Chapter10: 水際
シャワーだけでなく風呂にまで入ってしまうとは……。
数分でも目を離した僕が悪かった。せめて口止めしておくべきだったのだ。
敷島さんは僕の呼びかけに応えなかった。ということは、寝てしまっているのだろう。湯張りをしながら浴槽に入っているうちに、夢うつつになってしまったのである。
浴室戸越しに内部をあらためると、浴槽にいる彼女を発見できた。さきほどは正面から見える範囲だけ気にしてしまっていたが、近づいて斜めからならそこまで確認できる。
「起きてください! 起きろってば!」
やはり返事はない。身動きをしないままだ。
湯量の設定は、節約もかねて水位を低めにしてある。ふつうに湯船に浸かっていれば、みぞおちくらいになる高さだ。しかし見えている金髪の後頭部は、浴槽の縁にもたれるようにしてある。折り曲げられた両足の膝頭が、水面から出てもいる。だいぶ深く腰掛けているに違いない。口や鼻の位置がどこにあるのか、気になる。
「ドア開けちゃいますからね!」
断りを入れ、折れ戸を押し開けた。立っていると湯船に沈んでいる胴体が丸見えになってしまうので、膝立ちの姿勢だ。クリアになった視界で再三再四声をあげてみるも虚しく、水音ひとつ返ってこない。このままなにかの弾みでズルンと滑ったら大事である。
……というか、すでに溺れた後なのでは?
僕は総毛立って浴室へ飛び込んだ。
「危ない……かなり危なかったぞこれ!」
まさに、水際、で肝を冷やす。
敷島さんの唇まで水面が到達していたのである。肩に掛かるか掛からないかの短い横髪も、毛先をゆらゆら泳がせている。鼻の真下にあるお湯が波紋を立てていたことで、生存を確認できたのだ。湯量設定があと一メモリ上になっていたらと思うとゾッとする。今頃はドザえもんになられていた。
浴槽の栓を抜き、ひと息ついたのも束の間、新たなピンチに直面する。
徐々に下がっていく湯船の水位。
すると鮮明に見えてくるのは、色艶のある二つの半球体である。
大慌てで壁掛けラックからタオルを引き抜き、彼女の胸元に放り投げた。
水嵩は下がりつづける。並んで起立していた両膝が、浮力による安定を失い、左右にガッパリ開かれていく。一層慌てるが、タオルはもうない。飛散している汚れた衣服を投げつけるわけにもいかず、目に留まった手桶をひっつかまえ、女体の神秘に封をした。
……見えてしまったものは、見なかったことにしよう。
○
「にしても、どうするんだよ、これから」
僕は手のひらでガードをつくり、敷島さんの顔だけを眺める。
お湯が抜けきっても尚、目を覚ます様子はなかった。スヤスヤと寝息を立てている。
なんにせよ、起きて浴槽から出てもらわなければ、すこぶる困る。
試しに、頬をかるく叩いたり、ひっぱったり、肩を揺すぶってみたが、反応はない。鼻をつまむと、眉間にしわを刻んだが、すぐに口呼吸になって安らかな表情に舞いもどった。
予想以上に手強い。それならば、と。少々手荒らではあるけど強めに叩いてみようかとも思った。でも、やめにした。
公園でカッとなって手を出しかけたときの、怯えた顔が脳裏をよぎり、気がひけたのだ。
起こすためとはいえ力づくはよろしくない。
ひとの気も知らず、彼女は口元をむにゃむにゃさせる。
僕は肺の底から息を吐き出して、決心した。
「……運び出すしかないか」




