日輪大学祭
ある日、大学の食堂で夕ちゃんと昼食を取っていると、隣のテーブルに鷽貝が座っていた。黙々とカレーを口に運んでいる。しばらく見ているとやっと気づいたのか、嬉しそうにこっちを見て、
「浅海、偶然だね!」
「そうだね。それにしても、記憶喪失なのに大学には来るんだ」
「……だって、単位落としたらまずいし…………」
流石に鷽貝も、単位を落としてまで記憶喪失のフリはしたくないらしい。
因みに鷽貝が“(自称)記憶喪失”というのは、今では大多数の友人が知っていることだ。なんでも鷽貝はかなり昔から病的な嘘つきで、付き合っている彼女に仮病を使うこともしょっちゅうだったそうだ。ただそんな彼らも、鷽貝が記憶喪失なんてあからさまな嘘を言うのは初めてだと、私から話を聞いた時は驚いていた。
その日大学からの帰り道を一人で歩いていると、ふと背後に気配を感じた。気になって急に歩みを早めたり、靴紐を結ぶフリをして立ち止まると、後ろの足音も私の動きに合わせてぴったりとついてきた。
間違いない、つけられている。ストーカーだろうか? いや、心当たりがないな。私の周りにそんなことをする人はいない(鷽貝を除いて)。なら変質者……あるいは通り魔か?
パニックにはなっていないものの、恐怖で心臓の拍動が早くなっていた。まずい。仮にここで襲われても、私には抵抗できる腕力がない。夕ちゃんに電話してみようか?いくらなんでも、通話中に襲ってくることはないだろう。それとも近くのコンビニに駆け込むとか……。
そのような考えが頭の中をぐるぐる回っていると、一つ気にかかることがあった。さっきそっと後ろの様子を伺ったときに見えた姿。一瞬だったけど、あれはまさか…………。
道路の真ん中で足を止めた。後ろの足音も止まる。私は後ろに聞こえるよう、声を強めて言った。
「……鷽貝……なの…………?」
すると背後から小さな声が返ってきた。
「……はい」
「……何、やってるの?」
「いや……浅海が門出ていくのが見えて、暗かったから帰り道不審者に襲われないか心配で、それで……ボディーガードとして後ろから見張ろうかと思って……」
その瞬間、私の中で何かがぷつっと音を立てて切れた。
「……不審者はお前だ! この馬鹿茄子!!」
暗く静まり返った道に私の声はひどく目立ったが、それでも叫ばずにはいられなかった。
「あ、浅海……? 俺が不審者って……どういうこ」
「鷽貝くん」
「は、はい」
「……歩くなら横にして。後ろはもう懲り懲り」
「りょ、了解しました……」
しばらくの間、私は無言で歩いていた。鷽貝はその間も「怖がらせるつもりはなかった」だの「俺はただ浅海が心配で」などと言っていたが、どの言葉も耳から耳へと流れて私の中には残らなかった。
決めた。鷽貝には別れると言おう。これ以上付きまとわれるのはうんざりだ。
「鷽貝くん」
「はい! な、なんですか!」
そこで言葉を止めた。決心はしたものの、鷽貝は「別れて」と言われて素直に「はい」と言う人間ではない。しつこく食い下がってくるだろう。いったいどうしたら……。
その時一つの案が浮かんだ。鷽貝に条件を出して、それをクリア出来なかったら、別れるように約束させればいい。それも、彼が絶対クリア出来ない条件を。
「もうすぐ日輪大学祭あるよね。で、同時に体育祭もやるでしょ?」
「そうだけど、それで?」
「それのマラソンで一位になったら、今日のこと許すよ。ただし、一位じゃなかったら私と別れてね」
日輪大学祭とは、私と鷽貝の通っている大学の学校祭のことだ。日輪大では何故か毎年、学校祭と体育祭を同時に行っている。
いくらなんでも一位は無理だろう。鷽貝がそんなに運動神経抜群だとは聞いたことがない。
鷽貝は少しの間悩んでいたようだが、やがて真面目な顔をして言った。
「わかった」
「……え?」
何だ、この自身に満ちた顔は。
予想外に力強い言葉に動揺する私に、鷽貝は
「それより浅海、これからも俺のこと“茄子”って呼んでよ」
「“も”? 私、今まで“鷽貝くん”としか……」
「さっき言ってただろ?」
さっきということは、あの“馬鹿茄子”のことを言っているのだろうか?
「わかった。じゃあこれからは……“鷽貝”で」
「苗字かー……あ、でも前よりはいいか。んーでもやっぱ名前の方が…………」
馬鹿馬鹿しい。呼び方なんて何だっていいのに。そう思っていると口元が緩むのを感じて、慌てて引き締めた。今ほんの少しでも口角を上げたら、鷽貝はきっと調子に乗る。
だから笑わない。
茄子、多分それ犯罪……。




