第12章 決戦準備
吉岡家の家臣たちとしては、タエの言葉を信じ、それに賭けるより他に道が無かったわけであるが、それだけが理由で付き従ったのではなかった。この時のタエは全身から不思議なオーラを発していて、それが家臣たちに
(もしかしたら、この人に従っていれば勝てるかも)
と思わせたのである。それくらいタエは自信と胆力に満ち溢れていた。
タエは家臣に命じ、城下の領民全員を家族共々城内へ入れさせた。この時代、農民であっても戦争が始まると足軽などとして戦場へ駆り出されたので、若い男は残っていなかったが、それでもたくさんの男手が得られた。女と子供も、食事の用意、洗濯、武器の手入れ、戦闘で出た負傷者の看護など、後方支援の役に立つはずだった。
また、罪人を牢から出し、恩赦を約束して兵にした。城下にたむろする博徒や無宿人も引っ張ってきて、恩賞を約束して兵に加えた。むき出し暴力がモノを言う戦争のような非常時には、彼らみたいな腕っぷしの強いヤクザ者が頼りになるからである。
城内の広場に集められた領民とヤクザ者を前にして、タエは演説した。
「もうすぐ島津の兵がここへ攻めて来る。奴らは家を燃き、田畑を踏み荒らすだろう。しかし、奴らを追い返せば、家はまた建てられるし、田畑だって元通りに出来る。ただし、戦いに敗けたら、それまでだ。戦いに敗けたら、ここにいる全員は殺されるか、奴隷として知らない土地へ売り飛ばされるだろう。よいか? これは侍だけの戦いではないのだぞ。おまえら領民の戦いでもあるのだ。みんな死ぬのは嫌だろう? 家族と一緒にいたいだろう? この土地で暮らしたいだろう? それならおれと一緒に戦え。自分の力で敵を追い払え。おれたちの土地はおれたちの手で守るんだ。おれの命令に従って戦えば必ず勝てる。だから恐れるな。おれたちは勝つ。勝って愛するものを守る。奮い立てや、者ども!」
タエの演説は熱狂を呼び、「島津をやっつけろ!」という声が一斉に上がった。戦争で大切なのは戦う者の士気である。士気が低ければ、いくら大軍であっても張子の虎にすぎない・・・アナミからそう教わっていたタエは、まずは第一段階として、急ごしらえの兵士の士気高揚に成功した。
次にタエは家臣や領民を総動員して土木作業を始めた。鶴崎城には三の丸まであって、それらの塀にはアナミから教わった戦術を施せるよう既に改造が加えてあったが、タエは島津軍の猛攻を考慮して、三の丸の外へもう一つ堅牢な柵を拵えさせた。本丸、二の丸、三の丸の塀も柵で囲み、柵の手前には薬研掘というⅤ型の堀を急造させた。そのほか至る所に柵を張り巡らせ、畳や戸板などを立てかけて、敵兵が容易に近づけないようにした。
ここでタエがやろうとしている戦術がダプリン戦術である。ダプリン戦術(別名モード・アングレ)というのは、中央に重装歩兵を揃え、その両端に作った三角形のでっぱり部分に防御柵で守ったロングボウ兵を配し、さらに防御柵の前には落とし穴を作るという、敵の突進を食い止めながらこれを撃破する、百年戦争の時イングランド軍が得意にした無敵の防御陣形である。天正三(1575)年の長篠の戦いにおいて、武田の騎馬隊を全滅させた織田軍の陣形も、実はこのダプリン戦術だったという説があるくらい必勝の作戦である。当時の日本では最先端だったこの戦術を、重装歩兵を長槍隊に、ロングボウを鉄砲に変えて、タエは試みようとしていた。
タエは防御柵の前方に無数の落とし穴を掘らせ、穴の底には鋭く尖った竹やりを突き立てさせた。また、落とし穴と防御柵の間には鉄菱を撒き、徹底して敵兵の足を止め、そこを鉄砲で狙い撃つ作戦をとった。しかも、ご丁寧な事に、落とし穴のそばには目印として笹竹を植えたり、松の大枝を挿したりして、鉄砲で狙いやすくさせた。これら落とし穴の位置、鉄菱を撒く場所、目印の笹竹と松の大枝の位置は、すべてタエが細かく指示して配置した。もう何年も前からタエの頭の中では設計図が完成していたのである。
鉄砲の欠点は一発撃ってから次の弾を撃つまでに時間がかかるところである。火縄銃は一発撃つごとに銃口内の煤を掃除し、火薬と弾を詰めなければならないからである。そこでタエは、家臣の中から射撃の上手い者を男女関係なく百人選び、その者は射撃専門にして、その下に弾込め用の人員を二人配置し、三人一組で敵兵を迎え撃つようにした。これにより三百丁の鉄砲がフル稼働し、間断なく敵兵に銃弾を浴びせられる算段だった。
城内では忙しく戦闘の準備をしている大人たちの横で何もわからない子供たちがワーワー騒いで遊んでいる。そんな賑やかな城内を見回りながらタエは思った。
(撃退の準備は出来た。さぁ、かかって来い、島津軍)
その島津軍は府内城を落とした後、宗麟が立てこもる丹生島城を目指して東へ進軍を開始したが、途中の鶴崎城へも本軍から分かれた三千の兵が向かった。この別働隊を指揮するのは野村備中守文綱。栄達を夢見て躍起になっている御年三十歳の若き武将である。文綱は鶴崎城を無血で落とせると考えていた。大部分の兵士が丹生島城へ行き、城内には女と老人しか残っていないという情報を得ていたからである。城内にいる者の命の安全を保証すれば黙って開城するだろう。そうするのが当然だ。逆にそうしないわけがない、まともな頭なら・・・そう考えた文綱はいったん兵を止め、自ら城側と交渉すべく単身で鶴の首の部分に当たる川と川に挟まれた土地を馬に乗って北上した。すると前方に道を塞ぐ木の柵とその内側をウロチョロする甲冑姿の武者たちが見えた。先方は文綱が近づいてくるのに気づき、あたふたしている様子だった。柵の手前までやって来た文綱は、慌てる武者に向かって落ち着いた態度で
「私は軍使である。鶴崎城の責任者と話をしたい」
と告げた。柵の内側にいた年配の武者が
「しばらくお待ちください」
と言い、三の丸の方へえっちらおっちら駆けていった。文綱は直立したままじっと待った。しばらく待っていると、ざわざわと人の声がして数人の人間が現れた。その中の一人に文綱は目を奪われた。それは驚くほど美しい女性で、尼僧らしきものの、頭に被った白い頭巾から覗く額には紫色の鎖はちまきを巻き、薄い灰色の羽織の下には紫色の鎧を付け、白い小袴の上には紫色の臑当、そして紫色の籠手をつけた手には長い薙刀を握っていた。もちろん、これがタエである。「いざ合戦になれば、わたしは紫色の甲冑がイイわ」と思い、前々から用意していたのである。最高位の僧侶が身に着ける衣の色が紫なら、わたしの甲冑も紫色がイイというタエなりの美意識というか、こだわりというか、些か子供っぽい趣味であった。
タエは文綱をまっすぐ見ながら殊更に丁寧な言葉遣いで名乗った。
「わたしは鶴崎城の城主、吉岡妙林尼と申します。どういうご用件でしょうか?」
想定外の人物の登場に面喰った文綱であったが、すぐに気を取り直して、こちらも名乗った。
「私は島津家家臣、野村備中守文綱と申します。三千の兵を率いて、先程こちらへ到着したところです」
「そのご挨拶にいらっしゃったのですか? わざわざご丁寧にありがとうございます」
タエにそうはぐらかされて文綱は戸惑った。
「あ、いえ、そうではありません。私は開城を要求しに参ったのです」
「開城? 何の為に?」
「何の為にって・・・もちろん無駄な血を流さない為です」
「無駄な血が流れるのですか?」
「はい。我が方の戦力は三千。まともに攻撃すれば、そちらはひとたまりもないでしょう。勝敗は戦う前からわかっています。当方も無駄な流血は本意ではありません。城の人間の命は保証しますから、すみやかに降伏のうえ開城してください」
そう言い終えるや、タエが声を上げて笑いだしたので、文綱はムッとした。
「何が可笑しいのですか?」
「だって敗ける方が勝つ方に降伏を要求しているのですもの」
「はぁ? 我が軍が敗けるとおっしゃるのですか?」
「はい。そちらさまは大敗北を喫するでしょう」
「温情をかけたつもりですが、どうやら通じなかったようですね」
「こちらもからもそちらさまに温情をかけてさしあげましょう。すみやかに撤退する事をお勧めいたします」
「どうなっても知りませんよ」
「それはこちらの台詞です」
文綱はプンプン怒りながら引き返して行った。まもなく島津軍の総攻撃が始まるはずだった。