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新生 学校の怪談  作者: 周防まひろ
最終章 魔界ノ刻
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インターローグⅤ/一九九六年七月

 運命の夜から一年後の夜。小学六年生の裕美子は、誰もいない校舎に残っていた。今はもう使われなくなって久しい、五年五組の教室にいた。

 鏡が部屋の隅に置かれたままになっていた。ねずみ色の布で覆われ、その上をヒモで縛られている。ホコリを被っており、もう当分は使われる心配はない。気がかりなのが、もう一枚の鏡が見当たらないことだった。

 別の場所に移動したのか?

 裕美子は闇の中で動けずにいた。こんな大それたことをしてしまったのか。あの時と同じ時刻にいたところで、翔が戻ってくるわけでもないというのに。

 教室の天井にはシミが残っている。暗闇の中で人の顔に見えて、裕美子は小さく叫んだ。窓が風で揺れて出す音に、何かがいる錯覚を感じてしまう。

 この教室にはまだワタルの怨念が残っている。取り逃した自分を捕まえるために闇の奥で待ち伏せしているかもしれない。

 裕美子はすっかり動けなくなっていた。その時、廊下を足音が聞こえた。徐々に近づいてくる。逃げようとして、手から懐中電灯が落ちた。物音に足が止まり、教室の扉が開いた。

「誰かいるのか?」

 電灯の光が裕美子を照らした。逃げようとしたが動けずにいた。

「こんな時間にどうしたんだね? 君は六年生か?」

「……校長先生」

 全校集会で見かける赤松校長その人だった。全身の力が抜ける気がした。校長先生に連れられて、用務員室に入ると、湯茶を出された。

「年寄しかいないから勘弁してくれよ」

 用務員のおじさんが代わりに見回りに言ってしまった。部屋には囲碁の碁盤が置いてあり、そばには一升瓶とお猪口があった。

「ここの人とは囲碁仲間でね。こうして、勝負をしては負けた方が見回りをするんだよ。皆には内緒だぞ」

 子供っぽく笑う校長先生に、裕美子は安堵した。

「親御さんに連絡するが、いいかな?」

「いいえ。自分で……」

 母には黙ったまま、家を出てしまった。自分の部屋に入っていなければいいが。

「何か事情があるようだね。だけどね、子供がこんな遅い時間に家に居なくて気にしない親はいない」

「うちの母は、私を叩きます。だから、知られたくないんです」

「そうか。間違っていたらすまんが、もしかして、君のお母さんは金江……綾乃さんじゃないのか?」

「母を知っているんですか?」

「僕は君のお母さんの元担任だったんだよ。そうか、そうか、うん。綾乃くんは確かに、自分にも他人にも厳し過ぎるところがあった。皆が清く正しく、そうあるべきだと考えていたかもしれない。だが、人というのは機械ではない。一つのことに秀でた子、何かが苦手な子、好きな子、嫌いな子、面白い子、真面目な子、静かな子、元気な子……色々な子供が集まって、お互いを認め合い、支え合うのがいいと思っている」

「母は、他人を認めようとしませんでした。私でさえも」

「君くらいの頃、綾乃くんは、お家からあまり自由を与えられなかった。彼女にとって不幸なことだ。すまないね、お母さんの悪口を言ってしまった。担任だった僕にも責任はある。彼女に教えるべきは教科書以外にもあったはずだったのに……言い訳かもしれないが、あの頃は少し騒動があって、心に余裕がなかった」

「騒動?」

「同僚だった女性の先生が、行方不明になったんだよ。教員寮の部屋に荷物だけを残して。彼女と僕は、結婚を控えた仲だった」

「教員寮から忽然と消えたんですか?」

「ほら、学校の端にある廃墟があるだろう。君らが呼ぶ、おぼろ屋敷だよ。あそこは、ほんの二十数年前まで教員寮だった」

 ワタルだ。裕美子は直感でそう思った。

「その先生はまだ見つかっていないんですね」

「神隠し、としか言えなかった。警察は、最初、僕を犯人だと疑った。結婚間際に仲がもつれたんじゃないかって。疑いはすぐに晴れたがね」

 裕美子は気が咎める思いもあったのだが、ある質問をぶつけてみた。

「校長先生は、この学校に何か怖いものがいると思いますか?」

「怖いものか……手厳しい教頭、五年五組担任の佐奈田先生かな」

 ふつうの人間ばかりだ。やはり、お化けの類は信じていないみたいだ。

「人じゃないのはいると思いますか?」

「この学校も色々なことがあった。良いこともそうでないことも。無数の思いや記憶が、廊下や教室、階段にしみついている。でも、お化けがいるかどうかは分からないな」

 やはり、ワタルを知っている人はいない。子供にしか見えない魔物だったのだ。

「君は、この学校にお化けがいると信じているのかい?」

「分かりません。友達だった子がそう言っていたのを思い出して……一年前にいなくなった、五年五組の黒澤翔くんです」

「彼か。僕は、一度会ったことがある。母親想いの優しい少年だった。そんな彼が母親を残して家出なんかするはずがない。きっと、何かに巻き込まれたに違いない。その黒澤くんが、お化けを見たというのかね?」

「はい」

 校長先生は眼鏡を外すと、黒い闇の映る窓に向いた。後ろ姿はやや腰が曲がっている。風が窓を叩くと、先生は向き直った。

「昔、僕が君自分の頃、日本は戦争をしていた。昭和二十年の夏だった。僕はこの学校にいた。ある日、B29の焼夷弾が、この学校に落ちた。当時の校舎は火の海となった。僕は他の生徒と教師と一緒に避難したが、逃げ遅れた子もいた。一面、肉の焼けるひどい臭いを覚えている。僕は、自分のいた教室を見たんだ。炎の中に何かがいた」

「何がいたんですか?」

「僕の同じ教室にいた生徒。皆は、彼をワーくんと呼んで慕っていた。声の大きな子だった。今でいう、ムードメーカーだった。彼が炎の中で笑っていた。手に火がついているのに、楽しそうに。彼と目が合った時、僕は腰を抜かして逃げられなくなった。ワーくんの顔つきじゃなかった。まるで、何かに取り付かれていたようだった。口から牙が出ていたようだった。燃え盛る手は長く伸びていた。あの頃の僕にとって怖いものと言えば、鬼畜米英や憲兵だったが、全く意味のないものに変わってしまった」

「そのワーくんという子の名前は、もしかして、ワタルですか?」

「そんな名前だったな。頭と目の大きい子だった。戦争が終わって、新しい校舎が建てられてからも、この学校に、彼がいるような気がしてならない」

 程なくして、用務員が戻ってくると、校長先生の運転する車で家の近くまで連れて行ってもらえた。お礼を告げる際の、校長先生の言葉を、裕美子は大人になってからも覚えている。

「君は、あの学校で何かを見たのかね?」

「はい。黒澤くんもそうでした」

 校長先生は何かを考えているようだったが、「そうか」としか答えなかった。

 幸い、家で母は寝室で眠っていた。父は会社で忙しいらしく、日付が変わった時刻を過ぎてもまだ帰っていなかった。

 その夜以降、裕美子が校長先生と話す機会はほとんどなくなった。その他大生勢の生徒に戻り、いつしか記憶の底へ埋没していった。

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