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新生 学校の怪談  作者: 周防まひろ
最終章 魔界ノ刻
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53/58

魔界城


     1


 また、夜がやって来ようとしている。

 学校の近くに停まっている派手なデザインのコンテナ車。ドクロの空っぽの眼窩から飛び出す双頭の蛇と、そのドクロを掲げる半裸の男が描かれている。筋骨隆々の肉体美をたたえた長髪の青年のモデル、クリムゾン青木は車内のベッドに潜り込んでいた。

 黒子姿の黒鵜とネイキッド鈴木は窓から外を窺っている。

「あいつら、また活発になりだしたみたいだよ」

 彼らの横では、ボーカルの朧が双眼鏡で、学校の正門に集まる一団を観察する。かがり火が灯され、松明を手にする住民達。現代では異様でしかない光景だった。

「どうする、クリムゾン。敵さんらが集まりだしている」

 メンバーはベッドで丸くなっているリーダーに期待した。しかし、今朝からずっとふさぎ込んだまま動かない。こちらの呼びかけにも応じない。

 いたたまれなくなり、朧がベッドを引きはがした。水玉模様のパジャマを着て、クマのぬいぐるみを抱いて、ナイトキャップを被っていた。

「クリムゾン、君は……」

「ぼくちんはそんな名前じゃないでちゅ。野村仁でちゅ」

 幼児退行。通っている短大の講義で聞いた用語を思い出して、朧は頭を抱えた。

「クリムゾンはどうなってしまったんだ、朧?」

「過酷な現実に対して、彼は自己防衛のために精神年齢を幼児に戻してしまったの。今の彼は、幼稚園児と一緒だ」

「じゃあ、いつもと同じだ」

 確かに以前でも子供っぽさのあった彼だが、少なくとも、現状を打破する意欲はあった。今のままではどうにもならない。

 昨夜、意気揚々と妖怪達に立ち向かったものの、何一つ敵わず、結局、逃げ回ることで精いっぱいだった。相手はそこらのDQNとは違う。そもそも、生まれてから一度でもケンカをしたメンバーがいるのかは疑問であった。

「とにかく、リーダーがこんな状態じゃ、どうにもならない。なあ、クリムゾン、起きてくれよ」

「ん、なあに、パンツのおじちゃん?」

「ネイキッド鈴木だよ」

 クリムゾンは逃げるように毛布をかぶってしまった。

「パンツ一丁のおじちゃん怖い。勝手におフランスなんかに行く裏切り者。ぼくちんだって、一度は行きたかったんだ」

「ああ、聞きたくなかった。結局は嫉妬だったのか」

 ネイキッドは失望したように頭を抱えた。朧が業を煮やし、代わりに話しかけてみた。今の彼は子供だ。以前よりも幼くなった。気をつけて話さないといけない。

「ねえ、クリムゾン。君の願いは何かな? どうすれば、元の君に戻る。よかったら、おねえさんに教えてくれない?」

 親指を口にくわえながら、クリムゾンは言った。

「ええとね、ぼくちん、どーていだから、朧たんとおせっくすしたいでちゅ」

「ざけてんのか、てめえ!」

 ついドスのきいた声で怒ってしまった。クリムゾンは大泣きして、ベッドに隠れてしまった。反省する余裕もない。あんなことを聞かれたら誰だって怒るだろう。

 しかし、どうしたらいいものか。

 その時だった。黒鵜がつかつか歩いてくると、クリムゾンを引っぺがした。そして、その顔に往復ビンタを見舞った。

「なにをするでちゅ? 児童虐待で訴えてやるでちゅ」

「いい加減にしなさい! いつまでもビービー泣いても仕方ないじゃない!」

 黒鵜は頭巾を脱いだ。ショートカットの金髪に勝ち気そうな、彫りの深い顔がのぞく。朧は衝撃を受けた。ネイキッドもクリムゾンも当然だろう。この中で、黒鵜の素顔を知っている者は誰一人いなかった。名前とキャラの感じからして、ずっと男だと思っていた。

 サタマリアの紅一点という肩書は返上しないといけないな。そんなどうでもいいようなことを思いながら、朧は二人のやり取りを見守るしかなかった。

「この弱虫。あんた、兄貴の仇を取るんじゃなかったの!」

 黒鵜は黒服を脱いだ。なんと、クリムゾンが期待しそうな下着でも水着でもなく、神社の人が着るような巫女の姿だった。

「コスプレ?」

「違う。今まで隠していたけれど、私はこの町の神社の神主の娘なの」

「じゃあ、処女でちゅね?」

 黒鵜のゲンコツニクリムゾンは吹っ飛んだ。車体に当たり、豪快な音が響いた。

「あんたはここにいるのは、自分の運命だといったんじゃないの? 自分の使命は悪魔を倒すことだって。なのに、なんなんだよ、このざまは!」

「だって、ケンカでは勝てないんだもん」

 語調が少し赤ちゃん言葉から離れた。

「相手は妖怪だ。こぶしで勝てたら、皆で戦える。でも、あいつらには効かない.実体がないから」

「じゃあ、どうすれば――」

「あたし達には、一つだけ武器がある」

 黒鵜はクリムゾンが愛用するギターを取り出して、それを彼に持たせた。心なしか、正規のない瞳に光が宿った気がする。

「音楽。そう、あたし達は、皆、それで社会と戦ってきた。妖怪相手でもそれは変わらないはずよ」

「あの、一ついいですか?」

 ネイキッドが遠慮がちに手を上げた。黒鵜の正体が年下の女性と分かったせいか、妙によそよそしい。今まで、ライブ中にプロレスごっこをさんざんしたり、下ネタを吐きかけたせいだろう。

「音楽であいつらに対抗できるものですか?」

「できる。今まで黙っていのは二度目になるけど、皆の楽器には、あたしの神社のお守りが入れたの」

 ネイキッドが自分のドラムセットを確認した。朧も自分のギターを確かめる。アクセサリーのように小さなお守りが留めてある。模様も梵字になっている。

「あたしの家には昔から言い伝えがあるの。かつて、この地に封印された魔物が、二十一番目の刻によみがえる。そして、地上をあまねく支配する。あたしの家は、代々、この町の守り人としての役目を負って来た」

「黒鵜、遅れてきた中二病とかじゃないよね?」

「本当のことよ。ここにそう書いてある」

 彼女が古い巻き物を見せた。何やら、大変な内容が書いてあるみたいだが、毛筆を読める者はここにいない。添えられた絵には、不気味な大木が描かれている。童話に出てきそうなものよりも不気味だった。幹には無数の顔やドクロが浮き出て、枝葉に捕まった人間が逆さ吊りにされ、中には骨になっている。

「二十一番目の暦とは、二十一世紀。二番目の羊の七の月とは、二〇一五年七月。空に火の粉が舞い上がる夜、つまり、昨日だ。すべて伝承通りだ」

 すべて符合しているが、それならもっと早く言ってくれたらいいのに。

「それと、僕とどんな関係がありますか?」

 クリムゾンの語調がまた進化した。中学時代の彼くらいに戻っている。当時は、学年でトップの成績を誇る優等生だった。それがクリムゾン青木の人生ピークで、あとは下り坂である。

「古文書にはこう書いてある。寄生木の魔物が降臨し時、いにしえの血を受け継ぐ四人の勇者が抗う。分かる? その人が誰なのか……」

 朧が代わりに答えた。

「まさか、それが私達……」

「その通り! あたしやあなた、フロンタル、そして、クリムゾン、あたし達こそが選ばれた者達なの」

 黒鵜の目は暗闇の中でらんらんと輝いている。伝承が事実か嘘かは別として、彼女には抑えがたい強烈な英雄願望がある。朧は直感でそう思った。

 黒鵜はクリムゾンの手を握る。

「もう一度言うね。あなたは選ばれたの。あたし達と同じように」

「俺が、この俺が……」

 クリムゾンの顔に生気が甦ってくる。水を得た魚のごとく、ベッドから抜け出し、パジャマを乱暴に引き裂いた。

「今こそ立ち上がるの! この町を、いいえ、この世界を魔物から守るの。なぜなら、あたしらは――」

「救世魔軍サタマリアだ!」

 クリムゾンが大きく腕を振り上げ、コンテナの扉を開いた。

「アンプ全開、ボリュームマックス、サラウンドOK?」

「OK」

 メンバーも早々を正装に着替える。朧も気分が盛り上がっていく。これから壮大な戦いを始める。

「行くぞ、てめえら! クソッタレの妖怪どもを全員ジェノサイドだ!」

 サタマリアのメンバーが外に出た。


   2


 最上階まで上がった亘達は、長い廊下に出た。突き当りにあるドアから光りが漏れている。三〇八号室とある部屋だった。

「あそこで間違いない」

「行くぞ。こう引き返せない」

「分かってますよ」

 太助よりも先に亘はそのドアを開けた。急に強い風に引っ張られて落ちそうになった。間一髪で太助に止められる、

「気をつけろ。お化け屋敷の入り口が二つあるトコと同じだ。片方はトラップ」

 三〇七号室のドアの向こうは、外になっていた。床もなく、そのまま出ると空中に放り出されて落下するようになっている。

「そんな……じゃあ、入り口はどこに」

 太助は廊下にあるドアを開けていく。ドアは左右に三つずつある。順番に開けて確認していくが、どれもきれいに整えられた六畳部屋があるだけだった。共同トイレも見たが、何の変哲もない。他に探す場所はなかった。

「旧校舎の入り口は、ここにはないのか」

「そんな……」

 亘の中で確信が崩れ落ちていく。せっかく命からがら鏡の世界に入り込めたのに、積み上げてきた苦労と推理が間違っていたなんて。その場で座りおこみたくなるほどの疲労が押し寄せる。

「ここにないなんて。さっきのも罠だった。あいつは僕らがここに来るって分かっていたから」

「待って」

 裕美子が先ほどの部屋の前に立った。

「赤松さんが言っていたわ。自分が部屋の一番奥で下宿していた。婚約者の女性は三〇七号室に暮らしていた。でも、彼女がいなくなってから、部屋は使われていない」

 裕美子はまたドアを開けた。さっきと同じように吹き抜けの景色になっている。前方には校舎が映っている。

「篠田くん、この建物の入り口がどの方向になっているか覚えてる?」

「ええと、校舎に面して」

「二階へ続く階段は、学校の外側。二階へ上がって、廊下を進んで突き当りの階段を上がると、三階に出る」

 裕美子に説明されて、亘は改めて、おぼろ屋敷のおかしな構造に気づいた。

 普通、階段のある場所は同じでないとおかしい。ここでは、二か所ある階段が奥と入り口側に分かれている。当時、三階に暮らした教員は、さぞかし不便に思った事だろう。

「そうか……おかしいですよね。ここから学校が見えるのは」

 問題は奇妙な構造ではない。今自分達がいる位置は、三階の奥、ドアのある三〇七号室は学校の外側に面している。つまり、吹き抜けになった三〇七号室のドアから、学校が映るのはおかしいのだ。

 つまり、それが意味するのは……。

「この風も風景も幻」

「先生……僕が先に行きます」

 裕美子は首を振った。

「もしも、私の当てが外れても諦めないで、きっと、この建物のどこかに入り口があるのは間違いないのだから」

 そして、裕美子はおもむろに三〇七号室に踏み込んだ。右足が空中に着いた時、亘は目をつぶった。

「おい」

 太助に肩を叩かれて、亘は目を開けると、目の前に彼女の姿は消えていた。思わず駆け寄って、恐る恐る真下を確かめるが、裕美子が倒れているなんてこともなかった。

「確かに、あの人は部屋の向こうに消えた。俺が手本を見せてやるぞ。ああ、クソ。こんなことでしか大人になれないなんてな」

 太助もまた、ゆっくりと部屋に踏み込んだ。その瞬間、太助の姿が消えた。落ちるように消えたのではなく、まるで、霧のように薄くなった。

 亘は二人の消えた部屋に一歩進んだ。このまま下に落ちて死ぬ姿を想像しながら。

 しかし、踏み出した足は止まった。バランスを崩してそのままつんのめる形で亘は倒れた。思わず目を開けると、周りは他の部屋と同じつくりになっていた。六畳の畳の部屋に、申し訳程度に置かれたガスコンロと冷蔵庫、押し入れは空っぽだった。窓があるところには段ボールで隙間なく塞がれているので、外からの光りはわずかしか入らない。

「先生! 佐藤さん!」

 二人を呼んでみたが、反応はない。どこへ来たのだろう。

 亘は部家の中を探した。ここが旧校舎への入り口に通じているならどこかに、その扉らしきものがあるはずだ。

 ふと、初めて一也と未来と合流した日、二人の妹と弟がここにいたのを思い出した。あの時、二人は押し入れに隠れていた。

「押し入れか」

 ふすまのない空っぽの押し入れの中に入ると、亘は携帯電話のライトを消した。辺りが闇に包まれる中、気の壁にうっすらと何かが浮かび上がってきた。

 小さな、鉄の扉である。表面には不気味な鳥がこちらに向かってくるレリーフが彫られている。いつか、翔が話してくれた、極楽鳥を思わせる。

 二人はここから中に入ったのか。それとも違うところからか? 

 意を決し、亘は恐る恐る鉄扉を開けた。きしむ音と共に隙間が現れ、彼は体をかがませながら、狭い入り口を通った。

「なんだ、ここは……」

 扉の向こうには異界が広がっていた。自分のいる所は断崖絶壁で、草木の生えていないごつごつとした岩肌をのぞかせる。遠くには赤い溶岩を吹き出す火山が連なり、目の前の崖はつづら折りに伸びている。そして、崖の道の数百メートル先に四角い建物がそびえていた。

 建物は木造の二階建てで、左右には無数の窓ガラスが見える。ポーチのかかった入り口には、先ほどと同じ鉄扉が両開きになっている。ポーチの少し上の壁には時計がかかっていて、時間は四時四十四分で止まっている。

 まるで、昔の学校のようだ。まさに旧校舎だ。

 あの中に、皆が閉じ込められている。そして、あいつが待ち構えているに違いない。亘は崖の上を歩いた。なるべく真ん中に立つようにした。さっきから、崖の真下に広がる闇の中で何かが動いたせいである。

半ばまで来た時、闇の底から何かが上がって来る。それは、巨大な蛾だった。羽をばたつかせ、亘の周りを旋回している。

 何かをされないうちに、校舎の前まで走った。扉に手をかける前に、勝手に左右に広がった。

 亘は旧校舎の中に足を踏み入れた。

 

    3


 太助は狭い箱の中に入っていた。押し入れにある小さなドアをくぐったつもりなのだが、気がつくと、身動きのやりにくい状態になっていた。

「どうしたものかな」

 スマホで光を照らすと、目の前に取っ手がある。それを持って、一度は下におろそうとしたが、びくともしない。次は押し上げてみると、あっけなく扉が収まった。

 なんとか、隙間から外に出ると、自分のいる場所を確認してみる。

 長い廊下のようだ。床も壁も木でできた古い作り。床には、道路の標識みたいに白線のテープが貼られているが、所々はがれていたり、変色したりしている。端には大きな鍋が鎮座し、牛乳瓶の入ったトレイが積まれている。

「なるほど、これは給食の昇降シャフトか」

 いつものようにポケットを探し当てたが、煙草はあと二本しかない。さっき、萌を丸飲みにした大玉に放り投げたのを思い出す。

 これを機会に禁煙した方がいいか。

 太助は暗い廊下を進んだ。窓はどれも曇りガラスになっていて、外の様子をうかがうことはできない。

 古い学校のようだ。今の校舎とはまるで違う。撮影で訪れた母校に慣れていたせいか、今いる場所が学校とは信じられなかった。もっとも、生徒も教師もいない、この無人の空間が学校とはあまり思えない。

「篠田くん! 金江さん!」

 一応呼び掛けてみたが、反応なし。まだ校舎に入っていないのか、別の場所にいるのかもしれない。携帯をかけようと思ったが、生憎、二人の番号を聞くのを忘れていた。こういうところで自分は抜けている。

 ふと、太助は足を止めた。黒一色の教室の窓から鮮やかな色をした花が目に入った。学年とクラスの名称は看板の表面がこすれていて確認できないが、そこの机に置かれた花瓶に一輪の青い花が供えられていた。

 二十年前のスキャンダルの発覚後、よく自分の机にはファンレターの代わりに、菊の花が飾られるようになったのを思い出した。しかし、青い花は別の意味が込められているように思えた。

 その教室を通り過ぎた時だった。前方から仄かな光りが見えて、太助は立ち止まる。やがて、「オーイ!」と声が聞こえた。亘でも裕美子でもない。この旧校舎に自分達以外の人間がいるのも不自然だ。

「オーイ、コッチダァ!」

 声と光りが近づいてくる。どうしたものかと迷った。廊下はまっすぐ続いているので、隠れる場所がない。しかし、妖怪だったら、襲ってくるのではないか。

 太助は呼びかけている人影に返事をした。

「おい、あんた、そこで何をしてるんだ」

 近くまで来ると、LEDみたいに眩しい。ライトを持っている人は、異様に小柄だ。そして、その顔は粘土をこねくり回したようにしわくちゃだった。最初は老人かと思った。

「あんたは誰だ?」

「こっちだぁ」

 老人がまた呼びかける。太助が老人の肩に触れた瞬間、頭にねばねばした液が垂れさがった。その時に気づいたのだが、老人の頭から細いツルが生えていて、それが上まで続いていた。天井にはねばねばした液が張りついており、それらは床にもあった。

 太助は反射的に老人から後ずさった。直後、天井と床のネバネバが勢いよく重なった。少しでも遅かったら、挟まれていただろう。

「クヤシイ……モウスコシダッタノニ」

 老人に似たそいつは恨めしそうな声を出した。まるで、深海に生息するアンコウみたいに獲物を光りで引き寄せて捕まえる。老人は囮だろう。そいつはまた廊下の先をはい進んで消えていった。

「とんだ、化け物屋敷だ」

 この旧校舎にはあんなのがうじゃうじゃいるに違いない。早く二人と合流しなければ。太助は階段のある角まで歩き続けた。


    4


 裕美子は暗い階段を上り続け、光りが漏れている天井を持ち上げた。別の天井が現れた。顔を出して確かめてみると、自分のいる場所が体育倉庫だと分かった。周りにボール入れやマットが置いてあり、大小の跳び箱が並べられていた。

 自分は跳び箱から出てきたみたいだ。その蓋が床に転がっている。裕美子はそこから抜け出すと、倉庫の扉から外をのぞいた。

 広い体育館では、なぜか舞踏会が繰り広げられている。踊っている参加者達は皆、各々に仮面で顔を隠している。仮面の種類もまちまちだが、外国で見るようなお洒落なものではなく、まるで、動物の皮を上から貼り付けたような、生々しいものだった。捕食者と獲物の立場であるはずのシマウマとライオンの仮面の男女(男か女かどころか、中身は人間ではないだろう)が優雅なステップで踊っているのが、少し滑稽な光景だった。

 油を売っている場合ではないと思い、裕美子はゆっくりと扉を開けて、隙間から気づかれないように端を歩いた。

 その時、豚と蛙のグループがぶつかってきた。彼らは場が白けたようにダンスを止めると、裕美子をにらみつけた。

「ごめんなさい」

 出口まであと少しのところまで来た。目の前にヒグマの仮面にタキシードを着たボーイが立ちはだかった。

「お客様はお帰りですか?」

「はい。用事がありまして」

「それはまことに残念ですな。宴はこれから楽しくなるところなのに。今宵は、少し趣向が違うのですよ」

「何かあるんですか?」

「偉大なる我が主が久しぶりに、この城に帰られたのです。その凱旋を祝って、今宵は盛大な晩餐会を催す予定でございます」

 ショウのことだろう。

「主は土産ものを携えてきました。小さな子供です。晩餐会にふさわしい食材になるでしょう」

「どんな子供ですか」

 裕美子が真っ先に思い浮かべたのは、亘だった。ここへ来たときに捕まったのかもしれない。最近は少しやせたようだが、妖怪や魔物からしたら食べ頃かもしれない。

「人間の中では大変珍しい、異人の子でございます。金色の髪の毛、透き通る白い肌、紺碧の瞳。身なりはみすぼらしく、素性はあまりよろしくないようですが、我々としては、またとないご褒美でございます」

 異人の子……。裕美子の中でもっとも考えたくない答えが浮かぶ。ショウに関わったことで、こちらの記憶はすべて筒抜けになる。

「ところで、お客様のその仮面も珍しいですね。薄汚れた人間のお面とは」

「羨ましいわ。私も欲しかった」

 ハイエナの仮面をした貴婦人が顔に触れてきた。長い爪に肌を引き裂きそうな感じがして、裕美子は思わず後退した。

「あらまあ、精巧にできているわね。まるで、本物の人間みたいだわ」

「マダムはご冗談が好きですね。ここに人間がいるわけがありません。もしも、人が紛れていれば、それこそ八つ裂きにしないといけない」

「そうね、生きたまま、なぶり殺しにしてやるわ」

「ところで、お客様の素顔を拝見してもよろしいですか?」

 穏やかながら、圧の強い感じで支配人が言った。裕美子は逃げようとしたが、入り口には、ドーベルマンの被り物をした奴が立っている。

「さきほどから、この会場がやけに人間臭いのです。人間が城に入り込んだとの報告を受けましたので。ご協力いただけますか?」

 裕美子は壁際に追いつめられた。数人が取り囲む。低い笑いが漏れる。舌なめずりの音も聞こえる。このままでは無事ではいられない。

「さあ」

「早く」

「素顔を」

 一斉に合唱する。

「人ならば――ただでは済むまい」

 裕美子は目をつぶり、顔を隠した時だった。

「待ちなさい」

 誰かがそう言った。そして、ざわめきが聞こえる。仮面の客達が散っていき、二人の老夫婦が裕美子の前まで来た。他の連中とは違い、獣の仮面をつけていない。普通の人間と同じだった。

 老人は小柄だが、物怖じしない毅然としている。わんぱくな少年がそのまま年を取った感じだ。老婦人の方は背が少し高く痩せているが、夫とは逆に穏やかな顔立ちをしている。

 二人が夫婦だとなんとなく分かった。

「人間臭いのは私達のせいだ。それに、この人は我々の知り合いだ。手荒くしないでもらいたい」

 老人の言葉に支配人は大げさにおびえた。

「大変失礼いたしました。しかし、なぜ、あなた方がこのような下賤の催しに? お気にいらなかったはずでは」

「胸騒ぎがしたのだ。もしかすると、ここで何かが起こるのやもしれん。君らにとってはよくないかもしれんがな。とにかく、彼女は我々が連れていくぞ」

「どうぞ。ご自由に」

 苦々しく言う仮面の住人に背を向けて、裕美子は二人に付き添われるままに、体育館を後にした。

「ありがとうございました」

「礼は構わん。早く向こう側へ帰りなさい。ここは、人の来る場所ではない。あんたはまだ、こちら側の者ではない」

「あなた」

 老婦人が優しい言葉で止めた。

「この方は、きっと、何か使命があってここへ来たのよ」

「そうなのか?」

「はい。私の学校の生徒や他の人達が捕まっているんです」

「ならば、地下に行くしかない。ここの地下には力の源である霊脈がある。そこを破壊すれば、魔物の力は弱まり、捕まった人を助けられるだろう」

「だけど、気をつけて。地下には魔物が待ち受けている」

「ありがとうございます。それでも、私は行かないといけないんです」

 二十年前、自分は翔を見捨てて、現実から背を向けて生きてきた。もう二度と過ちを繰り返したくない。裕美子にとって、最後のチャンスに思えた。

「そうか。どうやら、君もいい先生のようだ」

 老人は一つのドアを指さした。

「あそこから地下へ降りていける。だが、階段は恐ろしく長い。その先にある。私達が教えられるのはこれだけだ」

 裕美子はドアを開けると、真下に続いて階段が果てしなく続いていた。そこに何があるのかも見えないほどだった。

「教えていただいて、ありがとうございます――あれ?」

 振り向くと、彼らの姿は消えていた。ただ、壁に掛けられた大時計が、静かな秒針を刻んでいるだけだった。

 あの老夫婦が罠ではない保証はない。しかし、裕美子には彼らが悪い存在とは思えなかった。今まで会ったこともないのに、とても懐かしい感覚がする。

 お気をつけて……ふと、夫人の声が聞こえたような気がした。裕美子は心を落ち着かせると、千尋の谷を思わせる階段を降り始めた。


    5


 少し長い時間を眠っていた気がした。

 美弥乃は目を開けた。薄暗い場所だった。明かりをつけると、そこは階段の踊り場だった。ただ、自分の知っている学校ではない。床がコンクリから木造になっている。それに、壁にある鏡も形が違う。

「ここはどこでしょう?」

 自問しながら、自分のやるべきことを思い出した。ノートパソコンを開いて、ウェブカメラを周囲に向ける。

 そうだ、確か、変な女の子を追いかけて、社会科の準備室に入って、それで――。美弥乃は、夏休みの夜に学校の中に入った経緯を思い出した。変な怪物がたくさん出てきたんだった。おじさんとははぐれて、自分が校舎の中に。

 今日はずっとおかしなことが起きてばかりだ。普通なら困り果てるのだが、美弥乃の場合は違う。

 彼女にとって、動画の視聴者を増やすのが至上命題だった。今のこの状況こそ、なんて表現すればいいのか分からないほどの感動に他ならない。待望の神回である。

「みんなぁ、聞こえる? 電波死んでないよね? あたしね、何か、今ヤバいとこにいんだよね。もちろん、あたしは無事。だから、もちろん、実況していくよ」

 液晶にはカメラの映像が映り、リスナーのコメントが流れていくのだが、今は数が減ってしまった。無理もないが、ここから巻き返せばいい。

「皆、戻ってきてね。神回かもしれないから、コメ絶やさないでよ」

 自分で言うのもなんだが、これは普通の状況ではない。

 とりあえず、美弥乃は階段を下りた。一階に降り立つと、長い廊下が左右に広がり、向かって左に曲がって突き当たると、別の廊下がある。壁には工作で書かれたらしい絵が何枚も貼ってある。

「ここって、今の学校じゃないよね?」

 美弥乃は反対側にも回ると、突き当りに何かがいるのに気づき、思わず足を止めてカメラを向けた。

 四年生くらいの男の子が床にかがんで、何かを探しているようだ。こちらには横顔に向いているので、どんな顔かは分かりにくい。

「あの、ぼく……そこで何してるのかな?」

 少年が同じ姿勢のまま、「どこにもないの」と困ったように言った。

「何がないの?」

 一緒に探すのは面倒だが、一応聞いてみた方がいいと思った。

「実は……」

 少年が立ち上がり、こちらに近づいてきたが、何かがおかしい。その正体を言葉にできない。脳のしわとしわの隙間に引っかかっている。

「半分見つからないんだ」

「半分?」

「お姉ちゃんは、僕の半分、知らない?」

 少年が横に向いたまま、片足で跳んでくる。美弥乃はやっと、疑念を言葉にできた。この子は、どうして、横に向いたままなの?

 彼女の心を読み取ったかのように、男の子が正面を向いた。

「ひぃっ」

 少年は言葉通り、体が左半分しかなかった。中心からきれいに切断されて、断面からは、脳みそや、空洞、舌、食道、胃袋や腸といった内臓がはみ出ている。血は全く流れていない。

 一歩後ずさる。体中の血が氷に変わっていく。パソコンを持つ手を重く感じる。

「お姉ちゃんの半分でもいいよ。僕におくれよ」

 少年が手を伸ばしてくる。美弥乃は硬直してしまい、動けないでいた。その肩を誰かが乱暴に叩いた。

「何してるんだ!」

 悲鳴を上げる暇も与えず、別の男の子が彼女を引っ張って、走り出した。ちゃんと、左右とも小太りの体を持っている。人懐っこい感じの顔立ちだった。

「早く逃げるんだ」

「ちょっと待ってよ! てか、あんたは誰なの?」

「僕は篠田亘、五年二組です。今さら聞いて悪いけど、あなたは人間ですよね?」

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