15:訓練と武器庫と異変と
フォゲルナの街を飛び立ち数日が経った頃、クロはイリスと二人で、フューリー内部の格納庫で組み手をしていた。
「クロ、からだのつかいかたが甘い。もっとはやくうごけるはず」
次々と繰り出されるイリスの掌底を避け、時にはその手をいなしながら体術の訓練を受けつつ、クロが吠えた。
「頭が体に追いつか⋯⋯ねえ!」
「そこは、かんでなんとかする」
「勘!?」
クロとイリスが話し合った結果、拳は危険という事で手の平を使っての訓練となっており、魔石を内包する急所、胸の中央に触れた時点で終了というルールだ。
ネメアが見つめる中、彼女達の攻防は続く。
イリスが回し蹴りを繰り出せば、それを手で捕まえてクロが手を突き出し、手が払われれば距離を取って仕切り直すといった一進一退の状況にあった。
そこから先に動いたのはイリスで、素早くクロへと駆け寄ると、左足を一歩大きく踏み込み右脚で蹴り上げるような素振りをする。
蹴り上げを警戒し、反撃の一手にすべくクロが両手を自身の膝付近で防御の態勢を取る。
「いただき」
「なあっ!?」
イリスは持ち上げた右脚を地に叩きつけるように踏み込むと、その手をクロの胸へと突き出す。
対するクロは身体が勝手に動き、つい左へと避けようとした為に狙いが逸れ、イリスの手はクロの柔らかな右胸に包まれた。
「きゃうっ」
「あっ、ごめん」
その様子を見ていたネメアが手を叩きながら、ツカツカと音を立て、尻餅をついたクロの手を引いて起こすイリスの元へ歩いてくる。
「そこまでだね。いやあ。実にいい闘いだった。イリス君は先に汗を流してきておいで。ボクは少し、クロ君と話があるから」
「ん。わかった」
「さて、キミもどうやらその身体に慣れてきたようで何よりだよ」
イリス姿が扉に遮られて見えなくなったのを確認すると、肩で息をするクロにネメアがそう言う。
「ああ。でもまだまだ魔力の補助無しだと身体が勝手に動くからな。この訓練は続けていかないと」
「真面目だねぇ。感心するよ。⋯⋯さて、キミに話しておきたい事だけれど、実際に見てもらったほうが早いね」
着いて来るようにと促すネメアに頷いて、クロが彼女の後に続いて格納庫の奥の方へと歩く。
「ここだよ」
ネメアが突き当たりの薄緑色の鉄板で出来た壁の前に立ち振り返ると、クロが首を傾げた。
「普通の壁⋯⋯だよな?」
「一見するとね。クロ君。ここに首を近付けてくれるかい?」
ネメアがここ、と指すのは、壁に小さく埋め込まれた周囲とほぼ同色の魔石だった。
クロが眉を顰めながらそこへ顔を寄せると、クロのチョーカーから小さな光の粒が飛び出して魔石へ吸い込まれる。
「おわっ!?」
驚いたクロが数歩下がると、すぐに変化は起こった。
薄緑の壁がゴゴゴと鈍い音を立てて左右に割れたのだ。
割れた壁の先には、照明に照らされ黒い輝きを放つメイメツが格納されていた。
「こんな所に隠してあるのか⋯⋯」
「まさに灯台下暗しってヤツだね。さ、見てほしいのはこっちだよ」
ネメアがメイメツの脇を抜けて奥へ歩くと、そこには多数のクロの身長はゆうに超える武器が多数立てかけられていた。
「これは⋯⋯」
あんぐりと口を開けて見上げるのは、一際目を引く一本の剣だった。
それは真っ黒に研ぎ澄まされた剣身に黄金の魔法文字が煌めく、一見すると宝飾品のような輝きを放っていた。
その輝きに魅入られ、しばし言葉を失っていたクロだったが、不意に他の武器、槍や斧、槌、杖、銃、等が納められているのが目に入った。
「これが仮称だけれど⋯⋯うん。メイメツっていう響きは何かかっこいいね。ボクもそう呼ばせて貰おうかな。ここにある武器は全部メイメツの専用武器さ。キミがメイメツに乗っている間、これらは好きに使ってくれて構わないよ」
「それはありがたいが⋯⋯どうしてこんなに良くしてくれるんだ?」
「なぁに。これはボクなりの償いさ。⋯⋯とにかく、キミが気負う必要はないよ。これらを使って更なる活躍を祈っているよ。⋯⋯さあ、キミも部屋で汗を流しておいで。この部屋も無闇に開けておくわけにもいかないからね」
クロはズラリと並んだ武器を目に焼き付けて格納庫を後にし自身の部屋へ足を運ぶと、ベッドの上で寛ぐイリスを尻目に、さっとシャワーを浴び汗を流すした。
すっかり習慣になった、香油を塗り合う彼女達にクロのチョーカーに搭載された魔伝石を通して、ネメアから召集の声がかかった。
『すまない、緊急事態だ!司令室に来てもらえるかい!?』
『承知しました!クロ、イリス、共に至急司令室へ向かいます!』
その知らせを聞くと、急いで彼女達は軍服に着替えて司令室へ向かうと、そこには深刻そうな表情の皆清浄の姫園の面々の姿があった。
「一体どうしたんですか?」
クロが怪訝な表情を浮かべると、その視線の先には、レミファーラ・シンフォニカ、“歌姫”とも称され、レミ様の愛称で親しまれている、少女が頭の上で結った二つの銀髪を垂らし、俯いていた。
彼女を囲うように他のメンバーが寄り添い、宥めている中で、輪の中からネメアが代表して一歩前に出る。
いつになく彼女の真剣な表情から発せられる言葉を聞き流すまいと、クロは固唾を飲んで細長い耳をそばだてた。
「それはボクから話そう。実はね⋯⋯レミ様の声が出なくなってしまったんだ」
「え? いや、それって⋯⋯」
「うん。そうだね。この旅の根幹に関わるほどの重大な事件だね。だからこそ、こうしてボクらは集まって会議をしていた所さ」
「原因は分かってるの⋯⋯ですか?」
重苦しい雰囲気の中でクロが小さく問いかけると、ネメアは首を横に振った。
「一応、喉や肺の検査もしたけれど、異常は見当たらなかったね。恐らくは心因性の物によるだろうという診断は下したけれどね。不幸中の幸い⋯⋯と言っては失礼かもしれないけれど、魔力の操作はできるから、道中の浄化と、最低限次の街への移動は可能だね。しかし⋯⋯」
「浄化の儀が出来ない、か」
話を遮ったクロを、ギラギラとした目でネメアが睨みつけるが、それを受けた彼女は飄々と受け流して話の続きを促した。
「それで、どうするんですか? これじゃあまともに連携も取れない⋯⋯ですよね?」
一応、公式の場である事を思い出したクロが問いかけると、シフィが桃色の髪を払って答える。
「そちらについてはひとまず、筆談という形でまとまりましたの。ねえ、レミ様?」
全員の視線がレミへと注がれると、彼女は束ねた銀髪を縦に振り、手に持ったスケッチブックにさらさらと筆を走らせた。
『このような形で申し訳ございません』
と、一言書いて頭を下げたレミに、クロは目の前で手を振った。
「いえ、そんな、謝らないでください。レミ様が悪いわけでは無いでしょう。意志の伝達手段については承知しました。⋯⋯それで、これからどうするんです?」
「うん。それなんだけれどね、ひとまず航路はこのまま南西の方角にある街、“ファンティ”に向かおう。元々あの街は水の都とも呼ばれるほど綺麗な場所でね、病の療養地としても有名だし行く価値はあると思うよ」
「そこまで決まっているのなら、私たちを呼ばなくても問題ないのでは?」
きょとんとした表情のクロに、ネメアが首を横に振る。
「いや、情報の共有は大切だろう? ⋯⋯本題はここからさ。キミ達の現地調査に、レミ様を連れて行って貰えないかな?」
「⋯⋯いくら何でもそれは、危険すぎませんか?」
「それは承知のうえさ。瘴気、魔物、メイメツと名付けられた正体不明の黒い夢幻機兵、フォゲルナの街で会ったという謎の道化師に魔王教徒、そして国内の権力者達の腐敗⋯⋯考えてみれば、ボクたちの旅の脅威は多いものだね」
ネメアは頭を抱えて唸るが、少しして顔を上げると、しかし⋯⋯と続けた。
「ここで退くわけには行かないんだ。分かるよね?儀式を迅速に遂行するためには、レミ様の歌が必要不可欠なんだ。やれる事は何でも試してみないと。それにこれは、レミ様の意志でもある」
クロがハッとしてレミを見やると、彼女は決意の篭った表情で、大きく頷いた。
「クロ。わたしは、いいとおもう。ふたりでなら、やれるよね?」
脇で控えていたイリスがクロの袖を引っ張り、そう言った。
クロは顎に手を置き少しの間考えていたが、当然拒否権などあるはずもなく、敬礼の形をとる。
「⋯⋯承知、しました。この命に代えても、レミ様はお守りいたします」
「し、します」
クロの敬礼を見て、イリスが慌てて同じく指を伸ばして額へ持っていくと、満足げにネメアが頷く。
「さて、この子たちの了承も得たられた所で、異論は無いですね?」
彼女がちらりと全員に視線をやると、シフィが声を上げた。
「ええ。我々清浄の姫園は貴女達お二人に、本隊の⋯⋯ひいては王国の最重要人物である歌姫を⋯⋯託します」
その言葉に、クロは跪いて胸へと手を当てて最敬礼の姿勢を取ると、高らかに宣言する。
「はっ! 王国の剣として、役目を全う致します!」
「存分に⋯⋯奮って来るのですよ」
黙って首を垂れた二人を横目にシフィが解散を告げ、各自席へ着くとクロ達も、一旦自身の部屋へと戻ってきていた。
「それで、お話って何でしょうか?」
ベッドの上に腰掛けるレミに、クロがお茶を出してそう問いかける。
『すみません。勝手にお邪魔してしまいまして。それに、同行の件も⋯⋯』
綺麗な文字で書かれたそれを読み、クロは慌てて手を振った。
「いえいえ、そんな! あの場で言ったじゃないですか。謝らないでくださいよ!」
手を振るクロに申しわけのなさそうな顔をするレミは視線を彷徨わせた後、画帳に再びさらさらと筆を滑らせる。
『すみません。けど私、強くなりたいんです!』
力強く書かれたその言葉に、クロは大きく目を見開いた。
「謝らないで⋯⋯っていうのはもう聞かなそうですね、わかりました。でもレミ様、充分お強いですよね?」
『いえ、私は弱いのです。歌っているときは周りが見えなくなっているだけなので』
そうですか、と続く言葉を探してクロが数分黙っていると、その沈黙を破るようにイリスがクロの袖を引いた。
「クロ、つづき、する?」
空気をぶち破った本人、イリスはその手に香油のビンを持って首を傾げると、それを見ていたレミがボンと顔を湯気が出そうなほど真っ赤にさせると、筆を滑らせ、クロ達へ両手にスケッチブックを広げて見せた。
クロは不思議がりながらもそれを読み上げる。
「えーと、なになに⋯⋯? お二人はえっちなこと⋯⋯してませんからね!?」
ビクッと身体を震わせたレミに、クロはしまった、と頭を抱えて首を振った。
「大声出してすみません。⋯⋯これは香油で、お互いの髪に塗り合ってるんですよ。嗅いでみます?」
イリスからビンを受け取ってコルクの蓋を外すと、レミの顔へ近づけてみる。
「いい香りですね」
「ふふ。ですよね。って、レミ様声が!?」
ハッとしたクロが視線をレミへ向けると、彼女は喉を押さえて再び声を出そうとするが、一向に出る気配は無かった。
「クロ、たぶん、この香りできんちょーがとけたのかも」
「ああ、声を出しちまったばっかりに⋯⋯」
がっくりと落としたクロの肩を、イリスが励ますように叩く。
「でも、かおりで、きんちょーはとける」
「そうか、これを塗れば少しはリラックス出来るかも⋯⋯? けど、誰がやるんだ?」
司令室であれほどまでに念を押された為に、もしもを考えると迂闊に彼女の髪すら触れる事も出来ないと判断したクロが唸っていると、ガチャッと音がして部屋の扉が開かれた。
「あっ! こんな所に居たのね!? 出発の時間になっても司令室に来ないからわざわざ探しにきたのよ!?」
「「あっ」」
「な、なによ! 文句があるなら受けて立つわ!」
揃った声にたじろいだメルナが、その紅い髪を振って腕を組む。
それに対して、二人はぶんぶんと首を横に振って彼女に、今しがたレミの声が出た経緯を報告した。
「それで、アタシにコレを塗れってこと?」
メルナは琥珀色の液体の入ったビンを手に取って訝しげに見つめると、それを手の平に広げて鼻を鳴らした。
「ふぅん。悪くないじゃない」
「それじゃあ⋯⋯」
ぱあっとクロとイリスのキラキラとした瞳に、つい、とばかりに即答で返答が来た。
「イヤよ!」
「でも、メルナ様にしかできないんです!」
ピクっとメルナの尻尾が動くのを、イリスは見逃さなかった。
「メルナさまだけが、たよりです」
ピクピクッ!
彼女の赤い尻尾は、普段よりも更に赤く染まり上がり、上を向いている。
メルナはフンと鼻息を吐き出すと、腕を組み直して尻尾を地へ叩き下ろした。
「ふ、ふぅん。そんなに言うならやってやろうじゃない!」
なんとなく彼女の扱い方が分かってしまったクロとイリスは顔を見合わせてにっこりと小さく微笑んでハイタッチをする。
ベッドの上を貸し出してクロはイリスと、メルナはレミと、それぞれ四人二組で香油を塗り合う。
「ちょ、別にアタシはいいっての!」
「でも、ぬりあうと、あたまがふわ〜ってする」
「そうですね。イリスの言う通り、手についた香油の香りが広がって、気分も良くなるんですよ」
『私も、塗ってみたいです』
緊急事態という事で割り切ったメルナは、自棄気味に手に香油を広げてクロを睨む。
「言っておくけど、やり方なんて知らないんだからね!」
「はは、それじゃあ、私達のやり方を真似してもらって良いですか?」
そう言って、ここ数日間と同じようにイリスと向かい合い、吐息のかかりそうなほどの距離で二人はお互いの髪を触り合う。
「えっ? アンタ達ちょっと近すぎない? しかも向かい合ってなんて⋯⋯」
「いえ、これが普通ですよ?」
「ん。クロ、らんぼうにするから、めがはなせない」
自身の常識の方を疑われてしまったメルナはそういうものだと受け入れ、レミもまた、結ってある髪を解き、恥ずかしがりながらもメルナと向かい合い、互いに触れ合うのだった。
追記:イリスの髪型はショートなのでクロと髪を触り合うときは超至近距離です。