集う休息者たち
シルさんから貰ったチケット。それでいけるリゾート地に友人たちを誘おうと、俺はアトリエ『モノクロ』を訪れていた。
誰を誘おうかなっと考えた時に、まず真っ先に顔が浮かんできたのは、やっぱりと言うべきかアッシュだった。
このゲームを初めて、アホ二人以外で初めてフレンドとなったアッシュ。今ではすっかり仲が良いと言える間柄だ。
なので、こういうことに誘う相手としてはこの上ないと言えるのだが……ふと、気になることがあった。
――――アッシュって確か、『こういうこと』が苦手じゃなかったっけ?
『こういうこと』というのは、友人同士で集まってリゾート地に遊びに行くという……アポロやサファイアの言葉を借りるなら、『リア充っぽい』イベントのことをさす。
誰もが振り向く可憐な少女であるアッシュだが、その内面は非常に『陰』に寄っている。たまに街を一緒に歩く時とか、仲睦まじい様子のカップルを見て呪詛を零したりしてるし。
そんなアッシュが、果たしてこの誘いに乗ってくれるのか……まぁ、無理強いすることでもないし、ダメだったらダメってことで。
誘い方を考えてみようかと思ったけど、やめだ。こういうのは、変に頭を使うよりも、真っ直ぐに、一直線に、己の想いを伝えた方がいいに決まっている。
そんな思いを胸に、俺は『アトリエ』の扉を開き――
「アッシュ! 俺と一緒にバカンスに行こう!」
開口一番、そう言った。
こちらを見ていたアッシュと視線が合う。おや? なんだかアッシュの顔が赤いような……?
『モノクロ』に足を踏み入れ、扉を閉じた俺をじっと見ていたアッシュが、恐る恐るといった感じで声を掛けてくる。
「………………リュ、リュー? えと、あの、その……い、今のは……?」
「ん? 言葉通りだぞ? アッシュ、俺と避暑地のリゾートで遊ばないか? きっと、楽しくて忘れられない思い出になるぞ」
にこりと微笑み、『君と一緒に行きたいんだ』という思いを込めて言葉を紡ぐ。
俺の真摯で直球的な誘いを受けたアッシュは、赤くなっていた頬を更に赤くした。
……うん? なんで沸騰したヤカンみたいな反応? 今の言葉のどこに赤くなる要素が……?
と、俺が首を傾げていると、アッシュはバッと顔を背けると、何かをもの凄い早口で言い始めた。
「……ど、どどどどどうしましょうかどうしましょうかリューにバカンスに誘われてしまいましたと言うかこれってアレですよね楽しくて忘れられない思い出ってそれってつまりあのその俗に言うところの一夏のアバンチュール的なサムシングでつまりリューと私がアバンギャルドでアダルティなアレコレをしてしまうのではいえそれが嫌だとは言いませんしとっても嬉しいというかむしろバッチこいなのですが私にも心の準備が必要と言いますか流石にいきなりすぎるといいますかええとあのそのあああぅううううううううう~~~~~~~~!!?」
最後には奇妙な唸り声を上げ、頭を押さえてイヤイヤするという奇妙な姿を見せるアッシュ。小声だったのと早口過ぎてなんて言ってたのかはまったく聞こえなかったのだが……ええと、これはイエスなのか? ノーなのか?
アッシュの言いたいのがどっちなのか分からずに首を傾げていると、当の本人がずずいと俺の方まで近づいてきた。
赤く染まった美貌と、潤んだ紫紺の瞳。それが手を伸ばさずとも触れてしまえそうな距離に来たことで、ドキリと心臓が跳ねた。
「ア、アッシュ? えと、近いんだが……」
「リュ、リュー……」
囁くように、焦がれるように名前を呼ばれて、「あっ、これこっちの声聞こえてないな」と悟った。
にしても、この構図は中々にまずいのでは? 男女がこんなに接近しているのは、風紀的に良くないのではと思うし、何よりこういう場面をサファイアや後輩なんかに見られるとすごくめんどくさいことになるのは、これまでの経験から目に見えている。
と、とにかく、アッシュには一旦離れて貰って……。
「アッシュ、話はちゃんと聞くから、まずはこの体勢をどうにか……」
慌ててそう声を掛けるも、時すでに遅し。願いは天に届かず、現実は無情で非情だった。
アッシュが口を開くのと同時に、俺の背後で勢いよく扉が開かれる。
「わ、私……ふ、不束者ですが、宜しくお願いしますッ!!」
「アッシュー、可愛いマオちゃんのとーじょー…………って、何やってんすか、先輩?」
何やら盛大に勘違いをされそうなことを言ったアッシュと、バッドタイミングにもほどがある入場をかましてきやがった、盛大に勘違いしそうなヤツ候補の片割れであるマオ。
潤んだ瞳を向けてくるアッシュと、胡乱な視線を向けてくるマオに挟まれて、俺はそっと天を仰ぎ、ため息を漏らした。
「……ふむふむなるほど? 要するに、さっきアッシュが頓珍漢なことを言っていたのは、先輩のせいってことっすね?」
何の前触れもなく『モノクロ』にやってきた後輩に、アッシュと至近距離で見つめ合っていたことの弁明――いや、悪いコトをしたわけじゃないのだから、弁明はおかしい――否、説明をした結果、うんうんと頷きながら後輩が口にしたセリフがこれである。
なお、当のアッシュは部屋の隅っこでちっちゃくなっている。背中に背負う暗黒オーラが、『後生ですので今は触れないで……!』と言っているみたいだった。
……そっとしておいてやろう。うん、きっとそれが一番だ。
「俺のせい……俺のせいかぁ?」
「はぁ? なんすか先輩。言い逃れするつもりっすか? うら若き乙女一人辱めといていい度胸っすね!」
「辱めるとか人聞きの悪い……俺はただ、遊びに行こうと誘っただけだぞ?」
「セリフ選びに問題アリだったっすね。先輩の言い方じゃ、二人っきりで遊びましょうという意味にしか聞こえないっす。とんだプレイボースっすね、先輩」
「濡れ衣だ……無罪を主張する」
「被告の申請は私の独断と偏見により却下されたっす」
「横暴にも程がある……!」
恨めし気な視線を後輩に向けるも、ニコッ、とムカつくほど可愛らしい笑みを返されて終わった。くそっ、こういうことになると途端に強いな、後輩……!
「さて、女の子を辱める悪い先輩には罰を与えるっす」
「弁護士! 弁護士を呼ばせてくれ!」
「それも却下っす♪ さぁて、先輩に与える罰っすけど……」
にやにやと実に楽しそうな笑みを浮かべた後輩は、イラつくほどに似合うウインクしながら、口を開く。
この後輩のことである。こういう場面で妙な手心を加えるような真似をするとは思えない。生半可な罰じゃないことを覚悟しよう。
ごくり、と唾を飲み込み、後輩の言葉を待つ。
「そのバカンス! 私も参加させてもらうっす!! 先輩に拒否権はないので、よろしくお願いするっすよ?」
「……え?」
「お? なんすかその意外そうな顔は?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまい、後輩が不思議そうな目を向けてくる。
「えっと……後輩? お前、なんか変なモノでも食べたか?」
「はぁ!? なにをいきなり失礼極まりないこと言っちゃってるんすか!?」
「いやだって……お前ってこういう時、絶対に無茶ぶりしてくるだろ? アレを奢れー、だの、どこそこに付き合えー、だの。そんな可愛らしいお願いをしてくるとか、俺の知ってる後輩じゃない」
「先輩は私のことなんだと思ってるんすか!?」
「……え、強欲の化身?」
「後輩パンチ!」
思ったことをそのまま口にしたら、拳が飛んできた。顔面目掛けて飛んでくるそれを首を傾けて回避。
ふっ、甘いぞ後輩。そんな腰が入っていないテレフォンパンチなんぞ、百発打っても俺には当たらん。
「いや、そこは当たるとこっすよ、先輩。空気嫁」
「自ら殴られたがる特殊な趣味はないんでな。で、本当にそれだけでいいのか?」
念を押すようにそう聞くと、後輩は何故か不貞腐れたような表情を浮かべてそっぽを向いた。
「……私だって、先輩たちとの夏の思い出が欲しいんすよ。もし、私だけハブられるとかあったら嫌じゃないっすか……」
そして、もごもごと口ごもるように、そう口にした。
そんな後輩の反応に、俺は小さくため息を吐くと……腕を伸ばして、後輩のおでこを指ではじいた。
「いだぁ!? え、ちょっ、なんでデコピン!?」
「お前がアホなこと言うからだよ」
「アホとか言わないで欲しいっす!」
ギャーギャーと途端に騒がしくなった後輩に、もう一度手を伸ばす。
またデコピンをされると思ったのか、反射的に目を瞑り肩を竦めた後輩に苦笑しながら――――その頭に、そっと手のひらを置いた。
桃色の髪を一度、二度と撫でると、後輩の身体から力が抜け、ふんにゃりとした雰囲気を纏い始める。
撫でられる猫のようになった後輩の姿がなんだか可笑しくて、思わずクスリと笑みを漏らす。
「むっ。せ~ん~ぱ~い~? 今、笑ったっすよね?」
「さて、何のことだ? 俺には分からないな」
はぐらかすようなことを言ってみると、後輩はじっとりとした視線を向けてくる。だがまぁ、撫でるのは継続中だったので迫力は皆無なのだが。
「せ・ん・ぱ・い! からかわないで欲しいっす!」
「はいはい、悪かったよ。撫でるのも止めるから、怒るな」
「撫でるのは止めちゃダメっス。そのままにしといてください」
「あ、うん」
後輩の頭から手をどかそうとしたら、魔法職とは思えないスピードで抑えつけられた。
両手で俺の手を捉え、ぐりぐりと自分の頭に押し付け、満足げな顔をしている後輩。何がしたいんだろうか。
まぁ、それはいいとして……少し体をかがめて、後輩と視線を合わせる。
「なぁ、後輩? さっきお前、『私だけハブられたら』とか言ってたよな?」
「うぇへへ……先輩のなでなで…………えっ? あ、はい。言ったっすよ?」
「…………まぁいい」
今のゆるみ切った顔は、見なかったことにしよう。うら若き乙女としてしちゃいけない顔をしてた気がするが、気のせい気のせい。
『それが何か?』とでも言いたげな後輩の顔を覗き込み、表情を引き締める。少し真面目な話をするんだ。相応の雰囲気ってものがあるだろ?
「俺が、お前をのけ者になんてするわけないだろ? 幾らいつもの扱いがぞんざいだからって、そこまで意地悪なつもりはないぞ?」
「うぐっ……で、でも…………少しだけ、不安になっちゃったんすよ。前のイベントでも、あんまし先輩と一緒にいられなかったし……ああもう! 要するに、私に構ってくれない先輩が悪い!」
「構ってって……お前、来年高校生だろ?」
「あー! ゲームの中でリアルの話をするのはルール違反っすよ先輩! ルール違反! 罰として先輩は、バカンスでも私をしっかりと構うっす!」
「だから……はぁ、まぁいい」
鬼の首を取ったように元気になる後輩にため息を吐き、今度は少し荒っぽく桃色の髪を撫でた。
「わっ、ひゃっ!?」
「分かったよ。バカンスの時は、お前が音を上げるくらい構ってやるよ」
目を白黒させる後輩。思い返せば、こうして顔を合わせてちゃんと話すのも久しぶりな気が――――そんなことを思いつつ、俺はめいっぱいの笑顔を浮かべ……。
「忘れらない思い出にしてやるから、覚悟しとけよ?」
悪戯っぽく、そう告げるのだった。
「ひゃぁ…………あぅ……」
「ちょっ、おい! いきなりどうした!? 真っ赤になって倒れるって風邪……なワケないよな! これゲームだし……後輩、後輩ーーー!!」
「せ、せんぱ……し、しげきが……」
「刺激ってなんだよ!? ああもう、アッシュ! 後輩寝かせるから、ちょっと手伝ってくれ」
「…………ふふっ、私って、ほんと馬鹿ですね。ふふふふふ」
「ああ、こっちもまだ回復してなかったか……」
「せ、せんぱぁい……」
「ふふ、ふふふ、ふふふふふ」
「…………どうしようか、この状況」
カオスになってしまった空間で、俺は一人途方に暮れるのだった。




