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狂気との対峙

「あれ、新しいバッグ買ったのか。俺の買ってやったやつはどうした。」

しまった、新しいバッグをしまっておくべきだった。なんて返事しよう。


「…寝室に置いてあるよ。気分で変えてるの。」

「そっか。今日は飯一緒に食おう。」

「もう食べちゃったよ。」

「じゃあ、美味い酒を出してやるから飲みに来いよ。」

いつもと違う。これは半強制的なお誘いだ。

何か話があるのだろう。アンセの家に一緒に向かうため家のドアを開けるとチリンと可愛い音がする。風鈴みたいだ。

ザクザクと家の庭を歩いて、アンセの家に向かう道で雄叫びと共にシャドーの時とは違う強い衝撃を背中に感じる。振り返ろうとすると背中から叫び声が響く。


「アタシの夫に手を出さないで!散々忠告したでしょう!まだ分からないの!二人でどこに行くの?!」

カレンだ。

アンセもカレンに気付いて素早く両腕を掴んで怒鳴りつける。


「何度言ったら分かるんだ。俺はお前の夫でも恋人でもない。自分の好きな時に好きな人と好きな事をする。みんなに迷惑をかけるな。」

「浮気がバレてそんな事を言っているのでしょう。大丈夫よ。安心して。私はいつでも待ってるから。許してあげる。最後には私の所に戻ってくるって知ってるから。」

とても優しい声でねっとりとアンセに語りかける。背中に悪寒が走る。今すぐ立ち去りたい。


「俺は咲と一緒に居たい。」

そういうとそっと手を私の肩に回す。

アンセ、それは…逆撫でしてるよ。

訂正しようかとぼんやり考えているとアンセが私の背中の何かに気づく。


「おい、なんだよこれ!咲、大丈夫か!カレンなんてことをしたんだよ!」

突然背中を強く押されると同時にずんと振動がしてすーっと冷たい何かが体を通過する。その瞬間ずきんずきんと背中が熱くなる。


痛い!背中が熱い!痛いよー!


そのまましゃがみ込む。


「う、うう、あああー!」

「咲、大丈夫だ。大丈夫だからな。俺がいるからな。血が止まらない…このナイフ戻した方がいいのか?」

全く大丈夫そうには聞こえない。ナイフ?なんの話だ?


アンセの焦った声が私をさらに不安にする。その間にも痛みと寒さが押し寄せてくる。


「アンセ、手に血が!大丈夫?包帯まかなきゃ。」

突然、カレンが動き出した。


「俺の血じゃない、分かるだろ!どけ!病院だ!病院に行くぞ。」

「アンセ、行かないで、ねぇ、行かないで。お願い。私を置いていかないで。」

カレンの泣き叫ぶ声がする。


「うるさい!」

体がふわりと持ち上がったとき稲妻の電撃のようなバリッと音と同時に衝撃が全身に走りそのまま意識が遠のいた。


      …………………………………


「ここは…?」

真っ白な天井、壁、お布団、ここはどこだろう。なんか普段は嗅がない様な薬草のような匂いもする。あ、もしかしたらここは病院か。今まで長い夢を見ていてようやく目覚めたのか。よかった。それにしてもリアルで不思議な夢だった。本当によかった、あれが夢で。そのまま視界は閉ざされる。


「ようやくこの時が来たと思ったのに。うまくいかないものね。」

「俺は嬉しいよ。まだ君と居られるのだから。」

どれくらい経ったのか聞き覚えのある男女の話し声がする。


「…全く何をしていたんだね。これじゃ検証も出来ないではないか。これからはもっとしっかりやるように頼むよ。」

「畏まりました。」

しばらくすると今度は別の男性の声だ。上司と部下なのかな。


「早く目覚めてくれよ、今度こそ守ってやるからな。」

優しい手が私を包む。

この手は、この手は誰…


「今回は仕事を放棄しているように見えるのだが、ことと次第によっては代理を立てる。」

「次の手も打ちますので。」

みんな私を無視して話をしている。これも夢なの?


ぐうぅぅぅ、腹の虫が鳴る。


「お腹すいた…誰か 居ませんか…」

大きめに声に出したつもりだけど、誰も気付かない。もう一度試みる。ゆっくりと目を開けて周りを見回す。さっきと同じ景色だ。よかった。やっぱり地上に帰れたんだ。


「咲!目が覚めたのか!ごめん、本当にごめん。オレが混乱して余計なことをしたから大変なことになってしまって。申し訳ない。」

目の前で謝ってくれているのはアンセだった。地上じゃない、やっぱり天界に居るんだ。いつもなら割り切れるのに体が弱っているせいか目から涙が静かに伝う。


「ごめん、泣くほど怖くて痛かったよな。思い出させちまったよな。でもどうしても最初に謝りたかったんだ。すまない。」

アンセ、この涙は違うよと言いたかったけど嗚咽が邪魔をして言えなかった。

私の気持ちが落ち着いた頃、医者らしき人が部屋に来て私を診断し始める。


「傷口はだいぶ塞がり始めているので今のところ問題ないですが、こんなに長く昏睡状態になるのは例がないので念の為あと数日入院ですね。」

医者は私を見て何か心当たりがあるではないかと目が訴えてくるが、シャドーのせいです、とも言えないので黙っておく。

そうだ、シアやトッキーは大丈夫かな。どれくらいここに居るのか分からないけどお水あげないと。みんなの声に耳を覚ます。……あれ?ここには誰も居ないの?時計草は居るでしょう?うまく体が動かないので目だけで室内を探る。少し顎を上げると窓際に時計草が一つ置いてあるのを見つけた。でも話し掛ける訳にもいかない。


「どうした?時計草…時間が知りたいのか。」

「違うの、ウチの子達大丈夫かなと思って。」

ちゃんと答えたつもりだったが声が小さくて聞こえなかったようだ。アンセは耳を私の口元まで近づけてもう一度話してと小声で言う。


「時計…ブリー…」

「ああ、それなら心配ない。オレが毎日水やってるから。ブリースはもらった時より少し元気なさそうだけど、まあまあ大丈夫だと思う。」

みんな元気なら良かった。

声が出ないからみんなの声も聞きにくいのかもしれない。少し眠ろう。

あーお腹すいたなぁ。


次に目が覚めると少し気分が良くなっていた。

起きようとしたのに体が思うように動かなくてベッドから出られない。

今度はどうしたんだ?考えても動けない。


何だか笑えてきた。いよいよ何も出来なくなってしまった。笑うしかない。


部屋に入ってきた看護師さんが私を見て一瞬表情を強張らせたあと、すっと感情を抑えて優しく声をかけてくれる。


「大丈夫ですよ。少し身体に力が入りにくくなっているだけですから。」

看護師に抱き抱えられてベッドに座る。起き上がることすらままならないなんて、私は何が出来るんだろうか。看護師さんが狂ったように笑っている私を見ておろおろし始めたところでアンセが来た。

私を見るなり駆け寄って来て目線が合うようにしゃがみ込む。


「何にも…何にも…」

口にして分かる。上手く話せない。

アンセは私を見て、大きな手で私の手首から手先までを包み込んで話し始めた。


「オレの目を見ろ。オレはお前があんな事があっても元気に居てくれるだけで感謝しているよ。それに歩けないのは単に筋力が落ちているだけだ。十日以上寝たきりだっただろう。みんなそうなる。リハビリすればすぐにまた普通に歩けるようになる。そしたらお店も再開出来る。今のうちから店の宣伝しといてやるから、復帰したら忙しいの覚悟しておけ。」

うん、うん、と頷いてアンセの話を聞く。私そんなにここで寝たきりだったなんて知らなかった。それなら確かに今まで通りに動けなくても仕方ないよね。


「そうと分かればまずは飯だ。」

「ポルク…パスタ…」

勢いよく答える。起きてから一番声が張っていたと思うし、気持ちも乗っていたのに即否定される。 


「ダメだ。お前の体はここしばらくずっと固形物を食べてないんだ。今そんなもん食べたら体が受け付けない。まずは流動食からだよ。」

ええええええ!何で、ダメなの?食べたい物食べさせてよ…すぐに悲しい気持ちになって涙する。

アンセは泣き止むまでそばにいてくれた。


「おはようございます、今日のご気分はどうですか。」

「昨日は…心配をかけました。」

「大丈夫ですよ。きっと疲れていたんですよ。そう言えば彼氏さん、優しいですね。病院では専らの評判ですよ。」

「あの、アンセは…ただのお隣さんです。」

「まあ、まあ、まあ!そうだったの。想いが通じると良いわねえ。」

ふふふと何だか嬉しそうに作業を続ける。

たわいも無い話をしながら体調チェックをしているとアンセが入って来た。看護師さんはあとはお任せしますね、と足取り軽く言って出ていった。


「そろそろ飯だと思うけどもう食べたのか。」

「まだ…配膳される…かな。」

話をしているとちょうどご飯が運ばれて来た。なんと朝ではなく昼ごはんだ。思うより色々時間が経っている。


…これはご飯?

赤ちゃんが食べるような、黒緑のぐちゃぐちゃ何かが目の前にあった。

恐る恐るスプーンで掬って食べようとすると手がプルプルして溢れてうまく運べない。

焦ったくなったアンセが、オレが食べさせてやると言い出した。リハビリだからと言っても、飯をしっかり食べるのもリハビリだと言って引かないので仕方なく受け入れた。


食べさせてもらっているとさっきの看護師さんがドアを開ける。こっちを見て、早すぎたみたいだからまた後でくるわねと嬉しそうに出て行った。



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