02-1
照明がゆっくりと明るさを増し、さわやかに朝を告げる音楽が聞こえてくる。
約一か月ぶりの朝だ。
ノゾミ・ランバードはゆっくりとベッドから起き上がる。まだ頭は寝ているが、すぐに回復するだろう。
『おはようございます、ランバード様。間もなく目的地であるメルクリオ第39番惑星、通称マニフィコに到着いたします。
今回はジェリー・アンド・フランク社のワイルド・ホース・ツアーをご利用いただきまして、誠にありがとうございます』
「はいはい、おはようございますっと」
人工音声のアナウンスを聞き流し、窓の外を眺める。ぼんやりと浮かぶ青い星があった。
地球よりも一回り小さい星だという話は聞いていた。ノゾミには判断がつかないが、どうでもいいことだ。酒と同じで、どうせ酔ってしまえば違いなんてわからないのだから。
熱いシャワーを浴びると、ようやく目が覚めてくる。
美しく長い銀髪は、ノゾミの自慢だ。ただ、こういう時はいただけない。背中を刺される不快な感覚を湯で流そうとすると、今度は柔らかな前髪がうざったく顔に絡みついてくる。
ぐうと腹の虫が鳴いた。軽くふらつくのは、シャワーの熱のせいだけではないだろう。
風呂上がりに軽い食事を取ると、ノゾミは旅の準備に入る。これで最後だと思うと、味気ないジャーキーすら名残惜しかった。
薄手の黒いインナーに、白いブラウスと茅色のベスト。簡単に髪をまとめると、ヘッドギアを付ける。インカムと小型モニタのついた鉢金だ。腕と脚にはパワードアーマー。見た目は古びた革製の具足。中身は、型落ち品の安物だ。ノットマンズ・アーマーと呼ばれている、冒険者用の基本武装だった。
肩落ち品と言っても悲観はしない。重要なのは各種マスタリーなどの内部ソフトと、本人の度胸なのだ。
ノゾミは鏡を舐めるように見た。その格好は派手過ぎも地味過ぎもせず、最低限の基準――現地の人ごみに溶け込めること――をクリアしている。
口元がにやけるのは隠さない。いつだったか、クリスが新しい工具箱を買ったとかで、ピカピカのプライヤ―をにんまりして眺めていたのが思い出される。
そうこうしているうちに、船は降下予定地点に近づいていく。腰に小ぶりの剣を装着すると、ようやく緊張がノゾミを包んでいく。
出発前に行った確認を繰り返す。センサの反応も、可動部分の動作も問題ない。大丈夫。声に出して自分を安心させる。
『5分後に降下予定地点上空に到着します。準備が済みましたら、左舷ステップでお待ちください』
最終通告だ。後戻りのきかない、最後の一歩。
アーマーの設定を、待機から巡航へと切り替える。ぶん、と低いうなりが聞こえ、軽い浮遊感が通り過ぎる。各パーツがほんのりと熱を帯びていく。
『ランバード様が降下後、本船はライの海へと向かいます。支援等は緊急時を含めて一切行いませんので、ご了承ください。
それでは、ランバード様のご武運をお祈りいたしております。オーバー』
そこまで言うと、船はノゾミを吐き出した。すぐに猛烈な風がノゾミの身体を吹き飛ばす。飛び去っていく船がちらりと目の端に映った。
「行ってきます」
小さくつぶやくと、ノゾミは歯を食いしばり地面に向き直る。
ぐんぐん地面が迫ってくる。脚部のパーツにはバーニアが一応ついてはいるが、あくまでもダッシュやジャンプの補助機能だ。降下自体はパラシュートを使用する。
つまり、一度降りてしまえばもう飛べない。上空から地形を把握するタイミングは、今しかないのだ。
周囲を見渡す。幸い、さほど複雑な地形ではない。
眼下にはまばらな草原が広がり、真ん中を川が軽く蛇行しながら流れている。上流は赤い岩山の方へ、下流には街が。
地図通りだ。予定通り川に沿って下り、街へ向かうとしようか。
衝撃をバーニアで殺し、地面に降り立つ。すぐにパラシュートをパージすると、それは白煙を上げ始める。現地に痕跡を残さないために。
体がやけに軽く感じる。聞いていた通り地球よりも重力は小さいようだ。周囲を見回してみるが、地球の風景と大きく変わった様子はなかった。
軽くその場で跳んでみる。力強い駆動とともに、思わず焦るほどの高さへ浮き上がる。
「おおっと、思った以上に体が軽いわね。早めに慣れないと」
街へと向かう。最初はゆっくりと、徐々にスピードを上げていく。
踏み出す足が一歩ごとに力を増し、歩幅はだんだんと広くなる。脚部のバーニアがその華奢な体を押し上げ、半ば飛ぶような速度を生み出していく。
いい気分で跳ね回るノゾミの耳に、突然警告のアラームが鳴り響く。遠くには既に街が、うっすらと灰色の建物が見え始めていた。
モニターに映る緑色の矢印の先を確認する。北西。二台の馬車が砂煙を起こし、走っている。
走りながらカチカチとモニタを操作し、拡大。
馬車? いや違う、あれは、
「もしかして、襲われてるの?」
二台ではなく、一台と一匹。馬車のすぐ後ろを、巨大な牛のようなンスターが追いかけているのだ。
たてがみを持つ牛のような漆黒の巨体。モニタにはダークバッファローとの表示。頭の角がまるでチョココロネのようにくねっている。
わずかに馬車の速度のほうが早いようだが、単に遊ばれているだけのようにも見える。
本来は、小型のモンスターを相手に慣らしてから相手をすべきなのだろう。でも仕方ないじゃないか、緊急事態なんだもの。
「着いてすぐに実戦なんて、なかなかツイてるじゃない」
本音を隠す気はない。不幸な御者に感謝する。笑みがこぼれるのがわかる。
進行方向を変えると、アーマーのギアを巡航から戦闘モードへと切り替える。
カートリッジを取り出し、ガントレットにセット。あと少し接近するのを待つ。タイミングを計る。ロック、発砲。
炸裂する閃光と、ギャウンっと醜い鳴き声が一つ。巨体はよろめくと、突き進む勢いはそのままに、進路だけが大きくぶれた。
ノゾミは腰の剣を抜くと、半ば体当たりをするように、首元に刃を突き立てた。
ずぶりと肉に埋まる剣をひねり、切り上げる。柄を腕ごと持って行かれそうな感覚に襲われる。
さすがにこの太い首を両断とはいかないが、転倒でもしてくれれば御の字だ。
モンスターは突然の衝撃に混乱し、首を振り回して異物を振りほどこうとする。ノゾミは逆らわずに素直に飛び退くと、そのまま馬車とモンスターの間に入り、仁王立ちで剣を構えた。
モンスターは身を震わせてしばらくノゾミを睨んでいたが、結局、ふらつきながらも平原へと消えていった。首からは黒っぽい血がダラダラと流れ出していた。
ノゾミは少しだけほっとした。結果だけ見れば、初戦の出来としては上等だろう。
しかし立ち止まって冷静にモンスターに向かい合うと、馬車よりさらに一回り大きな体躯を前に、自分が構えている剣がやけに細く見えて心細かったのだ。
敵が十分に離れたのを確認すると、馬車の様子を確認する。
少し離れたところで、中年男性が馬を落ち着かせていた。甲高いいななきが聞こえた。閃光弾で驚かせてしまったかと心配する。
「大丈夫でしたか? 襲われていたようだったので、勝手に割り込ませてもらいましたけど」
ノゾミは控えめに声をかけた。
「なんとか無事だよ。助かった、本当にありがとう。
しかしお嬢さん、若いのにすごい腕だね。冒険者の知り合いは何人もいるけど、こんな鮮やかな手並みのやつはなかなかいないよ」
「いえ、そんな。たいしたことありませんよ」
平静を装い謙遜するノゾミだったが、口元がゆるむのだけはどうしても我慢ができなかった。
冒険者。その単語だけで鼓動は早まる。知り合いがいるということは、おそらくこの先の街には冒険者が集まる場所――ギルドもあるはずだ。
「あのー、おじさま。私、冒険者志望で田舎から出てきたばかりなんですけど、ツテもなにもないんです。良かったら、ギルドや街について案内してもらえませんか?」
ノゾミは出来る限り純朴そうに言った。