樹としての使命の放棄
「私、北の森に行ってプーレに会ってきます!」
アンセを置いて行くのは忍びないが仕方ない。
「待ちなさい。行く前にちゃんと話をしてから行かないと無駄足になりますよ。最後まで話を聞きなさい。おそらくプーレでは間に合わなくなったということだと思います。一度樹々に話を聞くのは賛成ですが、まずは起きてしまっている事態収拾をしたいと思っています。」
もどかしいよ、どうしたら良いの?
行くとなったらすぐに出られるように部屋に戻って着替えてからアンセの部屋に行く。
それからもう一度アンセを動かして仰向けにして顔と髪を撫でる。
こんな時、アンセが居てくれたら…
アンセの穏やかな寝顔をじっと見つめる。
しばらく樹は何かを思案していてたが、悩んでいても事態は悪くなるだけなので前に進みましょう、と言って部屋を後にする。
外に出て木々に声をかけてみると、クノーが待っていると言う。
それ以上の返事がない。
どうしたのだろう、心なしか冷たい感じがする。
「クノーに会いに行きましょう。夫の力を借ります。」
どういうことだ?
トビーは何が出来るのだろう。あれ目の色は何色だったっけ?
意外と人の顔を見ていなかったと反省していると、スクエアにトビーの姿が見えた。
トビーは、私には目もくれず樹に駆け寄って行くと寄り添って歩き始める。
樹もさっきまでの気を張ったよそ行きの表情から、初めて見る柔らかい顔になり安心しているのが分かる。
「クノーまで飛びたいの、咲と二人行けるかしら。」
言われて初めて私の存在に気が付いたトビーが私を見る。
「おう、久しぶりだな。元気か。」
「お久しぶりです。樹の夫だったなんて初めて知りました。」
「そうだったか?お前高いところ大丈夫か。」
「高い所はちょっと。」
「そうか。じゃあ頑張れ。ナミを頼んだぞ。」
ナミって樹のことかな?
私は高所恐怖症だって言っているのに、頼まれたいのはこっちだよ。
トビーは言霊をぶつぶつと唱えると旋風のように旋回する風の塊が作られる。その風の中に入れと言う。
いかんせん風は透明で見えないので入れと言われても難しい。先に樹が入って腰掛けるとその向かいに手探りで座る。
するとトビーが両手を上方に上げて、私たちの乗っている風の丸い塊が持ち上がり、そのまま上昇すると西へと勢いよく飛ばされて行く。
風通路と違い外側に透明な筒があるわけでも無く足で地面を踏ん張れないのでとんでもなく怖い。怖すぎて樹に話しかけられるまで息を止めていたことにも気が付かなかった。
「大丈夫?ごめんなさいね、トビーは周りが見えていないところがあって。」
…いや、普段は良く見えているとは思いますよ。
ただ樹と居ると樹しか見えなくなってしまうだけです、と言いたかったが苦しくて声が出ないのでニコリと笑うだけにする。
この風の玉はいつもの西の遊歩道の前に来るとゆっくりと降りてすっと消えた。風の消えるタイミングが読めなくて私は尻餅をつく。樹は慣れていてすっとスマートに着地する。
祈る気持ちで森に向かって二人で立っていると、道が開かれる。
良かった、クノーは私達に会ってくれる。
ゆっくり歩いて行くとクノーが出迎えてくれる。
久しぶりですね
大変な事になりました
「どうしよう、クノー。どうしよう。」
落ち着きなさい
まだ大丈夫です
「でもでも、もう一部おかしくなってるって。」
咲 こちらにいらっしゃい
頑張りましたね
クノーに頑張ったと言ってもらえて安堵して涙が出る。泣きながらクノーに近づいて幹を抱きしめると、クノーは枝葉で優しく包んでくれる。
しばらくして落ち着いて来た頃に樹が話し始める。
「そろそろ良いかしら。クノー、久しぶりですね。切羽詰まっているので出来れば協力してもらえませんか。」
樹の呼びかけにクノーは答えない。クノー?
咲 落ち着きましたか
「クノー、樹が話しかけてたよ。聞こえなかった?」
咲 貴女は今自分の置かれている状況が
分かっていますか
「私達、クノーにどうしたら良いか相談に来たんだよ。」
そうですね
意味は分かってますか
貴女は 凄惨な環境に 身を置くのです
「仕方ないよ、樹はもう対応できないのだから。」
出来ないのではありません
「どういうこと?」
今の樹はナミなのです
今の樹はナミで私ではない、それくらいは分かっているし私は樹には向いていない。
大きな枠組みよりも目の前の生死に気を取られてしまうから。
ナミは樹としての役割を 貴女にと
「え?樹、違いますよね。クノーが誤解しているので説明しましょう。」
「そうですね。違うとはっきり言いたいところですが話の受け取り方によってはそうなるかもしれません。」
え?そうなの?
「咲、私は嘘をついてはいません。でも全てのことを話してもいません。そもそも…私がプーレを受ければ私もシャドーに立ち向かえるのです。覚えていますか。」
あ、そういえば私がプーレに会った話をした時に、同じ様にプーレの力を以前もらったことがあると言っていた。
私達は プーレをと
ナミに最後の通告をしました
つまり、木々は樹がプーレを受け取って自身で立ち向かえと言った。そのために力を貸すと。
でも樹は自分で戦うのではなく、プーレを住民に撒くから、自分達で頑張れと責任を住民に投げた。
そして、プーレを受け取れなかった人達は私が救うようにと考えた。
それが樹々の意向と違うというのだ。私は住民が早く救われるならどちらでも良いと思うがそうではないようだ。
プーレは 諸刃の剣です
「どういうこと?」
「シャドーが多い人は強いプーレの作用で正気に戻りますが、それほど穢されていない人はかなり長い間、空腹と焼けるような胸の痛みに苦しむことになります。咲も大変だったでしょう。そして恐らく…昇華の時期が早まります。」
樹がクノーの代わりに説明する。
「昇華出来るなら良いのではないですか。」
私の質問に樹が答えに詰まる。
「…今、危ないのは一部です。でも水道水では、標的を絞った配り方はできません。つまり…多くの軽度の汚染を受けている南街の住民の昇華が早まるのです。」
それはダメなのか、まだ分からない。
「恐らく…魂の供給バランスが崩れて、行く当てのない魂が何百年と彷徨うことになります。」
ええええ!
それなのに樹はプーレを水道水に混ぜようとしたの?
どうして?
「…だから樹々は私にはプーレを渡さないと言っているのでしょう。」
申し訳ないけど、それなら私もプーレを樹には渡さない。
しかし樹以外の人が水で薄まったプーレで昇華が早まるなんて、樹はシャドーに穢されているってことなのだろうか。
てっきり、プーレは浄化作用のある実なんだと思っていた。
私なんてプーレを二つも食べたのに、今こうして元気にやっていて昇華の片鱗は全く見られない。




