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婚約者は、私の妹に恋をする  作者: はなぶさ
マリアンヌの真実

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本当はずっと思っていたのだ。

母ならきっと、如才なく全てのことを()()()やり遂げると。

母のようにはなれないと、ならなくていいと分かっているのに。シンシアやヴィルヘイムのことにのめり込んでしまう。


そんな私に、父は苦言を呈す。

深入りしすぎてはいけないよ、と。


お前はいつか、この家を出て行く。そんなお前が二人に関わりすぎると、彼らは手を抜くようになる。何かあってもマリアンヌがどうにかしてくれる、とね。

だとするなら、お前が嫁いでいった後。あの二人はどうなるだろう。

何の力も持たない二人がこの屋敷に取り残されて。恐らく、困ったことになるだろうね。


―――――数年後、あるいは数十年後のことを考えながら生きるんだよ。例え、明日お前の命が尽きるとしても。それが貴族としての責務だ。


父は、他人からすれば冷淡な人間に見えるだろう。けれど、やはり領主であり経営者なのだ。どんな物事も常に、少し離れたところから広い範囲を見つめている。私にはまだ、難しい。


「マリアンヌ様のお気持ち、きっと奥様には伝わることと存じます。血の繋がりなど……、関係ないのかもしれません」と微笑するイリアは、あくまでも私に寄り添おうとしてくれる。けれど、その表情はどこか硬い。

「イリア様。お菓子を探していらっしゃるのであれば、おすすめのものがありますわ」

よほど、妹のことが大切なのだろう。贈り物が決まらず、浮かない顔をしているのだ。

それにきっと、街歩きにも慣れていない。どことなくずっと、そわそわとしていて落ち着かない様子

それももっともで。

確かに学院内におけるイリアからは『買い物を楽しむ』という姿が想像しずらかった。時間に追われているかのように歩き、次から次へと授業を受けて。昼休みに食堂で見かけることもない。


そういえば、どこで食べているのだろう。

もしかして、食べていない……?


イリアのことを何も知らないのだと痛感する。こうして向き合っているのに、目の前の彼女は私と違って、浮かれているわけではない。


「おすすめのものですか? ご助言いただけると嬉しいですわ」


瞬間的に、ぱっと華やいだように見える表情。途端に胸が締め付けられるような心地になる。同性だというのに不思議なことである。

―――――こんな顔もするんだわ……。


「妹さんは、お好みの味がありますの?」

「好み……、」

ここでまた考え込んでしまった。いくら家族といえど、他人の好みなどわからなくても当然。とりあえず歩きましょうと誘えば、隣に並んでくれる。

こんな風に、一見仲良さげに見える姿を見られるのはあまりよくないかもしれないが。私たちはもう子供ではない。

昔、父から『我が家とマチス家が結託し、君たち子供を利用して何か企んでいるのではないかと思われる』

と言われたけれど。政局もだいぶ変化しているはず。今、私たちが一緒にいたとしても穿った見方をする人は少ないだろう。―――――と、必死に言い訳を考える。

もしかしたら、母とマチス婦人のような関係を築けるかもしれない。


「妹は体が弱いものですから、母が健康のためにお茶を煎じておりますの」

「まぁ、お優しいですわ」

感動がそのまま言葉になる。

「……はい。あの……、それ、で。妹はそのお茶が苦いと……あまり好んでおりませんから。少しでも美味しく飲めるように、お茶菓子があればいいのではないかと思いまして……、」

どこか歯切れ悪く説明するイリアに「素敵ですわ」と、感嘆の息が漏れる。

「素敵?」

訝し気に首を傾げる彼女。

「あ、いいえ。何でもありませんわ」


首を振ったものの、心の中ではイリアへの称賛が止まらない。

妹のために街へ出てきたのもそうだが、その贈り物が思いやりにあふれるものだったことに、単純に胸を打たれたのである。

そもそも、お茶が苦くて飲めないというのであれば、自分で甘いものを用意すればいい。私なら絶対に、そうする。ジャムや砂糖でいいのだ。侍女に言いつければ持ってきてくれるはず。


イリアの妹はもしかしたら消極的な性質(たち)なのだろうか。我慢しながらお茶を飲んでいるのかもしれない。そんな妹を見て、イリアはお菓子を用意してあげようと思いついたというのか。

印象からしても仲睦しそうな姉妹で、少し羨ましくもある。

イリアからお菓子をもらった妹は、どんなに喜ぶだろうか。


可愛いに決まっている。イリアに似て。


「こちらですわ」

道案内しながら、ちらちらと彼女の横顔を盗み見る。

学院の図書館で、仲良くなる必要はないと拒絶された日を思い出した。去っていくイリアの後ろ姿を見ていることしかできなかった。

今日はあのときと違って、隣に並び、普通に会話をしている。同世代の貴族の子女が話をすることなんて、さして特別ではないはずなのに。


こんなにも、特別だ。


私たちの関係性も当時とは異なり、先日の学力テストでイリアはとうとう私の順位を追い越した。

先輩方と親交を深めている様子はないので、試験について誰かから助言を受けたわけでもないのだろう。

ただひたすらに努力して、学んだ結果だ。


彼女は本当にすごい。


「このようなところにお店があるのですね……」

感心したように辺りを見回すイリア。

最近巷で話題の菓子店は、路地裏の奥まったところにある。もちろん一人で来るような場所ではない。今日は護衛がいるので、安心だ。とはいえ、私の護衛は先に行って、店主に菓子の用意を頼んでくれているはず。私たちは店先でそれを受け取るだけでいい。

実は、その店の主が、我が家出入りの菓子職人なのである。


「妹さんのお名前は?」

「……シルビアです」

「そう。シルビア様はたくさん召し上がるほうですの?」

「いいえ、食も細いのです。だから、心配で……、」

「いつも余分に用意してくれるお店だから、多めにお持ち帰りになっては? お好みの味なら少しは食べられるのではないかしら?」

「……そう、でしょうか」

なぜか、ちらと自分の護衛を見やり逡巡している様子。本当に妹思いで、色んなことを考えているのが分かる。


顔も知らないその子だが、イリアもきっと慕われているはず。こんなにも妹のことを考えているのだから、好かれていなくてはおかしい。


やがて菓子店にたどりつき、焼き菓子の入った袋を抱えている護衛と落ち合った。私の分は護衛が持っているので、イリアの分を手渡す。

店内に入らずとも用事が済むので楽ではあるが、店頭に並んだ多種多様のお菓子をじっくり見られないのは少し残念だ。

けれど、あまり時間がない。というのも、学院の帰りに寄り道することを家に伝えていないから。

寄り道すると決めて馬車から降りたときも、護衛は渋い顔をしていた。今も何か言いたげにしているのは焦っているからに違いない。

勝手なことをして叱責されるのは私ではないのだ。


「あの、マリアンヌ様」

後で、お菓子の代金を小切手にして送ると言われたが、丁寧にお断りする。また「お礼状も不要ですからね」と伝えた。いつか、母から言われた手紙は証拠に残るという言葉が思い起こされたから。

「機会があれば、お菓子の感想をお聞かせください」と告げると、

「……、」

まだ何か言いたそうにしている彼女が、私の顔を見ていた。

「どうなさいましたの?」問えば、

「実は……、私、この間の茶会で失態を……」

「茶会?」

「はい。ソレイル様と、そこに妹がいたのですが。少し……、いえ、かなりの失態を演じてしまいましたの。それで……、シルビアに贈り物をしようと考えました。先ほどのお茶に合うお菓子を探している、というのは嘘ではありませんが」気まずそうに、それでも本当のことを打ち明けるイリア。気持ちがいいほどの正直者だ。


その無垢で、繊細な心が傷つかなければいいと思う。


「そうでしたのね? それならば私も少しはお役にたてたと思って良いのでしょうか?」と、肩を竦めれば「はい! もちろんです」と力強く頷く。


嬉しい。


そうして、お礼を述べるイリアを見送り、私たちは別れた。

「お嬢様、嬉しそうでしたね」

待たせていた馬車に向かう途中、口数の多くない護衛がわざわざ感想を述べるので、そんなに顔に出ていたのかと頬を抑える。


「お嬢様は、いつもどこか……、」

「どこか?」

「つま……面白くなさそうなので」

「つまらなさそうって言いかけたの?」

「まぁ、はい」

「そう、」

「はい」

「そうなの……?」

「はい」


その後、護衛と共に場所を移動してシンシアに渡すためのショールを選んだ。


屋敷へ戻ると早々にシンシアの下を訪ね、ビロードのショールを渡す。シンシアは感激して「いつもショーウィンドウ越しに見ていたんです」と教えてくれた。さらに「もっともっと頑張りますね!」と拳を握って奮起する。

市井の生まれだと、これほどに気丈なのか。

私たちのやり取りを見ていたヴィルヘイムが「お姉様、僕には?」と唇を尖らせている。確かにそうだわ! と手を打てば「初めての弟ですもんね……」と自分で言ってから肩を落とした。

ヴィルヘイムの言う通り、下の子が生まれたときからずっと一緒にいるのと、ある程度成長してから一緒に過ごすようになるのとでは、根本的に何か違うのだろう。気遣いに乏しいのかもしれないと反省する。

新しい気づきに目が開くようだ。


ちょうどこの頃である。


ソレイルがイリアの屋敷に足繫く通っていると噂になったのは。

単純な私は、己とエイヴァンの関係を重ねて、彼らはうまくいっているのだと思っていた。イリアは茶会で失敗したと言っていたけれど、挽回し、二人は打ち解けたのだと。

あの雨の日、庭園越しに見たソレイルが、回廊でイリアを待っているようだったから。

二人はこれからますます距離を縮めて幸せになるはずだと。


そう、信じていた。


ずっと、信じていたのだ。根拠もないのに。




それから。

私とイリアに進展があったかというと、何もなかった。

私は私で家のことに忙しく、イリアはともかくソレイルの婚約者としての努力を惜しまなかったので、親しくなれるほどの時間がなかったのだ。


私もイリアも恐らく、学院を卒業したと同時に結婚することになる。

だから、正直いえば他人に構っている暇がなかった。定期的に顔を合わせていたエイヴァンだが、それと共に先方の家族とも親交を深めておく必要があったのだ。彼の家に通う頻度が上がる。

相手方の家について歴史を学び、何代も遡って家族構成を頭に入れた。親類縁者の顔と名前を覚え、嫁ぎ先の決まり事を頭と身体に仕込んでいく。使用人の顔も覚えなければならない。家同士の交友関係や、序列を把握し。普段から親しい家には挨拶へ赴く。


目まぐるしく、季節が巡っていった。


そうこうしている内に、あっという間に最終学年だ。

その年に行われた音楽鑑賞会で、ピアノの演奏者に選ばれたのはイリアである。

数回連続で私が務めたのだけれど、今度は声がかからなかったのだ。技術的に、もう無理だと思っていたのでちょうど良かった。先生方には勇退だと褒められたので、自身も納得している。

役目を降りることができて安堵したことは誰にも言っていない。


そして。

彼女の演奏を観客席で聴いた。まさに圧巻の一言。きっと、他の誰にも彼女を上回る演奏はできなかっただろう。

演奏を追えると、会場は静まり返り、皆拍手すら忘れるほどに感動していた。

一拍遅れて起こる歓声と拍手の波。

世間的に有名な演奏家の音を聞きなれているはずの貴族の子女がこぞって頬を紅潮させるほどに興奮していた。それは、私から見ても喜ばしいほどに。


既に学院を卒業しており、騎士として頭角を現し始めていたソレイルも招かれていたようで、貴賓席にて誇らしげな顔をしている。並んでいるのは、彼のご両親だ。彼らも満面の笑みを浮かべて、大げさなほどに大きな拍手をしていた。


「マリアンヌ様?」


声をかけられて、隣に座って鑑賞していた友人に視線を向ける。


「泣いていらっしゃるのですか?」


訊かれて初めて、頬を流れる涙に気づく。

イリアが拍手喝采の渦の中、にこりとほほ笑んだのを確認し、ますます胸が詰まる。

笑った顔を見たのはもちろん初めてではない。少しはにかんだような、仮面を貼り付けたような完璧な笑みを、いつも見ていた。そこに滲む、貴族としての矜持。誰かから蔑まれるようなことを言われても、耐え抜いた。転んだとしても何度だって立ち上がり、前に進む。

その姿に、憧憬すら抱いていた。


彼女は、一人で成し遂げたのだ。


それがどんなに素晴らしく、誇らしいものであるか。伯爵家に生まれた私にも理解できる。

侯爵家の嫡男の婚約者にあって、これまでの人生がどれほどに過酷だったかも想像できた。だから、これは称賛に価する。

だというのに。

胸に去来する虚しさのようなものは何だろう。


演奏を終え、壇上を降りる彼女に幾人かの生徒が寄っていって賛辞を送っているのを、遠くから見ている自分。

もしも私がイリアの友人であったなら。

私も彼らに交じって一言、素晴らしかったと伝えることができるのに。


でも、私にはその資格がない。

たった一度、彼女の妹のためにお菓子を選んだだけ。私が彼女のためにできたのは、それだけだったから。


幼い頃に抱いた印象のせいで。彼女には助けが必要だと思い込んでいた。

誰かが傍にいて、誰かが支えて、誰かが手を取ってあげなければならないと。

それは、私なのだと―――――、思い込んだ。


だけど。

―――――私じゃなかった。


私は、一度も、彼女に選ばれなかった。


私が何度も越えようとして、でも様々の事情からあえて()()()()()()壁。イリアはきっとそこに壁があることすら知らなかった。認識すらしていなかっただろう。

イリアにとって私は、大勢の中の一人。

群衆の中にいる、顔の識別できないその他大勢。

それを思い知って、喜ばしい日のはずなのに直に喜べない自分がいる。何と浅ましいことかと自分自身に失望している。


イリアは大丈夫だった。

一人でも、ちゃんと大丈夫だった。


どうしよう。良かったと思うべきなのに。

悲しい。


なぜ。


「マリアンヌ様? どうして泣いていらっしゃるのですか?」


こんな自分を知られたくなくて。

「あまりに感動して、泣いてしまいましたわ」と笑って取り繕う。

本音をうまく、心の底に隠して。


『真意を知られないように、胸の奥にしまうのは悪いことではないの。むしろ、本当に大切なものは心の奥底にしまって、誰にも見せないようにしなさい』


母の言葉が、耳の奥で蘇る。






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