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第11話 天空と大人の男

俺は踏み込みと同時に地面を強く蹴りつけた。

コンクリートを擦る鋭い音を引き裂きながら一直線に作業員の男へと跳びかかる。

風が唸る。

視界が一点に収束し、全神経が脚へと集中する。


「ハリケーン スイング キック」


勢いそのままに軸足を捻り、腰を爆ぜるように回転させる。

唸りを上げて描かれた鋭利な弧――その先端にある俺の脚はまさに側頭部を貫く寸前だった。


――が。


「なっ……!」


男は一歩も退かず顔色ひとつ変えぬまま片腕でその蹴りを受け止めた。

ぴたりと止まる。

腕に触れた瞬間、脚が吸い込まれるような違和感に包まれた。


柔らかい。

だが手応えが極端に鈍い。

皮膚を突き破って液体に触れたような、空気よりもさらに軽い――まるで、水。


何だ……この感触は……?


思考がそこに追いつくより早く、男の身体が鋭く回転する。

間合いを潰すように踏み込みながら拳を振りかぶり、同時に低く鋭い蹴りを連打してくる。


反撃だ。

しかも――容赦がない。


「ふんっ!」


俺はすぐさま姿勢を沈め、腕を使って防御に徹する。

胸元へ迫る拳は手のひらで受け流し、脚払いのようなキックは重心をずらしてかわす。


力はある。

骨ごと砕けるような破壊力だ。

だが――遅い。

動きにキレがない。


……こいつ、戦い慣れていない。

肉体は明らかに頑丈だが、技術が未熟だ。

動作が直線的すぎる。


しかしそれだけで済むはずがない。


脳裏に浮かぶのはさっきの倒れた作業員。

虚ろな目、泡を吹く口、肺に水を流し込まれたかのような異常な窒息――


そうだ、こいつは人を窒息させる能力を持っている。


だったら――先に仕留める!


男が拳を高く振りかぶり、俺の顔面へ一直線に叩き込もうとしたその瞬間――

見えた!


俺は全重心を一気に落として床すれすれまでしゃがみ込む。

避けながら脚に力を溜める。

タイミングを図る。

鼓動が一点を打つ――


今だ!


「ユニバース リバーサル キック!」


渾身の力を込めて下から上へと脚を振り抜いた。

鋭角に跳ね上がったアッパーキックが男の顎を捕らえたその瞬間――


ゴッ!


確かな手応え。

間違いなく入った。


男の体が宙を舞う。

重力に抗い、重い身体が一瞬宙に浮いたその隙を逃さず、俺はその勢いのまま空中で半回転して着地。

踵が地面を打つと同時に戦闘態勢を解かず構え直す。


普通の人間なら今の一撃で再起不能のはずだ――いや、終わっていろ。

だが――まただ。

あの時と同じ、あの得体の知れない感覚。

脚に残る違和感は筋肉でも骨でもない。

内圧のない液体を蹴り飛ばしたような曖昧で、それでいて明確な何かを捉えた感触。


「……頼む、そのまま倒れていてくれ……」


低く吐き出した祈りは届かぬまま跳ね返された。


「なるほど……こいつは凄い蹴りだな」


ゆらり、と動く。

男が立ち上がる――いや、それは立ち上がるという動作ではなかった。

地面から押し出されるようにして、ぬるりと起き上がってきた。

骨格のある人間の動きじゃない。

関節が存在しないような滑らかさ。

内側から何かが形をなぞっているような。


まるで――スライムの中に人間の骨格を詰め込んだような、こいつはそんな存在だ。


男の口元がゆっくりと歪む。

そしてふいに俺の足元へと視線を向けながら指を差した。


「お前は、すでに俺によって捕らえられている」


――何を言ってる?


不審に思い、自分の足元へ視線を落とす。

その瞬間、妙な感触が足首を包んだ。


「……なっ、なんだ……?」


ぐにゃ……ぬるりとした生温かいものが、肌を這っている。


「うわっ……!?」


俺の両足首には水色のゼリー状の物体がべっとりとまとわりついていた。

粘性のある液体が半固体化したようなそれは、鈍く光を反射しながら足首からくるぶしまでを完全に包み込んでいる。


「なんだこれ……気持ち悪っ……!」


「それは俺のほんの一部だ。――さっきのお前の蹴り。二発とも、しっかりとつけておいた」


思わず足を振り上げようとする。

だがゼリーは吸盤のように密着して皮膚と一体化したかのように食いついて離れない。

どれほど力を込めても剥がれる気配はまるでない。


「……で、それがどうしたってんだ?」


その瞬間、男の体が沈み込み――跳んだ。

俺の腹を狙って躊躇なく飛び蹴りを繰り出してくる。


見えている。

動きはさっきと同じで遅い。

簡単に避けられる――そう思っていた。


「な……足が動かねぇ!?」


両足にまとわりついたゼリーが予想を遥かに超える重さで俺の体を地面に縫いつけていた。

一歩すら踏み出せない。

重心移動が封じられている。

避けられない!


――ドガッ!!


鈍い衝撃音が腹部を打ち抜いた。

全身に鋭い痛みが走る。


「ぐはっ……!」


体が仰け反り、肺から空気が一気に押し出された。

さっきまで攻撃に意識が向いていた分、腹に力を入れる余裕などなかった。

直撃だった。


「天空!!」


ルナが焦りをにじませた声で俺の名を呼びながら駆け寄ろうとする。


「来るな、ルナ!大丈夫、俺は――問題ない!」


そう叫び返したものの、状況は最悪に近い。

正直、問題だらけだ。

男の攻撃は確かに遅い。

だが――重量と破壊力が尋常じゃない。


そして何より足に絡みついたこのゼリー。

見た目に反してその質量が異常だった。


……片足で十キロ近い。

両足合わせて二十キロを超える。


この重さが地味に、だが確実に俺の動きを奪っていく。

男は俺の状態に気づいていたのか、唇の端を吊り上げて不気味に笑った。


「もうさっきみたいな強烈な蹴りは出せまい。次は両手だ――遊び終わったら最後にその口も封じてやる」


おそらくこのゼリー状の物体はこいつの体の一部で触れるだけで付着する。

だが、最初にパンチを防いだ時には何も付かなかった。

俺が攻撃した時だけ、付着した……?


それにあの奇妙な感触。

水のようでいて水ではない。

空気を取り込んだ粘液。

もし、このゼリーが肺にでも入ったら――さっきの作業員のように呼吸を奪われるかもしれない。


考えがまとまる前に男が再び迫ってくる。

踏みしめる足音すらなくじわじわと。

そして、重々しいパンチの連打。


――ドガッ!!ドガッ!!


受けるたびに腕が痺れ、体の軸がぶれた。

防ぎ続けるのが限界に近づいている。


「やばい……反撃しなきゃ……やられる……!」


俺は渾身の力を込めて体中の筋肉を極限まで緊張させた。


「――くらえ!これが……俺のインフィニット デストラクション パンチだ!」


怒声とともに振り抜いた拳が男の腹部にめり込んだ。

拳が食い込む確かな感触。

鈍く重い衝撃が返ってきた瞬間、確信した。

今度は確実な手応えがあった。

効いてる――!


男の身体がよろめき、背中から崩れるように倒れ込んだ。

地面に響く音。

土埃が舞った。

勝った――とまでは思わなかったがそれでも息を吐きかけた、その時。


「……くそっ……!」


拳に異様な感触が残っていた。

べったりと張りついている。

見下ろすと右の拳に水色のゼリー状の物体がまとわりついていた。

まるで握り込んだ瞬間、相手の体内から逆流して染み出してきたように……ぬるりと冷たく俺の皮膚に吸いついている。


不意に崩れ落ちていたはずの男が――まるで糸に吊るされた操り人形のように足元からゆっくりと立ち上がった。

胴を折りたたんだままの姿勢から、首をぐるりと不自然に回転させながらこちらを見据える。

口角を吊り上げて愉快そうに笑っていた。


「残るは……左手だけだな。これでもうお前は……まともに動くことすらできない」


足、右手、そして――次は左手。

そう言って男は左手を軽く掲げると親指と人差し指でピストルの形を作った。


――瞬間、脳裏を駆け抜ける警告。

寒気。

背筋に電流が走った。


あの時……この建物に来る前の配達員が倒れ込んでいた場所を思い出す。

顔面は真っ青で口元が水に塞がれたように動かずに倒れていた――そう、あれはまさに窒息だった。


やばい、こいつ……!


「ウォーターガン!」


その号令とともにピストルの形をした指先から水の塊が破裂するように発射された。

空気を切り裂く水弾が目にも留まらぬ速さで俺の顔面へと飛んでくる。


「ぐっ……!」


俺は咄嗟に左腕を持ち上げて顔面を覆う。

その瞬間、重い衝撃が左腕を襲う。

だが、痛みはなかった。

代わりにずしりとした重みが腕にのしかかる。

力が抜けるように左腕が垂れ下がり、肩が引きずられる。


「今ので左手も終わりだな。では……とどめだ。ウォーターガン!」


男が再び指を構える。

今度は迷いがない。

俺を窒息させるつもりで撃ってくる――!


だがその時、空間が割れるような鋭い声が響いた。


「――こっちよ!!ランベリ フローガ!!」


爆ぜるような火の魔法の気配とともにルナが駆け込んできた。

彼女の両手から放たれた紅蓮の魔法が一直線に男の背へと飛ぶ。

迸る炎。

焦げる空気のにおい。


だが――男は振り向きもしなかった。

ただ、無造作に片手を背後へ突き出すだけ。

次の瞬間、放たれた炎が水に包まれるようにして一瞬で消失した。

まるで火を呑み込む海のように、熱は呆気なく吸い込まれた。


「えっ……」


ルナの目が見開かれる。

俺の呼吸も止まった。


「ルナ、逃げろ!!」


叫びが喉を突き抜けたその瞬間、俺の目の前で男の掌が鋭く振り抜かれた。


バチンッ!


乾いた音が空気を裂き、ルナの顔面に炸裂する。

彼女の身体が軽々と宙に浮いた。

細い肢体が人形のように吹き飛ばされると背中から地面を転がった。


「――ルナ!!」


俺の声に応える間もなく彼女は地に伏したまま動かない。

土煙の中で男がゆっくりと歩を進める。

そしてピストルの形にした手をルナへと向けた。


「ウォーターガン!」


再び水弾が発射される。

狙いは足元だった。

着弾と同時にルナの両脚にゼリー状の水がまとわりつく。

絡みついたそれが膝から下を圧迫しながらその場に封じ込めた。


「そこで見ていろ。この男が殺される姿をな」


男の視線が俺へと戻る。

冷徹な殺意。

水に濡れたような無感情の目がじわりと俺を蝕むように見つめていた。


くそ……動きは遅いはずなのにこちらに思考の余裕を与えない。

間を潰し、呼吸を奪うような戦い方……!


一見して鈍重にも見える歩幅。

だが無駄のない制圧のステップ。

まるで完璧に計算された機械仕掛けの動きだった。


否応なく距離を詰めたその男が今度はなんの前触れもなく拳を振るった。


「……うっ!」


俺は避けることも構えることもできなかった。

両手、両脚。

ゼリーのような水で重くされた四肢。

全身に四十キロもの重みがのしかかる。

もはや身体は思うように動かず、防御の構えすら崩れていた。


そして――


ドガァッ!!


「ぐはっ……!」


腹に鈍い音が響く。

骨に届くほどの衝撃。

喉の奥に焼けたような吐き気がこみ上げた。

空気が肺から押し出され、呼吸が止まった。


「ぐっ……!」


思わず膝をつきかけたその瞬間――


「天空から離れろ!!」


叫ぶルナの声が響いた。

声に込められた強い意志。

だが、足を囚われたままでは彼女に逃げ場も駆け寄る術もなかった。

それでも両腕を前に突き出しながら炎の魔法を撃つ。


「ランベリ フローガ!!」


再び紅蓮の炎が男の背を焼こうと唸りを上げて駆ける。

だが……その軌道は大きく逸れた。

狙いが定まらない。

炎は男の脇をすり抜けるように飛び、空しく壁を焦がす。


「なんで……!」


ルナの動揺がにじむ声。

それでも彼女は止まらなかった。

体力が枯れ果てようとも背後から何度も何度も炎を放ち続ける。

希望に縋るように、そして自分の無力を否定するように。


だが男は一度たりとも彼女を振り返らなかった。

無視していいと判断していた。

その力の差は――絶望的だった。


その間も俺は殴られ続けていた。

重い拳が顎を打ち、頬を貫き、腹を潰す。

反撃の糸口すら見えない。

四肢は重く、視界は揺れ、痛みと衝撃で感覚が曖昧になっていく。


それでも倒れなかった。

気力だけでまだ立っていた。

ルナの声が遠くに聞こえていたからだ。


俺は……何もできていない。

ただ殴られて、耐えて、立っているだけ。

まるで大人と子供の戦いだ――。


悔しかった。

惨めだった。

俺は……こんなにも弱かったのか……。


「お前の口を封じるまでもないな。これで終わりだ」


男が拳を握り直した。

重く、ためをつけた右拳が俺の視界の中央に大きく映る。


「くっそおっ……!」


避けられない。

身体はもう限界だった。


――バキィッ!!


凄まじい音と同時に視界が跳ねた。

床が急激に近づき、次の瞬間身体が宙に浮いたように感じた。

そして――真っ白な闇。


そこで意識が途切れた。

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