陰と視線
「おやすみ。」
アンセは私の目も見ずにそう言うと家に帰って行った。
私もおやすみ、と返して家に入る。アンセの事は極力考えないようにしよう。時間が解決してくれるのを待つしかない。家に入ると早速ブリースに声をかけてみる。
「いらっしゃい、私、咲って言うのよろしくね。」
咲 知ってる わたしたち みんなひとつ
私 光る 光る好き
窓際に置いて欲しいって事かな。キッチン側の窓に移動させる。
咲 大丈夫 元気
みんな優しいね。何も言っていないのに労わってくれる。
「ありがとう。そうだよね。大丈夫だよね。」
自分に言い聞かせるようにつぶやいてさっさとシャワーを浴びて寝ることにした。
翌日は橙の花が咲き始める時間に起きることが出来た。朝飯は定番のクノーとエネールを一口ずつ頂き、昨日買ったリラクフラグランのパンを食べる。木そのものの香りが濃縮されて甘酸っぱい果肉と一緒に口の中で広がる。うーん、満たされる。贅沢な時間だわ。これがリラクの効果なのか。確かに地上でも美味しい食べ物を食べると幸せだったけど、どう幸せなのか考えたことはなかった。ここの人達は気持ちを大切にしているんだね。もう一度クノーやエネールを意識しながら食べてみよう。
パン一つでお腹も心も満たされたので朝の散歩に出かけることにする。クノー会ってくれるかな。家を出て庭のみんなに挨拶をして遊歩道を目指す。クノーに会いたい、と呟くとさっと私の目の前に道が出来る。その道に沿って歩いて行くとクノーのいる光が沢山降り注ぐ場所に出る。
「おはようございます。」
よく来ましたね 待っていましたよ
生活は どうですか
「何とかやってます。アンセに助けてもらって樹に資金援助してもらってようやく生活出来てます。」
よかった
「街を歩いていたらすごく沢山の果実の名前が出てきて、しかもそれぞれ気持ちを揺さぶる役割があるって聞いたんです。地上ではそう言うのなかったから驚きました。健康になるって言うのはあったけど、気分に作用するって新鮮でした。あとでクノーの実をもう一度味わいながら食べてみる予定です。今までは知識を得るぞって気合入れて食べていたんで食べた後の事あんまり考えてなかったので。」
良いことです 意識することで よりその効果が得られますからね
なるほどそうなのか。ストレッチするとも伸ばしたい場所を意識すると良いって言うもんね。そんな感じなのかな。覚えられるか分からないけど色んな果実の名前と効果を聞きたいな。
そうですね いくつか知られているものを教えましょう
食べ物はみな気持ちに作用するのです。
葉や花が食べられるもの
果実だけ食べられるもの 色々あります
すでに知っていると思いますがリラクフラグラン、シトラールは実も葉もどちらも効果があります
ワルク、スポールなどはそれぞれの目的に対する意欲を掻き立てます
なるほど木によって違うのね。リストを作って覚えよう。ワルクは仕事、スポールは運動系に効果があるらしい。そういえば一番人気のおにぎりはワルクだったよ!
「そう言えば私、サラダが食べられませんでした。みんなの悲鳴が聞こえる気がして。」
ふふ 優しいのね
大丈夫ですよ 食べ物として摘まれた者は
運命を受け入れています
だから 残さないであげて下さいね
あ、そっか。もし残してしまったら摘まれたのに捨てられるかも知れないんだ。その方がよっぽどひどいよね。自分でサラダを作ることはなくても、お店で出されたら食べる方がいいのだ。
これから調理する時も同じだ。できるだけ話しの回線を切りながら丁寧に調理しよう。でも待てよ、今までクノーやエネールの実を切る時に悲鳴とか声は聞こえなかった気がする。
果実はあなたの髪のような位置付けなのです
元々いつかは自分からは離れて行く実なので
意識はそこにないのです
なるほど。では調理するときはできるだけ果実を選んで買おう。そしたら気持ちよく調理ができる。葉っぱの料理はお店で惣菜を買えば良い。良いことを聞いた。クノーにお礼を言う。
咲 一度帰りなさい
急にクノーが言った。そう言われたら帰るしかない。再びお礼を言ってその場を離れる。エネールに通される事もなくそのまま遊歩道に出た。
なんだったんだ?とりあえず家に向かおうとすると
咲 スクエア 行く
そう声がしたので行き先を変更する。財布を持って来ててよかった。風通路でスクエアに出て、さてどうする?スクエアは出勤する人達で忙しなく人が動いている。よく見ると何人か影が濃い人達がいて心持ち暗く見える。街の人達全体がエネルギー溢れる明るい感じなので目立っている。見間違いなのかな、誰かと話しながらくる影の濃い人もいるが相手は気付いていないようだ。
南の方から特に黒い影が目立つ人が来たので声をかけようと肩に触れた瞬間、強めの静電気が全身を走る。痛っっ!!なにこれ!痛みに気持ちを奪われて声をかけようと思った相手を見逃してしまった。既に人混みに紛れて見えなくなっている。なんだったんだろう。冬でもないのに静電気って。
体をさすりながら歩いているとまた別の影濃い人が現れた。うーん、どうしよう声をかけるべきか。もしこの電気ピリピリが影のせいならまたあの痛みが来るに違いない、一瞬迷ったが今は実験あるのみだ。今度は見逃さない様に声をかける。
あの、そう言ってから相手の肩を触るとまたしても特大の静電気が全身を駆け巡る。痛い!痛いよ!ぐぅぅ。唸っていると逆に心配されてしまった。よく見ると相手の影は薄くなっている。あれ?声をかける人を間違えた?大丈夫だとその人に応えその場を離れる。何があった?体をさすりながら辺りを見回す。
あ、まただ。今度は私を見ている人がいる。どこだ。誰だ。こんな時に本当に誰なの?キョロキョロしていると後ろから声をかけられる、びっくりして飛び上がると笑い声がする。
「なんか悪いことでもしてたのか?」
アンセだった。あー驚いた。心臓に悪いからやめて欲しい。
「何でもない。」
「ならいいけどよ、すごく挙動不審だったぜ。通報されてお呼び出しはやめてくれよ。じゃあな。」
そう言って彼は仕事場へ向かった。いつものアンセだった。私の方がぎごちなかった。
再び辺りを見回すが先ほどの視線は感じなくなっていた。
影といい、視線といい、アンセといい、何なんだ。なんなんだー!と叫びたいが心の中に留めておく。
ちょっと怖いのでとりあえず家に退散したいところではあるが、折角来たのでスーパーで少し勉強して行こう。家に1人になるのもそれはそれで怖い。
まずは野菜、果物が並ぶ。ワルク、スポールを見つける。小松菜とほうれん草みたいに似ている。これは覚えるまでは一個ずつ買わないと分からなくなりそうだ。他の葉物は、ムースエ、カルキューレなどが棚の多くを占めている。果実は、昨日見た緑で三角形のエッジ、赤くて丸いグロウル、白くてブドウの様なクルムが並んでいる。まずは昨日食べたものから買ってみよう。あとは砂糖、塩、油。この前のおにぎりからして醤油的なものもあると思うのだけどどれかよく分からない。なんと説明したら定員さんに伝わるのか。
「すみません、おにぎりとか野菜の煮物に使われている調味料ってどれですか。」
「このエンチャンかな。」
お礼を言って紹介してくれた物も一緒に買う。さて、帰ろうかな。