ならば僕はここで待ち続ける
女の纏う空気や雰囲気、また容姿からは考えにくい事ではあるが、一応あれは有名な暗殺者だったりする。
海を越えた遠い東の異国での暗殺技術の一つに、性的な魅力を以ってして相手を篭絡するというものがある。
簡単に言うと、色仕掛けというやつだ。
ヒュッケバインはその技術を得意とするらしいが、決して床を共にする事もないとは聞く。
まぁ、あの様子じゃ……そんな必要もないのだろうなぁ。
彼女曰く『そんなん、好きな人やないと嫌やん! あ、ジー君なら上手に口説いてくれるんやったら構へんよ?』との事らしいが。
――十代とかの若い時なら兎も角なぁ。
ヒュッケバインにそう言われたのは二十も半ばに差し掛かる位だ。
生憎と自分では落ち着いて来たと思っているそんな時に、そのような妙な誘惑に乗る元気は無かった。
そんな彼女ではあるが、名が通っているのには理由がある。
どうやら過去に暗殺を行った時にある吟遊詩人が近くに居たらしい。
無事に暗殺対象を仕留めた後、ヒュッケバインはどうやら一連の現場をその男に目撃されたようだ。
けれどその相手が口を噤むと言った事、彼女が襲い来る睡魔に勝てそうになく帰宅を強く望んだ事。
その二つの理由から、その男には何の手も下していなかったとの話だった。
――暗殺者としてどうなのかと問い質すと、どうやら一人分の手段しか用意していなかったとの答えも返ってきたが……どうだか、とジークルトは冷たく思う。
その男はきちんと口を噤んだ様だが――噤んだのは口だけだったらしく、手記にその様子を纏めて記述して公開したらしい。
ヒュッケバインの名前が無かったこと、またその話自体が異様に世から評価された事、単なる暗殺の話ではなく詩的に描かれていたこと。
お陰で男は命拾いしたようだが、可哀想にその両手と口はもう使い物にならないようにされたと聞き及ぶ。
腕の筋を切ったか、また舌を切り取ったか――その辺りは世には知られていない。
さて、ではその男が手と口と引き換えに世に残した話とはどのようなものかと言うと。
どうやら親が子を寝かしつける時に聞かせる御伽噺となったらしい。
その際に必ず一度は聞かせる話の一つに『月白の夜鴉』というものがある。
ある二人の少年が、夜に月夜の下で遊ぶのを日課としていた。
二人は日が落ちてから出会い、赤い月と黄の月との二つに照らされて遊ぶのがとても好きだった。
必ず月が出る日に遊ぶため、雨や曇りの日や新月の日には外へは出なかった。
ところがある日のこと。
少年の内の一人が月のない雨の夜に、何故か外へ出てしまったらしい。
そうして夜が明けても家へは帰らなかったそうだ。
もう一人の少年はその事実を知らず、月の出た日に外へ出て、相手の少年を待った。
当然相手の少年は来ず、一人淋しく遊ぶ少年の姿が目撃された。
明くる日も明くる日も、月夜の晩には必ず少年は外へ出て、もう一人の少年を待った。
当然相手の少年は来ず、一人淋しく遊ぶ少年の姿が何度も何度も目撃された。
ある日、また少年が月夜の中一人で遊んでいると。
雪のように白い髪をした女性が、ふとその少年の傍へ寄り添った。
なんだい、と少年は問う。
淋しくないのか、と女性は問う。
淋しいよ、だって今まで遊んでいた友達が来ないんだ。
そういった少年に、女性は笑って答える。
その友達なら私の家に居る、遊びに来るか? と。
少年は喜んだ。
そして同時に悲しんだ。
友達だった少年は、自分よりもこの女性を選んだんだ、と。
ならば僕はここで待ち続ける。
友達が、僕と遊ぼうと思ってくれるまでここで待ち続ける。
そう答えると、女性は笑った。
残念。
君も少年と同じく私を選んでくれたなら、楽にしてあげようと思ったのに。
そう女性が言った時、月が消えた。
辺りが一面暗くなり、少年は驚いてその場を離れた。
暗い暗い夜道を、赤い月だけがぼんやりと照らす。
そんな中、少年は見た。
ひらひらと一枚だけ頭上に落ちてきた白い羽と、そして空を飛び立つ一匹の大鴉。
大鴉は闇夜を何度か旋回すると、ゆっくりと飛び立って消えた。
小さい頃に聞いた限りなので、流れがあっているかは解らないが……確かこのような話だったかと記憶している。
何の教訓になるのか、と当時は不思議だったものだ。
どうやら大人は『約束は守ること』『友達は大切にしなさい』と伝えたいらしい。
――この話でそれを理解しろというのは難しいだろうに。
話を書き綴った吟遊詩人が、この残された少年に該当するらしい。
という事は、その時暗殺された対象がこの消えた少年なのだろうか。
(ヒュッケバインの色香に負けた男と、乗らなかった男の話か)
彼女がモデルだと聞いてから、この話を耳にする度少し憂鬱になる。
本人はその話を聞くたびに、吟遊詩人の驚いた表情を思い出して笑みがこぼれてしまうらしい。
良い性格しているもんだ、本当に。
やれやれと溜息をついて、立ち上がる。
情けない表情をした青年が此方を見るが、ひらひらと手を振って応える。
「じゃあ、あいつが戻ってくる前に俺は帰るから」
「もうちょっと居てくれよジーク……」
「いや、帰るから。
色々と搾り取られないように気をつけろ、な」
恨みがましい目を向けられるが、男にそんな目されても困るだけだ。
出来るだけ足音を立てないようにして、ジークルトは鍛冶屋を後にした。




