8.思い出せ書き出せ
何回か、勉強の為に秋智宮に出入りをして気付いたことだが、マチアス様は聖女候補の育成にあまり興味がなかったらしい。
むしろ本に囲まれて執務室に籠もること以外はしたくない、という域だ。神官としての仕事は女官さんが運んできてくれるから、引きこもりでも問題ないという。
そして、本オタク、というか知識オタク。季彷殿の女官さん達は、『マチアス様クールでステキー!』なんて噂話をしているのに、喋り始めたら止まらないなんて知ったら、百年の恋も冷め……ないか。顔が良ければ許されてしまうのは、どこの世界でも一緒だ。
私が本のページを捲る音と、仕事をしている彼が羽ペンを紙の上で滑らせる音が、交互に響くだけの部屋。会話があるのは私が質問をする時か、マチアス様のオタクスイッチが入ってトークショーが始まった時だ。後半は私は殆ど言葉を発しないが。
多くの時間はこうして沈黙に支配されるが、居心地が悪いなどはなく、お互い好きなことをしている気楽さがあった。
……私の内なる肉食女子が死に体。
いかん、思い出せ、私の状況を、このままで候補期間が終わった場合の未来を。このままダラダラと一週間、一ヶ月、半年と過ごすのは余裕過ぎて赤子に手を捻られてしまう。仕方ないね、赤子は可愛いから。
さて、もう一度考えよう。私の余命は約27週だ。ちなみに恋愛エンディングだと聖女決定前日に神官様からの告白タイムがある。前世のゲームからセーブデータ持ってこれまいか。
私の本を読む手が止まっていたら、マチアス様が声を掛けてきた。一番最初の、私を完全空気としていた時とは違い、判らないところは普通に教えてくれるし、こちらの様子を気に掛けてくれているようだ。
「何か、分かりにくい部分がありましたか?」
近付いて、私の手元の本をのぞき込めば、サラリと金糸じみた前髪が落ちる。モノクロに近い執務室で、この神官様だけは総天然色だ。
これはゲームか、現実か、いや矢張り乙女ゲームだった、キラキラし過ぎて目が潰れそう。
どうした肉食女子、でも冷静に考えてみれば私の中に肉食女子などいなかった。前世で私の斜め前の席に座っていたクラスメイト女子、どうか私に天啓を。
「今読んでいるあたりは……ああ、ここですか。それならもっと噛み砕いた内容の本があった筈です」
彼は思考がいっぱいいっぱいの私に気付くことなく、しばしの思案の後、書架の一つへと歩いてゆく。
ああ、分かっている。結局私は能書きばかりで行動が追いついていない。
とりあえず思い出せ、書き出せ、それよりもまず立ち上がれ。このまま、椅子に座って勉強だけしていても、何も起こらず時間だけが過ぎていくだけだ。
この世界はゲームであって、ゲームではなく、ただイベントを待つだけじゃ心許ない。
ほぼ勢いで席を立った私は、マチアス様の方へと歩いてゆく。あえて言おう、ノープランという名前の計画だ。
まずは基本に立ち戻ろう。乙女ゲームといえば何だ。トキメくものといえば何だ。斜め前に座ってたクラスメイト女子が喜んでいたのは何だったか。
脳内で検索したものが正解かは分からない。何故なら、外部インターネットに繋がっていないからな。
「? どうしました、──」
書架が揺れた。もう少し強かったら本が上から落ちてきたかもしれない。力の加減が難しいが、初めてなので仕方が無い。
「……」
「…………」
呆然としていますね、マチアス様。そう、クラスメイト女子も「やっぱり壁ドンだよね~」と絶賛の、コレ。いや私も呆然としていますが。
いや、女子がする方じゃないだろう絶対。
でもされるのは無理だと思うし、ならばこちらからするしかない、……うむ、当然の流れだ、理論は間違ってない。
マチアス様の身の丈は私よりも10cmほど高いが、身体は男性にしては華奢なので、私の両手はしっかりと書架に付き、彼を壁際に縫い止めている。これが冬静宮のアンドレイ様だったら、屋久杉にしがみつくコアラのていであっただろう。
「……一体、何をしてるんですか」
その問いは当然のことだろう。というか、これから如何すればいいのか。それよりも壁ドンは何のためにするのか。その有用性について今一度問いたい。
「マチアス様にも、解りませんか」
「……っ」
私の至極純粋な問いに、何故かマチアス様は、少し悔しそうな表情を見せた。まあでも、わかりませんよね。私にもわからない。
関係ないが、これでは壁ドンではなく書架ドンだな、とぼんやり過ぎる。
大体、壁ドンというものは良く話に聞くけれど、した後にどうしているという情報が明らかに欠けている。
私も大概テンパっているが、マチアス様も幾らなんでも小娘一人なら押しのけられよう。なのに動かないのは、この行動の意図を一生懸命考えているのだろう。彼も深読みしすぎるタイプだと推測している。
数えていないので判らないが、体感的に10分近く経ったのではないか、という頃。(※実際は4分)
「い、言いたいことがあれば、言えばいいでしょう?」
マチアス様が、沈黙に耐えきれず、少し不機嫌な声で問いかけてきた。
このまま、『何でもありませんでしたー☆』と笑って誤魔化すのは、さすがに居たたまれない。それくらいなら、このまま拉致してバリケートを築く方が気持ちの上ではずっと楽だ。
言いたいこと、何か言いたいことはあっただろうか。そう、それを伝えたかったことにするのだ。
そう、伝えようとマチアス様をじっと見る。その瞳が一瞬狼狽えたように見えたが、負けず嫌いなのだろう、吊り目がちの瞳でしっかりと見返してくる。
本に埋もれる執務室は概ね満足で、不平不満は殆どない。勉強方法も放置型で気楽だし、文句はない。
なので、唯一言いたいことと言えば、この部屋が薄暗いこと、だろうか。
「…………外」
「? 外?」
「外、出ましょう」
壁が書架で埋まっているので、窓が隠れて差し込む光も淡いものだ。魔力の籠もったランプも、本を傷めないようにそれほど明るくはない。
流石にこのままだと目が悪くなる、ほんと、暗いところで字を読むのは目に負担がかかる。前世でも私の視力は年々だだ下がりだったので、今世ではちょっと気をつけているのだ。
「……何故? 外に出る必要なんて無いでしょう」
ふい、と目をそらしたマチアス様は頑なだった。前世で母親に言った自分のセリフとほぼ一緒で、若気の至りを見せつけられている気持ちだ。私はその後、頭にゲンコツを貰ったが。
これは搦め手の方がよいかもしれない、もっと遠回しに勧めてみよう。
「知識は文字だけでなく、実物を見てこそ身になります」
「は?」
「植物学の本とか、外に出て見比べるのも楽しいですし」
「はあ? 僕が、知識だけの頭でっかちだと言いたいんですか」
「え、そうだったんです?」
「……っ!」
煽るつもりはなく、ただ疑問系だったのだが。マチアス様の日に当たらない白い肌が、薄暗くとも判るほど紅潮している。もしかしなくとも、怒らせてしまったのだろう。
どうにも私は会話の経験値が足りていないのか、思っていることを上手く伝えられない。
だからといって、あれこれ言い訳も見苦しい。なので、また日を改めてきちんと説明なり謝るなりしようと思う。
書架ドン(仮)からマチアス様を放し、一歩後ろへと下がる。
唐突な解放に呆然としている彼へと、ぺこりと頭を下げる。正式な礼を、アンドレイ様から習おうと今世で初めて思った。
「本日は失礼します。この件につきましては日を改めて」
「は? え、ちょっと……」
お互いちょっと頭を冷やして、改めて討論しましょう。そんな思いで彼を見れば、何か言おうとしていたマチアス様は、一瞬怯んだようだ。
その隙に、私は執務室から脱兎した。




