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BLACK RING  作者: 墨川螢
第2章 ジャスティスリッパー事件
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2-39

 鳴り止まない『ジングルベル』、街をサイケな色に沈めるイルミネーション、そして、ケバケバしく着飾った知性を感じさせない知恵の樹。平馬高校の事件から五日が経過し、毎晩死体を量産するジャスティスリッパーの脅威は、確かに浸透しているはずなのだが、田舎なんだか都会なんだかわからないこの街は、クリスマスムードに浮かれることをやめなかった。商業主義の家畜めが! 望月辰夫は、そのように憤慨した。しかしながら、ローマ教皇とこの男とでは、どうしてこうも説得力に差が出るのか。社会的地位? いやいや違う、言葉の背景の違いだろう。この男の言葉の背景は、彼が罵る街とは違い、灰色に荒廃しきっていた。彼はただ、聖夜に人肌のぬくもりにくるまれる連中に、主にカップルに、嫉妬しているだけなのだ。そんな街灯に(たか)る蛾に等しい根性を差し引いても、毎年聖夜に風俗とケーキ屋に勇んで駆け込むその種の輩に、そんなことを言う資格は勿論ない。しかし、資格なんぞなくても、同格以下ではあっても、彼は人々を害獣と断じていた。

 そんな連中なんぞ――

 ジャスティスリッパーに皆殺しにされればいい――

『姫』に――八つ裂きにされればいい。

 今夜もまた望月は、六畳一間の安アパートで、待ち焦がれた聖夜を迎えられなかった哀れな人間の断末魔を想像し、今か今かと連絡を待っていた。しかし、ナイトショーの会場が加護江市のはずれにあるボクシングジムだと聞かされると、その胸は、戦慄の旋律を掻き鳴らした。冗談じゃない、賢者たるこの俺が、そんな獣臭い場所に行ってたまるものか……。体調不良か、親の急逝か、スマートフォンを握り締めたまま、欠席の理由を熟慮した。あまりの苦行に、ハゲ頭のてっぺんを畳に押し付けブリッジまでした。しかし名案は浮かばなかった。慎ましくも懸命に生きてきた毛髪を虐殺しただけだ。その後も腕立てやらスクワットをしてみたが、結果は空しいものだった。非日常的な負荷をかけたせいで、全身の筋肉がブーイングを吐き、汗の蒸気とともに、イカの腐ったような臭いが発散された。体臭というものは、当の本人にはわからないことが多いらしい。スメルハラスメントを嫌う者が、スメルハラスメントを極めし者であることも、往々にしてあり得ることだろう。しかし、彼を擁護するわけではないが、このように思ってしまうのは仕方がない――

 この臭いには――応えるものがある。

 霜の降りた釘のような、それでいて、とろけたチョコのようでもある――

 極めて新鮮な――血の臭い。

 豆腐のように斬り分けられたボクシングリングに縋るようにして、累々と屍が横たわる。壁や天井の長大な斬り傷から吹き込む北風も、この惨劇の臭いを吹き払うことはなく、かえって吹き返すばかりである。望月は顔を逸らす。その眼ではなく、その鼻を思わず逸らす。嗅ぎ取ったのは、死のマーキングだった。この臭いを許容したのなら、自分も連中と同類になってしまうのではないのかと、不安で不安で仕方がなかった。

「ウブっすねぇ、望月さん」

 敬いながらも蔑んでいる、そんな不協和音を孕んだ声が、ふいに背筋をくすぐった。振り返ると、歌舞伎町のホストみたいな出立ちの男が立っていた。奴は笑う。トレンチコートのポケットに、その諸手を突っ込んで。

 奴の名は、岡島秀一――現在水面下で、日本政府を手玉に取っている宗教団体、『救済細胞』の教祖である。六日前、つまりは先週の土曜日、秀一は、望月のアパートにやって来た。そろそろ姫との待ち合わせ場所に向かおうと、ヘアースタイルを整えていた、逢う魔が時の時分であった。チャイムが鳴って、玄関のドアを開けると、黒い大蛇が蜷局を巻いていた。大蛇は、牙を舌でぺろりと舐めると、その身を室内へと押し入れて、卓袱台の上に追いやられた望月を、締め上げるように取り囲んだ。窓から差し込む夕陽を(なす)られた信者達の笑顔は、さながら無数の鱗のように、冷たいぬめりを帯びていた。望月は、丸呑み寸前の子豚のように、プヒプヒと怯えた。しかし大蛇は、その鎌首を伏せた。岡島秀一が――その場に跪いていた。望月は、目の前にある光景を信じられなかった。岡島秀一は、救済細胞は、望月に、そして姫に、永遠の忠誠を誓ったのだ。姫は、その報告を受けると、優秀な参謀と膨大な手勢と、三つ目のブラックリングが手に入ったことを (ジャイアニズムがそこにはある……)、大いに喜んでいた。だが――


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