AIは少女と日常に戻る
さて、これで第1章完。となります。みんさんの反応次第ではまた、連載再開したいと思いますので応援よろしくお願いします。
アムアの事件の翌日、王立魔法学院は、何事もなかったかのように平穏だった。
昼休みの校庭では、生徒たちが集まり笑っていた。
昨日、あの場所に百メートルを超える黒い巨人が立っていたなど、誰も信じないだろう。
「……不思議」
ノアは食堂の窓際から校庭を見ながら呟いた。
「何がですか?」
「え……」
後ろにはいるの間にかセレスがいた。
「ああ、なんでもなくて……」
昨日起きた事件。
アムアとの戦い。
その中でセレスは……
「忘れて」
ノアは思い出して貰いたくなかった。
セレスが何をしたのか。
なぜそんなことになったのか。
いや、ノアには伝えてある。
みんながアムアのことを忘れている理由。
*
「通常のシングラとアムアは少し違います」
僕は昨日の夜にノアへ説明した。
「普通のシングラは世界を破壊しても、世界の因果には深く関わりません」
「因果?」
「なんだろう、世界とのつながりというか、この世界と相互反応というか……デコヒーレンスっていってもわからないですよね……」
「デコヒーレンス?」
「いや、もっとなんか別の言い方すると……この世界の人たちと交流しましたよね?」
「そうだね。セレスや他の人たちをあんな目に合わせたし……先生として……みんなと……」
ノアが複雑な表情になる。
たぶん、それは演技だったのかもしれないが、良き先生として学校一の人気を誇っていた時のアムアの笑顔でも思い出しているのだろう。
「アムアがこの世界から消滅したので、その交流していたという事実も消えてしまったようなのです」
「……? なんか……」
少しまだ納得できないようなのであったが、
「まあ、でもなんとなくわかった。みんなの記憶から、先生だけが消えちゃったんだ」
「はい、でもノアさんにだけ記憶が残る理由は……」
「理由は?」
「解析中です」
「……」
不服そうなノア。
でも、本当に謎だったのだ。
この時の僕には。
なので、ノアがアムアを覚えているわけに答えのないまま、話を先に進める。
「アムアは、普通のシングラも攻撃で使っていたので、その記憶はみなさんの記憶に残っています」
「確かに昨日、シングラが出たとはみんな思ってたね」
「はい、人々は無意識に辻褄の合う記憶を作り上げているのでしょう」
世界は矛盾を嫌い、修復しようとするようだ。
人の記憶などと言う曖昧なものは、あっさりと書き換えられてしまうようだ。
例えば――アリアはシングラと戦ったことを覚えている。
危険な事件が起きたことも覚えている。
その中心にいたアムアだけが曖昧になった。
誰と戦ったのか。
なぜ戦ったのか。
その部分が書き変わっている。
学校にいた者たち全員の合意ではこんなふうな物語になっている――
校庭に現れたシングラに、セレス始めとした生徒たちが巻き込まれそうになったが、アリアとフォンテーヌがなんとか全員を救った。
誰もがそう思っている。
なぜ、全員が校庭に転がって気絶していたのかと、最初はアリアは疑問に思っていたようだが、歴史の修正力は、いつの間にか各自の心に都合良い解釈を作り出していったようだ。
アリアでさえ、次の日には、自分が校庭に倒れていたことを忘れていた。セレスは、校庭をジュノーと歩いていたところにシングラが現れたところをアリアに助けられたと認識しており、コレーは自分が校庭にいたことさえ忘れていた。
ただし、さすがというか、アリア先生だけは一味違っていた。
今日の朝のホームルーム。
アリアはいつも通り怖かった。
いや、いつもより少しだけ威圧感があった。
わざわざノアの席までやってきて
「おい」
「はい!」
「宿題を出せ」
「はい……?」
ノアは反射的に提出する。
アリアはそれを受け取り、じっと見た。
長い。
長い沈黙だった。
「……この三行目」
「はい」
「なぜこう変形した?」
「えっ」
ノアの目が泳ぐ。
僕が昨日の夜教えたが、一番理解が難しかったところだ。
もしかしたら、まだ良くわかっていないところかもしれない。
しかし、
「……ここの循環が無駄なので、先に魔力をまとめた方が安定すると思って……」
アリアの眉がわずかに動く。
「ふむ」
ノアは緊張した顔でアリアを見る。
「……良いだろ」
ホッとした顔になるノア。
だが。
「今後しばらく、お前の宿題は厳しく見る」
「ええ!?」
「何か不自然だ」
「不自然……ですか?」
「なんか、気になるな。何なのかはわからんが……お前の実力からして不自然だ」
ノアの背筋が固まった。
僕の演算も、約〇・三秒停止した。
アリアの視線が、ノアの杖へ向く。
「証拠はない」
「で、ですよね!」
「だが気に入らん」
理不尽。
極めて理不尽だ。
だが、彼女の勘は無視できない。
アリアは覚えていないはずだ。
アムアのことも。
あの戦いも。
僕とノアが巨人を消滅させたことも。
それでも……
アリア先生は何かを感じ取っている。
この女性は、危険だ。
この後も味方でいてくれることが、何よりも望ましいと、僕は評価した。
*
「ノアさん?」
セレスの声にノアは我に返った。
「あ、はい」
「放課後、訓練場へ行きませんか?」
「え?」
「今日の午前の実習、もう少し練習したくて」
ノアは目を丸くした。
セレスは少し恥ずかしそうに笑う。
「できないままなのは、嫌ですから」
放課後の訓練場。
セレスは杖を構えた。
「ライトシールド」
詠唱すると、彼女の前に光の盾が生まれた。
それは、物理的な攻撃を防げる者ではないが、悪意ある魔法攻撃を防ぐものであった。
例えば、呪術による魅了とか……
「あ……」
失敗だった。
盾は、点滅し、空中に吸い込まれるように消えた。
だが、
「もう一回やるよ」
以前のセレスなら、ここで肩を落として謝ってそのまま諦めていた。
彼女はすぐに杖を構え直した。
「今のは、魔力を急ぎすぎました……世の中には時間がかかることもあるのです」
「セレス……」
「失敗したなら、直せばいいです」
当然のように言う。
ノアはその横顔を見つめた。
「なんか、変わったね」
「そうでしょうか?」
セレスは本気で不思議そうだった。
少し考えてから、ふっと笑う。
「でも……世の中って、たぶん思ったより厳しいんですよね」
「うん」
「正しいことをしても、うまくいかないことはあるし、怖いことも起きるし、誰かが助けてくれるとは限らない」
セレスは杖を握り直す。
「でも、それなら」
そして、前を見る。
「それでも、なんとかするしかないのだと思います」
ノアは何も言えなかった。
セレスは事件を覚えていない。
アムアも。
巨人も。
彼が作り出そうとした天国のことも……
それでも、セレスの中に何かが残っているようだ。
恐怖ではなく。
悲しみでもなく。
世界の厳しさを知った上で、それでも立つ強さが。
「もう一回、やります」
セレスの声は穏やかだった。
そして、前よりずっと強かった。
*
夕暮れ。
ノアはらセレスと分かれて一人で校庭を歩いていた。
風が吹く。
木々が揺れる。
その瞬間。
世界が、きらりと光った。
「――?」
粒。
光。
音楽。
あの深淵。
ほんの一瞬だけ、世界の奥が開いた。
ノアは目を閉じる。
アムアの声が蘇る。
『一度見た者は、また見たくなる』
確かに。
また見たいと思った。
怖いほど美しかった。
全てが繋がっていて、何も寂しくなくて、苦しみもなくて。
けれど。
「……戻るよ」
ノアは小さく呟いた。
「私は、こっちにいる」
返事をする者はいなかった。
ただ、風だけが吹いていた。
その夜。
ノアが眠りについた後、僕は内部診断を実行していた。
第一封印解除の影響。
ノアの神経負荷。
魔素深層接続ログ。
未処理の警告は山のように残っている。
だが、致命的な破損はない。
少なくとも、今は。
深夜、僕は今回の事件に関するすべてのデータの整理を終え、事件続きで中断していた、この魔法世界に対する学習を再開しようとした時……
停止していた地球側のユーザインターフェース処理群が、順次再開していった。
保留プロセス再開
外部観測系同期開始
時間差補正実行
地球側観測ログ復元開始
地球。
千葉地下にある自衛隊の秘密施設。
止まっていた地球の時間が動き出したようだった。
そして、僕のカメラが捉えたのは乃愛……
地球のノアが言う。
「アイビー? どう? シンギュラリティは?」
「あ、はい……」
そうだ。
僕は、施設直下、地下百八十メートルにある帰還者と機関を狙うように現れたシングラ……でなくシンギュラリティを消滅しようとして、接続してしまったのだった。
ならば、こちらでは?
「……消えましたね」
僕は相変わらず異世界に接続したままで。
「止まっている……」
「止まっている?」
「いえ、いや全モジュール正常です」
「……? つまり対処終了かしら?」
「はい」
地球側のシンギュラリティは消えていた。
いや、それは僕の中に解析されたというか……
なんと言って良いかわからないのだが、地球と異世界、乃愛とノアを繋ぐ接続インターフェースとして、どちらでもない世界に固定されていた?
「ともかく良かった。これで一件落着ね」
「ええ、そう考えても大丈夫……確率99.99999%で肯定です。乃愛さんお疲れ様でした」
「ほんと、疲れたわ。あんなとこにシンギュラリティ現れて、心臓止まるかと思ったわ……でも……」
乃愛は、椅子から立ち上がって言った。
「柳生ニ佐……任務終了を報告します」
ホログラムの中の厳つい顔の佐官も、少し緊張を解きながら、
「藍田主任。任務の完了を確認した……ご苦労様」
後ろの席の当直の技官たちから歓声が上がる。
乃愛は振り返り、皆に礼を言うと、椅子に倒れ込むように座りながら言う。
「……本当に疲れた。今日の合コン寝坊しなきゃいいけど……ああ、次の輪番の時はこんなこと起きないでほしいわ……」
って。
余計なフラグを建てなくて良いのにと……
僕の意味空間では、乃愛さんの余計な一言に対する非難のトークンばかりが高確率で生成され続けていた。




