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第10話 緑の理

メルキオルは書物を閉じ、深く息をついた。


「……このままだと、持って十日でしょう」


 その言葉に、部屋の空気が凍りつく。

 寝台の上、患者は浅く短い呼吸を繰り返している。その額から滴る汗が、時間の残酷さを静かに物語っていた。


「十日……」


 リーナが声を絞り出した。

 レインは唇を噛みしめながら、患者の腕に浮かぶ鱗状の白い発疹を見つめていた。

 火照り、疼き、皮膚の剥離──それは確かに進行していた。


 レインは呟くように言った。


「わかっていたことだが、青魔法だけじゃ……助けられない。」


 自分の非力さに打ちひしがれるように、拳を握りしめる。

 そのときだった。


「……青魔法だけじゃ、って……先生、今、言いましたよね?」


 リーナがふいに顔を上げ、はっとしたような目でレインを見つめた。


「他の癒しの魔法……青魔法以外の魔法も“法術憲章”の中に記されてるんじゃ……!」


「法術憲章……そうか!憲章にはソワンが使う魔術の全てが記されている!」


 レインの目に、一瞬だけ希望の光が宿った。

 メルキオルも目を細める。


「……つまり、その法術憲章とやらを読めば龍鱗病を治す方法がわかるということですね」


 メルキオルは立ち上がり、机の上の数冊の書物を手早く集め始めた。


「私も協力しましょう。ソワンについてはさほど詳しくはありませんが、祖父の知識と、私の持つ記録で何か役に立つことがあればーー。」


 リーナは頷きながら、荷物の中から備忘録を取り出した。


「私も調べる!この人を助けたい。きっと、誰にもできなかったことでも、私たちなら……“びょういん”ならできるって、証明してみせる!」


 レインもゆっくりと立ち上がると、再び患者を見つめた。


「十日……その間に、俺は“青”だけでなく、新たな魔術にも手を伸ばす。……必ず、助ける」


 こうして、龍鱗病に侵された一人の命を救うために──“びょういん”に集った三人の若き医術者たちの、最初の闘いがはじまった。

 夜明けがゆっくりと晴れゆくなか、彼らは灯火の下でページをめくり、術式を解き、医療魔術を求めて、眠ることなく知を紡いでいく。

 そしてその中で、“癒し”とは何かという問いに、三人は確かに答えを見つけていくことになる──。

油差しの灯火が、三人の顔を静かに照らしていた。

 夜が更けても、彼らは手を止めることはなかった。

 患者の寝息はまだ浅く、時折うわごとのようにうなされている。その傍らでは、メルキオルが脈拍と皮膚の状態を確認しながら、逐一記録を取り続けていた。

 レインとリーナは、小机に広げた羊皮紙と古文書の束に向かい合っていた。

 その中央には、半ば朽ちかけた一冊の書――《法術憲章》が開かれている。


「……この紋章、ソワン族の旧式の“精霊環”です。魔力を自然界に伝達する回路の図式……だけど、これ、青じゃない」


 リーナが指差す図には、風の精霊と大地の力を組み合わせるような、独特の円環が描かれていた。

 レインは眉を寄せ、書かれた文語体の解説に目を走らせる。


「……“緑の理(ことわり)に従い、命の流れを整えん”……か」


「“緑”? それって、魔法の系統ですか?」


「おそらく。“青”が毒素を抜き取る術なら、“緑”は生命の再構築……再生や、組織の修復に関わる術なのかもしれない」


 リーナははっとしたように顔を上げた。


「つまり、緑魔法が使えれば……!」


「……今回の傷も癒せる」


 レインの言葉に、二人の間に重く静かな確信が走る。

 一方その頃、メルキオルは壁一面の書棚から、古びた薄書を何冊も引き出しては目を通していた。やがて一冊の草稿に目を止めると、小さく声を上げた。


「……これだ。“緑術(グリュネ・アーツ)における生命律動の制御”。」


 リーナが振り向く。


「生命律動……?」


「細胞や筋繊維が自然に持っている再生能力を、魔力で促進する。薬草や湿布とは別系統の施術方針です。書かれているのは理論だけですが、術式の基礎も載っています。」


「それ、貸してください!」


 リーナは勢いよく立ち上がり、メルキオルのもとへ駆け寄る。レインも後に続いた。

 三人は肩を寄せ合って、文書に記された図と注釈を読み解いていく。

 《緑術》――それは、土と水に宿る魔力を活用し、破損した生命の器を再生させる術。

 “再生の紋”を患者の体に描き、魔力を循環させることで、その身体が持つ本来の治癒力を最大限に引き出す。


「“緑術”で再生を促す……!」


「それが、龍鱗病に対抗できる唯一の手段かもしれません」


 メルキオルの言葉に、レインはゆっくりと頷いた。


「問題は……俺が緑魔法を扱えるか、だな」


「できる。先生なら、絶対に」


 リーナは微笑んだ。そして、その手にあった備忘録を強く握りしめる。


 「だって、私たちの“びょういん”は、誰も救えなかった人を救うためにあるんでしょう?」


 夜明けの光が、窓の外に差し始めた。

 彼らの戦いは、今まさに最初の核心へと辿り着こうとしていた。

 ──“緑魔法”。

 それは、ソワン族すら失われたと考えていた癒しの術。

 そして、“びょういん”の名のもとに蘇ろうとする、希望の魔術だった。

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