還る時間
1
頭を抱えてながら、目を覚ました太助。しかし、魔物の姿はない。老樹のそばに子供達が集まっていた。
「おい、君達、怪我はないか。あいつはどこだ?」
「終わっちゃいましたよ、全部」
亘が呆れた顔を浮かべる。終わったというのは、つまり、魔物に勝ったのか。「それは何よりだ!」と皆に握手するしかなかった。
「一番いい見せ場がなかったけど、終わり良ければすべて良しとするか」
「ねえ、この人誰?」と呼ぶ茶髪の子。
「さあ」
今どきの子供は生意気だ。
「ところで、あいつはどうなったんだい?」
「元いた場所に帰っていった、そんな感じです」
「そうか……」
結局、自分には出番らしいものが一つもなかった。
その時、大きな揺れが起こった。天井と下の両方から濁流に似た轟音が響く。あまり、いい兆しがない。
「ラスボスが死ぬと、城が崩れ落ちるってパターンだな、これは」
「そうなんですか?」
「そうだ。たぶん」
壁面の一角が吹き飛び、そこから水が流れ出す。今度は違う場所から何か所も噴出する。
「ほら、逃げるぞ!」
太助達は大広間から出て行く。天井の石が次々と落ちて、床を削っていく。そして、床からは水鉄砲が吹き上がる。
「先生!」
亘が叫んだ。
「早く逃げて!」
裕美子が首を横に振った。彼女は、老樹の根元に座り込んでいた。その膝の上には、動かなくなった翔が横たわっていた。
老樹が支える地盤を失い、徐々に傾いていく。
「先生!」
太助は亘の手を掴んだ。
「行こう」
「でも、先生と翔くんが――」
「二人はきっと大丈夫」
太助の眼には、裕美子が大人の姿から小さくなったように見えた。あれは、二十年前の姿だ。
そういうことか。言葉にはできない原理を理解して、あとは自分のするべきことを選んだ。
「篠田くん。二人は平気だ。君には友達がいる。ここで死んだらダメなんだ」
涙を流す亘の手を引いて、太助は広間の外の階段を上がり始めた。
2
「裕美子か……」
小さく開かれた瞳は輝きをなお失わず、愛おしかった。
「翔ちゃん、ごめんね。今まで、私……」
「おれこそごめん。結局、裕美子を巻き込んでしまった」
「もういいの」
裕美子は、少年の胸に顔を埋めた。
「きっと、これでよかったのよ。これで……」
崩壊していく世界の片隅で、二人は、今までできなかった約束を果たした。
3
階段を上がりきると、別の部屋に変わっていた。ぶら下がっている肉袋が消えている。
代わりに、ぞろぞろと何かが集まっていた。亘は本の呪文を唱えたかったが、例の本は灰になってしまった。
「なんだ、こいつら……」
人体模型、口裂け女、オトネ様、カエルの化け物、無数の鬼、巨大な蚊、鬼の大群など、魔物が今まで見せてきた妖怪たちが勢ぞろいして、道を塞いでいた。
「通してくれなさそうだな」
コリンをおんぶする太助がため息をついた。
こんなところで妖怪に八つ裂きにされてしまって終わるなんて……。亘は悔しさを顔に滲ませていると、窓がぶるぶる震えて一斉に割れた。外から強烈な光りが入ってきた。
「なに、あれ?」
窓ガラスを突き破り、周りに飛び交っていた極楽鳥を蹴散らしたのは、巨大な魚だった。三十メートルは越える。全身が骨だけになっているが、中には人がいた。乗っていると表現した方が正しい。
巨大魚の口が教室の床に乗ると、中に入っていた人が降りてくる。亘は警戒した。青白い肌をした五人の子供で、顔はお祭りの縁日で売っていそうなお面をかぶっている。状況といい、その姿といい、人間ではない。
「よお」
太助が当たり前みたいに彼らに呼びかけた。すると、お面の子供達も手を上げて返した。
「あの子達を知ってるんですか?」
「さっき、ちょっとな」
お面の子供達は魚の中に入るように手招きする。
「助けてくれるのか」
こくん。こくん。こくん。こくん。こくん。
「かたじけない。皆、急げ」
全員が魚の中に乗り込んでいく。お世辞にも広くはないが、この際、文句なんて言っていられない。
「お前達も早く乗れ」
ううんと返す五人。彼らはなんと床から浮き上がり魚の周りを漂った。すると、魚が大きな音を立てて動き出す。
その時、太助が校舎に降りた。何かを思い出したかのように。
「佐藤さん、何やってるんですか?」
「悪い。ちょっと、思い出した用があるんだ。先に逃げといてくれ」
「何言ってるんですか? 早く!」
「心配するな。すぐ追いつくよ」
魚が校舎から離れていく。太助の背中がさっき出てきたばかりの階段を駆け下りていくのを見送りながら、亘は泣いた。
「うちの伯父さん知らない?」
美弥乃が声をかける。寛和の姿もなかった。たぶん、理由は分かっている。彼らの行き先は決まっている。
旧校舎はやがて、屋根から崩れ始め、崖と共に奈落の底へと落ちていった。
4
「よお」
翔はまどろみから覚めた。裕美子の赤い顔が目の前にあった。二人の大人がそばに座っていた。彼らが学級委員と自称天才子役だとなんとなく分かった。
「お二人さんでいいところで悪いな」
「別にいいよ。なあ、裕美子」
「うん。せっかく、みんな揃ったんだから。ねえ、翔ちゃん。今度は仲里さんも入れてあげてね」
「らん子は苦手じゃないのか?」
「たぶん、寂しいから突っ張っているだけなの。本当は優しい人だと思う」
裕美子が言うなら大丈夫だろう。
「赤信号、みんなで渡れば怖くないってやつかな」
これから自分は本当に死ぬだろう。しかし、皆がそばにいる。もう、何も怖くなかった。目の前にいる昔の旧友を通して、自分を助けてくれた、未来、一也、雛、そして、亘に言葉を送った。
「ありがとう、みんな……」




