優秀だけれど女心が解らない人
説明しても上手く理解されるかどうか。
しかしこの男はもしかしたら、と思わせてくれるような雰囲気を感じた。
そもそもがどうやら他者からの信頼や信用を得やすい特質、また体内源素を所有している様だ。
穏やかな海の水のような青の源素、若しくは静謐な森の風のような緑の源素。
しかし何か武術を極めているのだろうか、体内源素を確認しようとしても眼を凝らしたところで薄ぼんやりとしか視えない。
術式師であるならば先ずは、源素を視る為に『眼』の修得を行う。
しかし最近では源素を視る為に特殊な紋章術式を刻んだ硝子で作られた眼鏡も有る為、必ずしも必須の項目では無くなってきてはいた。
勿論『視る』為だけではなく『視ない』為の紋章術式も存在している。
因みに先天的に、『眼』を持って生まれてくる者もいる。
術式を学ぶのなら眼は必要だが、それ以外の生き方をする場合には不要の場合もあるのだ。
その場合は眼を閉じるための術式を学ぶか、または『視ない』為の術式具を使用するしかない。
術式師に教えを乞うのもその為の術式具を手に入れるのも、どちらも一般市民からは難易度が高い。
源素とは赤、青、黄、緑、白、黒の六色。
術式に使われるのはこの六色のみである。
しかし昨今、時たま六色以外の色を身に纏う存在が現れるようになった。
その場合、どうしても体内源素がその色に紛れ、見えにくくなるのだ。
新しい七色目を纏う者は大抵、何かの武術への関わりが有るものが多かった。
その為、もしやその七色目は闘志やそれに準ずる物ではないか、と言うのが最近強く押されている見解である。
それはともかく。
「ユノはずっと変わらない」
何時から、お姉ちゃんではなくユノと名前を呼ぶようになったのだろうか。
そして何時から人前では人形と呼ぶ事にしたのだっただろうか。
もう思い出せない。
「見た目は幼いわ。
けれど実際には、私よりも長く生きているの」
男が眉を顰めるのが見えた。
……何度か誰かに胸中を漏らした時、鼻で笑われた事よりは全然気にならない対応だ。
「一体、どういう事なんだ」
思案する様に腕を組んで考え込む姿勢を見せた。
そんな相手を見て、思わず口元に笑みが浮かぶ。
疑わない。
この男は此方の言う事を疑わずに受け入れて、それから考えて疑問を口に上らせる。
少し嬉しく思い、心に温かい物が流れて伝わる感覚を感じた。
「言ったでしょう?
私が七つの時、ユノは今と同じだったの」
「今のあの姿形のまま?」
「そうよ、出会った時からずっとあのまま。
私は成長して大きくなっても、ユノはあの姿形のまま。
見上げていたお姉ちゃんが並んで、そして私の方が大きくなった」
身長が追い付いて、追い越した時にはしゃいだ。
ユノは、そんなフィアナにちょっと淋しい様なそれでいて喜んでいる様な、そんな笑顔を向けてくれた。
その時は理由が解らなかったけれど、少しして理由を知った……知ってしまった。
知らなければ良かったのにと何度思ったか解らない。
けれど知ってしまったし、一度知ってしまうともう知らなかった事には出来ない。
何故、曾祖父はユノを紹介したのだろうか。
理由は解らないし、解ろうとも最早思わない。
結果としてユノは曾祖父であるユンゲニールを追い求め、そんなユノをフィアナは追い掛けている。
最強の術式師、ユンゲニール・レーラズ・ドラシィル。
彼が最強だと言われている最大の理由が、ユノという術式具であると言う事実を知るのは、ドラシィル家の人間だけだ。
ユンゲニールは本来ならば、術式すら扱う事が出来なかったと聞いている。
実際はどうだったのかは解らない。
何故なら曾祖父と親しい付き合いをしていた人間は非常に少ない。
フィアナが術式を視て感じて、使用する事が出来る様になった時には既に、ユノは曾祖父に寄り添うような形で存在していた。
曾祖父の家にたまに立ち寄る術式師達は、挙って彼を誉め讃えた。
長年の悲願を達成したらしき曾祖父を褒める人間は存在して居ても、彼の苦行の時期を教えてくれる人間はいなかった。
その期間を知っているのは、既にこの世にはユノだけではないかと言われている程に。
ユンゲニールは最強の術式師であるから価値があるのだと。
曾祖父自体も、またユンゲニールを訪ねる術式師もその様に考えている節が有る様に思える。
そんな人々をやはり少しだけ淋しそうに眺めているユノがとても印象的で、そして――
「おい、フィアナ?」
はっと意識を戻す。
心配気にしている鳶色の瞳が、下から此方の顔を覗き込んでいた。
その横には葡萄酒の酒瓶を胸元に抱えた娘が、小さく小首を傾げて様子を伺っている。
「あぁ、ごめんなさい。
そう、そうね……私はユノを追い越した。
それから、私の曾祖父との歪な関係が見えてきたの」
軽く手で合図を送ると、娘は硝子のグラスを机に置いた。
その中に手元の酒瓶から葡萄酒を注ぐと、手近の樽の中に酒瓶を入れてから小さく一礼して立ち去る。
「歪?」
何事にも疑問を持つ事は良い事よね。
……何でもかんでも問われると、少しだけ面倒に思う事もあるけれど。
「あの子の容姿って、曾祖父が溺愛していたと言われる曾祖母にそっくりなのよね」
深い赤の葡萄酒が入ったグラスを手にとって、少し揺らしながら答える。
振動によって水面に波が出来、芳醇な香りが鼻腔に届く。
そっと口を付けて喉を潤してから、机におかれたもう一つのグラスを男に勧める。
難しそうな表情をしていた彼は、僅かな戸惑いの後勧められたグラスを手に取った。
しかし口を付けようとはせずに此方の言葉の続きを待っている様だ。
「敢えて曾祖母そっくりな少女を見つけたのか、偶然にそっくりだったのか」
一向に成長しないユノを不思議に思って、一度だけ曾祖父に尋ねた事がある。
彼はいつも浮かべている小難しい面相を崩して、一枚の絵を見せてくれた。
曾祖父と曾祖母が並んで椅子に腰掛けている姿を、画家が描いた物だった。
不機嫌にも見える若い頃の曾祖父と。
その横で穏やかに微笑んでいる白金の髪を持つ、少し幼い顔立ちの曾祖母。
年齢はユノよりも少し上に見えるかどうか、という位だ。
フィアナが生まれる前に既に曾祖母は鬼籍に入っていた。
元々身体が弱く長く生きられなかったのだと、聞いた。
その後にユンゲニールは、術式について没頭したという話をちらと聞いた事が有る。
「けれどこれだけは確実なのだけど」
幼いフィアナは成長した。
子供だけの好き嫌いの感情の他に、初恋をして恋を知り失恋も成就も経験した。
そして有る時に気付いた。
曾祖父のユノに向ける鍾愛と、ユノから曾祖父に向ける思慕。
「あの子の中に曾祖母の面影を見ていたのは、確かだわ」
その後ろに見えるかつての想い人に熱い視線を向けて居たのだろうけれど。
真っすぐな視線を真正面から受け止めてしまった彼女は、それをそれとして受け止めてしまったのだろう。
ここまで黙って話を聞いていた男――ジークルトが、此方を見て少し驚いた様に目を見開いた。
「ユノは曾祖母ではないし、おじい様は優秀だけれど女心が解らない人なのよね」
遣る瀬無い気持ちを隠そうともせずに、フィアナは大きく溜息を吐いた。