1.
そこは、“白”のただ中だった。
いや、どこなんだよそれは、と思われてしまうような言い方だが、他に言いようもない。何せ、そもそも何故自分がこんな所に居るのか、それすら分からないのだから。
つまるところ。そんな場所で、俺は目を覚ました。
仰向けの状態から上体を起こし、軽く周囲を見回してみる。
どう、表現すればよいのだろう。周りのどこを見回しても。上を見ても下を見ても、その奥行きすら全く分からない、白い空間。仮に鼻先数cmが壁であろうが、実は数m先がそうであろうがそれが分からず。仮に自分が宙に浮いていたとしても、それすら知覚できない。
文字通り今、俺は“白”のただ中にいる。強いて言えば、重力があるから上下が分かる当程度の空間で、今自分がいるのは、そんないつ気が狂ってもおかしくない場所だった。
そんな、気狂いの前兆と不安を、鼻先で感じ始めた時だった。
「オーメデトウゴザイマース! アナタはカミサマに選ばれましたァ! ばぁーん!」
視界に、突如にゅっと少女が入り込んできた。
「うわぁ!?」
跳ね上がる心臓。飛び起きる俺。ホラーゲームでは、しばしばビックリ演出の際に弾けるような音が鳴る。今の状況に、効果音を付けるならそのレベルだろう。それくらい驚いた。
「……!? ……?? ……!?!?」
バクバクと心臓を大合唱させながら、俺はそいつを見る。
メイドだ。――いや、どちらかというとなんちゃってメイドの類いだが、とにかく目の前に現れたそいつはメイド姿の少女だった。
グレイッシュブルーの瞳。染めたり、あるいはウィッグなどでは到底あり得ない美しい銀髪。ウェーブがかったそれをツーサイドアップにし、白磁のような顔はビスクドールもかくやという程均整が取れていて、頬はリンゴのように鮮やかな赤みが差していて。
その容姿はまるで、絵画から飛び出してきた妖精のよう。100人が見れば100人が、その整った顔立ちに呆れと感動を覚えるような。いっそ、人間離れしているような、そんな、印象さえ覚える。そんな十代後半の少女だった。
しかしその人間離れした美しさを、彼女自身の衣装が妙に人間的に近づけていた。メイド服はどこぞの喫茶なのかとも思えるようなミニスカート。やや露出が多く、エピキュリアン的。もみあげから覗く形の良い耳には黒くトゲトゲしたピアスががっつりと主張しており、実在性と非実在性を一緒くたにした、バランスの取れたアンバランスという矛盾を成立させた風体を形作っている。
「一体どんな夢なんだ、これは……」
アニメか漫画の夢でも、俺は見ているのかもしれない。だって、ありそうじゃないか。こういう、所謂“無の空間”みたいなやつ。
「夢じゃありませんよ♪」
突如、少女に頬をつねられる。かなり、にこやかに。
「いでででででで!?」
痛み。夢の中では発生しないと言われる、痛み。実際それが本当なのかは知らないが、とにかくそれは痛かった。
「なにする!?」
俺は――恨みの籠もった目で、実行犯を睨み付ける。
「痛いでしょう? つまり、これは夢ではありません! 驚き桃の木、超☆現☆実です!」
「夢じゃなかったらここは何なんだよ……! つかあんたは誰だ!?」
「ワタシですか? んー、そうですねぇ」
不思議な少女が、口元に人差し指を添え、首を傾げる。とても愛らしく、外見相応。あるいは、それよりも幼げな。しかし、どこか苛立つような。言ってしまえば、“かわいい娘ぶっている”とでもいうような、そんな仕草だった。
今の状況に対する苛立ちもある。俺が理性ある人間であった事を、彼女は感謝すべきだっただろう。我慢弱い者であれば、一発ふざけんなと平手打ちをかましているところだった。
だが、そんな腹立たしい気持ちは――彼女の童女のような口元が、一転して妖艶な魔女のような、深淵より覗く不吉のような笑みに変わるとともに霧散した。
““アクマ”、とでも名乗りましょうか?“
俺は思わず、ぞくりと背筋を凍らせた。
「あ、悪魔……?」
言ってしまえば、ただ不安を煽るような笑みを浮かべただけ。にもかかわらず、一瞬にして纏っている雰囲気が、凍り付いてしまったかのような、そんな気配。
まるで、蛇に睨まれた蛙にでもなってしまったかのような。本能が、危険だと警鐘を鳴らす。感覚がこの女を、人の理解を超えた別の何かだと知らせてくる。
「そ、その悪魔が、俺に何の用なんだよ……?」
俺は、緊張で増した心拍数を抑えるような心持ちと共に問いかける。そんな事をしても今の自分が、恐怖に身を竦めているのはバレているかもしれないが。それでも努めて冷静に、相手の目的を問う。
――すると。途端に少女の、いや、アクマの纏う雰囲気が緩んだ。
「ぶぶー、違いまーす」
「あ、あァ……?」
「“悪魔”じゃありませーん。“アクマ”でーす」
直前まで感じていた、恐怖を体現したかのような心理的揺らめきが、まるでハリボテだったかのように。アクマは指で“×”を作って口を尖らせた。
「(なんなんだこいつ……)」
高乱下を繰り返した末に、結果バランスが取れでもしたのだろうか。俺は、少しずつ冷静になる。そうして再度、今度は落ち着いて状況を確認する。
「ここは……どこなんだ?」
すると、アクマと名乗る少女はサムズアップした。
「ここはカミサマルームです!」
「カミサマ? ルーム??」
間抜けな響きの、おまけ付き。
「ワタシがさっき付けました! まっことよい名前でしょう?」
「え、いや……何だ、その……」
「……そのお顔、お気に召していませんね? うえーん、しくしくしく」
「そういう事じゃなくてだな……」
こう、なんだろう。話をまともに取り合ったらいけない系の、そんなニオイがする。どんな話も、どこか煙に巻かれてしまいそうな。そんな不真面目さは、“悪魔”を思わせた。
――そんな風に思っていたら。アクマの纏う雰囲気が、また変化した。
「最初に言ったではありませんか」
「――っ、何をだよ」
どきりとした心臓に、その言葉が共振を打つ。
“アナタは、“カミサマ”に選ばれました、と“
変化した気配。今度のそれは、名乗った時のような怖気を感じさせるものではなく。ましてや、直前の間の抜けたものでも決してない。
何と言えばいいのだろう。神様――カミサマ? 的とでも言えばいいのだろうか。厳かで、巨大な樹海の木漏れ日を仰いでいるかのような。どこか神聖さを思わせる雰囲気を、アクマの声が。表情が。仕草が、俺に感じさせる。
「カミサマ、って……」
俺は若干の戸惑いを覚えながらも、そう問いかける。――すると彼女は、すぐにまた、おどけた調子に戻った。
「カミサマはカミサマですよぉ~。数々の世界の調和を取りなし、その安寧に務めるアレです。なんとビックリ、アナタは世界でイチバンエラいヒトに選ばれたというわけですぅ! ぱちぱちぱちぱち~!」
正直、あまりこいつの言っていることが飲み込めない。――飲み込めないままに、まるで変わらない内容を確認するように、言葉を絞り出す。
「俺に、神様をやれ……?」
「神様じゃないですよぅ。カミサマです」
ナニがどう違うというのだ。今彼女が言ったそれは、どこかファンタジー作品における、世界の創世神的な、そういったもののように聞こえるが、何か違うのだろうか。
「ワタシもいきなりこんな事をお願いして申し訳なく思ってるんですヨ? で・す・が、どおぉぉぉおしてもアナタに、カミサマをやって頂きたくって」
「俺は――そんなもの別にやりたくもないんだが……」
「おや、ご興味はございませんか? カミサマ?」
「俺は……それより帰りたい」
なんとなくだが、この白い場所――カミサマルームと言ったか。この場所は落ち着かない。先ほどからくるくると転調する、この場の空気。何故だかそれは、この少女から来るものだけではないようにも思えてならず、強いて言うなら気分が悪いのだ。
――ところが、アクマはそんな俺の望みをすっぱりと切り捨てた。
“帰れませんよ”
再び、神妙な空気に戻りながら。
「――何?」
「だって、選ばれちゃったんですから」
その言葉はまるで、“絶対”の意思を持っているかのようだった。
黒と言えば黒。白と言えば白。他の何に感じようとも、その宣言こそが、この世の真理であり、唯一の絶対である。と、言うかのような。
決して逆らえぬ道理を、言い渡されたような気がした。




