第153話 追い詰められた者たちと立ち塞がる絶対者
城から戻った三人の兵士が森で待機していた仲間へ襲いかかる。
視線が合わない。
呼吸も揺れない。
――それでも一直線に迫ってくる。
一人の兵士が虚ろな表情のまま踏み込み、拳を振り上げる。
「来るな……ステレオン アイギス」
咄嗟に展開された青白い魔法障壁が二人の間を隔てた。
だが次の瞬間、振り抜かれた拳が叩き込まれる。
光が歪み、乾いた破砕音とともに障壁が弾け飛ぶ。
その勢いのまま、拳は仲間の兵士の胸へ突き刺さった。
「ぐはぁ……」
鈍い衝撃音が響き、打ち抜かれた兵士は血を吐いて倒れ込んだ。
ルナの呼吸が止まる。
「……なんて力……魔法で強化しているわけでもないのに、魔法防御を正面から破るなんて……」
その間にも、もう一人の兵士が別の標的へと向かう。
だが、その兵士の背後から光の剣が閃き、背中から胸へと貫いた。
一瞬で動きが止まる。
「ぐ……」
光の剣を放ったのはカティフラクトだった。
腹から血を流しながらも踏みとどまり、荒い呼吸のまま、わずかに足元を揺らしている。
「迷うな……殺すのを躊躇すれば、殺される……」
低く押し出すような声に周囲の兵士たちが我に返る。
「は、はい」
生き残っていた八名の兵士が一斉に動き、残る二人へと攻撃を仕掛けた。
しかし、その優勢は長くは続かなかった。
二人は人間離れした速度で間合いを詰め、魔法をかわしながら素手で反撃する。
一人が殴り飛ばされ、地面に叩きつけられる。
別の一人は腕を掴まれ、強引に引き倒された。
さらに踏み込んだ兵士も魔法を放つより早く横から弾き飛ばされる。
「……どういうことだ……煌月守衛軍の精鋭部隊が……二人に、ここまで……?」
一人の兵士がルナを捉え、次の瞬間にはすでに目の前に迫っていた。
速い――そう認識した時には拳は振り抜かれている。
咄嗟に身体をひねり、紙一重でかわす。
「はあああっ、胡蝶脚!」
回転の勢いを乗せて足を振り抜く。
横から叩きつけた一撃が側頭部を打ち抜き、兵士の身体が弾けるように吹き飛んだ。
一方で、もう一人の兵士は幾重もの拘束魔法によって動きを封じられていた。
「デスメフシ クレオス――今だ!」
「スピリ フォティノス」
閃光が連続して弾け、視界が一瞬で白に埋まる。
だが、その中から低い声が響いた。
「マゲイオン アイギス」
次の瞬間、兵士は閃光を押し切るように歩み出てくる。
「そんな……防がれた……?」
場に動揺が広がる。
その瞬間、カティフラクトが前へ出る。
血を滴らせながら踏み出したその姿に兵士の表情が揺れた。
「カティフラクト様……」
震えた声が漏れる。
「……助けてください……」
目から涙がこぼれていた。
それでも腕は再び振り上げられ、一直線にカティフラクトを貫こうとする。
だが――その動きは止まった。
閃光が兵士の腹を貫く。
力が抜け、膝から崩れ落ちた。
カティフラクトも膝をつき、そのまま崩れるようにしゃがみ込む。
その姿を見た瞬間、ルナは駆け出していた。
「大変……すぐにアジトへ運ばないと――」
言い終える前に背後の気配が膨れ上がる。
振り返る間もなく、先ほど倒したはずの兵士が立ち上がり、すでにルナの目前へと迫っていた。
「え……」
手が首元へ伸びる。
避けられない距離だった。
――ズドン!
次の瞬間、兵士の横腹が内側から押し広げられるように歪み――弾けた。
爆発音とともに血が散り、身体が弾き飛ばされる。
ルナは動けなかった。
「……何が……起こったの……」
振り返ると、森の奥、木々の影の中に一人の男が立っていた。
隙間から差し込む光に、その顔がゆっくりと浮かび上がる。
聖灰将スタマティスだった。
腕を組んだまま周囲を見渡す。
倒れた兵士、そしてなおも戦う者たちへと目を向ける。
「……どういう状況だ……何故、煌月守衛軍同士で殺し合っている」
ルナは息を整える間もなく答える。
「分からないわ……それより、今は――カティフラクトをアジトまで連れて行かないと」
視線は彼の腹部へ向けられる。
出血が止まらない――このままでは、もたない。
だが、その言葉を遮るように――
次の瞬間、上空から二つの影が音もなく降り立った。
地面に触れた衝撃で土が跳ね、遅れて風が吹き抜ける。
カティフラクトの目が見開かれた。
「……馬鹿な……何故ここに……」
それは――タナエルと、パソニア。
その場の動きが止まる。
「そ、そんな……タナエル様……」
兵士の震える声が漏れる。
タナエルはその反応を気にも留めず、ゆっくりと一歩前へ出た。
「お前達がネクロス様を襲撃しに煌月城に来るなら今夜しかない。ならば、動く前に止めるのは当然だろう」
カティフラクトは息を荒げながらも視線を逸らさない。
「……城を守るはずの煌月守衛軍が攻めてくるとはな……すべて読まれていたか……」
タナエルの視線が倒れ伏した兵士たちへと向く。
そして、わずかに口元を歪めた。
「それにしても随分と酷い有様だな、カティフラクト」
カティフラクトの視線が鋭く細められた。
「タナエル……貴様、私の部下に何をしたのだ」
タナエルは懐からゆっくりと細長い器具を取り出す。
光を反射するそれを見た瞬間、ルナの表情が強張る。
「あの注射器は……まさか――」
タナエルの視線がルナへ向く。
「ほう……知っている者がいるとはな」
声にわずかな興味が混じる。
「リモルナの研究によって作られたカルポロスだ。これを打てば、私に逆らう者も従うようになる」
ルナの背筋に冷たいものが走る。
「自分の部下に……そんなものを使ったの……?」
「裏切り者に慈悲は不要だ」
カティフラクトの指先が、わずかに震える。
「……私の部下を……」
声は低く、押し殺されている。
「安心しろ。カルポロスには高い再生能力も備わっている。お前達を始末するまでは止まる事はない」
次の瞬間、倒れていた兵士たちの身体が、ゆっくりと動き出した。
土に伏していたはずの三人が、ぎこちなく起き上がる。
裂けた傷口から緑色の液体が滲む。
だが、みるみる塞がっていく。
カティフラクトがゆっくりと立ち上がる。
「……私の部下を……玩具のように……」
呼吸は乱れているが、声はぶれない。
「断じて許されん」
タナエルの目が細まる。
「ならば立ってみせろ、カティフラクト」
タナエルが一歩、前へ出る。
「――やれ」
三人の兵士が消えたかのような速度で間合いを詰める。
その間に、ルナの声が割り込んだ。
「カティフラクト!!」
次の瞬間、光が弧を描き、カティフラクトの手に生まれた光の剣が視認できないほどの速さで一閃した。
遅れて空気を裂く音が響き、三人の動きは止まった。
そして――首がわずかにずれ、そのまま落ち、血が噴き上がって身体が崩れた。
カティフラクトは剣を下ろし、息を吐く。
「……いかに再生能力が高かろうと、首を落とされれば終わりだ」
カティフラクトはタナエルを見据える。
タナエルはわずかに笑った。
「さすがだな」
だが、その目は笑っていない。
「現実を見ろ。お前の部下は壊滅、お前は瀕死」
ゆっくりとルナとスタマティスへ目を向ける。
「後ろの二人で、私に対抗できるとでも思うのか?」
誰も声を出せず、張り詰めた空気が場を満たす。
――その瞬間、一人の兵士が飛翔魔法を発動し、上空へ逃れようとした。
「――逃がさないですわよ」
パソニアの声と同時に手元に光が収束する。
一直線に放たれた光が空を裂き、兵士に触れた瞬間、爆ぜた。
身体は内側から崩れ、制御を失ったまま森の奥へ落ちていく。
弾けた光を見つめ、スタマティスは息を呑んだ。
「……なんて威力だ」
喉の奥で低く転がる声には、わずかに警戒が混じる。
その緊張を断ち切るようにタナエルの声が静かに差し込んだ。
「私の元に戻って来い、カティフラクト。そうすれば、お前の部下も助けてやる」
穏やかな口調だった。
だが血を流し続けながら、カティフラクトはわずかに前へ踏み出す。
「私は――パンドラ様に忠誠を誓ったのだ」
さらに一歩、踏み込む。
「私がお守りするのはパンドラ様ただお一人だ。ネクロスなどではない」
言い終える頃には、すでにタナエルの目前に立っていた。
タナエルの視線がわずかに細まる。
「本当に死ぬことになるぞ」
「構わん。ここで貴様を足止め出来るならな」
そして振り返ることなく、カティフラクトは叫ぶ。
「逃げろ!アジトへ向かえ!」
張り詰めた空気が一気に動き、ルナは反射的に森の中へ駆け出した。
「みんな、森の中へ――!」
その声に呼応し、スタマティスと兵士たちも一斉に動く。
だが、その動きを追うように背後から冷たい声が響いた。
「逃がすわけがないでしょう」
振り返るまでもなく、気配が迫る。
「どこに隠れても無駄ですわよ。あなた達の魔力は隠せませんわ」
パソニアは一瞬だけタナエルへ視線を送り、すぐに森へ踏み込んだ。
背後の気配を感じながら、ルナは速度を上げる。
◇ ◇ ◇
森に踏み込んだ瞬間、空気が変わった。
肌にまとわりついていた魔力の感覚がすっと引き、足元で根が絡みつくように行く手を阻む。
密集した木々が視界を遮り、方向感覚を狂わせてくる――それでもルナは迷わず進んだ。
「ついて来て。この森の中では魔法が封じられる。あの女も自由には動けないはずよ」
後方から息を切らした兵士の声が飛ぶ。
「だが、この森は――出口が消えると……」
「大丈夫よ」
ルナは即座に遮る。
「私は何度も出入りしている。私が出口まで案内するわ」
その言葉で隊列の乱れがわずかに収まる。
だが――次の瞬間、地面が鈍く震えた。
足裏に叩きつけられるような振動にスタマティスの足が止まる。
前方の茂みが押し広げられ、枝が折れ、幹が軋む音が連なる。
黒い体毛に覆われた巨体が、ゆっくりと姿を現した。
湾曲した角が地面を削り、吐き出される息が白く滲む。
「……シルパノモスか」
スタマティスが一歩前へ出る。
後ろの気配を感じながら言い放つ。
「ここは俺に任せろ。力比べなら自信がある」
言い終えるより先に、巨牛が地面を蹴った。
爆ぜるような踏み込みとともに巨体が一直線に迫り、木々を押し広げながら逃げ場を潰す。
だがスタマティスは退かない。
迫る影を正面から見据え、腰を落として重心を沈める。
「かかって来い!」
激突。
空気が押し潰され、角が肩口を掠めたまま身体ごと押し込まれる。
足が沈む――それでも踏み止まる。
わずかに止まったその瞬間、スタマティスは内側へ潜り込んだ。
「おおおおぉぉぉ!」
首元へ拳を叩き込む。
鈍い音とともに巨体が揺れるが、直後に振り上げられた身体に弾き飛ばされ、地面を滑る。
それでもすぐに足を踏み直し、間合いを詰めた。
「おらぁ!」
顔面へ打ち込み、そのまま踏み込む。
振り上げられた角を腕で受け流し、密着する距離まで潜り込む。
「でかいだけの図体だな」
腹へ拳を叩き込む。
一撃、二撃、三撃――連打が沈み、巨体の動きが鈍る。
その隙を逃さず肩からぶつかり、体勢を崩したまま首元を掴んで引き寄せる。
「終わりだ」
振り上げた拳を頭部へ叩き落とす。
膝が折れ、巨体が崩れた瞬間、至近距離からさらに一撃を打ち込む。
衝撃が深く通り、完全に動かなくなった。
スタマティスは息を吐き、ゆっくりと振り返る。
「……よし、行くぞ」
ルナが短く応じる。
「ええ」
そう言い、再び森の奥へと足を踏み出した。
◇
しばらく森を走り続けた後、視界が開けた。
木々の切れ間に一本の道が現れる。
「出口が見えた。この道を真っすぐよ」
ルナが息を整えながら声を上げる。
張り詰めていた空気がわずかに緩みかけた――その瞬間、背中をなぞるような違和感が走った。
――ぞくり。
一拍遅れて背後に気配が迫る。
反射的に足が止まり、振り返る。
そこに、パソニアが立っていた。
「あら。出口まで案内してくれてありがとう」
柔らかな声。
だがその奥に潜むものにルナは言葉を失う。
「でも――残念ね。あなたたちはここで終わりよ」
「そんな……全然気配を感じられなかった。それに、こんなに早く……」
「この程度の森、何度も通っているもの。あなたとは経験が違うのよ」
その言葉を遮るようにスタマティスが前に出る。
拳を握り込み、低く吐き出した。
「なるほど……若返ったとはいえ、とんでもないばあさんだな。……だが、都合がいい」
視線を外さないまま続ける。
「ここじゃ魔力が封じられて、お前は魔法が使えないはずだ。つまり力比べなら、こっちが有利ってことだ」
パソニアは小さく笑った。
「あらあら。そんな大きな体で年寄りを虐めるのかい?」
「関係ねぇな。せっかく若返って悪いが、そのまま死んでもらう」
「待って!スタマティス!」
ルナの叫びも届かないまま、スタマティスは一気に距離を詰め、振り抜いた右拳を叩き込む。
だが――その拳は真正面から差し出されたパソニアの掌に受け止められた。
鈍い衝突音とともに全力の一撃がぴたりと止まる。
「なっ、なんだと……?」
間髪入れず左拳を叩き込むが、それすらも片手で受け止められる。
「ぐっ……そんな細い腕のどこに、そんな力が……」
スタマティスは押し込もうとするが、びくともしない。
パソニアは微笑み、静かに言う。
「もう終わりですの?」
次の瞬間、掴まれた拳に力が込められ、嫌な感覚が骨の奥へ広がる。
骨を握り潰されるような――
直後、スタマティスの腕が不自然な方向へ折れ曲がった。
「がああああああああ!」
叫びが森に響く。
だがパソニアは気に留めない。
「うるさい男ですわね。少しは静かにしていただけますか?」
その声と同時にパソニアの身体がわずかに沈む。
視界に捉えた時には、すでに手刀が胸の奥深くまで突き入っていた。
呼吸が詰まる音とともにスタマティスの身体が大きく震え、そのまま力を失う。
支えを失った身体はゆっくりと崩れ落ち、地面に触れた瞬間、血が静かに広がった。
ルナの喉が張り付いた。
「……なんて強さ……」
息がうまく吸えない。
視線だけがその光景に縫い付けられる。
「まさか……あなたもカルポロスを……?」
かすかに震える声でそう口にするが、パソニアはほんの少し眉を上げただけだった。
「まさか。わたくしがそんなものを使うわけがないでしょう」
足元に転がる亡骸へ視線を落とし、そのままゆっくりとルナへ向き直る。
「あなた達とは積み重ねてきたものが違いますの」
一歩で間合いが消える。
ルナは反射的に重心を落とした。
「若さを手に入れて、偉くなったつもり?」
視線を逸らさないまま、吐き捨てる。
「ええ。あなたのような小娘と一緒にしてもらっては困りますもの」
柔らかな口調とは裏腹に圧だけが重くのしかかる。
「わたくしの若さの秘訣は――」
不意に語り出すその様子は、まるで世間話でも始めるかのようだった。
――今しかない。
視線を切らさないまま半歩だけ立ち位置をずらし、背後の兵士たちへ、小さく、だがはっきりと声を飛ばす。
「ここは私が止める。あなた達は先に行って、天空たちに知らせて」
「……分かりました!」
返事と同時に四人が一斉に駆け出し、草を踏み分ける音が次第に遠ざかっていった。
それを横目に、パソニアが小さくため息をつく。
「無駄ですわよ」
言葉を言い切る前に――その姿は消えていた。
「――ぐっ!」
反射的に身体を捻った瞬間、風が頬をかすめ、遅れて拳が空を裂く音が届く。
ルナは足を滑らせるように後退し、間合いを取り直すが、呼吸を整える余裕すらない。
それでも視線だけは切らさず、次の動きを追う。
わずかに傾いた重心――その踏み込みに合わせ、横へ流れる。
振り抜かれた拳をかわし、そのまま身体を捻り返して回転の勢いを乗せ、拳を叩き込む。
だが――その一撃も、あっさりと片手で止められた。
衝撃が腕に跳ね返り、体勢が崩れかける。
押し切れないと判断したルナは、無理をせずすぐに引いた。
距離を取り、再び向かい合う。
「どうやら、あなたは少しは戦えるようですね」
口元に浮かぶのは、わずかな興味。
森の空気が張り詰める中、互いに一歩も動かないまま睨み合う。
一歩遅れれば終わる。
その確信だけが、二人の動きを止めていた。




