79.初めましてのグレアム
「いつも通りグレイを連れ出す、でいいよね?」
クリーエ伯爵家の屋敷の上空でイヴィアナは言った。この上空は静謐としていて心地がよいというのに、眼下は夜間警備隊が巡回している地獄だ。今のうちに静かなる夜風を堪能しておこう。
この後、どうせ急降下が始まって俺の心臓は一時的に酷い恐怖心を覚える。今くらい安らいでも良いだろう。
「早く会って忘れないうちにメアール家の話を聞かないとだな」
俺は深呼吸をして急降下の準備を整えていた最中に、イヴィアナは「うん」と言うやいなや急降下した。思わず間抜けな悲鳴が漏れた。
「ちょっとリアト、大きい声出したらバレちゃうかもしれないよ」
数十分ぶりの地上に足をつけると、涙が出そうになった。
――本当に怖かった……
急降下の合図くらいしてくれないと、誰しも驚嘆するだろう。
イヴィアナは俺を薄目で見つめてくるので、頬を膨らましてそっぽを向いておいた。
「何ぶすくれてるの!」
イヴィアナが頬を突っついてくる。俺は「別に」と単調に返した。
「というか、今回はバルコニーから参上するのか?」
前回までは屋敷内に侵入して扉を不規則にノックするというやり方を踏んでいた。
「うん!ほら、さっそくグレイがお見えだよ」
音を立ててバルコニーの窓が開かれる。グレアムは俺たちを睨んで嘆息を吐いた。
「なにやってるんだい?イヴィ、こんな所で」
この訪問は本来より数日早いが、グレアムは資金や武器の出発の準備は整っているのだろうか。
――あぁ、いや心配なんてする必要ないか。
あのグレアムならイヴィアナがいつ来てもいいように準備万端の状態にしているはずだ。
「えへへ」イヴィアナは上半身を傾け、グレアムの顔を覗き込んで微笑んだ。「お待たせ、グレイ」
翡翠の瞳同士が見つめ合う。同じ翡翠でも可憐で美しく輝く翡翠と、真摯で勇敢に輝く翡翠に個性を持っていた。
「イヴィ……待ってないよ」
相変わらず辟易した演技でグレアムは言う。本当は何日もイヴィアナのことを憂慮していたに違いない。
「分かってるよね?君は今言わば指名手配犯も同義なんだよ。僕の元に来てなんだって言うんだい?」
グレアムは以前と同じ話を切り出す。帝国民として建前は1度でも反逆者に立ち向かおうとしているセリフだ。
「ね、リアト」
この後、いつも通りならイヴィアナによるグレアムの紹介が入り、イヴィアナは一時的に捉えられてしまう。
そのはずだが、イヴィアナは俺の元に小走りで寄ってきて肘をつんつんと当ててきた。
――自分で自己紹介しろってことか?
「お、俺は……リアト。万能魔法の魔道士だよ」
時間が巻き戻る最大の欠点は、今まで築いてきた仲間としての友情が全て帳消しになる事だった。あれほど知己になった間柄から、途端に初対面になるこの瞬間は気まずくてたまらない。
それになにより、初めて俺を見るような顔を見るのが辛い。
「僕は名誉騎士グレアム・クリーエ。君はイヴィの……?――いや、万能魔法っていうのは本当かい?」
勇敢な翡翠の瞳が俺を見た。俺を知らないグレアムの翡翠は居心地が悪い。
「じゃあ来てくれるってことだな!グレアム」
「え、いやちが、そんな話にはなってないじゃないか!?」
かくして一悶着終えたあと、夜間警備隊の介入なしで勧誘に成功した。
普段なら夜間警備隊が突入し、イヴィアナがかまととぶって騙すことでグレアムは"一応"しぶしぶ俺たちに着いてくるという流れだった。
しかし、今回は数十分の言い合いを経てグレアムが折れてくれたのだ。
イヴィアナはくすくすと笑いながら話し、俺は少し気を緩めて話していた。そのせいかグレアムは俺たちには話が通じないと諦めたらしい。
クリーエ家から出奔した後はイヴィアナに3人で杖に乗り上空を移動しようと提案されたが、グレアムがあまりの巨漢で2人以上乗ることが難しかった。
かくして俺は"浮遊"で移動することになった。イヴィアナはグレアムを乗せて移動するのに1回バランスを崩していた。
クリーエ家で夜間警備隊に見つからなかった影響で、帝国からの追っ手もなく帝都から離れられた。序盤は以前よりも落ち着いた冒険になりそうだ。
「そうそう!グレイに聞きたいことあったの」
野宿を経て昨夜の疲れを癒し、昼前に食事を取りながらイヴィアナが口火を切った。善は急げだ。イヴィアナはとっととメアール家の話を聞きたいのだろう。
「ん?」と、グレアムは食事を頬張りながら反応した。
「メアール公爵家のご息女とご子息の名前ってわかる?」
「オルケアノスさんのご兄弟?知ってるけど、なんで?」
「そこはどうでもいいでしょ!さっ、早く!」
イヴィアナはグレアムの肩を掴んで前後に必死に揺らした。グレアムは訝しげな視線を彼女に送りながらも、迷いなく話し始めた。
――グレアムはちょろいな。
「メアール家は確か三男一女の兄弟構成で、長男のオルケアノスさん。長女のジェリメドゥ嬢、三男のヴァレート卿……」
「「次男は?」」
イヴィアナと俺で異口同音に言った。驚きで口を半開きにしたまま顔を合わせる。その一秒後俺は少し笑ってしまった。
「次男は……ちょっとまって」といってグレアムは「ううん」と唸り、人差し指をコメカミに押し付け記憶を掘り起こしていた。
「知らないかも。ごめん……」
次男だけが不明のようだ。分かりやすく次男がハルヴィンだろう。グレアムにハルヴィンの素性について聞き出すつもりが、まさか名前まで知らないとは思わなかった。
「え〜?グレイでも知らないって社交界に顔だしてないってこと?」
イヴィアナも俺と同様に考えているようだ。少し拍子抜けしている。
「そんなことは無いと思う。メアール家に限って社交界デビューしないなんてありえない。ただ、メアール家はただでさえ容姿が似通ってるから、ちょっと判別が難しいところもあって……」
グレアムは頭を抱えて、「ううん……」と唸り続けた。
「じゃあ、メアール家で魔力欠如ってあるか?」
念の為だが、俺は質問した。
「絶対ないね。あそこは隔世遺伝できるものが無い。近親婚だから」
カソリゾイとグレアムから魔力欠如はないと明言されたことに加えてイヴィアナの考察もある。ハルヴィンは魔法が使えることには違いないだろう。
「ねえ、グレイ。オルケアノスって今どこにいるか分かる?帝国には多分居ないでしょ?」
オルケアノスはメアール家の長男で現公爵だ。イヴィアナは何故そんなことを聞くのだろうか。
――いや、え、まさか……!
「最近はずっとタラシア公国で公務をなされていたけど、帝都に戻ってくるってルールレ様が言ってたよ。多分君の件だろうね」
グレアムは悠々気ままに肩を竦めているが、イヴィアナの考えていることの予測がまだついていないのだろうか。また怒涛の冒険になってしまう。
「それでオルケアノスはどこにいるの?」と、イヴィアナは続けて質問する。
「都市ハルーアかな?ちょうど帝国とタラシア公国の真ん中にある都市で、メアール公爵家の管轄下だし」
「なるほど!よし!じゃあいこう!!ご飯食べたら出発だよ!」
「え、?何言ってるのイヴィ!?」
イヴィアナは動揺するグレアムの口に食べ物を突っ込んで黙らせた。もごもごとするグレアムを見て不憫に思うだけだった。
グレアムからハルヴィンの情報を聞き出せなかった時点でどうせこうなることは分かっていた。
彼女の行動に辟易はしているが、現状を楽観視できる状況でもない。結局イヴィアナの強引な手法が1番いいのだ。
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