私の樹の気配
「帰るぞ。ほら。」
退院が決まって外に出るとアンセが待っていた。
アンセが左手を腰に当てて「ここに捕まれ」と言う。
「ちゃんと歩けるようになっているでしょう。」
「確かに歩けているが今までよりはまだまだゆっくりだから、それを踏まえて移動時間考えろよ。」
「え?そんなにゆっくり?普通より少し遅いくらいではない?」
「咲は朝スタスタ歩くだろ、それに比べたら半分くらいの速度だな。」
アンセに回復したところを見せようと目一杯頑張って歩いていてその評価だ、普通に歩いたらもっと遅いだろう。
「そういえば、樹に金もらっただろう。その対価は払っているか。」
「え、やばい!全然定期報告入れてなかった!」
「だろうな。オレら今回のことで呼び出し喰らっているから、元気なら一緒に樹の館に寄って行くか。」
また帰ってから来るのも大変なので賛成する。それにしてもアンセはどうしてこんなにも私のことをよく知っていて、タイムリーに助けてくれるのか。
「ねぇ、目覚めてからすごく気になっていたんだけど、何でこんなに面倒見てくれるの?入院中も結構来てくれていたって聞いたけど仕事は大丈夫?」
「今回の件は、ここではすごく珍しい重大案件なんだよ。それでオレは樹から咲のケアをアサインされている。だから仕事のことは気にするな。」
確かに、大事件なのだろう。
だって家に鍵がいらないくらい平和な世界での傷害事件なのだから。
事前に連絡していないのにも関わらず、樹は館のあの透明なガラス張りの部屋にいて私達を待っていた。
「いらっしゃい。大変だったわね。体は大丈夫?」
「ご心配おかけしました、もう大丈夫です。」
「まだ、危なっかしいけどな。」
「アンセ、この件に関して貴方の聴取はもう終わっているはずですが。」
「二人でお互いの認識に相違がないか一緒に確認した方が良いかと思いまして。」
ナミさんはため息を吐くと、アンセを見ずに私に話しかけた。
「では咲、お話を聞いても良いですか。定時連絡もまだだったわね。それも合わせて聞かせてくれると嬉しいわ。」
優しい笑顔で強めのジャブを私達に繰り出してくる。私としてはアンセがいてくれて良かった。
まずは優先して今回の話をする。ここに来た当初からストーキングされていたこと、窓にカレンが張り付いていた恐怖体験、買ってもらったバッグを渡したこと、そして刺された時のことを順を追って話す。
アンセは自分が知らない話が出ると、何度か口を挟もうとして樹に止められた。
全て話し終わると樹は一言「分かりました」と言ってアンセに退室を促した。
事件の聴取はこれでおしまいで、ここから先の定期報告にはアンセは関係ないから、とのことだ。アンセは不満そうだったが樹に押し切られた。
「咲、このお部屋は人だけではなく如何なる者にも聞こえないようになっているお部屋です。この意味が分かりますね。前回お話ししてくれなかったことも含めて、近況報告書お願いしますね。」
つまりこの部屋は木々も話を聞けないようになっているということだ。そして彼女は私が木々の声を聞くことができるのがバレているということでもある。
「内緒にしていたことは、ごめんなさい。クノーと約束したんです。誰にも言わないと。樹を信用して良いのか分かりませんでした。」
というよりは、樹よりクノーを信じていたというのが正しい。
「ご存知だと思いますが、私は木々と話ができます。それから彼らの傷を癒せます。最近はクノーやエネールにもらった果実を使ってジューススタンドを始めました。」
「そう」とだけ樹は言った。
それから少し考えてから質問し始めた。
「聞きたいことがいくつかあるわ。その前にクノーは貴女のことをなんて?」
「何者かよく分からないと言っていました。」
「樹々の傷を治すってどういう風にできるのかしら。」
「え、樹の力ではないのですか。傷が治るように想いながら手を当てると傷が消えます。でも葉っぱをちょっと治してあげられるだけです。」
「それを誰かに話したことは?」
「誰にも話していません。木々に関わる出来事全て誰にも、です。」
「良かった。それは秘匿として下さいね。それからシャドーに関してですが、シャドーを見つけ、浄化できるのは樹の力です。もしまだその力があるのなら、引き続きお願いしたいわ。」
樹は一度目を伏せてから私を真っ直ぐ見て言葉を続けた。
「でも、今は難しそうですね。残念ですがもう微かにしか気配を感じません。」
「気配とは何の気配ですか。」
「樹の気配です。貴女が初めてここに来た時、私を見つけたでしょう。樹は樹の気配を感じることができるのです。」
「あの、気配が僅かだということと、木々と話せることは関係しますか?」
「そうですね、樹の気配は能力と基本的に比例すると聞いています。」
もしかして病院で声が聞こえなかったのは…
嫌な予感がする。
「どうやったら回復するんですか。木々と話せなくなったらどうしたらいいんですか。私、木々と友達なんです。」
「友達、ですか。樹の力の一部は消費していくものなので私は回復法は知りません。ごめんなさい。ただ、刺し傷が樹の力に影響することはないので別な理由があると思うのですが心当たりはありますか。」
きっと最後の衝撃だ。
必死すぎてカレンにシャドーがあったか見ていないけど、多分そうだと思う。樹に伝えるとそれならあり得ますね、と納得していた。そしてしばらく何か考えているようだった。
「最後にカレンの処分についてです。今までは貴女の容体が分からなかったので処分保留でしたが、彼女は天界で初めて傷害事件を起こしました。よって改善が認められるまで監視することになりました。幸い今回樹々からも協力を得られるので何とかなりそうです。」
「監視ってどうするのですか。」
「風で家を囲み外には出られないようにします。そして定期的に訪問して確認します。」
監視されている間は子供達は病院で預かるそうだ。
「これ以上貴女を引き留めるとアンセがうるさそうなので今日はお開きにしましょう。今度ジュースを頂きに行きますね。アンセがかなり宣伝していたので忙しくなりそうですよ。」
本当に宣伝してくれていたんだ。
意気揚々と部屋を出ると、早速アンセのお説教が家まで続いた。アンセへの感謝の気持ちが瞬間で吹き飛んだ。
たっだいまー!!
ようやく説教から解放されて、家のトッキーとシアに元気よく声をかける。
返事がない。
あれ?私、話し方を忘れたのかな。
トッキーは前に運んだ時に葉が少し傷付いていたようなのでそっと手を当ててみる。前より治りが悪いような気がするけど茶色い筋が消えている。
信じたくないけど、予感は正しかった。
私はみんなの声が聞こえなくなっているのだ。
シアもトッキーも私を無視したりしない。
カレンに関わったせいでこんなことになるなんて。
許せない!呪ってやるんだ!
黒い気持ちがふつふつと湧いてくる。
このままだと精神衛生的に良くないので散歩に出る。
自然と足が遊歩道に向かった。
ぽそりと「クノーに会いたい」と呟く。すると道が私の前に用意された。嬉しさと驚きとで心臓が早鳴る。いつも通り道に沿って行くとクノーに会えた。
声が聞こえないと分かっていても話さずにはいられない。
「ねえ、私、みんなと話せなくなってしまったの。いつかクノーにも会えなくなるのかな。ここに来てからずっと一緒に居てくれた人達とこんな風に突然、さよならってないよね。何で私ばかり大切な人を突然失うの?もう、カレンを許せないよ。」
ここに来るまで我慢していた涙が溢れ出す。
おいおい泣きながらクノーに抱きつく。枝葉がそっと包んでくれる。
落ち着いてきた頃にすっと小さなクノーの実が差し出される。食べろということだろう。最後の餞別ってことかな。
クノーに寄りかかりながら食べる。かなり甘くて濃厚なので、よく見ると実の色が黒く見えるほどの濃い赤色をしている。二、三口で食べ終わると、体力とは違う何かが充電されていく。
最近似た経験をした気がするけどいつだっけ?
これが最後になるかもしれないのでしばらくクノーのそばにいたが、やがて道が作られる。
ああ、帰らないといけないんだね。
選択の余地はないと知っていても名残惜しい。また来れる保証はもうどこにもない。
何度も「ありがとう」と言ってその場を離れた。
何となくそのまま家に帰りたくなくて、ゆっくり散歩をする。私一人の時は、沢山木々の囁きが聞こえて楽しかったけど、今は葉が揺れる音しか聞こえない。
誰かと楽しそうに話している人を見たくなくて下を向いて歩く。前を向いて歩けていたのは木々がいたからだった。自分の失ったものの大きさを実感する。
行く当ても体力もなく風通路を折り返して家に向かうとちょうどカレンが家の中に監禁されようとしているところだった。
カレンを見た途端、突然私の中の憎しみの炎に火がついた。どうしようもない負の気持ちが溢れてきてカレンから目を逸らさずにゆっくりと近づいていく。めちゃくちゃにしてしまいたい衝動に駆られて素手で攻撃しようとしたが、動きが遅くて護衛の人に手を掴まれた。カレンはそのまま風の壁の向こうに押し込まれる。
「咲、しっかりして。今貴女はシャドーに取り憑かれています。今ならまだ大丈夫。自分を取り戻せるはずです。お願い、私の声を聞いて。私にはもうシャドーを消す力は残っていないのです。咲、正気に戻って、お願い。クノーたちはそんな貴女を見たくないはずですよ。」
監視に来ていた樹が私に訴える。
分かっている。
カレンをどうこうしたって何も変わらないと頭では分かっている。
でも気持ちが追いつかない。
悪いこと何もしてないのに。
私はここに来るために家族を失い、今度は友達を失った。
「咲、しっかりして!さっきより酷くなっているわ。これ以上になったらカレンのように自制出来なくなる。」
でもどうしたらこの憎しみを抑えられるの?
気持ちを抑えられるの?
このままシャドーに飲まれるの?
「咲!」
後ろから誰かに押さえ込まれた。馴染みのある匂いがする、アンセだ。
「オレはお前の隣にずっと居るよ。一人じゃない。だから何があっても闇に飲まれるな。」
「アンセ、私に触らないで!ビリビリが、衝撃がアンセを傷つけちゃう!」
アンセの手から逃れようともがくが彼の力には勝てなくてより強く抑え込まれる。
「咲に触ってもビリビリしてないし痛くもない。大丈夫だ。」
「本当に?本当に?大丈夫?痛くない?こんなに無茶苦茶になってしまっても一緒に居てくれる?」
「ああ、大丈夫、出会った頃からそんな感じだからな、今更気にするな。オレだけじゃない。知っていたか。お前はここで起きていた時間より寝ていた時間のほうが長いんだぞ。それでも心配してくれる人が居るんだ。大丈夫だ。」
「咲、シャドーが落ち着いてきています。そのまま少しずつ抑えて下さい。」
二人の優しさに触れて心の炎が収まっていくに連れて足の力も抜ける。すかさずアンセが私を支えそのまま抱き上げる。
「この前は意地悪を言ってごめんなさい。クノーを食べなさい。少しは回復するかもしれません。ただ完全に回復する方法は私も知りません。ごめんなさい。」
樹がアンセに聞こえないように私の耳元で囁いた。
咲の中の闇がシャドーを呼び出し、飲み込まれそうになるところをアンセが救いました。
咲にとってアンセの存在に少しずつ変化が。




