ムシシに弟子志願
古式捕虫術「二天プラ流」ムシシの技に圧倒されたウメコ。その場で弟子入りを志願するが、あえなく断られてしまった。
ムシシへの弟子志願をウメコは無下に断られた。
「連合労民だからですか!?」
「そんなことはではない。ワシは弟子などとっておらん、それだけだ」
いままでの言動から、ムシシが連合労民を好ましく思っていないことは明らかだ。断わられた理由が「連合労民だから」ということではないので、そこはちょっと安心した。連合労民を辞めないと弟子にはしないと言われては、もう絶望的だ。ウメコは連合労民の身分を捨ててまで、ムシシの弟子になりたいとは思わない。まだ望みはあるようだった。
だからウメコはめげずに、その後も足しげくムシシのもとに通い続けた。組合がうるさく言ってくるのもお構いなしに、朝早く起きて、まずは<桃二郎>組のための捕虫をする。圏外までの時間を無駄足にしたくなかったし、それに<桃二郎>組でくれる野労好みの酒のつまみ缶詰の類いは、ムシシへの手土産にはもってこいだった。さらに減給されている中から、わずかな配給物資も惜しまず持参して、ウメコは弟子入りを許可してもらうために、毎日のようにひざを折り頭をさげに赴いた。
といっても、招き入れられるのはムシシの機嫌のいいときだけ。大抵の場合、門前払いを食らうのが通常だった。それでも門前払いなら、まだ誠実な対応で、ひどいときには戸は開けてくれても、持参した手土産だけをつかみ取られて、さっさと追い返される。そのやり方が、わずかな戸のすき間から片目で覗き、手だけを出してクイクイっと指を曲げ、缶詰を寄越せと無言で合図する、いかにも憎たらしい感じなのだ。
けれどそんな目に合おうが、あの術に魅入られたウメコにとっては、どうってことない日参だった。目前で虫のクラック値が上昇した、あんな驚天動地の光景を目の当たりして、この技を会得したいと思わない虫捕りなどいようか!?それから、網の中にたった1匹の虫だけ捕まえるという、電光石火の網振りにも度肝を抜かれた。ウメコを突き動かしているのは、捕虫者としての求道心のみ。けして謹慎期間の暇つぶしなどではない。あの技をなんとしても会得したい!ただその一心である。
その日は別段、機嫌がいいようにはウメコには見えなかったが、ムシシは戸を開け中へ招き入れてくれた。手土産は変わり映えしない、いつもの配給缶詰である。
座敷にあげられたときには、きまって苦い茶を振舞われる。ムシシの煎れる茶の苦さは、自由労ショップのコーヒーで苦みに慣れているウメコでさえ、顔をゆがめるほどだった。でもこれは弟子入りのためのテストなのだと我慢して、ためらわずに啜った。そうして飲んでいるうちに、最近だいぶ慣れてきた。
猫のニャムシローは遠目からこちらを嫌な目つきで歓待する。これもいつものこと。けれどこれだけは一向に慣れない。向こうも、カスリのときのように懐く素振りはまったくみせない。
「先生、今日はここいら、虫霧薄いですよ、外出られました?」ウメコはたわいのない話題を振った。
「いいや」囲炉裏の前でムシシは小刀を握って、二天プラ流の呼び音で使うテンプラ笛の木塊を、シュッシュと削っていた。「そうかい、そんなに薄いのか。あとで、出てみるかのう」
ウメコもこの頃では、ムシシの気難しい性質に慣れてきて、前置きもなく弟子志願の話など持ち出して、ムシシの機嫌を損ねるヘマはおかさない。まして笛の製作に余念がない今日は、あきらめた方がよさそうだが、二天プラ流の虫笛の構造を間近に見学できる好機は逃すまいと、ムシシの手元から目を離さず話を続けた。
「今日の缶詰は高級ですよ。奮発してくれてね、組長が」
「連合労民のお前はこんなところをほっつき回って、いつまでブラブラしとるのだ、ノンコ者めが」
「え、組合みたいなこと言う。まるで管理要員みたい、ハハハ。でもそれで言ったら先生は元祖でしょ。ノンコ者第一世代だ」
「フン、連合労民ならそれらしくしろと言っている。開拓ノルマにその身を捧げんか。土になるまでがノルマだろう。半端ものが」
「仕方ないでしょ、謹慎命じられてるんすから。それにね、いいんですよ。私みたいなノンコ者なんかね、土になる前にどうせ圏外に放られるんだから。土建も開拓できないような遠くへね」
「手間が省けるというわけだな」
「ほんとそれ」茶をゴクリとやり、はあと一息ついた。「前に桃組のキンキー兄貴が言ってたけど、先生のお茶に慣れたら配給茶、不味くて飲めなくなっちゃった」
「そんなとこから真に非適合化していくのだ。連中に言わせたら、堕落だな。ムシシシシ」
「先生は逆に私の配給缶詰のせいで再適合化し始めてるんじゃないですか?だってまさか先生にまでノンコ呼ばわりされるとはね。私もいよいよだな」
「いつまで謹慎しとるのだ?じきに開けるんだろ」
ウメコは、ちょうどさっき<桃二郎>組のガスロの親方にもそれを聞かれたばかりだった。「まだ5カ月くらい」
ガスロにはこの一カ月間、ウメコが虫捕りで組に貢献する以上に世話になっていた。ウメコがムシシに弟子入りを志願したが断られたと聞くと、ガスロはくわえタバコを落としかけるほど、あんぐり口を開けて「お前はやはり頭がどうかしているんだな」と頭を振った。それからムシシと自分との過去のいきさつを話してくれ、自分もムシシとケンカしたが、そこから関係を修復していったことや、ムシシとの交渉の難しさを語り、その対策を伝授してくれた。曰く、けして反発しないこと。素直に弱みをみせること。だからといって遠慮しすぎないこと。すぐに見透かされる浅はかな世辞など絶対に言わぬこと。それよりむしろ多少の毒なら吐いておくこと。何より肝心なのは、向こうの仕掛けた誘いに乗らないこと。それはムシシのかんしゃく玉を破裂させるための導火線であること。さらには、面会前には必ず深呼吸しろだとか、絶対に秘密にするという約束で、こんなお題目まで教えてくれた。「気をつけようムシシの破裂、むしろ無心でご挨拶。無神経こそ安全の敵」なんでも、これを唱えると交渉が上手くいくのだそうである。
気をつけよう、とこっそり口の中で唱えかけたとき、ウメコはムシシの手元から、なにげなく視線を傾けた。すると猫のニャムシローと目が合った。ムシシの横に鎮座する猫は目を細めて、まるで疑いでもかけるかのようなまなざしで、こっちを見ている。
ホント、ちっともかわいくない。ウメコは思う。なんで生身の動物というのは、こうも露骨に感情を示すものなのか。私だって不快感が顔のおもてにもれないよう努力くらいする。なのになんなのこいつは。毎度毎度、失礼じゃない?生意気だよ。客に対して少しは気を使わないのかね?ニャンコ者めが!
そのてん、脳トロンマスコットの類いはいい。導きだされた考え、心情はだいたい音声に乗せてしまうから、わかりやすい。多少イラつくことはあっても、不審にはならない。
それともこれは猫の感情なんてものじゃなくて、ただ単にこういう顔つき、或いは仕草のものを、すべてこっちの感受性だけで推し量って、憎たらしい顔だとか、ひねくれた表情だとかと、きめてかかってるだけなのか。
いっそこっちも、キッとニラメつけてやって、ギャアと大口開けて、そんな顔で相手を見たら、おんなじこと相手にも仕返されるよ!と教えてやるのもいい。けどそれでムシシの機嫌を損ねたら元も子もない。
そうだ。弟子となるからには、こいつに慣れることも肝要なのでは。ムシシはコイツが私に懐くかを、こっそり見計らっているのかもしれない。これは盲点だった。もし仮にムシシの気が変わりかけても、こいつがあんまり私を嫌うようでは、タテに振りかけたムシシの首も降りることはないだろう。気をつけよう、むしろニャンコにご挨拶。
師を得んと欲すれば、まず猫を得よってこと!
ウメコはアゴに指をあてた。――フウム、私はなにも猫が嫌いなわけじゃない。なにより向こうがこちらを好いてくれない気がするのだ。第一印象がまずかった。すでにカスリに懐いてたから、こっちとは距離感ができてて、だからハナっから、かわいがろうとする気も起きなかった。カスリが独占してたし、あのとき私の興味はまったく虫捕り道具の方に奪われていたから。
よく見たら、姿形はカワイイとは思う。そしてなめらかな毛並み、レモンのような丸い瞳、背中の曲線なんてとても美しい。それに、なでてみたい気持ちもなくはない。ただうかつに手など伸ばせば、引っ掻かれそうで怖い。トラビの描像とは違う。引っ掛かれれば痛いし傷もつく。
こちらから歩み寄る。心持ち優しい目をして見る。ニコッと無心でご挨拶。はたして、こちらから手を伸ばすのは得策なのか。やはり引っ掛かれたら嫌だ。向こうから歩み寄ってくるよう仕向けること、まさに虫捕りの要領。だって気をつけないと、破裂するから!――
すると、どうしたことか、にわかに猫の目がまん丸くなって「ニャア」と、こちらにすり寄ってきた。
「ひゃっ!」ウメコは思わず身を引いた。
ムシシが咳払いをして言った。「おまえの役には立たんだろ、あれは」
「え、ニャンコですか?」
「ニャンコ?おまえも欲しいのか!?無理だな。カスリちゃんにも断っているくらいだ」
「いえ、違います!ニャンコなんかちっとも欲しくないです!私は再三申しております通り」
「だからよ、二天プラ流はおまえの役には立たんぞと言っておる」
「なんでですか!」
「あらゆる古式捕虫術が捕虫圏で使い物にならんのと同じ理由さ」
「ちょっと待って、使い物って、先生の口からそんな言葉が出て来るとは思いませんでしたわ!」ほらきた、これだ。これに乗ってはいけない。「それに古式捕虫術が役に立つ、立たないとか、私がそんなこと口に出したら、烈火のごとく怒るでしょ!」
「無論だ。だが、おまえは役に立つと思って会得したいのではないのか」
「そこんところを見損なわないでもらいたいんですよね!私が弟子入りしたいのはですね、再三再四申し上げましたとおり、あの術の凄さに圧倒されたからなので、本当にただ純粋に会得したいと。あと言わずもがなのことですけどね、連合労民の使命なんかとはまったく無関係ですから!」
「では二天プラ流は、役には立たんというのだな」
「そんなことは言ってません!だって先生の術でノルマの役に立たせたいなんて言ったら弟子にしてくれないでしょ!」
「では役に立つと思うのか」
「じゃ、聞きますけど、桃二郎組が困ってたあのときの虫は、先生が呼んだんですか?もし本当ならノルマの役に立ちますよ!開拓事業の役に立ちますよ!」
「まだわかっとらんようだの」ムシシは呆れたというようにタメ息をついた。
「捕虫圏の虫は破裂猶予が長すぎて、古式捕虫術の呼び音は届かないのだよ。圏内と圏外じゃ、虫がまるきり違うのじゃ」
「そんなことわかってますよ!それでさんざん苦労したんですから!チューニング合わすのに!」
「そうか、では自分たちで呼んだのではないか」
「え!?」確かにそうなのだ。それはウメコの実感でもあった。「そうですよ!」
「ならば聞く。二天プラ流は役に立つと思うか」
「立ちます」
「立たぬな」
ウメコはしばし黙り込んだ。どっちなんだよ。古式捕虫術のことを流行らないといえば怒るし、じっさい術を目の当たりにして圧倒されて弟子入りを志願したら、今度は役にたたないから、やめろという。この目の前で振られた尻尾のような導火線に反応して、じゃあ先生わかりました、やっぱり古式はダメですね、役に立ちません、なんて切り返したら最後、火はバチバチ走ってムシシは烈火のごとく怒りだすにきまっているのだ。無神経こそ安全の敵!
「土建の捕虫なら役に立ちますね。だって圏外だから。でもバグモタみたいな大量捕虫ができるとは思ってません!それに先生はそういう捕虫が気に食わないんでしょうけどね」
「役に立つなどと、少しでも考えているうちはダメだな」
結局、あー言えばこー言うなんだよ、このジジイは。ウメコはムシッとした。しかしここがふんばりどころ。ムシシは私に、役に立たないと言わせたいらしい。でもここで乗せられては台無しだ。私はただあの技を会得したい、それだけなのだ。けどそれはすでにさんざん訴えてきた。こないだだって、わずかにある欲得ずくな本心でさえ、素直に認めたのに、邪な動機、と切って捨てられたのだ。しかしここはガスロのアドバイスを思い出せ。けして反発しないこと。気をつけよう、ムシシのテンパー、むしろ無心でご挨拶。
「でも先生ね」ウメコは高まった調子を一段下げていった。「古式捕虫術は精神を鍛えるのにいいといいますし、それは虫運の向上につながります、であれば、」
「だったら新鍋流で充分ではないか。それだってお前は極めたわけじゃないんだろ」
「礼儀作法ばかりでしょう。あれでは実際の虫捕りとなると、」
「新鍋流はたいした流派じゃ。おまえごときが軽口叩くなバカモノめ」
「すいません」ウメコは以前、ムシシに新鍋流をヘボ捕虫術と罵られたことを忘れてないけれど、ここは素直に謝った。確かにムシシへの敬意を表すのに新鍋流を貶める発言はよくない。ウメコは学労時代の師範の先生の顔を浮かべ、少し良心が咎める。だからこれはドジョー先生に対してである。
「二天プラ流は型破りの術じゃ。行儀もわきまえぬ、そもそも型にはまらぬようなお前に会得できるものかな」
「型にはまらぬ、ですか?じゃあそれが型じゃないですか!」
ウメコは瓦解したレモネッツ!!!のことを思い浮かべた。班員の誰もが、形式、礼儀、礼式などというものに、まったく頓着しない、バラバラな連中だった。だから型なんてものは元よりないはずなのに、結局壊れてしまった。
「なら私にピッタリですよ!どうせ壊してしまうんですから。なんでもかんでも、型があってもなくてもね。たぶん私の性分なんですよ」
ウメコは弟子入りを許された。意外とあっけなくて、そのときの言葉をあやうく聞き逃すところだった。ムシシはただボソッと「よかろう」とだけ言った。
さて弟子修行はというと、ムシシの家の外装の掃除から始まって、虫霧の中での座禅や、網の素振り、箸を使った捕虫など、古式捕虫術の基礎的なことから始めたが、これ以上、ここでは修行の日々は書かない。かくして二天プラ流に入門し、ウメコは異例の速さで免許皆伝を受けるのである。
ムシシはあるとき、あっさりお免状をくれた。そろそろ謹慎が明けようというタイミングであった。けれどウメコは不服だった。まだ肝心の、虫のクラック値のコントロール方法を教わっていないのだ。「だってあれが奥義でしょうよ!」とせっつくものの、ムシシから「短期間でマスターできるものではない。それには連合労民をやめるしかないな」と突き放され、だから渋々受け取った。
そして次回は、謹慎期間を終え、レモンドロップスiiiとして8班が再編成され、その奮闘を描いた日々へと時は戻る。




