8:判明と焦燥と捜索と
「つまり、ボクたちの体内にある魔石に魔法文字を刻むことによって、原則一人に一つ、道具に頼らない魔法の行使が可能になったわけだ。但し、これには魔法文字への適性があるから好きな魔法を会得できるわけじゃ無いのは周知の事実だね?」
まるで、魔法学園の講師のように講義をしていたネメアが、ずんずんと人の道を歩いて行く。
「ボクは重力。そしてイリス君は冷気を操る魔法だよね? ⋯⋯あれ?イリス君?」
返事がない事を訝しんで、イリスの方へと振り返ると、彼女の姿が見当たらない。
「クロ君。イリス君はどこへ行ったんだい?」
「へ?イリスなら私の後ろに⋯⋯居ない!」
「ダメだね。彼女にも魔伝石を持たせているけど、ノイズが酷すぎてお話にならないよ」
他人の魔力へ干渉してしまい、思うように行かないネメアは歯噛みする。
「どうする? 引き返すか?」
「いや、ひとまず彼をどうにかしないと。イリス君には守衛に行く事は伝えてあるから、そこで待とう」
ネメアは未だに空を掻くように手足を動かす魔王教徒の男をチラリと見やる。
「私は何も言わんぞ! 離せぇ!」
「やれやれ、強情だねぇ⋯⋯」
「なぁ。さっきからかなり遠回りをしてないか?」
「うん?うん。そうだね。彼の反応を見ながらここまで来たからね」
男が、街の更に東へ進んだ場所に佇む洋館に、眉をピクリと動かして、そちらの方向を見ないようにしている様を見て、ふむ。と小さく頷く。
「どうやら、ここが彼らの拠点らしい」
「へえ。そんな事まで分かるのか?」
「うん。心音が少し速まっているね。ボクらの耳は伊達に長いわけじゃ無いさ。⋯⋯キミも訓練すれば出来るようになるはずなんだけれど」
「今は雑音を拾い過ぎて耳が痛いくらいだ」
クロがそう答えて項垂れると、彼女の耳もまた、ペタリと萎れる。
「それはまた今度にしようか。イリス君のことも気になるし」
さて、と呟いてネメアは今度こそ南門の、守衛のある場所へと足を向ける。
「もう良いのか?」
足を踏み出したネメアに、クロが声を掛けた。
「うん。場所が分かった以上、ここに長居する理由もないからね。丁度礼拝の時間だったのかな?中からも“魔王様万歳”なんていう声も聞こえるし、ここが彼らの拠点で間違いないよ」
手錠をガシャガシャと揺らして、口を布で塞がれた男は、首を横に必死に振るが、それは特に意味を為さなかった。
「後は浄化の儀当日に、ここを見張っておけば問題なしさ。それに、向こうから手を出されない以上、ボク達から手を出すのは非常にマズいからね。それよりもイリス君のことが気掛かりだ。少し急ごうか」
そうだな、と同意してクロはネメアに続いて歩く。
人混みを抜けて数十分ほど歩くと、クロ達が通ってきた門に据え付けられた梯子が現れた。
「中から見ると、こんな風になってたんだな」
感心してクロがそう溢すと、ネメアが小さく頷く。
「そうだね。これで魔物の接近をいち早く知らせるようになっているわけだ」
そんな風に、梯子を見て言い合っていると、近くを通ったガリムとワイズが声をかける。
「あれ、お二人ともどうしたんです? って!なんですかその人! え、人⋯⋯なんですよね?」
手錠の音と、むぐむぐという声が耳障りに感じたネメアがクロに、再び手刀を入れて昏倒させた男を見て、ガリムが悲鳴をあげた。
「お嬢ちゃん達⋯⋯こいつは一体⋯⋯?」
ワイズも、昏倒して宙に浮く男をまじまじと見て首を傾げた。
「えっと、この人、私達を襲おうとしてきて、それで⋯⋯」
ネメアが小さく胸の前で手を組み、上目遣いでワイズを見つめ、普段の声より数トーン高い声を絞り出してそう言うと、二人は顔を見合わせた。
先に頭を下げたのは、ワイズの方だった。
「そうだったのか! それは申し訳ない!魔物の討伐に駆り出されていたとはいえ、すぐに駆けつけられなかった!」
「そんな、謝らないでください。私たちはなんともありませんでしたから」
ネメアが宥めるようにそう言うと、小さくニヤリと笑ったのをクロは見逃さなかった。
ここで言うことでもないだろうと、黙っていると、ガリムが口を挟む。
「しかし、この男は何者なんです?見たところ、フツー⋯⋯より細い感じはしますが、それだけっすね。不審な点は見えないですけど」
ガリムの問いに答えたのはクロだった。
「ああ、それなら、彼、魔王様の遺産がどうたらって言ってましたけど」
再び彼らは顔を見合わせると、驚愕に目を見開く。
「それは本当なんです!?」
「ええ、街中で魔法も使ってきましたし⋯⋯」
クロもまた、どこから声を出したのかと言うほど高い声を震わせてそう言うと、彼らの顔つきが変わる。
「やっぱり魔王教徒ですか! 隊長、まずいですよ!」
「あぁ、明日の夜には浄化の儀が始まっちまうってのに、こんな悠長な事してらんねえぞ!悪いな、お嬢さん達、この男はこっちで預からせてもらう!」
ガリムが昏倒している男の胸辺り、ワイズが足をそれぞれ持つと、ネメアが魔力の供給を止めて彼らに明け渡した。
「そちらについては承知しました。代わりといっては申し訳ないのですが、青髪で、猫耳の獣人の女の子を見ませんでしたか?」
ネメアがそう言うと、ワイズ達は暫く考える素振りを見せる。
「うーん、俺達はずっと守衛に居たから分からねえが、こっちには来てねえと思うぜ?」
「それなら、彼女が来たら守衛で一晩預かってもらえませんか?」
「そりゃ、構わねえぜ!⋯⋯っと、わりぃ!うかうかしてると明日になっちまう!青髪の嬢ちゃんが来たらこっちで預からせてもらうからなぁ!」
二人はバタバタと足音を立てて、去って行ってしまった。
その様子を見届けた後、ネメアがクロを物言いたげな目で流し見る。
「まさかキミがこの武器を使う時が来るとは思っても見なかったよ。」
「し、仕方ないだろ今のは!?」
ふうん。と言うばかりで、それ以上は何も言わなかったネメアだったが、暫く夜空を眺めた後に、口を開いた。
「イリス君⋯⋯まだこっちに来ていないらしいね」
「そう、みたいだな」
「気になるかい?」
「そりゃそうだろ。事件のこともあるし」
「じゃあ、探しに行こうか」
「良いのか?」
「良いよ。ボクらは同じ目的を持つ騎士だろう?ここに居ても始まらないし、伝言もある。また明日の朝ここに戻れば良いさ。さ、行こうか。」
すっかり日も沈み、昼間の活力に溢れた人々はどこへ消えたのか、仄暗く、肌寒さを感じる大通りに等間隔で聳える、魔法文字の刻まれた柱による薄明かりに照らされながら歩くと、道に面した家々の窓から立ち上る、夕食の芳しい香りに、クロとネメアのお腹がきゅるると鳴った。
「イリス君、どこへ行ったんだろうね?」
「早く連れ戻して飯、食べに行きたいな」
はあ、と二人が揃って溜息を吐いて夜空を仰ぐと、赤と青、二つの月が静かな光を湛えて浮かんでいた。
「月が気になるのかい?」
「ああ。あんなに綺麗なのにな」
「そうだね、青い“陽の月”が満ちているときは魔力にあふれ、赤い“隠の月”が満ちるときには瘴気が溢れる。原理はまだ分からないけどね」
夜風の肌寒さを紛らわせるように、そんな取り留めもない会話をしながら、やがてたどり着いたのは白磁のように真っ白な、街の真ん中に聳え立つ、安寧の塔だった。
「昼間のガリム君がポロッと漏らした情報によると、この塔が怪しい訳だけれど⋯⋯」
塔の前にずらりと並んだ十二機のディピスと、それを照らす魔法文字の照明に圧巻され、ネメアからはそれに続く言葉は出なかった。
ディピスがその両手に指向性を持たせた照明を持ち哨戒している様を見て、代わりにクロが続けた。
「この地下に空間があるって⋯⋯? いやいや、そんなもん、この騎士達がとっくに見つけてるだろ?」
「ふむ、どうしたものか⋯⋯」
顎に手を乗せ考えあぐねていると、彼女へディピスの持つ照明の光が当たる。
『誰だ!』
魔伝石から指向性を除いて拡声器として使用しているのだろう、ディピスに乗っていると思われる男の声が響き、辺りは騒然とする。
声を聞きつけた騎士達がわらわらと集まり、彼女達の周りには、幾人もの騎士が集った。
クロはネメアを横抱きに抱え、その照明から逃れるように走る。
「すまないクロ君!キミの魔法でどこかへ“跳んで”くれないか!」
「どこかってどこだ!?」
「ここから離れればどこでも良い!早く!」
「ああ、もうっ!どうなっても知らないからな!」
クロが目を閉じてこの街で一番印象に残っている場所を想像する。
「“転移”」
追いかける騎士達の姿を尻目に、彼女達は青い光に包まれると、シュンと音を立てて姿を消した。
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「あっぶなかったぁ!」
街の南端に位置する巨大な門の前で、クロはネメアを下ろしながら、はぁと息を吐き出した。
「キミの魔法が無かったら危なかったよ。ありがとう」
「まあ、使える場所も機会も限られてるからな」
「そうだね、なにせキミは希少な転移魔法の適合者だからね、そこからキミの正体の露呈に繋がる恐れもある。魔法の使用は気を付けてね」
「ああ。分かっているさ」
なら良いけど、とネメアは小さく頷くと、その門に目を向けた。
「さて、ここまで来たんだ。折角なら守衛に寄ってイリス君が来ていないか聞いてみようじゃないか」
そうだな、と一つ頷いて、クロは守衛へと向かうネメアの後に続いた。
「こんばんわ〜」
明かりの灯る守衛の駐在所に辿り着くと、その扉をノックして、返事を待つ。
「はぁい⋯⋯あ、お嬢さん達!?こんな時間まで何してるんすか!?」
中から出迎えたのは、その精悍な顔の目の下に、大きな隈を作り、気怠げな表情を浮かべたガリムだった。
「あの、イリス⋯⋯青髪の獣人の女の子、ここに来てませんか?」
クロがそう言うと、ガリムは申し訳なさそうに眉を下げるた。
「申し訳ないですが、見てないっすね」
「そうですか⋯⋯」
クロがしゅんと耳を畳むと、庇護欲をそそられガリムが口を開こうとするが、昼にワイズに殴られた一件を思い出し、寸でのところで口を噤んだ。
ガリムの様子を見ていたネメアが、クロの腕を引いて、一歩前へと出る。
「クロ君。もう良いよ。さて、ガリム君。ここからはきちんと話し合いをしようじゃないか」
「へ?あ、あの⋯⋯」
突然のネメアの口調の変化に戸惑うガリムだったが、それはネメアに手で制された。
「キミは聞かれた事だけに答えれば良いよ」
その目には、逃さないぞという強い意志が込められていた。
ネメアの威圧感に気圧されながらも、ガリムは歯を食いしばり、反抗してみせた。
「一般人に言えるわけがないだろう、こんな事!」
その様子に、彼が何か知っていると悟ったクロが黙っては居なかった。
「こっちは身内に被害が出ているかもしれないんだぞ!」
「それは⋯⋯」
言い淀む彼に、クロは彼の胸倉を掴んだ。
「イリスに何かあったら責任取れるんだろうな?」
その眼力から繰り出される圧迫感に、ついにガリムは敗北を喫し、溜息を吐いた。
「分かった。分かりましたよ。洗いざらい全部白状しますよ。でもコレ、王都から来た騎士に言ったら駄目ですよ?」
口の前で人差し指を交差させて彼は、守衛室を出る。
「あと、ワイズさんにも言ったら駄目ですからね?」
二人は顔を見合わせて頷き、彼に付いて歩き、同じく守衛室を出た。
「ほっ、よっ、おいしょ!」
ガリムは巨大な門の隣に据え付けられた梯子を一足飛びで器用に登り切ると、クロ達に登って来るよう促す。
ネメアはクロと手を繋いで目を閉じると、二人の体がふわりと浮かび上がる。
あっという間に門の上まで到達すると、ガリムはギョッと目を見開いた。
「その魔法を使われたら俺らの出番ないっすね!」
「だから、街に入るときには使わなかっただろう?」
それ以上言及することも無く、ガリムは空を仰いで溜息と共に言葉を吐き出す。
「こっからは俺の独り言ですからね? 見張りをしている時に暇なんで出ちゃっただけですからね?」
彼の話を聞いているうちに、夜は更けていった。