<番外編>相澤励25歳の恋(2)
「お前、まだ彼女いないよな?」
相澤が、車を運転している明良に言った。
「いませんよ。」
明良がそう答えると、相澤の隣で亜希子が「えっ!?」と口に手を当てた。
「北条さん…もうとっくにいらっしゃるかと…」
明良は苦笑しながら、バックミラーで亜希子を見「いません。」と言った。
相澤と亜希子が酒を飲んでいるというので、明良が迎えに行ったのである。相澤は亜希子とのデートの帰り以外でも、外で飲むとほとんど毎回明良を呼ぶ。正直、タクシーを掴まえるより、明良を呼ぶ方が早いのである。亜希子はいつも悪いと思っているが、明良が何も気にしない風なので最近は気にならなくなっていた。
「こいつが生真面目すぎて、女の子がついていけないようなんだ。」
「そんなことないですよ。」
相澤の勝手な推測に、明良は少し怒ったような表情をして反論した。
「ねぇ…亜希子の店で誰かいない?」
「先輩!よして下さい。」
「北条さんに釣り合うような子はいないわよ。」
それを聞いた相澤が少しむっとした表情をした。
「…なんかムカつくな。」
「あら…励さんにもいないわよ。私しかね。」
亜希子がそう言うと相澤の機嫌がとたんに直り、亜希子の口にチュッとキスをした。
「お客さん…いちゃいちゃするのは、ついてからにしてもらますか?」
明良がそう言うと、相澤と亜希子が笑った。
亜希子のマンションについた。
亜希子と相澤は車を降りた。
「北条さん、いつもごめんなさいね。」
亜希子が運転席に回って言った。
「いえいえ。いつも暇してますから、お安いご用です。」
明良が運転席から身を乗り出してそう答えた。
「おいおい、顔が近い!」
相澤が亜希子の腕を後ろから取って言った。
亜希子と明良が笑った。
「先輩、今日は?」
「ちょっと待っててくれるか?帰るから。」
「今夜は泊ってもいけると思いますけど…収録は午後からですから。」
「いや、寝坊したらやばい。…待っててくれ。」
「わかりました。じゃ、来客用のところに車を回しておきますから、そちらに来て下さい。」
「うん。すぐに出るから。」
「それはどうだか。」
明良がそう言って笑った。
相澤は拳に息を吹きかける。
明良は笑いながら、窓を閉めた。
・・・・・・
「いけね…結局、1時間も待たしちゃった…」
相澤は、エレベーターから降りて地下駐車場に出た。
来客用の駐車場に向かう。
その時、警察の車が見えた。
「!!」
相澤は思わず止まった。明良の車の検分をしている。
「あいつ…酒飲んだ訳じゃないよな???」
ありえないことなのに、相澤はとっさに思った。
相澤は明良の車に駆け寄った。
「ああ!…相澤さんですね!」
警察官の一人が声をかけてきた。
「はい…そうですが…」
そう答えながら、その場を見渡したが明良の姿がない。
「明良は?」
「それが…」
相澤に悪い予感が走った。
……
相澤は警察の車に乗せてもらい、病院へ向かった。
病院につくと、礼も言わずにパトカーを降り、慌てて病院の中へ入って行った。
相澤はナースステーションに行った。
看護師が相澤の顔を見て「あっ!北条さんですね!」と言った。
相澤がうなずくと、看護師が病室へ案内してくれた。
……
「先輩!…」
ベッドに座り、看護師に手の甲を治療してもらっていた明良が驚いた表情をして、相澤を見た。
「お前…!…大丈夫なのかっ!?」
「ええ…すいません。なんとか傷は大したことなくて…」
「…だって…運転席のガラスを割られたって…」
「そうなんですよ。シートを倒して休んでいたら、いきなりガラスが割られましてね。ガラスは飛び散りましたが、刺さるほどじゃなくて…。」
看護師が、治療を終えて、明良に「もういいですよ。」と言った。明良は看護師に礼を言うと、看護師は微笑んで病室を出て行った。
相澤がその場に膝をつき、両手をついた。
「先輩!」
「…俺…お前がもうだめかと思って…」
「…おまわりさん何も言わなかったんですか?」
「うん…大丈夫だとは言ってたけど…俺を安心させるためかと思って…」
「すいません。ご心配かけて…」
「いや…元はと言えば、俺が…」
相澤がそう言って顔を上げると、明良の首筋に真一文字に傷があるのを見つけた。何かの薬を塗ってある。
「!!…首を切ったのか!」
明良はぎくりとした表情をした。
「かすり傷ですよ。縫うほどじゃないし…」
「…でも…もしその傷が深かったら…」
「先輩!大丈夫だったから、もういいじゃないですか!」
相澤がぼろぼろ涙をこぼし始めたので、明良は驚いて相澤の体を持ち上げ、自分の隣に座らせた。
「もー…先輩って、泣き上戸でしたっけ?」
「…すまない…本当にすまない…」
「先輩にはたくさん借りがあるって言ったでしょう?」
「でも…怪我することないじゃないか…」
明良は笑った。相澤の言うことがおかしかった。
……
その日の昼からの収録の時、明良は、首の傷の上からファンデーションを塗られた。もちろん滲みるように痛む。
「…明良…大丈夫か?」
相澤が心配そうに明良に尋ねた。
「ええ。ちょっと滲みる程度ですよ。」
「……できるだけ早く収録を終わらせよう…膿んだりしたら大変だ…。」
「大丈夫ですって。」
明良が笑った。
……
無事収録を終え、明良はすぐにファンデーションを取ってもらっていた。
「いっつ…」
そう言いながら明良が耐えるのを、メイクが謝りながら「もうちょっとがんばって…」と言った。
なんとか取り終え、医者からもらった薬を塗ってもらった。
「…大丈夫ですか?ちょっと傷のところが腫れてますから、またすぐに薬塗って下さいね。」
「ええ。ありがとう。」
明良はメイクに礼を言って、楽屋を出た。
廊下に出ると、もう先に帰ったと思っていた相澤がソファーに座って待っていた。
「明良!大丈夫か?痛むか?」
相澤が明良の姿を見て、慌てて立ちあがりながら言った。そして、明良の首の傷を覗きこもうとした。
明良は慌ててその傷を手で隠した。
「大丈夫ですって。…待ってて下さったんですか。」
「当たり前だろう…。送るよ。」
「だって行きも送ってもらって…」
明良の車は修理に出している。
「いいから!さ、行こう。」
相澤は明良の腕を取って、足早に歩いた。
……
相澤は運転しながら、明良の顔をちらちら見ている。
「先輩、なんか気持ち悪いですよ…そんなに見ないでください。」
「ばか!」
相澤が笑った。明良の首の傷は相澤から見えないのだ。
「腫れてないか?」
「ちょっとは腫れてますけど…」
「家へ帰ったら、すぐに薬塗れよ。」
「ええ。」
明良は逆に申し訳ない気持ちになった。
……
相澤は明良を家に送った後、自分の家に向かった。
すると携帯が鳴った。
相澤は慌てて、路肩に車を止め、携帯を開いた。
亜希子からだった。
「もしもし」
「励さん…北条さんはどう?」
「ん…本人は大丈夫だと言うんだけど…。」
「…まさか、このマンションで車上荒らしがあるなんて思わなかったから…」
亜希子の声が震えている。相澤がため息をついた。
「俺も…」
「犯人は捕まったの?」
「いや、まだだそうだ。明良がいることに気づいて慌てて逃げたらしいから。…明良もガラスが顔やらあちこちに飛び散っていたから、顔を見る間もなかったらしいし…。」
「…なんて謝ったらいいのか…」
「亜希子は気にしなくていい。…それこそあいつが気を遣うから。」
「だって…。あの時、励さんをすぐに帰していたら…あんなことにならなかったのに…」
相澤も同じことを後悔していた。待たせなければ、あるいは相澤がすぐに戻っていれば…。何度思っても胸が痛む。
「…一旦、家へ帰って、また明良の家に行こうと思うんだ。だから…今日は会えないけど…」
「ええ、もちろんそうして。…お店に出てるけど、北条さんの様子、またメールでもいいから連絡してね。」
「わかった。」
相澤は携帯を切った。そして車を発進させた。
……
相澤は家に帰りシャワーを浴びると、また服に着替えて出ようとした。
すると携帯がなった。見ると社長からの電話だった。
「!はい。」
「相澤…すまないが、今夜、つきあってくれるかい?」
「え?…いや…その…」
「どうしても君に会いたいという奥さんがいらっしゃってね。…頼むよ。」
相澤は考え込んだ。…だが、やはり社長からの頼みは断れなかった。最近、仕事がないのでよけいだ。
「わかりました。…何時に事務所に行けばいいですか?」
社長がほっとしたような声を出した。
……
「うわー…香水くさ…」
相澤は社長の付き合いからの帰りに、タクシーの中で思わず呟いた。
「モテモテだったんですか?」
「いや…そういうわけじゃないんだけどね…」
相澤は苦笑して、タクシーの運転手に言った。
(このまま明良の家にいけないな…またシャワーを浴びなきゃ…)
相澤はため息をついた。
……
相澤は2度目のシャワーを浴び、服に着替えた。時計を見ると、もう11時を過ぎていた。
「…もう明良寝てるかなぁ…。」
少し悩んだ。もし寝ていたら、それをわざわざ起こすのも悪い。
「…ちょっと電話してみるか。」
相澤は携帯を取りあげて、明良に電話をした。
何度かベルがなったが、出る様子がなかった。留守番電話サービスに入るかと思ったとたん、電話が取られた。
「明良?…大丈夫か?」
相澤がいきなり言った。
「…先輩、すぐに行きますよ。」
「?…明良?お前車はまだだろう?」
「行きます…すぐに…どこに行けば…」
「明良!?」
何か明良の様子がおかしいように思った。明良が酒が飲めたなら、酔っ払っていると思うだろう。
「…先輩…」
「明良?」
相澤はもう1度、明良の名を呼んだ。明良の返事がなかった。携帯は通話のままになっている。
相澤はリビングを飛び出した。
……
相澤が合鍵を使って明良の部屋に飛び込むと、携帯を握ったまま、ベッドでうつぶせになってぐったりしている明良の姿があった。
顔が真っ赤になっている。
首の傷が腫れて、盛り上がっているのが見えた。
「!!…明良!」
相澤は明良の体を上に向けた。苦しげな息遣いをしている。
「…くそ…俺はまた…!」
相澤は携帯を取りあげて、119番を押した。
……
相澤はベッドの横の椅子に座り、もう落ち着いた明良の寝顔を見ていた。
明良は心地よい寝息を立てている。だが、自分が救急車で運ばれたことにはまだ気づいていないだろう。
(気がついたら…また俺に気を遣うんだろうな…)
相澤はそう思った。
「励さん!」
ノックの音がしたかと思うと、亜希子がいきなりドアを開いて入ってきた。
相澤は思わず「しっ」と人差し指を自分の口に当てた。
亜希子は口に手を当てた。
「…北条さん…もう落ち着いたのね。」
「ん…。でも首の傷はひどくなっていたよ。…先生に怒られちまった。」
「…そう…」
「…もう…明良に頼るのやめなきゃ…」
「そうね…。」
「先輩…」
明良の声がして、相澤と亜希子は驚いて明良の顔を見た。
「亜希子さん…」
「北条さん…ごめんなさいね…!私のせいで…」
明良は首を振った。
「先輩…すいませんでした。」
「お前はどうして、いつもこうなんだよ!!」
「…励さん!!」
相澤がいきなり怒りだしたので、亜希子が驚いて、相澤の腕を掴んだ。
「迷惑なんだよ!…いつもいつも…!」
相澤は亜希子の手を振り払って立ち上がり、明良に背を向けた。
「励さん、ひどい!!」
亜希子がそう言い、立ちあがって励の背中を見た。
明良は黙って、相澤の背中を見ている。
「頼むから…!…もう、人のいいなりになるのはやめてくれ!…俺も、お前には頼らないから!」
「…はい。」
相澤の言葉に、明良は返事した。亜希子が涙ぐんで明良を見ている。相澤が背中を向けたまま言った。
「…じゃ、帰るから…医者の言うこと聞けよ!」
「はい。」
相澤はドアを乱暴に開けて出て行った。
亜希子は涙ぐんだまま、今まで相澤が座っていた椅子に座って明良を見た。
「…ごめんなさいね…北条さん…」
「先輩…いつもああなんです。」
「!!」
「心配が頂点に達すると、ああやっていつも怒鳴るんです。」
「そう…」
亜希子が微笑んだ。明良も微笑んで言った。
「先輩のところへ…。僕はもう大丈夫ですから。」
「…ええ…。明日、また来るわね。」
「どうか、お気遣いなく。」
亜希子は首を振って立ちあがった。
そして、明良の顔を見ながら、病室を出て行った。
その後、亜希子が一人で見舞いに来るだけで、相澤が明良を見舞うことはなかった。
……
1週間後-
夜-
同じアイドル仲間と飲んでいた相澤は大通りで閉口していた。
タクシーがどうしても掴まらない。
「あーもう…不景気じゃないのかよ。」
相澤はそう毒づいた。
すると、1台の車がすっと相澤の前で止まった。
「!?」
「先輩!」
明良が運転席から出てきた。
「!!…明良…」
「今、車を取りに行った帰りなんですよ。乗って行きませんか?」
「……」
相澤は気まずそうに黙っている。
「…先輩…たまたま通っただけですって。」
「…ん…じゃ…悪いけど…」
相澤は助手席の方のドアを開け乗った。
明良も運転席に入った。
お互いシートベルトをつけ、明良は車を発進させた。
「…今日は、亜希子さんと一緒じゃなかったんですか?」
「…うん。」
「今から行きます?」
「…いいよ。」
「僕は亜希子さんにお礼を言わなきゃならないから、行きますけどね。」
「…お礼?」
「ええ。毎日お見舞いに来て下さいましてね。果物剥いてもらったり、食べさせてもらったり…」
「!!!」
相澤が明良に向いた。
「たっ食べさせてもらっもらっ!?」
「はい!あーんって。」
「明良ー!!!」
「わっ!首を絞めるのはやめて下さい!危ない!危ないって!!」
明良の車が蛇行し、横を走っている車にクラクションを鳴らされた。
「嘘ですっ!嘘ですよ!」
「嘘っ!?」
「だって、そう言わないと、口利いてくれないじゃないですか!」
「…本当に嘘?」
「嘘ですよ。果物は切ってもらいましたけど、亜希子さんが、僕にあーんなんてするわけないじゃないですか。」
相澤は、やっと明良から手を離した。
明良は首に手をやり、ほっと息をついてから言った。
「で、亜希子さんのところには行かないんですか?」
「お前は行くんだろ?」
「ええ、行きますよ。亜希子さんの好きなロールケーキも買ってきたし。」
「亜希子の好きな?」
「はい。」
「ロールケーキ?」
「え?先輩知らなかったんですか?」
「なんでお前が俺の知らないことまで知ってるんだ!」
「そんなこと言われたって…!わ!先輩やめて!」
明良は相澤に肩をつかんで揺すられた。
咄嗟に反対車線に飛び出して、慌てて戻した。
クラクションを鳴らしながら、車が通り過ぎて行った。
さすがに相澤が手を離した。
明良はハザードランプをつけて、路肩へ車を寄せた。
明良はサイドブレーキを引いてから、シートベルトをはずし、ハンドルに伏せながら、はーっと息をついた。
横では、相澤も同じように、シートベルトをはずして、ダッシュボードに頭を伏せている。
「先輩…僕と心中するつもりですか?」
「それは勘弁してほしいな…」
お互いふせたまま言った。
「でも、やっぱり許さん!」
相澤はまた明良の首をつかんで、揺らした。
「先輩!とにかく亜希子さんのところへ行きましょうって!」
明良が笑いながら言った。相澤も笑っている。
明良の車が亜希子のところについたのは、それから1時間後だった。
(終)