危険運転致死傷罪 悲劇が起きなければ変わらないという矛盾
中将様のエッセイを見て一連の改正の流れをまとめてみたくなり書かせていただきました。
s 最近、新名神高速道路での追突事故で拘禁刑七年という重罰で裁判所は臨みましたね。脇見運転、スマホを見ながら前を見ずに運転したというのは「運転免許」という国家資格を持っているという自覚すらかけているのではないかと思う事件なのに七年とは。無慈悲ですね。
k もともと危険運転致死傷罪ってなかった、と言ったら驚くかな。
s 嘘でしょ。過失と言ってももはや殺人じゃないですか。
k そもそも刑事罰において故意でなければ罪に問わないという規定がある。ただ人を死なせる罪についてはその重大性から過失であっても罪に問われる。当然といえば当然か。そしてその戦後立法された刑法においては重過失致死は最高で禁錮三年。自動車がなかったその世界で重い罪に問うような事件は起こると想定されていなかったんだ。
s 時代に取り残された感がすごいですね。
k 交通戦争という言葉が出る時代に突入し時代は法の改正を求めた。昭和四十三年(西暦一九六三年)、重過失致死及び業務上過失致死罪の最高刑は禁錮五年へと変わり現在の基準と同じになった。例で言えば知床遊覧船沈没事故では業務上過失致死として社長が禁錮五年の判決を受けている。
s 時代の変化で移り変わるのですね。
*ーーーーー改正の歴史ーーーーー*
k ここからは刑法及び自動車運転死傷行為処罰法の変遷について解説するね。
危険運転致死傷罪は一九九九年に起きた東名高速飲酒運転事故などの被害者遺族らによって刑法に追加された。東名高速の事故では車の中にいた二人の幼い姉妹が命を奪われた。二人の尊き命を奪い、懲役四年とは。国会を動かすに至った大事件だった。
「(危険運転致死傷)
第二百八条の二 アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で四輪以上の自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は十年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は一年以上の有期懲役に処する。その進行を制御することが困難な高速度で、又はその進行を制御する技能を有しないで四輪以上の自動車を走行させ、よって人を死傷させた者も、同様とする。
2 人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で四輪以上の自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、前項と同様とする。赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で四輪以上の自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、同様とする。」
四輪車に限られていたためオートバイなどの二輪車は対象外。ちなみに当時は有期刑の上限は十五年だったため危険運転致死傷罪が適用されても最高で十五年。飲酒運転による加重を加えたとしても二十年が限度。平成十七年に懲役の上限が二十年(併合罪で最高三十年)となり危険運転致死傷罪の上限も引き上げることができるようになった。
◆適用される自動車の拡大
平成十九年、刑法の危険運転致死傷罪の規定が変わり「自動車」全てが危険運転致死傷罪の対象とされるようになった。この改正によって原付を含めた自動車を危険運転致死傷罪として適用することが可能となった。
◆「危険運転致死傷罪」刑法からの独立
平成二十六年施行の「自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律」通称「自動車運転処罰法」に移管された。危険運転の範囲が広くなっていき、刑法の規定だけでは対応しづらくなったというのもあり独立して「危険運転致死傷罪」が適用されることとなった。これによって危険運転の解釈も明確になった
「一 アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させる行為
二 その進行を制御することが困難な高速度で自動車を走行させる行為
三 その進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させる行為
四 人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為
五 赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為
六 通行禁止道路(道路標識若しくは道路標示により、又はその他法令の規定により自動車の通行が禁止されている道路又はその部分であって、これを通行することが人又は車に交通の危険を生じさせるものとして政令で定めるものをいう。)を進行し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為」
◆あおり運転は危険運転となった
平成二十九年六月五日に起きた東名高速夫婦死亡事故。何度も高速道路上で後続車を妨害し停車させた。その後後続車はトラックに追突された。この事故によりあおり運転を行った犯人は「危険運転致死傷罪」によって処罰されることとなった。今年の一月に懲役十八年が確定した。
この事件であおり運転は「危険運転」なのかどうかが議論されることとなった。当時検察側は、自動車運転処罰法二条四号にある「四 人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為」に当たるとし警察側が諦めていた危険運転致死傷罪で起訴。当時は裁判で激しい論戦が交わされた。
この事実が、あおり運転の定義の曖昧さを突きつけた。あおり運転は危険運転かどうか。それを最初から法律に定義するべきとの意見が世論で大きくなっていき、ついに国会も動いた。
令和二年に施行
「五 車の通行を妨害する目的で、走行中の車(重大な交通の危険が生じることとなる速度で走行中のものに限る。)の前方で停止し、その他これに著しく接近することとなる方法で自動車を運転する行為
六 高速自動車国道において、自動車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の前方で停止し、その他これに著しく接近することとなる方法で自動車を運転することにより、走行中の自動車に停止又は徐行(自動車が直ちに停止することができるような速度で進行することをいう。)をさせる行為」
(一部の()部分は省略させていただきました。)
この改正によって高速道路におけるあおり運転は「危険運転」として定義された。
◆ 刑法の大改正に伴う禁錮刑の廃止と懲役の改正による「拘禁刑」創設
刑法の全面改正により禁錮刑が廃止。これによって令和七年六月一日、自動車運転処罰法も改正されることとなった。これまで禁錮刑に処された人も八割ほどが刑務作業を志願していた(禁錮はただ拘置されるわけではなく正座とあぐらの繰り返しで人によっては懲役より過酷)ため懲役との刑罰の違いがないのではないかという議論が持ち上がり禁錮と懲役を一本化することに決めた。その為、過失運転致死傷罪にあった禁錮刑が廃止。
また、懲役の改正により労役が義務ではなくなり、受刑者のより円滑な更生が期待されるとしている。
主観ではあるがこの改正は捉え方によっては刑が重くなったということもできる。主な目的は更生による社会復帰の後押しと刑務所の負担軽減など多くあり、メリットの方が大きいと思う。
◆ アルコール量、速度制限違反含めた大幅改正
ここまで書いてきた危険運転の定義は相当曖昧な部分が多い。それ故にどのくらいが危険運転となるのかがわからなかった。一例では時速百九十キロほどで走行して交差点に出た車と激突しぶつけられた車の運転手が死亡した重大事故でも「制御困難な高速度での運転」と認められず過失運転致死の罪で起訴しようとしていたといった件もある。
一体「制御困難」な「高速度での運転」とはなんなのか。「アルコール又は薬物の影響」による「正常な運転が困難」となる現象とはなにか。その詳しい定義はされていなかった。
過失致死というものは何が犯罪でどこからが犯罪ではないのか。詳しすぎる定義を行えばかえって適用の範囲を狭めかねないためだ(ある行為を犯罪とした際、それ以外の行為が全て無罪となるため)。その流れを危険運転致死傷罪という概念が受け継いでいたのもあって「危険運転」の詳しすぎる定義はいいのか、という考えもあった。ただ、一般常識と乖離しすぎているのもおかしいということで多くの議論がされるようになった。
結局一定の基準を設けることで決まることとなり、危険運転相当のアルコール量の定義としては「血液1mLにつき1mg。又は呼気1Lにつき0.5mg」。ビール大瓶二本あるいは日本酒二合程度で基準に達すると言われている(当然個人差あり)
このラインを超える飲酒をしていれば事故を起こした場合、どれだけ正常な判断ができたとしても一律で危険運転として処罰されるようになった。当然、基準を下回っていたとしても正常な判断ができていなければ危険運転として処罰されるから、基準があるから危険運転じゃないといった勘違いは間違ってもしないようにしてほしい。
また、危険運転相当のスピードオーバーは「最高速度が時速60km以下の場合、時速50kmオーバー。最高速度が時速60kmを超える場合は時速60kmオーバー」が一律処罰の基準となる。この場合も同じく、基準以下であっても制御困難な速度であったと認められる場合(特に雨天時)は危険運転として処罰されるため勘違いをしてはならない。
この法案は令和八年七月二十一日に施行された。この法案ではいわゆる「ドリフト走行」も危険運転として処罰することを盛り込んでいる。
◇今後の展開は
いまだに「ながら運転」は「危険運転」ではない。「ながら運転」の一律の定義が困難なためだ。薬物使用の危険運転も数値規定は盛り込まれず。刑務所を出て一定期間は免許を取れないものの一定期間過ぎれば「運転免許」の再取得は可能など多くの問題を抱えている。
細かくし過ぎても法は危うくなる。そんな危うさも孕みながら今後も改正されていくことが予想される。そもそも運転手自身がモラルを持ったうえで運転すればこんな運動をする必要もないのだが。もう少し運転免許の試験も難しくしていった方がいいのではとも思う(無免許運転は論外として)。
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s ここまでの変遷を書いてみると、結局死者が出てからの厳罰なんですね。
k なんのための「運転免許」なのか疑わしくなる。もちろん無免許運転での危険運転致死傷罪なんて論外だが仮にも国家資格である「運転免許」は公道を走る技術があると国から認定を受けているはずだ。その人間が危険運転をするというのは。死者を出した場合、免許を交付しない期間があるとはいえ免許を持つ資格は無いのではないかと思う。いっそのこと欠格条項を作って危険運転致死傷罪を起こした場合、状況によっては免許を一生持てないようにしてもいいのではないかとも思う。
最近、日本版DBSという制度で性犯罪を行った教育者を刑の消滅まで教壇に立たせないようにするといった法律ができたわけだが、運転免許でもそれぐらい厳格に扱っていいのでは。そう思うことがある。
どっちも慢心によって道を踏み外せば「魂を殺す」。許されざる犯罪となる。
s そもそも、危険運転ってなんでなくならないのでしょうか。
k 主観ではあるがそれこそ慢心だろう。人を轢き殺そうとして運転する人なんてほとんど居ないわけで、法律上は全部「過失」扱い。危険運転致死傷は過失致死で大した罪にはならないと思っている人や自分なんかが殺人なんて物騒なことをやるわけがないと思い込んでいるというのが大きいと思う。
s 言われてみれば、殺人と過失致死って天と地ほどの差がありますよね。過失致死罪は五十万円以下の罰金(業務か重過失でなければ罰金で終わる)で、対する殺人は死刑又は無期又は五年以上の拘禁刑ですからすごい差ですよ。
k 自転車の事故は危険運転致死傷罪は適用されず、刑法二一一条のの重過失致死傷罪が適用され、五年以下の拘禁刑又は百万円以下の罰金となる。でも実際は同じ乗り物。結局はそういう
「自分は凶器となり得るものを使って運転し乗っている」
この考えを持っていなければならない。ただ、そんなことを毎日考えて乗っている人も少数だと思う。
s 確かに、毎回僕が乗っているものは凶器なんだって思うのは無理がありますね。
k 包丁と同じ。道を踏み外せば凶器となる。ただ、同時に僕らの生活を支える重要な機械でもある。
僕としては少し危ないと思ったら(ヒヤリハット)それを振り返って気をつける。そんな小さな積み重ねが日々の気を引き締めることが「安全運転」の道しるべになるはずだ。
これぐらいいいや、ちょっとぐらいなら、新車だしスピード確かめたいな。そんな考えが産むのは「交通事故死」だ。どれだけ気を引き締めてもうまれる事故はある。でも、「危険運転」は故意でなければ引き起こせない犯罪だ。人を殺すつもりがなくとも、悲劇しか生まない。
危険運転致死傷罪の改正の歴史は悲劇の歴史なのだ。奪われた命は二度と戻ってくることはない。どれだけ自動車産業が発展しAIが発展しようとも人が運転する以上、運転手本人が気を引き締めなければ事故は減ることはない。
この悲劇を踏みにじってきてしまった歴史を、もう繰り返させまい。危険運転で亡くなった人々の思いを裏切り続けた罪は重い。法で規制する限度はあれど、それぐらいの真剣さを持って臨まなければ。
運転手は初心を決して忘れるなとは行かずとも、月に一度は必ず思い出してほしい。
慢心が産む悲劇は、人生一つ分なんかでは償えない。
法令参考「e-gov法令検索、法務省公式サイトmoj.go.jp/keiji1/keiji12_00239.html、nihtyホームページサービスnomenclator.la.coocan.jp/ip/ksup/rev/kei.htm」
事件参考「ウィキペディア東名高速飲酒運転事故、ウィキペディア東名高速夫婦死亡事故」




