2 本当の終わり
「まだ、見つからないのか!!大体どうやって……」
いらだたしげに舌打ちをする夏樹を前に何か言葉を発することができる人間すらいなかった。重大犯罪者である九我俊輔が姿を消したことがわかったのは今朝になってからだった。昨夜夕食を届けた時には確かに彼はそこにいた。それなのに今朝のぞいたらもぬけの殻だった。扉は精霊の力を使って無理やり破っていたが、精霊の力自体は封じていたはずだ。あの鎖をつけられていたら、精霊王と契約をしているものでさえ精霊の力を引き出すことができない。
「な、夏樹様、き……昨日、あの独房に面会者があったそうです」
か細い声に夏樹は鋭い視線を向けた。進言したのは特殊部隊の中で数少ない神家外の人間だった。いつもははきはきとモノを言う、できる女という雰囲気なのだが、今はその様子は見る影もない。それも当然だとは思うが。なんせ、伝える内容が内容なのだから。
あの九我家三兄弟に対する面会は完全に絶っていたはずだ。神家の人間でさえ通すなと言い置いていたというのに。しかも普段は警察官が負う見張りの任務を神家に繋がりの深い特殊部隊の人間が負っていたというのに。彼らが夏樹の許可なくして誰かを通すとは思えない。そこまで馬鹿な人間はいないはずだ。
「通したのか?誰を?」
「そ、それが……誰も覚えていないのです」
彼女を見る。冷たい視線にたじろいだように見えたが、それでも気丈にも夏樹から視線をそらさないところが彼女らしいと言える。そういうところが夏樹は気に入っていた。
「覚えていない?どういうことだ?」
「それが……監視カメラにその姿が映っていたのですが、我々のだれも相対した記憶がないんです」
「……監視カメラで、面会者と接していたのは?」
ビクリ、と彼女の肩が震える。それだけで答えがわかったような気がする。一番真っ先に疑われるのは彼女の裏切りだが、今の様子を見るにそんな雰囲気はない。嘘はついていない。本当に覚えていないのだ。だとすると考えられるのは……。
「他にも精霊と契約したものがいるのかもしれない」
もし、精霊使い以外の人間が見張りについている時をねらったのだとすれば、その面会者を見つけるのは至難の技だろう。
「くそっ」
舌打ちをした夏樹の視線がぶれる。真っ赤に塗りつぶされたと思うと、耳にたった一度だけ聞いたことがある。でも決して忘れることのできない声音が響いた。
《一条夏樹。我に身体を貸せ》
夏樹には抗うすべすらもない。あ、と思う間もなく身体が別の何かに取って変わられた。自分の意思では、指一つ動かすことができない。
ぐらり、と大きく船が揺れる。水面が盛り上がり一人の女が姿を現した。その女の腕にぐったりと意識のない美琴が抱かれている。女は全身が水でできているかのように見え、俊輔は言葉を失った。それが何なのか、一度も見たことのない俊輔にもわかる。
「ウ……ウンディーネ……」
人に近い形をした、水でできた女の正体が他にあるとは思えない。
俊輔は手に精霊の力を溜めようと力を込めた。いつもなら強力な風が幾重にも重なり俊輔を包みこむはずだった。それだけの力を集めた。普通なら精霊王に俊輔達一介の精霊使いがかなうことなんてありえない。それだけの力の差がある。だが、今は違う。契約者を失った精霊王は赤子以下の力しか持たない。その時は長くはないが、その間に水の精霊王を消すことができれば、バランスが崩れ、世界を終焉が襲う。本来の目的とは違う最後だが、そんな最後もまた、いいと思う。
「ユン!!」
俊輔に集まってきていた力が一瞬で四散した。それ以後精霊の力をこの手に捉えることさえできない。俊輔は焦ったように、自分が名付けた風の精霊の名を呼ぶ。何度呼んでもそれに答える気配すらも感じることができなかった。
「無駄だ」
いつの間に来たのか、俊輔の背後の空間に由良が浮かんでいた。その由良から真っ白な光が溢れている。普通に精霊の力を使った時には決してみられることのない事象だ。そして、由良の隣には一条夏樹がいる。彼の身体もまた浮いていて、赤い光に包まれている。そして、そんな彼らの他に、茶色い光を帯びた白いひげのおじいさんと全身が電気におおわれ、オレンジ色の光に包まれた少年が立っている。
「じーさん……」
俊輔の呼びかける声はひどく震えていた。今の由良が、俊輔の知る九我由良ではないことを肌で感じている。そして、ここにいる人間も誰一人が普通の人ではないのだと、わかる。俊輔は体の奥から沸き起こるモノが何なのかわからなかった。恐怖ではない。歓喜でもない。そんな不思議な感情に包まれ、俊輔は指一本動かすことができなくなってしまった。
《あなたは、我が王を怒らせたのです。……何千年にもわたって続くあなたの所業をあの方は決して見逃しはしません》
涼やかに響く声が耳ではなく頭に直接響く。
彼らの発する光がくるくると回り一つに集まった。水色、赤、白、茶色、オレンジ、五色の光が混じり合い、きらきらと強い光を発しながら俊輔に集まって来た。
ウンディーネの発した言葉の意味は俊輔にはわからない。ただ、この光につかまったら最後、本当に終わりなのだとわかったのに、逃げることさえできなかった。
全ての光が俊輔を包みこみ、そして彼に吸い込まれていく。光が消えた時、俊輔の身体は力を失い船の上に崩れ落ちた。その体が瞬く間に分厚い氷に包まれる。その氷は一度大きな光を帯びるとそのまま海の中へと消えていった。どこへ行ったのか、それはウンディーネ達精霊王にさえ知る術はない。
パン、はじけるような音と共に少年の姿をした電気の精霊王ヴォルト、白い髭を生やしたおじいさんの姿をした地の精霊王ノームの姿が消える。契約者を持たない状態で自分が持ちうる限りの最も強い魔法を使った彼らはこれから数日間眠り続ける。失った力を溜めなければ、世界の均衡が崩れてしまうから。
ウンディーネは青白い顔色で眠る美琴の身体をそっと抱いた。自分の腕に感じる熱にほっと息をつく。ウンディーネにとってこの2人は、自らが初めて契約をした人間だった。その大切なものを失わずに済んでよかった。あの方が立ち上がってくれたのが今でよかった、と心から思う。同時になぜ、今なのだろうかとも思った。彼は何百年もの長い年月、同じことを繰り返してきた。何度も、地球を危機に陥れてきたのだ。それなのにあの方が立ち上がったことなど一度もなかったのに。
「ウンディーネ、あの方の考えることは我らにはわからぬ。考えるだけ無駄ではないか?」
サラマンダーの言うことはわかる。ウンディーネは軽く頷いて、眠り続ける美琴の身体をそっと抱きしめた。彼女が無事だったという事実が心の底から嬉しいと思う。
ウンディーネの腕の中にいた美琴がふわふわと浮き、由良の腕に収まる。
それと同時にウンディーネの姿も霞となって消えた。だが、ウンディーネはこの双子の傍にいる。その姿が双子以外には見えなくなるだけだ。
「サラマンダー。帰えろーか」
にっこり笑った由良の顔がひどく幼く見えて夏樹が笑う。
「シルフ、そのなりで本性はやめた方がよいのではないか?」




