「ハゲ」の発見と、「ミチ」との遭遇①
昔確か中学生の頃、国語か何かの授業で、「人生のターニングポイント」というテーマで作文を書かされたことがあった。
もう十年以上前のことなので、何をどのように書いたのか全く覚えていない。また、書かされただけでなく、皆の前で発表させられたような気もするが、やはり全く覚えていない。
ただ、今となって振り返ってみて思うのは、教員の側はテーマの選択をもっと慎重に行うべきだったのではないかということだ。
なぜなら中学生というのは、「人生のターニングポイント」とやらについて語るには、あまりに幼すぎるからである。
だが今の私は違う。
今の私は、同様の作業を命ぜられた場合、自信をもってそれに応答することが可能である。
今の私にとって大きな「人生のターニングポイント」、それは「ハゲたこと」である。
より正確を期せば、「後頭部を覆っているはずの頭髪の中に、脱毛の痕が複数箇所存在することに、気づいたこと」だ。
これは私にとって、間違いなく、あまりに大きすぎる転機となった。
もっとも、恐らくただ気づかなかっただけで、本当はずっと以前から、ハゲは進行していたのだろう。
つまりそれに気づかずにアホ面下げて人並みの生活を送っていた私はある意味無知であり、愚かだったと言えなくもないが、反面、「知らないに越したことはない」事柄は確かに存在する。私の「ハゲ」にまつわる認識などが、まさしくその典型だ。
いったん知ってしまったが最後、もはや無邪気に安逸を貪っていられた時期にまで戻ることは決して叶わない。
きっかけとなったのは忘れもしない七月十九日のことである。
勤めている塾で夏期講習の始まる前日だった。
少し年上の同僚とすれ違った時、いきなり「おい、よく見ると後ろのとこ、すごいハゲ上がってるけど、大丈夫か?」と声をかけられたのだ。
立ち止まり、振り返ると、その同僚がわずかに顔をしかめるような表情で、こちらを見ているのがわかった。
「え?」
私は全く予想していなかった声掛けに戸惑い、そう言葉を漏らすことしかできない。同僚はさらに続けた。
「一瞬つむじだと思ったけど、違うよな、……まだ若いのに、苦労してるんだなあ」
あたかもてんとう虫が手の甲に止まっているのを見つけた時のような、全く重みのない発言だったが、私自身はそこで全てを理解し、同時に全てが反転した。
慌ててトイレに駆け込み、携帯電話のカメラ機能を駆使して詳しく調査してみたところ、後頭部のつむじ付近に一つと、あと左のうなじの辺りに小さい脱毛斑がいくつか散らばっているのがわかった。
恥ずかしい話ではあるが私はそれまで、坊主頭が伸びたようになった自分のヘアスタイルを、特に手入れをしていない割にはまずまずスタイリッシュだと感じ、それなりに満足していた。
だからいつの間にか脱毛がかなりの段階まで進んでいたことを知った時、強い羞恥心を覚えるとともに、耐え難いほど大きな疑心暗鬼の念に襲われることになった。
……いったいいつからこうだったのか? 誰もが知っていながら、黙って陰で嘲笑っていたということなのか……?
だが、私が所謂「「ハゲ」の発見」を「ターニングポイント」と名指したのは、それが自らの精神面にある種の激震をもたらしたからではない。
内容がいかに豊富であろうとも、問題が「自分」の領域に収まっている限り、それはあくまで「個人的な」ものでしかあり得ない。
そして「個人的な問題」をわざわざ言語化し、外界に向けて発信するのは、端的に言って、自らが筋金入りのマヌケであることを証し立てているようなものである。
私の「「ハゲ」の発見」はそうではない。
それは「個人的な問題」どころか、間違いなく「世界規模の問題」との評価に値するものだった。




