密室バレンタイン<前編>
高校に行きたくない日、というものは結構な頻度で存在している。それは体育祭だったり課外授業だったりがそれに当たると思っている。恵茉で言うなら、きっと一斉テストや模試がそうなんだろう。……そんなことはないか。恵茉がテストの日を嫌だと思っている様子はなく、いつも自信満々で受けに来ているし、毎回俺に向かって『順位が変わりますよ』だの『高瀬君より上に行く自信があります』なんてのたまうのは最早恒例と化している。
電車を降りて高校まで歩く間にも、今日という日の片鱗が見え隠れしている。マジで休めばよかった、と思っているのに登校している理由は、多分というか、それでも期待しているからなんだろう。
少しだけ積もった雪が解けてドロドロになっている。土と水が混じって歩いた道は黒く変色していた。靴にしみた気がして、さらに気分が青くなる。ため息に近い何かが口から漏れて、白く曇った。そこには
今日という日の、あの美しさと可愛らしさは全くといっていいほど存在していないように感じられる。
2月14日。
何を隠そう、今日は聖バレンタインデーだ。
同じ電車に乗り合わせていた女子たちは、示し合わせたように色とりどりの紙袋を下げていた。可愛らしいリボンで整えられたラッピングからは、たとえ友チョコだとしても、その本気度を推し量ることができよう。
振り払うように目線を高く上げたせいで、今日の本命の姿を目視してしまう。ピンクのマフラーを後ろで結んで、厚手のダッフルに身を包むくせにスカート以下の防御力が異常に低いそんな彼女。数十メートル先に仲良くなのかは分かりかねるが、女の子と並んで高校まで歩いている。
もちろん恵茉以外はありえないんだけどさ。スクールバックを肩にかけるように背負ったいつものスタイルからは何か大事なモノが入っているようには見えないし、両手はポッケの中だから手提げ袋なんて装備しているはずもない。
なんとなく俺の歩調がスローペースになってしまう。別に確定でもらえるなんてそんなつもりはなかったけど、ほら、だって、期待するのはしょうがないでしょ。
最近は余裕をもって教室に入るようにしてたけれど、今日はちょっとギリギリになってしまった。それもそのはずで、下駄箱を開ける際に無駄に変な間を作ったりして見られてないか恥ずかしくなったりしていたのもバレンタインデーあるあるなんじゃないだろうか。当然何も入っていなかったが。
「おはようございます、高瀬君ギリギリですね」
平然と話しかけてくる恵茉は、別に今日のことなんて意識も入っていないようなそんな感じに思える。むしろ、クラスメイトの男子たちのほうが余計に敏感になっているのかもしれない。恵茉がチョコを持っているのかどうかを神経すり減らして伺っているようでもあった。
あぁ、とも、おぉとも良く分からない返事をして、こっちも素知らぬふりを決め込む。正直、バレてるんだろうな。
「今日、2月にしては温かいですよね。恵茉にしては願ったり叶ったりですけど。なかなかいい感じに仕上がりそうです」
「……なにが?」
「それは今日の部活の時にお話ししますけど。あ、今日の放課後も研究会ありますから。不参加って可能性はありますか?」
「いや、大丈夫」
良かったです、と呟いたと同時にチャイムが鳴った。駆けるように自分の席に戻って俺に向かって手を振る。コレで何もなかったらどこに訴えればいいんだろうか。消費者庁?
それでも、俺が見る限り恵茉はお菓子の類を持っていないように見える。昼休みなど、教師の中で何人かに友チョコをもらっている様子は確認できたが、渡しているような素振りは見られない。
逆に放課後にならないほうが良いんじゃないか、なんて思ってしまった。期待と諦念を交互に心を揺らしてるぐらいが楽しいのかもしれない。
クラスメイトの交換劇は、ほぼほぼ終了したようで、放課後に期待を寄せている男子も相違ないのではないだろうか。もらっている方が少数派なんだけどな!
「高瀬君は誰かにチョコもらいました?」
待ちに待った放課後、部室の鍵をもらいに行く間に他愛もなく恵茉が話しかけてくる。
なんだろう、一定の距離感が存在する中では直球ストレートなモノはタブーなんじゃないだろうか。いつから解禁されたのか。
「いや、俺なんかもらえるはずねーから」
「あ、そうでしたか」
流れだとしたらこの後にスッと出てきそうなものだが、のど飴一つも出てこない。クラスの男子が『あーあ、チロルチョコなんて言わないから飴一つでもくれねーかなぁ』なんてぼやいていたのが本気で分かる。それだけで一瞬で恋に落ちる自信があるからな。
部室の鍵を恵茉がとって、貸出票に名前を書く。いつものことながら後ろで待っていると、肩をポンポンと叩かれた。勢いよく後ろを向くと、ほっぺにぷにっと固い指。
不意に目が合ったぼさぼさ頭の教員に呆れた声が出てしまう。
「何してるんすか、須藤……」
そんなの今どき高校生の間でもやらないぜ。
「女子かと思った?なんか期待した?残念、先生でした」
やけにテンションが高い担任に少しだけムカついてしまう。その理由も察することができるのにも無性に腹が立つ。
「高瀬君、これ見てよ、ほら。センセーめちゃめちゃおもてになってんのよ」
そういって須藤のデスクまで引っ張って行かれる。切れ長な目つきと妙に親しみやすい態度、若干高めの年齢層が多いうちの教員の中でもかなり若手の男性教師。
「そりゃそうでしょ」
須藤の机の上には溢れんばかりのチョコが並んでいる。中には本命なんじゃないかと思わせるぐらいの気合が入ったものまで。
「うわー。須藤先生さすがですね。ワンツー、さんしぃ……めちゃくちゃ貰ってますね。あ、コレ凄い高いやつですよ。あ、こっちはかなり凝った手作り……」
恵茉も寄ってきて須藤チョコの品評会が始まっている。
「家入も俺にくれてもいいのよ」
モテる人はさらっと言えるからズルい。須藤が恵茉に物乞いし始めると、いたたまれなくて少し後ずさってしまう。
残念ながら、と恵茉がこぼした。今は持ち合わせがないんです、と。体よく断りを入れる恵茉の姿に自然と笑みがこぼれてしまった。もちろん須藤が見逃すはずなく俺に軽い蹴りを入れた。あ、体罰だぜ。
恵茉がちらりと時計を見た。釣られて俺も視線を移動させる。4時半。須藤とのやりとりのせいで10分ぐらい職員室にいたことになるんだろうか。
「じゃぁ須藤先生、恵茉たちは部活動です。失礼しますね」
キチンと恵茉が頭を下げて帰っていく。倣って俺も軽く頭を下げようとしたら須藤に掴まれた。俺の耳元で須藤がささやく。もらえるといいな、なんて。
予想外すぎる良い声に少しだけ照れてしまう。そもそも、そんなんじゃないからな。
「?なんか話してたんですか?」
きょとん顔で問いかけてくる恵茉に手を振る。
「なんでもねぇよ」
「それにしても凄いですね、須藤先生。恵茉もあげるべきだったのかとちょっと迷いますよ。まぁ最初から考えの外でしたけど」
鼻歌交じりに上機嫌で進む恵茉。ここまで何もないと逆に穏やかでいられるのかもしれない。それでも彼女にチョコの有無をきけないのは小さなプライドなのかもしれないけど。
晴天の青空が儚げに校舎を照らしていた。
「外はまだまだ寒いですね。でも部室って結構温かいじゃないですか。あれ、かなり日当たりが良いからですよね。夏は恵茉的に結構地獄でしたけど、冬になってやっとありがたさを感じますよ」
人の出入りが少ない旧校舎はかなり冷え込むが、比較的日の当たる文芸部室は日中に温まることもあってあまり寒さは感じない。それでも簡易ストーブは必須でもある。
「今日はいつもと比べてだいぶ気温が高めだしな」
旧校舎の出入り口付近で制服に身を包んだ女の子とすれ違う。顔を上げずにバタバタと走っていくせいでぶつかりそうになった。
「高瀬君ちゃんとしないと。危ないですよ」
そろそろ部活も始まっているようで一年前とは比べ物にならないぐらい上達した金管の音がこだましていた。
「あ、ちょっとすみません。鍵開けてくれますか?」
部室の前で恵茉が俺に鍵を渡す。本人はおもむろにスクールバックを下ろしてマフラーを取り出している。
「別にいいけど」
ガチャリ、と開錠の音。俺が開けることはそうないな、と思った。
中に入ると期待した通りにほんのりと温かい。もはやルーティンと化したように小さな備え付けの電気ストーブのスイッチを入れる。
気づかないふりをしてしまったのはなんでだろうか。机の上に仰々しく置かれた白い箱。お店のものともちょっと違う、手作りのような箱が置いてあった。昨日帰ったときには無かったはずだ。となると。
無言でそれを眺める。外に漏れるんじゃないかってぐらい鼓動がうるさい。やや遅れて恵茉が部室内に入ってくる。
恵茉が箱に視線を落としながら、ぼそりと呟いた。
「事件です」
なんで。




