行くにはねえ、ああいった熱心なファンが必要なんだそうだ。アイドルを自分の人生の一部にして、共に歩むように末長く推してくれる。ちょっとしたきっかけでアンチに豹変することもあるみたいだけどねえ」
にやっと笑う口元に、再び苛立ちが生まれた。
必要? なに言ってんだよ。いや、実際そーなのかもしんないけどさ、その話俺にする? 数日前に熱心なファンに凸られてんだけど! 命の危険とかはなかったけどさ、まあまあ怖かったんだけど!? 神経死んでんのかよ。
「アイキくんには、まだそういうファンがいないみたいだねえ」
「――は?」
俺の歪んだ顔を見つけた近江さんは、一切くたびれたところのない顔を少しだけ傾けて笑った。
「君はアイキの真心だろう? アイキくんが君に会いたいと言って、来たのは律くんのファンだった」
「そう、ですね」
会話の行き先が読めなくて、目玉がひっくり返りそうだ。近江さんはそんな俺を笑ったまま、黒々とした髪を掻き上げた。
「そこまでさせるほどの力が、アイキくんにはないってことだよねえ」
「……っ」
何か言ってやりたかった。なのに喉の奥で言葉は弾けた。
何を言う気なんだ俺は。アイキのファンでもないのに。なにを言ったって笑われるだけだ。だってこの人は、ファンが行き過ぎた行動に走ることを肯定しているんだから。無神経なクソジジイ。
「まだ間に合うぞ?」
突然背中を押すようなことを言われて、眉が寄る。
「……なにがですか?」
「アイキの真心だよ」
近江さんの目が、「だから来たんだろう」と言っていた。その目のあまりの曇りの無さに、俺の心はみるみるうちに陰っていった。
あー、やっぱり来るんじゃなかった。
どうしてあっち側の人間ってやつは自己中なんだろう。自分の導き出した答えが正しいと思い込んで、そうじゃない可能性なんて思いもしない。
あーもう! ずっと胸にしまっていた言葉が出てきてしまった。この人がヒナと同じように、自分を押し通そうとしてくるから。
「目立つのは嫌いなので」
「顔は出さないのに?」
「分かる人には分かるんで」
「分かってくれる人になら、知られてもいいじゃないか」
「……」
この人の言う通り、こういう人には力ある。アイドルが人目を惹くのと同じように、有無を言わさぬ自信が漲っていて、俺みたいな人間は、自分が消されてしまいそうになるんだ。時には、自己主張する気が失せてしまうほど。
もういい。自分の言いたいことは言った。偉い偉い。
俺は注がれる近江さんの視線を無視して、支配人の方へ顔を向けた。すると、ちょうど立ち上がった支配人が、手渡された眼鏡を掛けるところだった。
ケープが外され、赤紫のラインが入ったチャコールグレーのジャケットを着ている。俺が来ているユニフォームのポロシャツと同じ。事務所に掛かっているのは見たことがあったけど、着ているのは初めて見る。
メイクをしていた女性がジャケットについて何か言って、支配人と笑い合う。俺はよくわからない勢いに乗って、それにもムッとした。こっちを振り返った支配人が俺たちを見つけ、前ボタンを閉めながら、すました顔でこっちへ来る。
「あれ、なかなかいいんじゃない?」
高橋さんが驚いたように言うのを聞いて、俺は顎を上げ、「ほらね」と脳内で得意げに言った。
「近江さん」
「なんだい」
「俺はアイキさんには会いません。それで――」
俺は手に持った紙袋を近江さんに差し出した。
「これを渡してもらえませんか」




