第三話 カイル、古書館に行く
村の周囲で起き始めた異変を調べるため、少年カイルは故郷を旅立つ。
長老が「終末の兆し」と呼んだその現象を追う途中、彼は村の近くに露出した古代遺跡で、遺跡に異様な情熱を注ぐ旅人の少女ローラと出会う。
不用意に遺跡を刺激して危機に陥ったカイルを救った彼女は、どう見ても変わり者。けれど遺跡の知識だけは本物だった。
終末を調べる旅のはずが、なぜか遺跡オタクの少女と遺跡巡りが始まる。
この作品は生成AIを利用しています。
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扉を押すと、乾いた音を立てて開いた。
古書館の中はひんやりしていた。石造りの建物らしく、外の空気より一段低い温度がある。窓は高い位置に細く取られていて、昼の光は棚の上の方だけを白く照らしていた。壁際にも中央にも書架が並び、革表紙や布張りの本が隙間なく収まっている。紙と埃と、少しだけインクの匂いがした。
カイルは思わず足を止めた。
「うわ……」
「田舎者っぽい反応」
横でローラがぼそりと言う。
「いや、こんなに本があるとは思わないだろ」
「これくらいの街なら普通よ」
声を潜めたローラが、棚のあちこちに目を向けていた。遺跡以外にはそこまで興味がないのかと思っていたが、古いものなら何でも少し気になるのかもしれない。
奥の机で、誰かが顔を上げた。
四十代くらいの男だった。背は高くないが痩せていて、鼻筋の通った、少し神経質そうな顔をしている。服は質素だが、皺もなく手入れが行き届いている。
「何かお探しですか?」
声音は丁寧だったが、それ以上の感情は伝わってこない。雑談を始める気はなさそうだ。
カイルは一歩進み、懐から封書を出した。
「エルサ村の長老バルドから、ローデリクさんに渡せって」
男の眉がわずかに動いた。
「私です」
「じゃあこれを」
差し出すと、ローデリクは封を見て、すぐに手を伸ばした。蝋印を確かめる指先が少しだけ早い。受け取ったその場で封を切り、中の紙を開く。読み進めるにつれて、目の奥の色が静かに変わっていった。
やがて紙を机に置き、ローデリクは改めて二人を見た。
「エルサ村で異変が起きている、と」
「起きてます」
カイルが頷くと、ローデリクは椅子から立ち上がった。
「どうぞ奥へ。立ち話で済むことではないかも知れません」
案内されたのは、奥の小さな閲覧席だった。机と椅子が四脚ずつあるだけの部屋だが、扉一枚隔てただけで外の棚よりさらに静かになる。ローラは壁際の棚をちらりと見てから座り、カイルも隣に腰を下ろした。
ローデリクは紹介状を机に置き、その内容を確かめるように指で端を押さえた。
「まず、何が起きているのか、順に聞かせてください」
カイルは村でのことを最初から話した。獣が村へ寄らなくなったこと。川の流れがおかしくなったこと。夜ごと丘が唸るような音を立てたこと。何もない場所で金属を叩いたような反響が返ること。そうして丘が崩れ、石壁と通路が現れたこと。
途中でローラが補った。
「丘の下には遺跡があった。攻撃性あり。自動迎撃の残骸付き」
ローデリクはそちらを見た。
「あなたは?」
「ローラ。旅人」
「遺跡に詳しい?」
「少しは」
「……そうですか」
少し、の言い方に対して何か思うところはありそうだったが、そこは流したらしい。ローデリクは机の引き出しから紙束を取り出し、数枚を広げた。
「エルサ村だけ、というわけではありません」
そこには地図と、書き込みの入った記録があった。カイルには細かい字までは読み切れないが、いくつかの地名と日付らしきものが並んでいるのは分かる。
「各地の古い記録や伝承には、似たような話が残っています。獣の行動異常、水の流れの異常、地鳴り、反響音、遺構の露出。細部は違いますが、何かがおかしくなり始めた、という記述がいくつもある」
ローデリクは別の紙を重ねた。
「そして、その後に大規模な破壊が起きた、という痕跡もある」
「大規模な破壊って?」
カイルが聞くと、ローデリクは少し言葉を選んだ。
「都市規模の焼失。地形の変化。何もかもが瓦礫と化した場所で、記録そのものが不自然に断絶している例もあります」
それだけ聞くと、ぞくりとするものがある。だがローデリクの口調はむやみに煽らない。
「異変が起きた。その後に、都市そのものが消し飛ぶほどの大破壊が起きた。記録や遺構から見て、これは事実と考えられます。そして」
そこで一旦、ローデリクが言葉を切る。ひんやりとしたはずの部屋の空気が、少しだけ温度を上げた気がする。
カイルはごくりと唾を飲み下した。
「大破壊によって、これまでの文明は終末を迎えた。これが現代の通説となっています」
「通説?」
ローラの目が、じっとローデリクの顔に向けられる。
ローデリクは紙の上を指先で二度叩いた。
「何分、記録すらほとんど残っていない遥か昔のことです。断定できるだけの証拠は、今のところ何も見つかっていません」
淡々とした言い方だった。けれどそこだけは線を引くように、はっきりしている。
カイルは腕を組んだ。
「じゃあ、長老の言う終末の兆しってのも、あくまでそうかもしれないって話か」
「そうです」
「でも放ってはおけない」
「ええ。放っておいてよい話ではありません。大破壊も終末も、実際に起きたことです」
ローデリクはそう言ってから、視線を少しだけ落とした。
「私が扱っているのは主に古い記録と地方の伝承です。異変の発生例や、その後に大破壊があったらしいことまでは追えますが、露出した遺跡そのものの詳細までは届かない」
そこで、ローラが机に少し身を乗り出した。
「遺跡の資料は?」
声の調子が、明らかに変わっていた。さっきまで静かに聞いていたのに、その一言だけ妙に早い。
ローデリクは彼女を見た。
「詳しいものは、ここにはほとんどありません」
「ないの?」
「ない、というより、揃っていない。大きな資料はベルノアの資料館に集まっています」
その瞬間、ローラの顔があからさまに渋くなった。
「ベルノア……」
「行ったことが?」
「ある。見せてくれなかった」
ローデリクは一度瞬きをした。
「門前払いですか」
「だいたいそんな感じ」
「それは、まあ……あり得ますね」
同情とも諦めともつかない声だった。
カイルは話についていけず、二人を見比べた。
「ベルノアって、そんなにすごいのか」
「この地方では一番大きな商業都市です」
ローデリクが答える。
「各地から品も人も集まる。資料も同じです。特に古代遺跡に関する記録や発掘報告の類は、かなりの量があるはずです」
ローラは顎に手を当てたまま、少しだけ黙った。嫌な場所の名前を聞いた顔のままなのに、目だけは完全にそちらへ向いている。行きたいのが丸わかりだった。
「見せてくれると思う?」
「そのまま行けば、また追い返される可能性はあります」
「むぅ」
「ですが」
ローデリクは立ち上がり、棚の方へ向かった。上段の引き出しを開け、便箋と封筒を取り出す。戻ってくる間に、ローラの視線がそれを追っていた。
「私から紹介状を書きます」
「本当?」
反応が早い。さっきまでの渋い顔が少し緩んだ。
「ええ。ベルノアの資料館に直接顔が利くわけではありませんが、記録の照会を頼む程度の繋がりならあります」
「そんなの最初から言ってよ」
「あなたが以前追い返されたという情報が、今出たので」
「……それはそうか」
ローラは咳払いみたいに小さく喉を鳴らした。
ローデリクは机に便箋を置き、羽根ペンを取った。さらさらと文字を書き始める。書く手は迷いがない。カイルはその間、並べられた紙の地図をもう一度見た。いくつもの場所で異変と破壊が起きたらしい。バルドが一人で眉をひそめていた理由が、少し分かる気がした。
「そのベルノアに行けば、何か分かるのか」
カイルが聞くと、ローデリクは書く手を止めずに答えた。
「少なくとも、露出した遺跡の詳細については、ここ以上に得られるでしょう。大破壊についても同様です。過去の発見例と照らし合わせる材料は増えます。エルサ村の事例を、単なる地方の異常として片づけずに済む」
「片づけるつもりだったのか?」
「つもりはありません。ただ、証拠の薄い話を、証拠の薄いまま広げても意味がない」
その言い方に、ローラが小さく頷いた。
「それはそう」
遺跡のことになると勢いづくが、話の筋を無視するわけではないらしい。カイルは少しだけ見直した。
紹介状はほどなく書き上がった。ローデリクは砂を振ってインクを乾かし、封をしてから二人の前に置いた。
「ベルノアの資料館宛です。閲覧の便宜を図ってほしい、という形にしました。絶対に通るとは言い切れませんが、何もなしで行くよりはましです」
「十分」
ローラが即答した。心なしか表情が柔らかい。鼻息が聞こえてきそうだ。
「なに?」
「いや、何でもない」
ローデリクはその様子を見て、ようやく少しだけ口元を緩めた。
「ただし、念のため言っておきます。あなた方が探しているのは、答えのはっきりした話ではありません。異変と大破壊の関係についても、学説の域を出ない。現地でさらに情報を得ても、すぐに真相へ辿り着けるとは思わない方がいい」
「分かってます」
カイルが答えると、ローデリクは視線をこちらへ向けた。
「本当に?」
「少なくとも、分かったふりはしない、分からないものは分からないまま持ち帰れって、長老にも言われてるんで」
それを聞いて、ローデリクは一度だけ目を細めた。
「……バルド老は変わりませんね」
「俺にとってはただの小煩い爺さんだけど」
「老人とはそういうものです」
ローラが吹き出した。
話が一通り終わると、急に腹が減ってきた。緊張が切れたせいだろう。カイルが腹をさすったのを見て、ローラが呆れた顔をした。
「さっきからそれ、気にしてたでしょ」
「気にするだろ。もう昼はとっくの昔に過ぎてる」
「そうですね」
ローデリクが立ち上がる。
「話は以上です。宿を取るなら、表通りの“石杯亭”が無難でしょう。食事も悪くありません」
「いい人だな、この人」
「聞こえてますよ」
「聞こえるように言ったからな」
ローデリクはため息をつきながらも、追い出すような気配は見せなかった。ローラは紹介状を受け取ると、少しだけ慎重な手つきで自分の荷へしまう。
「じゃあ、ベルノア行きで決まりね」
「決まりって、いつからそうなった」
「今」
「俺も行く前提?」
「だってエルサ村の話、まだ途中でしょ」
当たり前みたいに言われて、カイルは言葉に詰まった。
確かに、ここで一人だけ村へ帰るのも妙ではある。異変の話はまだ終わっていないし、ローデリクも次の資料を当たるならベルノアだと言った。何より、ここまで来て自分だけ外れるのも落ち着かない。
「……まあ、行くけど」
「よし」
ローラがグッと手を握り込む。
まあ、喜んでくれるならいいか。
「むやみに遺跡に突っ込まないでね」
「お前が言うか」
「私はほら、ただの村人と違って慣れてるから」
「へいへい」
軽く言い合いながら、立ち上がる。ローデリクは最後にもう一度、真面目な顔に戻った。
「道中、遺跡を見つけても、深入りは避けてください」
「えっ」
ローラが不服そうな顔をする。
「今、明らかに嫌そうな顔をしましたね」
「してない」
「しています。あなたが遺跡に興味を持つのは結構ですが、エルサ村の件は調査の途中です。無意味に危険を増やすのはやめてください」
「無意味じゃなければいい?」
「そういう問題ではありません」
今度はカイルが吹き出しそうになった。人に言ったことを、他人に言われてるのだから無理はない。ローラが少し口を尖らせる。
古書館を出ると、日が傾き始めていた。思った以上に長居していたらしい。石畳の上を行き交う人は日没に向けて慌ただしく動き出し、慣れるどころか、人波を前にしてカイルの足は止まったままだ。
「なにぼーっとしてるの?」
「いや、腹減ったなって」
「知ってる」
ローラは目を細めて、小さく肩を揺らした。
誤魔化すために選んだ言葉が、案外ローラの気持ちを代弁していたらしい。
「で、どうする。今日もう出るのか」
「無理でしょ。支度もあるし、宿も取るし、ベルノアまでの道も確認したい」
「だよな」
「でも明日の朝には出たい」
「早いな」
「資料館が閉まってたら嫌だもの」
「朝出て昼に着くような距離でもないだろ」
「気分の問題なの」
通りを歩きながら、ローラは懐の紹介状を一度確かめた。やっぱり嬉しいらしい。さっきまで追い返された街の話をしていたのに、今はもう次の遺跡資料のことしか見えていない顔をしている。
カイルはその横顔を見て、何となく笑った。
「何」
「いや、分かりやすいなって」
「何が」
「遺跡のことになると楽しそうだ」
「悪い?」
「別に」
むしろ、その分かりやすさは少し助かる。何を考えているのか読みづらい相手よりはずっといい。それに、ローラが楽しそうにしてると、こっちも楽しくなってくる。
二人は教えられた宿へ向かった。表通りは人も荷車も多く、何度か立ち止まっては流れを避ける。村なら一本道で済む話が、街だとそれだけで忙しい。
日が暮れる前に宿を取った。節約のために2人一部屋。突拍子もない提案に少し驚いたが、ベルノア行きは想定していなかっただけに節約は必要だった。どこかで路銀を稼ぐ必要もある。
遅い昼食を食べた後、ベルノアまでの道を聞いて回った。商人の行き来が多い街道を使えば、歩きでも数日。馬車に便乗できればもっと早いが、そこは運次第らしい。
夕暮れ時、宿の部屋に戻る頃には、明日の予定はほぼ決まっていた。
荷を置き、窓から街の屋根を見下ろす。茜色の光が石壁に当たり、煙突の煙がゆっくり流れていた。村の夕方とは匂いも音も違う。けれど、明日また歩き出すのだと思うと、不思議と落ち着いた。
ベッドに腰を下ろしていると、向かいの椅子に座ったローラが言った。
「ねえ」
「ん?」
「明日、ベルノア行く前に水と保存食、追加しておきたい」
「分かった」
「あと、街道で変な遺跡見つけても、勝手に近寄らないで」
「それ俺に言う?」
「言う」
「お前もな」
「私は確認する必要があれば近寄る」
「ほらもう」
ローラは少し笑ってから、椅子の背にもたれた。
「でも、ベルノアまで行けば、少しは見えてくるかも」
「異変のことが?」
「それも」
その言い方は、期待半分、確かめたい気持ち半分という感じだった。分かったつもりで言っているのではないのが分かる。
カイルは窓の外へ目を向けた。
エルサ村で起きたことは、まだ何一つ片づいていない。ローデリクは断定しなかった。異変があったこと、その後に大破壊があったこと、そして、文明が終末を迎えたこと。起きたこと自体は事実でも、実際に何が原因で何が起きたのかは以前として分からないままだ。
だからこそ、確かめに行くしかないのだろう。
「じゃあ行くか、ベルノア」
「うん」
ローラは短く頷いた。
夕暮れの光が、部屋の床を細長く染めていた。明日にはまたこの街を出る。そう決まると、リシュカでの時間も急に通過点らしく見えた。
カイルは剣を壁に立てかけ、明日の荷を頭の中で数え始めた。ローラは窓の外を見ながら、たぶんもうベルノアの資料館のことを考えている。
夜が来れば休み、朝になればまた歩く。
二人はそうして、次の街へ向かうことになった。




