◆第八章 最後の星
捜査本部の空気は、徹夜明け特有の重さに包まれていた。
充満したコーヒーの匂いと、キーボードを叩く乾いた音だけが、室内の時間を支配している。
ひかりのデスクのモニターには、複数のウィンドウが開かれ、航空写真、過去のストリートビュー、SNSの断片的な投稿が、無秩序なモザイクのように入り乱れていた。
「……これで、これまでの『点』は全て」
ひかりがマウスをカチリと鳴らすたび、壁の巨大な電子地図上に、赤いピンが一つ、また一つと現れる。
武田はその肩越しに画面を覗き込み、眉をひそめた。
「お前、一体何をやってるんだ?」
「犯人が投稿した写真の場所を、全部、正確に特定し直してるんです。これまでの犯行現場、私が出した座標は全部当たってましたよね」
「まぁ……な。それは認める」
ひかりは画像を切り替え、新たな写真を拡大する。
ビルの壁面、窓枠の形状、街灯の高さ。
「ほら、ここ。街灯のポール、先端が丸い。新宿区の一部だけで使われてる型です。しかも、この舗装の継ぎ目のパターンは、このブロックにしかない」
武田は苦笑するしかなかった。
「よくそんなものを覚えているな」
「覚えてるんじゃなくて、目に入ったら、勝手に情報が結びついちゃうんです」
さらにひかりは、別のモニターに切り替えた。
「全ての犯行現場の位置を繋げると、ある形になる。でも……あと一つ、点が足りない」
武田が顔をしかめる。
「形って、なんだ?」
「まだ言えません。でも、最後の一手を当てたら——5kです」
「5k? ……なんだそれは。五人殺すって意味か?」
ひかりは一瞬、呆れたように息を吐いた。
「違います。ジオゲッサー用語。1ラウンド5000点満点を取ること。写真だけを見て、世界中のどこでもピンポイントで正解する……『完全勝利』って意味です」
「完全勝利……」武田は呟いた。「つまり、あいつはゲーム感覚で場所を選んでるってことか」
「ええ。でも普通のゲームと違うのは、これが“現実”で、駒が“人間の命”だってこと」
ひかりはマウスを細かく動かし、これまでプロットした点と、東京の地図データを重ね合わせる。彼女の脳内で、無数の可能性が計算され、消去されていく。
「……見つけました。この図形を完成させるための一手。座標は、ここしかあり得ない。靖国通り沿いの、廃ホテル」
武田の顔が、鋼のように引き締まった。
「全部隊を動かす。突入班は、7階を目標にしろ」
その頃、廃ホテルの非常階段では——
神野が、金属パイプを切断し、針金で固定して即席のスリングショットを組み上げていた。
その手つきに迷いはなく、PMC時代に路地裏で敵を迎え撃った時の動きを、彼はただ、忠実に再現している。
薄明の空が、埃っぽい窓から差し込み、静まり返った階段室を照らした。
「最後の『星』……これで、作戦は完了する」
彼は低く呟き、眼下の通りを見下ろした。
警察が来ることは、とうに計算に入っている。彼にとって、これもまた、戦場の一部なのだから。