第一話 カイル、生まれ育った村を出る
村の周囲で起き始めた異変を調べるため、少年カイルは故郷を旅立つ。
長老が「終末の兆し」と呼んだその現象を追う途中、彼は村の近くに露出した古代遺跡で、遺跡に異様な情熱を注ぐ旅人の少女ローラと出会う。
不用意に遺跡を刺激して危機に陥ったカイルを救った彼女は、どう見ても変わり者。けれど遺跡の知識だけは本物だった。
終末を調べる旅のはずが、なぜか遺跡オタクの少女と遺跡巡りが始まる。
この作品は生成AIを利用しています。
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冷え切った朝の空気が、日が昇るにつれて固くなった土が温まる。鋤を入れる度に湿った土が裏返って、草の根が細く千切れる。遠くで羊が鳴き、川の方から水汲み桶の触れ合う音がした。
カイルは額の汗を手の甲で拭って、背を伸ばした。低い丘の向こうに、まだ白く霞の残った空がある。村の朝はだいたい同じだ。誰かが畑に出て、誰かが柵を見回って、誰かが羊を追っている。森が近いから獣の気配には気を配るが、そうでなければ静かなものだった。
なのに、ここ数日は妙だった。
森の縁に吊った罠を見に行っても、獣がほとんど掛からない。見回りの途中で鹿の足跡を見つけても、途中でふっと消えたみたいに村の方を避けている。時おり地面が揺れて、遠くで大きな音が鳴る。川の水かさもおかしい。減ったと思った翌朝に、今度は岸辺の藻が上流側へ寝ていた。あれを見た時は、さすがに目をこすった。
鍬を肩に担いで畑の端まで歩くと、隣の畝で作業していたマルタ婆さんが顔を上げた。
「カイル。あんた、今夜も聞いたかい」
「何を?」
「丘の音だよ。ぐううって腹でも鳴るみたいなの」
「ああ」
聞いた。聞いたどころではない。夜半に寝返りを打ったところで、床板の下から響くような低い唸りがして、目が覚めた。雷とも風とも違う。遠くで鳴っているはずなのに、耳元に張り付くみたいな音だった。
「また崩れなきゃいいけどねえ」
「崩れたら崩れたで、薪拾いが楽になるかもよ」
「馬鹿言いな」
ぴしゃりと言われて、カイルは笑った。マルタ婆さんは眉間に皺を寄せたままだったが、追い払うように手を振る。
「長老んとこに行っといで。朝から探してたよ」
「俺を?」
「そうだよ。鍬なんか持ってくと叱られるよ」
「叱られるのはいつものことだろ?」
「それもそうだね」
ようやく婆さんが口元を緩めたので、カイルは肩をすくめた。鍬を畑の端に立てかけ、手についた土を払って村へ戻る。二十数軒の家が寄り集まっただけの小さな村だ。誰がどこで何をしているか、大体わかる。木柵の内側では子どもが走り回り、家の前では誰かが干した毛皮を叩いている。竈からは濛々と湯気が立ち、流れ出る匂いに空いた腹を抱える。いつもの景色だ。
長老バルドの家は、村の中でも少しだけ高い場所にある。家と言っても他と大差ない木造だが、前に立つと何となく背筋が伸びる。扉を叩く前に、中から声が飛んだ。
「いるのは分かっとる。入れ」
「まだ何も言ってない」
「足音が間抜けだ」
「その言い方はないだろ」
文句を言いながら扉を開ける。中は薄暗く、薬草と古木の匂いがした。壁際の棚には包んだ紙束やら乾燥肉やらが詰め込まれていて、窓辺には見慣れない石片がいくつか並んでいる。バルドはいつもの椅子に座り、杖を膝に立てていた。小柄なのに、座っているだけで部屋の中心みたいな顔をしている。
「呼んだって?」
「お前に頼みがある」
「なんだよ、頼みって?」
「座れ」
素直に座ると負けた気がしたので、カイルは立ったまま机の上を覗き込んだ。紙が二枚と、蝋で封じた封書が一つ。ほかに、見慣れない剣が横向きに置かれている。鞘は地味だが、手入れがいいのは一目でわかった。
それを見て、少しだけ嫌な予感がした。大体、こういう時は碌なことにならないと相場が決まってる。
「なんだよ、その剣」
「お前のだ」
「俺の?」
「今からな」
カイルは剣からバルドの顔へ視線を戻した。冗談を言う顔ではない。そもそもこの老人は、面白いと思って冗談を言うことがほとんどない。
「……森に大物でも出たのか?」
「村の外だ」
「外?」
「リシュカへ行け」
言われた意味が、すぐには繋がらなかった。リシュカは一番近い街だが、それでも徒歩で数日かかる。毛皮や羊毛をまとめて持っていく時は、村の大人が何人か連れ立っていく場所だ。カイル一人がふらりと行くような距離ではない。
「俺が?」
「お前がだ」
「何でまた」
バルドは返事の代わりに、机の上の紙を指先で叩いた。
「この土地の昔話は知っとるな」
「丘の向こうに王様の宝が埋まってるってやつか?子どもの頃、掘って怒られた」
「その馬鹿話じゃない」
「じゃあ、もっと古い方」
いくつか思い当たる。昔、空が赤く燃えたとか、森が一晩で枯れたとか、地面が割れて谷が出来たとか。年寄りの語る昔話は大体そんな調子だ。真面目に聞いていると途中で寝るが、何度も聞かされているうちに耳には残る。
バルドは低く息を吐いた。
「昔から、妙なことが立て続けに起きた後に、大きな破壊が来た、文明に終末が訪れた、という話が各地にある。お前も聞いただろう」
「まあな」
「今の村は、その妙なことが多すぎる」
言いながら、一本ずつ指を折る。
「獣が近づかん。川が枯れて溢れた。夜ごと丘が唸る。村外れの空地で、金属を叩いたような音が返る」
「それは……確かに」
「昨夜、丘が崩れた」
カイルは瞬きをした。
「崩れた?」
「見てこんかったのか」
「畑に出る時は暗くて見えなかったな」
「朝方だ。崩れた場所の下から、石壁と通路が出とる」
その一言で、嫌な予感の形が変わった。丘の土の下から石壁。村の近くにそんなものがあるとは聞いたことがない。石を積んだ古い祠くらいなら珍しくもないが、通路となると話が違う。
「遺跡……か?」
「おそらくな」
バルドは断定しなかった。そこが余計に嫌だった。知っていると言い切れないものを前に、この老人は慎重になる。
「だからリシュカへ行け。古書館に司書がおる。ローデリクという男だ。こいつを渡せ」
封書を差し出される。受け取ると、思ったより重かった。中に紙が何枚も入っているらしい。
「紹介状だ。お前が読んでも意味はない」
「読めるかどうかくらい試してみてもいいだろ」
「封を開けたら頭をはたく」
「はいはい」
胸元へしまいながら、カイルは机の剣を見た。やはり自分のために置かれているらしい。鞘口に触れるとほんのりと温かかい。
「で、これが俺の?」
「昔、お前の父親が使っていた物だ」
思わず手が止まる。父の話をされると、今でも少し居住まいが悪くなる。嫌ではないが、背中を押されるみたいで落ち着かない。
「そんな物があったなら、もっと早くくれよ」
「村の周りで振り回すには長すぎる」
「そりゃそうだけど」
カイルは苦笑した。普段使うのは、獣相手の短めの剣か鉈に近い刃物だ。森や藪ではその方が扱いやすい。だが旅となれば、話は別かもしれない。
バルドはじっとこちらを見ていた。
「行けるか」
「それ、行く前提で話してるよな?」
「そうだ」
「断ったら?」
「蹴り出す」
「クソ爺。最初から断らせる気ないだろ」
「分かっとるなら四の五の言うな」
カイルは頭を掻きながら、椅子の背にもたれている老人を見た。頑固な顔だ。こうと決めたら動かない。昔からそうだし、多分死ぬまでそうだ。
「でも俺一人で行って、何が分かるんだよ。遺跡のことなんて知らないぞ」
「だから聞きに行くんだろうが」
「まあ、そうだけど」
「賢いやつが山ほどおる場所で、頭の良し悪しを気にしても仕方あるまい。お前は見て、聞いて、持って帰ってこい」
「簡単に言うなあ」
「簡単だ。余計なことをせず、死なずに帰ってこい。それだけだ」
余計なことをせず、というのが一番難しそうだったが、そこは口にしないでおいた。代わりに窓の外へ目を向ける。昼の光が差し込み、村の屋根が見えた。その向こう、低い丘がある。土の色が少しだけ変わって見える気もした。
「本当に終末の兆しだと思ってるのか?」
視線を戻すと、バルドはむっつりと口を引き結んだまま、カイルをじろりと睨んだ。杖の先で床を軽く一つ叩く。
「わしは学者じゃない。だが、嫌な符合はある。昔から伝わっとる話と、今起きとることが似すぎてる」
「似てるからって、本当にそうとは限らないだろ」
「そうだ。だから確かめに行かせる」
その答えは、妙にまっすぐだった。
「わしは、分からんことを分からんまま放っておくのが一番嫌いだ」
それはカイルも知っている。柵の杭が一本傾いていただけで総出で直させるような老人だ。気持ち悪いものをそのままにしておけないのだ。
机の剣を持ち上げる。思ったより手に馴染んだ。長さの分だけ重みはあるが、振れない重さではない。むしろ、妙にしっくり来る。
「今日出ろ」
「いきなり過ぎるだろ」
「日が高いうちに丘も見ておけ。目で見たことは、話す時に違う」
確かにその通りだ。村を出ると決まれば、荷もまとめなければならない。水、干し肉、硬いパン、少しの金。何日分持つか頭の中で数える。
「分かったよ。行けばいいんだろ、行けば」
口にすると、ようやく現実味が出た。リシュカまでの道は知っている。街道に出るまでは森沿いの道だ。迷うことはない。だが、一人で行くのは初めてだ。
バルドは短く頷いた。
「昼までに支度しろ。マルタに保存食を包ませてある。水袋は新しいのを持ってけ。古いのは漏れる」
「知ってるならもっと早く替えてくれよ」
「お前が面倒くさがるからだ」
「否定しづらいな」
剣を腰に当ててみると、やはり村で使うには少し邪魔そうだった。旅なら、まあ何とかなるだろう。封書をもう一度確かめ、落とさないよう懐の奥へ押し込む。
扉へ向かいかけて、ふと足を止めた。
「……爺ちゃん」
「何だ」
「もし何もなかったら、帰った時に笑ってやる」
「好きにしろ。その時はわしも笑ってやる」
それならいい。カイルは軽く手を上げて家を出た。
外は昼前の明るさだった。空は高く、風はまだ涼しい。なのに丘の方を見ると、胸の奥が少しだけざわつく。土の裂け目が遠目にも見えた。たしかに崩れている。草の生えていた斜面が抉れ、その内側から灰色の壁がのぞいていた。村の土と同じ色をしていない、妙に冷たく感じる。
子どもが近づこうとして、母親に腕を引かれていた。
「カイル兄ちゃん、あれ何?」
「さあな」
「宝?」
「だったら先に俺が拾う」
二っと笑って見せると子どもは笑ったが、その母親は笑わなかった。丘からは何も聞こえない。今は、ただ静かだった。その静けさがかえって気味悪い。
自分の家に戻ると、支度はすぐ終わった。一人暮らしだと荷物は少ない。干し肉と硬パン、火打ち石、小袋の塩、投げナイフ、替えのシャツ、水袋。旅人用の丈夫な服に着替え、剣を腰に下げる。家の中を見回して、忘れ物がないことを確認した。
いつも通りの部屋だ。寝台と机と棚しかない。明日には戻らないと分かっていても、特別な感じはしなかった。ただ、戸締まりを確かめる手が少しだけ丁寧になる。
外へ出ると、村の何人かがもう待っていた。マルタ婆さんが布包みを押しつけてくる。
「途中で変なもの拾って食べるんじゃないよ」
「俺、そんな子どもじゃないでしょう」
「昔、青いキノコ食って寝込んだだろうが」
「あれは七つの時です」
「七つでも馬鹿は馬鹿だよ」
横から笑い声が上がった。羊飼いのトムおじさんが新しい水袋を投げて寄越す。受け取ると、ちゃんと口紐まで替えてあった。
「道中で漏れたら、戻ってきてから文句言え」
「漏れたらその前に死にますよ」
「だから戻ってこいって言ってんだ」
皆、口々に冗談を言っては笑い声が上がる。終末が迫ってるって言うのに、のんきなもんだ。知らんけど。
最後にバルドが来た。杖をつきながら、村の門の前で立ち止まる。
「道は分かっとるな」
「分かってるよ」
「街に着いたら、まず古書館だ」
「飯の前に?」
「前だ」
「ですよね」
小さく笑うと、バルドはじろりと睨んだ。
「カイル」
「はい」
「死ぬな」
その一言だけは、やけに重かった。軽口で返しづらくて、少し困る。
「……行ってきます」
「ああ。行け」
木柵の門をくぐる。踏み慣れた土の道が、そのまま村の外へ伸びていた。背中に何人分もの視線を感じる。振り返ると、余計に行きづらくなりそうで、そのまま前を向いた。
村を離れるにつれて、いつもの音が遠ざかっていく。羊の声も、桶の音も、人の話し声も、すぐに風の中へ溶けた。代わりに聞こえるのは、自分の足音と、腰の剣が鞘に触れる小さな音だけだ。
踏み固められた道から視線を外して、丘の方を見た。
崩れた斜面の奥に、石壁が口を開けている。昼の光を浴びているはずなのに、そこだけ妙に暗く見えた。
カイルは少しだけ目を細め、それから視線を戻した。
遺跡。そこにはいったい何があるのか。
自分を待っている運命がそこにあるかもしれないと、少しだけ胸を躍らせた。




