僕は絵を描いている
僕は絵を描いている
真っ黒な額縁に彩られた彼女の写真の上に僕の絵具はうまく乗らないから、上にガラスを貼ってその上からアクリル絵の具を重ねていく。
彼女の柔肌が傷つかないよう、タオルで覆って、その上から翼を描く。
彼女の麦わら帽子が飛んでいかないよう、雨風から守るために。
ナイフと包丁の護衛もつけよう。
小さな彼女を見落とさないよう、弱い彼女をずっと見ているために僕は筆を取り続けた。
どれだけ書いても、書いても、足りない気がしてもっと、もっと彼女の周りを僕の絵の具で染めていった。
波の音が小さくなり、外が静寂で包まれて、鳥の声がして、また波の音がした。
ガラスが、僕の絵の具でいっぱいになってしまい、もう書くところがなくなってしまった。
重ね塗りした絵具が額縁からこぼれてしまいそうだった。
塗り重ねて、塗り重ねて。ついにイーゼルが重さに耐えきれなくなったらしい。
僕が一瞬目を離したすきにその写真は音を立ててイーゼルの上から転げ落ちた。
バリンと悲鳴のような音がした。
僕は慌てて絵を確認した。
ガラスが粉々に割れてしまい、下にあった彼女の元の写真だけが残っている。
「う……あ」
声にならない悲鳴にも似た声をあげて僕はその場にうずくまった。
彼女は笑っていた。
誰よりも弱かった。
彼女は笑っていた。
誰よりも弱かったのに。
手から零れ落ちた彼女への罪悪感から僕は絵を描いた。
なんでもしてあげたかった。
なんにもしてあげられなかった。
こうしたらよかったのに、あぁすれば、彼女はまだいただろうか。
そんな後悔しかできずに僕は絵にすがった。
僕は何がしたかったんだろう。
こんなことをしても彼女に救いをあげられないのに。
ごめんなさい、僕は助けられたのに、君を助けられなかった。
かけたい言葉も、君にかけられた言葉も、もう僕を苦しめるものでしかない。
だから君を穢してしまったこの絵を、僕はハンマーですべて壊した。
跡形も残らないよう、救いを求めた僕の希望を思いっきり砕いた。
全部自分のためだった。
君に許しを乞いた。
筆を折って、パレットもなにもかもすべてを割って燃やして、僕はアトリエを出た。
君が後ろで笑っている気がした。
振り返ると彼女がイーゼルの横で笑っていた。
目を見開いて、彼女に手を伸ばした。
自分の人生の中で一番みじめで、子供みたいな声を絞り出す。
「リリー……‼」
縋るように駆け寄ろうとすれば、彼女は手で僕の行く先を制す。
君は言った。
「君がいたから、ここまで生きられた」
と。
ヒマワリと太陽が彼女の後ろに見えた。
こんな海岸沿いにヒマワリが咲いた。
「だめだよ、私の死を君のものにしないで」
彼女がそう言った瞬間、後ろにあった窓がバンと開いて、僕は思わず目をつむる。
もう一度目を開いた時、彼女はそこにいなかった。
「なんで、なんでだよ。なんで君はいつも僕を連れていってくれないんだよ」
あの夕日の屋上を訪れた日から初めて、本当の意味で泣けた気がした。
もしこれが僕の幻ならば、僕が死んだときに君は叱ってくれるだろうか、それともまた笑うんだろうか。
「君の世界はそう見えるんだ、いいな」
君の死を恐れた僕の言葉と絵が、フェンスの外へと彼女の背中を押してしまったあの夏に思いを馳せて。
君を救えなかった絵をまだみっともなく描いている。
僕を救うために、僕は今、君が羨んだ僕の世界と、僕が見たかった君の世界の絵を描いている。
誰かが救われたらしい、誰かが泣いたらしい。
君と僕で救った命がたくさんあるんだ。
それに君は気づいていたのかな。
来年のお盆に君が君の世界をきれいだねと言って帰ってくることを期待しながら。
また会いましょう、お盆の夏に。




