後半
真実佳のピーチ・クーラーは、だいぶ、氷が浸水し、グラスの外側も水滴を量産している…。
真実佳は、ハンカチで目元を軽く押さえると、静かに頷いた。
--トムの優しさが、嬉しかった。
「--迷っているの」
真実佳が、ポツリと言った。
トムは、真実佳のピーチ・クーラーをソッと手に取ると、
「このピーチ・クーラーは、もう、だいぶ、水に変わっているようだね。さあ、新しいのと取り替えよう」
と、言って、新しいカクテルを作り始めた。
真実佳は、ソッと微笑んだ。--泣きはらした目が、初めて笑みに変わる。
トムは、シェーカーを振り始めると、
「3日前、ケンが店に来たよ」
と、静かに言った。
「--え?」
真実佳が目を見開く。
カウンターの奥にある古びたラジカセも、次の曲へと移行する間、沈黙していた……。
「ケンも、ひどく後悔していたよ」
トムは、シェーカーを振りながら、言った。
「…………」
真実佳は黙っている。 トムは、続けて、
「社長さんに頼まれたそうだ。社長さんの姪御さんと、一度、会ってくれないか、という話しだったらしい…」
「…………」
真実佳は、黙って聞いている。
「それで、あの夜、ケンはディナーに参加した、というわけさ」
真実佳は、それでも、やや納得いかないという様子で、サイコロステーキを一つ、静かに口へ運んだ。--さすが、トムの焼くサイコロステーキは、こんな時にでも、充分に満足させてくれるおいしさだ。
トムは、カクテルグラスにシェーカーから『アップル・ブラン』を注ぎながら、
「社長さんとしては、姪御さんとラバーズになってほしかったようだね」
と、言った。
真実佳は、静かに、視線をカウンターへ落とした。--また、涙が零れてきそうになる。
「ケン、ディナーの翌日に、社長さんへ正直な気持ちを話したそうだよ」
「…………」
--真実佳の前に、カクテルグラスが優しく置かれた。
「マミカのことを、正直に話したら、社長さんは快く納得してくれて、諦めたそうだ。--ディナーの話しがあった際にも、自分に断る勇気があれば、とケンはとても後悔していたよ……」
「………」
真実佳は、カクテルグラスにソッと口を付けた。
ほんのりと、甘酸っぱい香りが、少しづつ広がってくる。
--真実佳とアップル・ブラン、初めてのkissだ。
「ディナーの途中で、ケンは相手の女性から、ジュークボックスである曲をかけて欲しいとリクエストを受けたそうだ。けど、ケンはそのリクエストとは違う曲をかけたそうだよ」
真実佳は、ハッとした。--ある曲?
トムは、優しく肯くと、
「マミカ、何の曲かわかるかい?」
と訊いた。
真実佳は、静かに頷いた。
--そして、その夜がどんなディナーだったのか、真実佳は、少しづつ理解してきたのだった……。
窓の外に目をやる……。
雨のあがったダークパープルの空に、ハーフムーンがきらめいている。
真実佳の涙で濡れた頬を、窓から心配そうに射しているハーフムーンの光が優しく撫でている。
何もない薄暗い部屋で、ムーンナイトセレナーデが静かに流れていた。--ケンとマミカの思い出の曲だ。
マミカはこの曲をケンとしか聴かないことにしている。ケンもマミカとしか聴かないことにしている。
二人の思い出の曲だ。
真実佳の頬を、もう一粒、涙が零れた。
けど、それは、嬉しい冷たさだった…。
真実佳は、ダークパープルできらめくハーフムーンへ静かにマツゲを向けた。
--明日、ケンに電話をかけてみよう。
レディ・ムーンライトは、安心して、微笑んだ。
クリスタルティアーは、雫となってダークパープルの空へ飛び、ハーフムーン近くで、キラリと光った。




