第72話『結界解除』
あんのクソ天使·····!!覚えとけよ!!
俺が文句を連発し始めてから、全く喋らなくなったビアンカに毒を吐きつつ、俺は解除陣と向き合った。
女体化する際、体が少し縮んだのか服がダボダボで、服で隠れていた鎖骨が見える。ついでにズボンがずり落ちそうだ。
いや、文句を言うのは後でいい。今はただ目の前のことだけに集中しろ。んで、早く元の姿に戻るんだ!!
「なあ、マモン。解除陣って、どうやって発動させれば良いんだ?」
聞き慣れないソプラノボイスが耳に残る。まるで、自分の声じゃないみたいだ。
くそっ····!!違和感ありすぎて、落ち着かねぇ!!
内心イライラが止まらない俺を、マモンは興味深そうに見つめている。亜空間から真っ白な紙を取り出し、メモを取り始める始末。女体化と聖女の関係について、書いているのだろう。
「ん?あー····解除陣は魔力を注げば発動するよ。特別なことは何も無い。それより、オトハ。男の『ピ━━━━』が無くなった感想を聞かせてくれる?」
「断る!絶対に嫌だ!」
研究熱心なのは良い事だが、んな下品なこと俺に聞いてくんな!他を当たれ、他を!
まあ、俺みたいにTSした奴が居るか知らねぇーけど···。
マモンは俺の拒絶にムッと顔を顰めるが、諦めたように溜め息を零す。黙って、女体化した俺の姿をスケッチし始めた。
·····スケッチすんな。あと、無駄に絵が上手い。お前は才能マンか!!
色々な角度から俺を観察し、スケッチに必要なものを付け足すマモン。正直周りをうろちょろされるのは気が散るから、やめてほしい。
あと、アスモとベルゼ····何か言いたいことがあるなら、言え!!無言で俺を見つめるな!!
この場に居る全員の視線を感じながら、俺は解除陣に魔力を注ぎ始めた。解除陣に触れた指先から俺の魔力が流れていく。
イメージは血液。体内を流れる血をイメージし、魔力を指先に集中させる。全ての感覚を研ぎ澄まし、血流のように魔力を全身に巡らせ、終着点を解除陣に設定した。
ゆっくり····ゆっくり····。
解除陣に支障を来さぬよう、慎重に····そして、丁寧に魔力を注いだ。
『───────────音羽、もう大丈夫ですよ。これだけ注げば十分です』
えっ?でも、まだ解除陣は発動してないぞ?魔力を注げば発動するんじゃなかったのか?
『魔力はあくまで解除陣発動の動力源です。陣を発動させるスイッチではありません』
じゃあ、どうやって解除陣を発動させれば良いんだ?詠唱とかか?
魔力の流れを緩やかにさせた俺は解除陣から手を離し、先程より輝きが増した陣を眺める。宝石のようにキラキラ輝くそれはアクアマリンのようで、美しかった。
『詠唱は必要ありません。必要なのは──────音羽が願うこと。聖女とは人々の願いから生まれた存在であり、神に願いを捧げる存在。よく漫画やアニメで聖女が神に祈ることで国の飢饉を免れた、とかあるじゃないですか。あれと同じです。と言うか、あれをベースに神は聖女という職業を創り上げました』
必要なのは俺が願うこと、か····。解除陣が発動するよう願えば、それが叶うってことだよな?なんか、回りくどい方法だな。もっと簡単にすれば良かったのに····。大体何で漫画やアニメに登場する聖女を参考にしたんだよ····普通に封印の巫女とかで良かったんじゃないのか?
『うるさいですよ。文句を言う前に願いの一つでも神に捧げれば良いんじゃないですか?』
神を愚弄されて頭にきたのか、珍しくビアンカが声色に不満や怒りを滲ませる。言葉の端々には棘があった。
へいへい。相変わらず、この天使は怖いな。
俺はビアンカの毒舌を軽く受け流し、解除陣の前で跪いた。片膝を床につき、手を組み合わせる。最後に少し顎を引いて、目を閉じればお祈りポーズの出来上がりだ。よく漫画やアニメであるシスターのお祈りポーズを見様見真似で真似しているだけなので、間違いがあるかもしれないが俺は気にせず祈った───────────解除陣の発動を。
神様、どうかお願いします。解除陣を発動させて下さい。世界救う気あるなら、出来ますよね?
『何で最後脅しみたいになってるんですか····』
怒りを通り越して、呆れが勝るビアンカは『はぁ····』と深い溜め息を零した。いつもと立場が逆である。いつも溜め息ついてんのは俺だからな。まあ、あれだ····性別転換のことを言わなかった罰だ。
そんなもの罰でも何でもないが、それにツッコミを入れる者は居なかった。
「────────あっ!結界が崩壊していく!」
マモンの驚きを滲ませた声に俺はそっと目を開けた。俺の右目に映った光景は幻想的で、どこか現実味がない。夢でも見ているような不思議な感覚が俺を襲った。
パンドラの箱を守る透明な壁が音もなく砕け散り、ガラスの破片のように結界の欠片が舞う。重力を無視するように天に昇るそれは触れると途端に消えてしまう雪のようだった。
魔物を倒したときに出る光の粒子と少し似てるな。
「凄いね、これ」
「絶景だな」
「なかなか綺麗じゃない」
結界が崩壊していく様をじっと見つめる俺達はここが敵地であることも忘れ、その光景に魅入った。
触れると消える不思議な欠片は徐々に数を減らし、やがて完全に消え去る。
幻とも言える幻想的な光景を目にした俺達はその余韻に浸った。
あれが絶対防壁の解除光景か。なかなか洒落た演出だ。聖女の力は綺麗なんだな。
「さてさてー!結界も消滅したことだし、パンドラの箱を持って撤収しよー!ルシファーが僕達の帰りを待ってるよ!」
「そうだな。灰も全て拾い終えたし、広間の奴等と合流でき次第、すぐに撤収しよう」
「そうね。オトハ、パンドラの箱をお願い」
「分かった」
幻想的な光景に思いを馳せていた俺達だったが、マモンの声にハッとし、それぞれ忙しそうに動き出す。
先行隊に指示を出すベルゼとアスモを背に、俺とマモンはパンドラの箱に歩み寄った。
金と紫で彩られたパンドラの箱は小さな丸テーブルの上で鎮座している。箱ティッシュほどの大きさのそれは手で持ってみると、ずっしりとした重さがあった。これが····パンドラの箱。
手に取って、色々な角度から眺めてみるが特に変なところはない。普通の箱より、ちょっと重いだけで他に変なところはなかった。
これが本当にパンドラの箱なのか····?
「ねぇ、オトハ。念のため聞くけど、いつまで女の格好してるの?もしかして····ハマっちゃった?新しい扉開けちゃった感じ?」
「な訳あるか!!忘れてただけだ!!」
俺に女装趣味はねぇーよ!!そっちに目覚めた覚えもねぇ!!
ただパンドラの箱に関心が移って、女体化したこと忘れていただけだ!!
おい、ビアンカ!今すぐ転職を解いてくれ!
『·····分かりました。
───────特殊能力解除。職業が“聖女”から“無職”に戻ります。今回の消費HPは10000。最大HPの約三分の一を消費したことにより、軽い頭痛の症状が出ます。数時間で収まるので、ご安心くださち』
10分足らずの使用で消費HPが10000ね····。確かに聖女はHPの消費が激しい。ついでに女体化もするし····出来ればもう二度と使いたくない職業だ。
俺は元に戻った体に安堵しながら、手を握ったり開いたりする。女体化して気づいたが、男と女では体格にここまで差があるのか···。手とか身長とか凄く小さいし、おまけに体が柔らかい。『何が』とは言わないけど、柔らかい。
ふぅ····もう二度と女体化なんて御免だが、良い経験にはなった。
俺はピリリと痛む頭に苦笑しながら、パンドラの箱片手に歩き出す。
さっさとアスモたちに合流して、俺も帰りの準備を手伝おう。出来ることは少ないだろうが、居ないよりかは役に立つ筈だ。
そう思って、アスモたちに声を掛けようとした──────────そのとき、事態は急変する。
「─────────おい!魔族ども!この娘を返して欲しければ、パンドラの箱を渡せ!!」
早朝に到着する筈の勇者パーティーが今、俺達の目の前に居た。紫檀色の長髪幼女を人質に取り、ニヤリと笑う金髪の勇者は·····俺の知っている朝日じゃなかった。




