1.
その名前は、蒼太の初恋の女の子の名前である。
「ワタシの個体設定名称を“ココネ”で登録するわ。それでよかったかしら?」
大学寮の六畳一間。目の前の少女が口にするその名の響きに、蒼太は思わず悶える。
それは言ってしまえば、やった。とうとうやっちまったという、後戻りできない背徳感。犯罪ではないのに犯罪的な、イケナイ羞恥と快楽だった。そんな、危ない脳内物質が脳にもたらされる。そんな朝。
――菰田 蒼太は、大学生だった。今年度4月より通い始め、学生寮にて一人暮らしを始めて早1ヶ月。友達のいない事に耐えられず、羞恥に顔を熱くしながらも勢いままに“それ”購入。それが、届き、開封、起動させた。
彼女の外見年齢は十代中頃から前半。やや幼さが残る容姿。ハーフアップにした長い頭髪は甘い香りが漂ってきそうな亜麻色で、きめ細やかな白い肌、そして仄かに赤みの差す頬からは、思わず触れたくなる程の柔らかな印象を表出していた。
しかし一方で、緑の瞳のクールな印象の強い眼。細く形の良い眉。薄い唇と小さな口は、柔らかな外見の印象と相反している様子で。統合して、新雪の滑らかな雪を思わせる外見でありながら、ヒトを寄せ付けず、薄幸さを漂わせながらも思わず守ってあげたくなるような、そんな女の子の姿をしていると言えた。
――そして何より、彼女は人間ではなかった。
所帯じみた一室には釣り合わない、クラシカルなメイド服を着用している彼女。だが彼女は蒼太が自宅に連れ込んでコスプレさせている女の子に非ず。その正体は、一般的に市販されている物と同じ、“ライフサポートロイド”。略称“LSR”と呼ばれるものだった。
商品名は“イノヴェーションワールド・ロヴン”。型番はIW-L1220-TS-MT-AF。20年程前から世間に普及し始め、今では街中で見かける機会もそれなりに多くなったLSR。所謂彼女もその、生活支援用アンドロイドの一つであった。
掃除から洗濯から料理から。なんでも家事をこなし、人間の日常生活を支える事を目的として作られたアンドロイド。携帯端末の代理対応をしたり、対応する電化製品を持ち主が所有していれば遠隔でコントロールなんてのもできる、高性能ロボットである。
「う、うん。これからよろしくね、ココネ」
個体設定名称を呼ばれたココネは、緑色のアイセンサーに“主”の姿を映した後、軽く頷いて見せた。その所作に、所謂“人工臭さ”は一切感じられない。目の前には本物の人間の女の子がいるようにしか見えないため、蒼太の心臓は未だ暴れるのをやめない。
――これで、最新モデルなのではなく、売れ残りの型落ちだったりする。
蒼太は18年+の人生の中で、この人間の生活を支援する目的で生まれたLSRというものの発展過程を見てきたわけだが、彼の幼少期の頃のものは、機能面で問題はないものの、動きもずっとぎこちなく、一目見てもっとアンドロイドと分かる代物だった。
さらに言えば、姿もこれほど人間に近いわけではなく、いかにも機械ですよといった姿をしていた。彼の記憶の中で最も古いのは、バイザーの頭部、手足はステンレス鋼にゴムコーティングと、人間っぽさと言えば大まかな形くらいのもの。ある意味で男心をくすぐるものではあるが、人間的な魅力を持つ外見とはほど遠い姿だった。
蒼太は幼少期に『ブキミノタニ』――不気味の谷、なんていう言葉を聞いたこともあったが、しかし今では一切それの感じられないものが一般化している。技術の進歩のスピードは恐ろしいものであり、価格も、型落ちならば大学生の自分の手に届く範囲。通帳に記載された毎年のお年玉の合計額で入手可能な程である。
だが、このイノヴェーションワールド社製“ロヴン”――もといココネがこれほどにまで人に近い姿をしているのは、単にLSRだから、というだけではない。
彼女は、所謂セクサロイドタイプだ。
型番にある“TS”。タイプセクシャル。つまり、人間と“えっちな事ができる”機能の付いたタイプの証で、それ故に、彼女はその服の下まで完璧に、精巧に人間に似せられて作られていた。当然所有できるのは18歳以上の、年齢制限付きモデルだ。
ちなみに外見年齢区分は“MT”。モデルティーン。その名の通り十代の外見ではあるが、それを拡大解釈したかのように、十代前半の姿。
人間の快楽のために付与された機能を持つ。若干幼い外見のLSR。それらは蒼太が、緊張と興奮を覚える一因であるのは疑いようも無い事実だった。
けれども、それは蒼太がロリコンと呼ばれる人種だからではない。――売れ残りの型落ちが、彼女以外に居なかった、という意味でもないが、致し方無かったのである。
蒼太には昔――幼稚園に通っていた頃に、好きだった女の子がいた。大学生になってなお引きずる、幼い頃の恋慕。小学生になっても、中学生になっても、そして高校生になっても未だ心の中心にある、初恋があった。
それは、未だに忘れられない強い思い出。しかし、彼女とは離ればなれになって久しい。何なら、これからの人生で巡り会うことも恐らく無いであろう事が予想された。
そこに1ヶ月間、家族と離れ寮生活。大学で友人を作らず。通学路を談笑する各々を尻目に歩き。講義前は他者の雑談が嫌でも耳に入ってくる日々。思い出すのは誰とでも友達となれた幼少期。同時に強く想起される、当時よく一緒に遊んだ女の子。
結果それが、『そうだ、LSRを買って、その名前をその娘と同じにしよう!』と言う少々キモチワルイアイデアに発展してしまったのである。
そんなこんなで、初恋相手のイメージを掘り起こした結果、目の前のLSRの外見の選択に一役買っていた。記憶に残る少々無口でクールな印象と、幼い容姿に引きずられたイメージ。それが、今目の前に居る“ココネ”をネットカタログで選択させ今に至る理由である。
「次で最後の設定よ」
抑揚の少ない(性格設定で決定した)口調で、ココネはLSRの己の設定を口にする。
「ワタシの、アナタへの呼びかけ方を決めて頂戴」
「よ、呼び方かぁ……」
未だに心臓の早鐘を感じながらも、蒼太はその声を反芻。そんな彼を、ココネは邪推無しの純粋な眼差しで見つめている。――じっと見られているので、蒼太はなお落ち着かない。
どう呼ばれたいか。無難なところで言えば、名前呼びだろうか。しかし、彼女はライフサポートロイドの一般的衣装であるメイド服。『ご主人様』と呼んで貰うのも悪くない。と言うか、確かデフォルトではそうなっていたと蒼太は記憶している。
――しかし。しかし、である。折角自分は意を決して。それはもう、他の誰が見ているわけでもないのに一生分の勇気を出して、初恋の女の子の名前をLSRに設定したのである。言うなれば今は、羞恥のラインを脱線し、暴走列車のごとく突っ走っている状態である。
ならば。ここは包み隠さず、欲望全開で地平線の彼方まで突き進んでしまってもよいのではないだろうか。と、蒼太は思う。となれば、彼女に望む呼び方は一つだった。
「え、えっと――『あなた』で、お願いします……。こう、旦那さんを呼ぶ感じで……」
「『あなた』、ね。分かったわ」
やっちまったパート2である。しかし、ここまで来たらもはや1回も2回も同じである。
これにより! 蒼太は幼稚園のころからの幼馴染みとの新婚生活(疑似)を手に入れる事に成功した。何をしているんだという思いは本人も承知の上である。
しかし、目の前のアンドロイド含めツッコミ不在の今、彼を止める者は誰も居ない。暴走列車なのだから、止まる要素が無い以上、どこまでだって走り続けるのである。
「これで初期設定が完了したわ。アナタの素敵なライフサポートロイド、ロヴン、ココネとの新たな暮らしを楽しんで頂戴」
汎用メッセージらしきものを口にするLSR改め“ココネ”を眺めつつ、蒼太は思う。
「ワタシにして欲しい事があれば、指示をお願いするわ。いつでも言って」
彼女の様子は、静止状態でも完全に固まっているのではなく、生きている人間のような微妙な揺らぎまでもを再現している。本当に、生身の女の子がそこに居るようである。
そんな彼女が、である。セクサロイドであるココネが、である。指示を出せと持ち主である自分に要求してくる。
――蒼太は生唾を飲む。まっすぐな瞳で。透き通った、邪念も何も無い、いっそ無防備とも言える状態で、初恋の女の子にそっくりなアンドロイドがそこに居る事に。
メイド服越しながら分かる、細身の身体。たおやかな手足。控えめで小さいが、しかし仄かな膨らみがしっかりと確認できる胸。そして美術品のごとく計算された、儚げで美しい顔。
蒼太は、思わず下半身が熱くなる。
“自分だけの。何をしてもいい。幼馴染みの名前のついた女の子”
触れるのは勿論。撫でても、抱きしめても、匂いを嗅いでも、キスしても――無論それ以上をしてもいい女の子。
そんな、男の欲望を叶えるために生まれてきた美少女アンドロイド。今彼は、行き先暴走中の興奮列車のただ中に居る。誰も止める者はいない。口にすれば何でも叶うこの状況。
しかし一方で、よぎる冷静さ。いきなりそれは、とも蒼太は思う。この期に及んでが過ぎるが、人として大事なものをまだ失っていないと思っている彼は、盛大に悩み散らかした。
――と。そんな彼の悩みに割って入るようにココネが口を開き、蒼太ははっとする。
「ワタシにさせる最初の行動に悩んでいるみたいね」
「あ、う、うん……」
緑色の瞳が、じっと見つめてくる。直前まで考えて居たことを、何だか責められているかのような気がして蒼太は目をそらした。そんな彼に、ココネは助言をする。
「なら、性行為機能を使うことを推奨するわ」
蒼太は――思わず吹き出した。
「なななっ、なん、なん、なんっ!?」
「TSモデル購入者の78%が、最初に指示する行動としてそれを選択しているわ」
そう言って、ココネは機能美優れたるクラシカルなメイド服を脱ぎ始めた。エプロンの帯の結びを解いてぱさりと足下に落とし、胸元のボタンに手をかけて――、
蒼太は、慌てて待ったをかけた。
「待った待った待った!?」
「? ワタシへの指示に悩んでいたんじゃないの?」
「そうだけど! とりあえず脱ぐのストップ!」
幾ら何でも、購入者の78%諸君は欲望剥き出しすぎなのではないかと蒼太は思った。自分のエゴのままに幼馴染みの名前を彼女に付けた身で思う事でもないのだが。
「えーっと、ええと、ええっと!」
とは言え。わざわざセクサロイドを選んだ事からも分かるように、蒼太自身もそういう欲を持って彼女を購入したのは言うまでも無い。
しかし、こう、何か違うのである。違うと言ったら違うのである。
「じー……」
「う、う……」
ココネにまたもや正面からじっと見つめられ、蒼太はたじろぐ。単なる指示待ちなのは疑いようもないが、『早う何か指示を出せ』と催促しているかのように感じられる。
となれば。それこそ彼女のお勧めに従うのは、安パイであるとは言えた。購入者の78%が指示している行動である。誰に責められるワケでも無い。むしろ普通の行動だ。
だから、覚悟を決めることにする。背徳的なほどに無垢なエメラルドグリーンの瞳に見つめられ。半脱ぎ状態故に晒された、吸い付きたくなるような白い肌に釘付けになりながら。
蒼太は、指示を出す。
「へ、部屋! 部屋の掃除をしてもらってもいいかな!?」
――ヘタれた、日和見主義(誤用)の指示を。
「(だってしょうがないだろッッ!!)」
誰とはなしに、蒼太は言い訳をする。
「(だって罪悪感凄いんだもん! あの娘の名前を付けたココネにえ、えええ、えっちな事をしたらなんか申し訳なくってさぁ!!)」
だったら最初からそんな名前付けなければいいのに。
蒼太は頭を抱え紛糾する。幼い頃好きだった女の子。実質的にそんな娘と同棲、結婚生活しているのと同義(と勝手に設定した)と言えるこの状況に。
そんな娘に、開幕からにゃんにゃん(隠語)させてなどと。まるで身体が目的なだけのクズ男ムーヴではないかと勝手に葛藤。そもそも半ばそういう目的も含んで買ったのにもかかわらず盛大な矛盾を抱えてしまい、その心情は出口の無い迷宮で堂々巡りを引き起こすに至ってしまった。暴走列車は壁にぶち当たって停車中である。
「あなた」
「はっ、はいぃっ!?」
呼ばれ、裏返った声で蒼太は返事をする。
「頭をどうかしたの?」
服を着直しながら訝しげに首を傾げるココネの、まっすぐな穢れ無き瞳と共に、割と無慈悲な発言が彼を射貫く。
「あっ、ぐっ、が、が…………ッ!?」
――別に、ココネは蒼太を煽ったワケでは無い。ただ単純に、自身の主が突如として頭を抑えて苦しみ始めたから心配して声をかけたに過ぎない。
「ご、ごめんなさい……ごめんなさい……」
が、一人で思い悩んでいた蒼太にはその発言が、『気でも狂ったのか』という意味に聞こえてしまい、更なる自己嫌悪に陥らせたのは言うまでも無い。日本語ムズカシイネ。
結局しばらく。自爆で憤死しそうになっていた蒼太と、そんな不可解な主の行動に幾らか首を可愛らしく傾げるココネの姿ができあがったのは言うまでも無かった。




