ありきたりな事故
午前2時 研究室で一人、画面と向き合う男がいた。
「…やっと終わった。明日の中間発表に何とか間に合いそうだ。」
工学部大学院生、葛西鳴海はモニターに映るシミュレーション結果を見て大きく息をついた。
彼が研究しているのは、自立水上ロボットから係留索を射出する、索発射銃についてである。洪水時のレスキュー作業で、人が立ち入ることのできない区域での人命救助を名目に論文を書いている。社会に出たくなく、惰性で大学院に進学した彼だが、一応優秀であったため、国から支援金を貰いながら研究をする大学院生だ。
今日はその索発射銃の弾道計算のシミュレーションを深夜まで続けていた。しかし、なかなか終わらない地獄のプログラミング作業。納得のつく結果を追い求めていたところ、気がつくと研究室には誰もいなくなっていた。
「さて、そろそろ帰るか」
パソコン画面を切ろうとしたところ、誤ってコードを消してしまった。
「…嘘…だろ…」
たった一瞬のミスで、数百行に及ぶコード、数週間に渡る努力が水の泡と化してしまった。彼は言葉にならない悲鳴を上げながら、おぼつかない手でカードキーをかざし、研究室をあとにした。
深夜2時を過ぎ、終電なんてものはとっくなくなっている。大学から自宅まで5キロの道のり。普段は歩いて帰ろうと思えば帰れる距離だが、今日の彼にとってはとてつもなく長い距離に感じる。重い頭と足を何とか動かしながら帰路に就く。
川沿いを歩いていると、ふとコンビニの看板が目に入った。彼を救ってくれるのは、もはや酒とタバコのみ。彼はコンビニに入り、アルコール度数9%のロング缶と20ミリのタバコを購入し、その場でやけ酒をした。夕食もたべず、水もほとんど飲んでいない彼に、この酒は強過ぎた。3本ほどタバコを吸い、軽いヤニクラの状態で酒を駆け込む。ニコチンの影響もあってか、酔いがすぐに回る。彼がコンビニを発つ頃には、とっくに千鳥足になっていた。
自宅まであと1キロ地点を過ぎたところに赤信号の横断歩道。深夜にほとんど車など走っていない道。酒とタバコで判断力が鈍った彼は、信号が青に変わる前に横断歩道を横切った。その瞬間、左から強い光。それに気づいて左を見たときにはもう遅かった。
ドンッ――ガリガリッ。
視界が白く弾けた。
痛みを感じたのは、一瞬だけだった。
走馬灯なんてものはない。ただ、積み上げてきた研究も、将来も、後悔も、そのすべてが途切れた。
彼の人生は、そこで終わった。
……終わったはずだった。




