2.
「それでは、行ってらっしゃいませ。お兄様……!」
すごく。すごくついていきたそうな顔の愛香に見送られ、蒼太はココネと共に自宅を出発する。行き先は大学。先ほどの会話でもあったとおり、今日から彼は通学を再開する。
自殺未遂を犯したという事で、本来なら当分療養になる所。しかし彼自身の希望もあり、僅か1週間という短期を経て、蒼太は再び大学へ通えるようになった。
無論、通常ならば許可される事はなかったであろう。しかし彼はLSRを所有しているという事で、常にそれが傍で見守り続けると言う条件の下、以前と同じ生活を送ることを許されたのだ。
つまり通学再開の日というのは、ココネが戻って来る日と同じ事を意味していた。それが、今日のこの日だったのである。
「そのLSRが、実は持ち主と一緒に死のうとしていたと知られたら、こうはならなかっただろうなぁ……」
大学へ向かって。隣で一緒に歩くココネを見て、蒼太は思う。彼女のあれほどの損傷も、今ではその痕跡すらない。
「ワタシは機械だから、死という概念は存在しないわ」
「そういえばあの時も、“殺して”じゃなくて“壊して”だったね……」
どこまで行っても、彼女は彼女自身を機械、道具だと考えているらしい。ココネがそういうものとして作られているため、彼女はその考え方をそうそう変える事は無いだろうし、蒼太もそういうものだと、今は納得している。
しかし、それはそれとして気になることはある。
「君は――今のこの状況を、予測していたの?」
「この状況?」
蒼太は頷く。
「俺が自殺をやめる事をさ。その上で、条件付きとは言え短期間で元の生活に戻れることを」
型落ちでも、信じられない程の賢さと機転を、彼女は見せる事がある。それを思うと、実は想定通りだった、といわれても驚かないと蒼太は思った。
「現在、ロヴン1200シリーズに、離れた未来を予知する機能は無いわ」
「まるで今後作られるかのような発言するね……」
「極端な話になるけれど、宇宙全ての情報を常に把握できれば、その後の予想ができるでしょう? 高いところから物を落とせば落ちるのが予測できるのと同じ。収集する情報の量と密度次第では、理論上同じ事が可能よ。今後のテクノロジー次第では、可能性はあるわ」
遠回しな、やたらに理屈っぽいその説明を、蒼太は苦笑いしながら聞く。
「だから、ここまで想定していない、と言う事だね」
「その通りよ」
ココネは肯定する。しかしすぐに、『でも』と逆説を口にする。
「どうしたらあなたが自らを殺さずに済むか、それを考えていたのは本当よ」
そう言って、ココネは蒼太の手に自らの手を重ねる。その手はまるで人間の女の子のように繊細で、柔らかい。しかしその皮膚の下は無機物で形作られたもの。それが信じがたい。
「あらゆる手段と可能性を考慮して、けれどどれもアナタの自害を止められる確率は限りなく低かったわ」
「いきなり脱ぎ始められたのはビックリしたけど……」
「考えられる案の中では、アレが一番確率が高かったわ」
「そーなの!?」
信じられない真実を明かされ、蒼太はショックを受ける。自分は彼女から、エロいことで釣れば自殺をやめる人間だと思われているのだろうか……。
「一番高い、と言っても、その差は1%未満だったけど」
「そ、そう……」
安心するところかどうかは保留にしたいと、蒼太は思った。
「――有機生命体の、原始的な行動欲求に即した方法しか導き出す事はできなかったわ。ワタシの能力が高ければあるいは、もっと確率の高い行動を導き出せたのかもしれないけど」
普段と同じく、ココネの声は平坦なもの。しかし蒼太にはどこか、彼女のその言葉は少しだけ、己の至らなさに悔しさを覚えているように聞こえる。だからふと、蒼太は思う。
「だから、あんな事言ったの? 死ぬなら、その前に壊してくれ、って」
彼女は、LSRとしての機能が、人間の命を助けようと身体を動かすと言った。だから、自死を遂行するならば先に自らを止めてくれ、と。
まるで、『物理的な介入でしか助けられない己の存在など、あってはならない』とでも言うかのような。
「説明はしたでしょう? あの時も言ったけれど、ワタシは、自分が役に立てないのなら廃棄されても構わないわ」
「ううん、なんだろう、何て言うのかな……」
同じ事を言っている筈なのだが、どこか違うような、食い違っているような、そんな印象を蒼太は覚える。そういった合理的理屈ではない――どこか罰を求めるような、そんなように、彼女の言葉は聞こえる。
もし。もしも自分が。あの時ココネの言うとおり、彼女の身体機能をマヒさせてから自殺を遂げていたら。あるいは、彼女が間に合う前に死んでいたらと、蒼太は思う。
アンドロイドと人間は違う。しかし自分ならば、激しく後悔していただろう。きっと、それはとても苦しい筈だ。どうにかなってしまいそうな程に。
「――あなた。そろそろ大学へ到着するわ」
ココネの言葉に、時間の短さを蒼太は思う。この道程の短さでは、物事を考える時間としてはいささか不足気味である。
「ところであなた」
「? 何? ココネ?」
「この学校では、隠れて性的行為を行えるであろう場所が289箇所在るわ」
「この流れで何言ってんの!?」
それは果たして真面目に言っているのだろうか。真面目に言っているのだろう。でなければ例えアンドロイドでもここまで真顔である筈がない。そう、蒼太は思いたかった。
「緊張していると思って」
「もしかして冗談だった……?」
――真面目ではなかったかもしれない。
「いいえ?」
やっぱり真面目に言ったのかもしれない。
「不安を興奮で上書きしようとしたのよ」
「背徳感はありますけどね??」
「で、どうするの? 到着したら、早速場所を下見してみるかしら?」
「この会話の流れでどうして俺がそうすると思ったの……!」
蒼太が問うと、ココネはきょとんとした様子で首を傾げる。誰もがその仕草はとても可愛らしいと認めるだろうが、している会話はシモの話だ。
――周囲にちらほら見える、同じく通学している学生から注目を浴びている。内容が内容だけに、それこそ高いところから飛び降りたいほど恥ずかしかった。
「行くよ、もう!」
蒼太はココネの手を引き、早足で大学へと向かう。彼女はそれに、おとなしく追従した。
「校門から入ったら、まず左手側の最初に見えてくる建物に入って、そこから12m程歩いた先を左に曲がった所に、隠れて行為を行えそうなポイントが一つあるわ」
「大学でそういう事言うの一切禁止ね!?」
「じゃないとまたやらかすんじゃないかって」
「それとこれとは何の因果関係も無いからね!?」
どうやら、彼女の中では“自殺を止める手段=欲求を満たす”と言う構図ができ上がってきているらしい。うまくいかなかったのに。
と言うより、先に言ったとおり、他に方法が思いつかないと言うべきなのだろうか。蒼太は、自分が拒否する度に何か考え事をしはじめるように黙るココネの様子を感じて思う。
――だから、蒼太は彼女を“安心”させるために。はっきりと告げる事にする。
「ココネ。君が傍に居てくれる間は、絶対に死ぬつもりはないよ」
それは、宣言だった。どうあろうとも違えるつもりのない約束。
しばしの沈黙。後、ココネが疑問を口にする。
「何故?」
その疑問も尤もだろう。彼女が論理的な道理を導き出せずに首をひねるであろう事は、蒼太にも分かっていた。
だから――足を止めて、蒼太はココネへと振り返る。
「俺は、人間だからさ。愛香や心音があんなに悲しむのを見たら、流石に罪悪感がわいてきて、そういう事をする気は、当分起きなくなってきちゃった」
「人間だから……」
納得はしていない、と言った様子。蒼太も、仕方の無い事だとは思う。そういった心理的状態というものは、論理的な言語化の難しい分野にある。自分だって、もしココネの立場だったら納得して安心などできないだろう。
だから、蒼太はこう付け加える。
「それに――きっと、俺自身がそんな死に方をしたら、ココネの事も否定する事にもなるんじゃないかなって」
「ワタシを?」
ココネは、献身的に尽くそうとしてくれる。その時その時の最善を考え、時には自らのプログラムと相手への最適と思われる行動の違いに葛藤し、その中で取り得る手立てを考えている。
自死を選ぶという事は、そんな彼女の、彼女自身が己の価値だと思うそれを、努力を、根底から台無しにし、否定する事になる。蒼太はそんな事を、したいとは思わない。
「だから――心配しなくていいよ。自殺なんて考えない。何とか、物事を受け止めて前へ進んでいくよ」
「――あんなに苦しんだ顔をしていたのに?」
「ココネが支えてくれるんでしょ? だったら、なんとか頑張れるかも」
蒼太がそう言うと、ココネは目を見開いた。
そして――にこりと、優しい笑顔で微笑んで見せた。
「そうね」
きっと、これからもまた、死にたいと思えてしまうような事は起こるのかもしれないと、思ってはいる。
けれど今度はきっと、踏みとどまるのだろうなと。アンドロイドが見せる笑顔を見て、蒼太はそう思った。
了




