Chapter26: マシュマロ
ミスターGが、都合よく立ち回ってくれたのは偶然である。
彼は所詮、一匹のしがないゴキ虫に過ぎないのだ。
爪脚がTシャツを貫通して肌にふれてきて、僕は卒倒しそうなほどに青褪める。裾をひっぱり出してバタバタさせてみるが、ミスターGは熱い抱擁を交わしたまま離れようとしない。素手ではたき落とす勇気もない。
ふと、ベッド上の敷島さんが視界に映り込む。ブランケットを巻きつけて縮こまっていた彼女は、視線が合うと「ひっ!」と顔をこわばらせて震えた。
僕は背中を仰け反らせながら、すり足で近づいていく。
「……こ、この悪趣味なブローチを、どうかタオルではたき落としてください」
「ダメダメダメ、ムリ! こっちこないで!」
ブランケットが投網のように広がる。
僕の脳天にふわりと落下してくると、直上から体を包み込まれるまえに、ミスターGが胸板から飛び立つのが見えた。それを最後に僕の視界は暗転。ベッドからは「キャァァァッ!」という断末魔の絶叫とスプリングが激しく軋む音が聞こえてくる。どうやらミスターGはマズい方向へむかってしまったようだ。
昨日の出来事を問いただすよりさきに気を失われてはかなわない。
よたついていた僕はブランケットを剥ぎ捨て、オバケ状態を脱する。
が、光が戻ってまもなく両目を覆った。
「なんで上を脱ごうとしてるんですか!?」
「だってTシャツ、Tシャツに!」
涙声の訴えで、僕は指のあいだから状況確認をする。
アヒル座りなっている敷島さんは、マシュマロマンTシャツの前襟をつかんで頭の上まで持ち上げていた。赤いプーマジャージからハミ出したボクサートランクスの平ゴムが覗け、すでにヘソ出しルックにまでなっており、このままでは見えてはならないほうのマシュマロがむき出されてしまう。
ミスターGの居場所は、黒地ではないマシュマロマンのふわふわした白い腹にすがりついているので、すぐにわかった。振るうのに体のよいフェイスタオルがベッドから床に落ちており、僕はすぐさま手に取る。
「脱ぐのは我慢してください、今払い落としますん――でぇっ!?」
焦ったのが災いした。
投げ散らかされていた漫画本を踏みつけてしまい、ズルンッと足が滑ったのだ。
体勢を崩して前のめりになり、ふりかぶった手からタオルがすっぽ抜ける。
気づくと僕は、敷島さんに折り重なって倒れた。
転倒で閉じてしまった瞼をゆっくり上げる。
「あっ」
ガッチリ掴んでいたのは、マシュマロみたいにふわふわしたお碗状のものだった。ぽっちりとした生の感触まで手のひらにある。そう。彼女がTシャツを脱ぎ去ってしまった後なのだ。そして間に合わなかったばかりか、まかり間違っても決して掴んではならないものを掴んでしまった――
……あれ? またデジャヴュだ。
……いや、違う。違うぞ!
……この感触は二度目だ!
途端、僕の脳神経回路がバチバチとスパークする。
失われていた記憶が断片となって流れ込み、ひとつひとつ繋がっていく。
「……思い出した」
「痛いんだけど」
「ぜんぶ思い出した!」
「痛いって言ってるの」
天井を見上げていた僕はハッとして顎をいっぱいにひいた。
真下になっているベッドには、仰向けになった敷島さんの頭。
乱れた髪がタンポポみたいに放射状に広がり、ジト目になった一重の瞳からは涙がこぼれている。
僕は彼女の胸に突き立ててしまっていた腕を即座にどかす。
「ご、ご、ごめん……なさい……」
「一応だけど、泣いてるのはヤツのせいだから。それとこういう場合はさ、遠慮なしにしちゃっても構わないよね」
「はい、どうぞ!」
と、僕は目をくいしばる。
パチーーーンッ!




