7 完結
以下の物語と連動しております。
「GLORIA」
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「愛しき者へ…」
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「早春散歩」
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7、
背を向けて、海を眺め続けるミナを見て、我ながら酷な事を言ったと後悔した。
答えを出さなきゃならないにしても、再会したばかりの俺たちには現実的すぎる。
もう少しぐらい夢を見る時間があってもいいはずだ。
俺はミナの手を取り、海を見ようと、誘った。
「初めてのデートの時も海を見に行ったよな」
左手に海を眺めながら、道路沿いの遊歩道を並んで歩く。
「ああ、そうだったね。辻堂の方へ行ったんだ」
ミナもいつものミナに戻っていた。
「ミナにキスしようとしたら、ミナが嫌がって、そのまま座ってた堤防からふたりして落ちた」
「だって…おまえがいきなり迫るから…」
「ミナは純情だったからなあ」
「…過去形?」
「いや、今も純情で可憐でかわゆいよ」
「…また馬鹿する」
口唇を尖らせるミナはあの頃のままに、可愛い。
別れの場所は江ノ電の稲村ガ崎駅。ミナは藤沢行きへ、俺は鎌倉行きの電車に乗ることになった。
「リン、さっき問いに答えなきゃならないね」
ホームの片隅に立ったミナは、俯き加減のまま、俺に話し始めた。
「今、無理に答えを出さなくても良い」
「無理じゃない。それに今、出さなきゃならない大事なことだ」
「…うん」
本当は聞きたくないだけなんだ。
俺は腰抜けなんだよ。嫌なことはミナに押し付けて、決めさせるなんて…
ミナは俺たちにしかできない『純愛』を貫こうと言う。
それを『奇跡』と、呼び、ふたりで目指さないかと…
肉欲のない愛情か…そりゃ、この世の中、情だけで通じるものなんて沢山あるだろうけれど、俺とミナの間でセックスは大事な愛情表現だったはずだ。
昨晩だって…誘ってきたのはミナの方だ。それを求めずに、俺たちの『愛』を貫くなんて…童話かお伽話だ。
だけど、ミナはそれを、『純愛』を求めている。
ミナが決めたことを、俺が否定できるわけがない。なぜなら…俺はミナを愛している。
昔、温室で語り合った千夜一夜物語は、この『奇跡』を探す旅の水先案内人だったのかも知れない。
そして思ったんだ。
ミナとふたりだったら、もしかしたら、その『奇跡』を、手に入れることができるかもしれないって…
真実の恋をし続けたなら…
藤沢行きの電車に乗るミナを見送る。
ミナが泣く。俺はその流れる涙を拭った。
「また、逢えるよね、リン」
「勿論だよ、ミナ。また逢う日まで元気で…」
ドアが閉まった。ミナの顔が歪んだ。
俺は手を振る。
「元気で、ミナ。さよなら…」
俺は…ミナの望む笑顔を見せられただろうか。
ミナの電車が消えるまで、手を振った後、隣りに到着した鎌倉行きの電車に飛び乗った。
ドアに凭れ、ミナを思った。
二度とミナを抱けないのなら、最後のキスぐらいゆっくり味わえば良かった…
鎌倉に着いて、マンションに寄ろうかと考えていた時、携帯の着信音が鳴った。慧一だ。
「はい」
『凛、今どこにいる?』
「鎌倉だ」
『そう、俺はさっきホテルに着いたんだが…今から時間あるか?』
「ああ、今日はフリーだ」
『じゃあ、車を借りるからドライブへ行こう』
「え?どこへ?」
『内緒。横浜までおいで。合流したら詳しい事を話すよ』
「了解」
声の様子じゃあ、今日の慧一は機嫌がいい。俺とは雲泥の差だ。
これを引きずったままじゃ、すぐに見抜かれる。
横浜のターミナルビルで慧一と待ち合い、そのまま車に乗り込んだ。
「凛、鎌倉のマンションにいたのか?」
「いや、行ってない」
「そうか。じゃあ、親父とは会ってないんだね」
「うん。で、どこへ行くの?」
「昨日、父さんから連絡を貰ってね。母さんと梓の聖堂を建てる土地が、やっと決まったんだって。今からそこへ行こうと思うんだが、大丈夫かい?」
「ああ…そうだね。行こう」
「どうした?凛。具合でも悪いのか?」
「いや…ちょっと、疲れてるだけ…少し休むよ」
走り出した車から、外の景色を眺めた。あんなに青かった空も刻々と黄昏色に移り変わっていく。
スピーカーからはFMラジオのパーソナリティの声。
今頃、ミナはどうしているだろう。あんなに泣いてしまって、大丈夫かなあ。
本当にあのまま別れて良かったんだろうか。俺も一緒に乗ってしまえば良かったのに…
…どうしても一緒に乗ることはできなかった。乗ったところで、俺とミナは一緒には歩けない。
だから『純愛』という、心地の良い恋物語にしようとしたんじゃないか。
…あれだけお互いの身体の隅々まで知ってしまったのに、今更『純愛』だなんて、虫がよすぎる。
ミナは…本当に『奇跡』を望んでいるんだろうか…
いや、ミナは…別な意味での別れを提示したんじゃないだろうか。
そもそもミナがホテルに来た時点で、ミナの決心というか、覚悟のようなものは感じていた。だから自分から欲しいと懇願したんだろう。
俺や慧一、それに自分の大事な人を守るためには、俺たちが愛し続けることはなにひとつプラスになることじゃない。どこかで断ち切らなきゃならない決心だったんだ。俺にだってわかっていた。
俺が勝手にミナを想っても、ミナはただ受け取るだけじゃなく、それを返そうとする。
それが昨日の一夜だったのかもしれない…
別れは考えられなかった。
あれだけお互いを欲しいと願ってしまったんだ。「それじゃあ、別れよう」とは言えまい。
ただ想いを通わせる…それしか選べなかった。
だが、本当に成し遂げられるのだろうか…
俺には、自信なんてない。
『奇跡』なんて、そんなもの望んでいたわけじゃない。
ミナの…おまえの肌のぬくもりの方が何倍だって信じられる愛だ。
ミナ…もう、おまえを抱けないの?…そんなの寂しすぎるよ…
その時…ラジオから懐かしい曲が流れ始めた。
ボーカルの澄み切った声が、その詩を鮮やかな形にしていく…
ミナと出あった夏、ミナと語った日々、少しずつふたりで刻んでいった恋物語だったね…
あの夏、世界中で一番、大切な人に逢った
今日までの そして これからの人生の中で…
突然、胸が熱くなった。溢れる想いを止めることも出来ず、俺は声を上げ、号泣した。
「凛…凛、どう、した…どこか、具合が悪いのか?近くの病院を探そうか?」
慧一の動揺は見なくてもわかっていたが、この感情を止める術はなかった。
「…だい、丈夫…だから、慧…ゴメン。心配はいらないから…このまま泣かせてくれ」
悲しさや寂しさだけじゃないんだ。
ミナへの想いは本当に純粋なままで、今でもミナをこの手で幸せにしたいって…そう思っている自分が、馬鹿みたいに愛おしくて、情けなくて…くやしくて……くやしくて…
「着いたよ、凛」
「…う、ん…」
泣きつくして眠ってしまっていたのか、知らぬうちに、目的地へは到着したらしい。
車から降りると、中腹の山の中。
夕焼けが辺りをオレンジ色に染め上げ、眩しさに思わず目を閉じた。
「大丈夫か?凛」
「…うん。ああ、気持ち良い…沈んでいく太陽ってこんなにもあったかいんだね~」
「少し目が腫れている。冷やした方が良いだろうけど、あいにくここには水道もない」
「いいよ。そのうち引くさ。それより…ここ…」
「ああ、まだ整地もできてないけど…この山の地主が親父の知り合いの弁護士に相談を持ちかけてね。半分は住宅地にするんだが、ここ一面は…なにか違うものにしたいらしくて…親父の話を聞いて興味をもったらしいんだ。聖堂を建ててもいいって言ってくれている」
慧一の話はあまり頭に入ってこない。だけど、この場所には見覚えがある。
…そうだ。前にいつか、紫乃とドライブした夜、紫乃が連れてってくれた場所だ。
俺は見覚えのある桜の木を目指して走り出した。
後から来た慧一が不思議な顔で俺を見ている。
「その桜の木が気になるのか?」
「…慧一の思い出の場所だろ?」
「…どうしてそれを?」
「紫乃に聞いた。よくふたりでここで星を観たってね。観ただけなのかは、問わないけどね」
「紫乃に何を吹き込まれたのかは知らないが…観ただけだよ」
少し拗ねた顔を見せた慧一は桜の幹に手を置いて、見上げた。
「昔と変わらずにそのままに存在するっていうのはいいな。自分がどういう生き方をしようが、この桜の木はこちらを受け入れてくれる。…不思議な安心感だ」
「ねえ…人の想いは変わらずにいられるのだろうか…」
「…難しいかもな…でも、その想いがこの桜のように、ずっと人の心に留まっていれば、永遠に語り継がれていくのかもしれない」
「慧は…『純愛』って信じる?」
「…」
慧は俺を見つめ、何も言わず、そして街が一望できる高台までゆっくりと歩いて行った。
俺は慧一の後を付いて行く。
「ここから星空を観ると、自分が立っていることさえわからなくなってしまいそうに、怖いんだ。真下が見えない気がしてな…」
俺は慧一の傍に立ち、一緒に紫がかった空を仰ぎ見る。
「昔、…夏の夜だった。その日は母さんのお見舞いに父さんと梓が泊りがけで、家には俺と凛しかいなかった。真夜中、凛はむずがって、『母さま、母さま』と泣くんだ。どんなにあやしても泣き止まない凛を抱きあげて、俺は庭へ出た。
東京の夜空なんてマトモに星空なんか見えやしないのに、その夜はいくつもの星座が見えた。俺はぐずる凛に星座を指差して、ギリシャ神話を話して聞かせたんだ。そのうち凛は泣き止んでね。ふたりで空を仰いでいた時、ちょうど流れ星が輝いた。俺はおまえにひとつだけ願いが適うから、祈るんだよって、言った。おまえは声を出して『母さまの病気が治りますように』と、祈ったんだ」
「覚えてないけど…慧は?慧はなんて祈ったの?」
「俺は…抱いている者を俺だけのものにしたいと、願った…すべて俺のエゴでしかない。俺は自分が傷つくのが怖いのさ。おまえに嫌われないように、捨てられないように…それだけを祈ってきた。さっきのおまえの涙だって…その意味を聞くのが怖くて、たまらないんだよ」
「慧…」
「俺は…おまえへの執着だけで生きている。いつだって、おまえだけを愛してきた。歪んでいたとしてもエゴイズムだったとしても…それは純粋な愛情だったと、俺は思っている。その想いが俺を支えてきた。これからもずっとそうだろう。おまえが望むと望まざると関わらず、俺は想うことしかできない」
「…」
「だが、それを…『純愛』と、呼べるのなら、俺は幸せに生きる者だろう。心から人を愛するという意味を俺は知りえたのだから」
「…慧、ありがとう…俺を支えてくれて」
「おまえを支えたんじゃない。おまえの存在が俺を支えてくれたんだよ、凛」
真っ直ぐに俺を見つめる慧一の瞳には、迷いなど無い。
「慧…俺ね、もう遊びや仕事上の取引で、他の人と簡単に寝たりするのは金輪際しないって誓うよ。随分と、慧一に心配させてしまったけれど…ゴメン」
「凛…」
「ミナと別れたのは俺の勝手なのに、そうする道を選んでしまったのは俺だってわかっているのに…どこかで俺は慧を責めていたんだね。無茶をして、慧を困らせようとしていたのかもしれない。でも…ミナは許してくれたんだ。だから、慧も俺も枷を外して、自由に愛し合っていい…」
「…」
慧一の胸に寄り添う俺を、強く抱き締めてくれる強さが嬉しかった。
「ああ、一番星だ…」
東の天上に木星が光る。
「雪のないクリスマスもいいよね。雪の代わりに星が降る…」
「ああ、そうだな」
「ねえ、慧。今晩は凍えるまでここで星を見ようよ。今日だったらきっと神様も特別な恵みを俺たちにプレゼントしてくれるかもしれない」
「何が、欲しいんだ?」
「そうだね…慧と俺を暖める『灯火』。それで充分だ。他に…なにも、求めるもんか」
頬に流れる俺の涙を、慧の口唇が優しく吸ってくれた。
「おまえがいれば…他にはなにもいらないよ、凛…愛してる」
俺は、一生を共に生きるただひとりの人を選んだ。
そして、
これからも、ただひとりの人に恋をする。
辺りは宵になり、そしてだんだんと闇が迫ってきた。
眼下に見える街の灯りが、次々と増えていく。
まるで小さな花が咲くようだ。
俺たちは高台の芝生に座り込んで、その眺めを楽しんだ。
やがて、聖堂の話になった。具体的な設計図も俺たちの中ではとっくに出来上がっていたから、早ければ来年中には出来あがるかもしれない。
「ヨハネの教会堂に続いてこちらもなんて、専門をそれにした方がいいかもな」
「凛はまだ若いんだ。色んな可能性があるんだから、すぐに決め付けなくてもいい」
「フフ…何事も慧は俺に甘いからね。…甘えついでに頼みがある」
「なに?」
「聖堂の隣りに小さくてもいいから、温室を建てたいんだ」
「…構わないよ」
「歳を取ったらそこでのんびり日向ぼっこでもして、日がな一日花の世話をして過ごすんだ」
「おまえが?」
「ああ、そうだよ…」
北側に赤レンガの壁、南には大きな窓を嵌め込んで…沢山の植物を育てよう。
「グリーンハウス」忘れないでくれ。
俺とミナが愛し合ったことを。
あれは、一生分の、本物の恋…
「only one」はこれで終わりです。
長い間、ありがとうございました。