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新生 学校の怪談  作者: 周防まひろ
最終章 魔界ノ刻
46/58

ナナイをたずねて


 篠田亘はメモに書いてある住所と、実際の場所を何度も確認した。思っていたのと少し違うが、番地はちゃんと合っている。

『昭和荘 二〇三号室 ナナイ』

 メモの住所に従って、駅から狭い裏路地を通って行きついたのは、古びた木造アパートだった。入り口が二階へと続く階段。生え放題の雑草に、錆だらけの看板。ここに、小宅田から本を落札したナナイなる人物が住んでいるはずである。

 一年前、当時三年生だった小宅田は、幻の奇書だったそれをネットオークションに出品して金をせしめた。当時、本を落札したのはハンドルネーム、ナナイという人らしい。らしいというのは、本名ではないので性別も年齢も不明なのだ。そもそも、名前のナナイが気になる。七井か、奈々井か。

 ただ、小宅田が言うには、学校の本だと看破されて、ナナイに半ば脅迫で値切られたという。そんな人から本を貸してもらえるのか、亘は不安で仕方なかった。

 しかし、自分にはそれしか手立てはない。本を貸してもらえなければ、ショウに対抗できる手は他になくなってしまう。

 雛と別れを告げた後、亘は単身、水路を歩き続け、常盤市から隣町に入った。すぐ向かったのは駅だった。小宅田のメモによると、隣町から電車を乗って、県境の町まで行かなくてはいけなかった。電車に揺られながら終着駅に停まるまでの二時間、亘は死んだように眠り続けた。雛のことを思い出したせいか、目を覚ました時には泣いていた。

 一也達には何度か連絡を入れてみたが、結局、最後まで圏外でつながらなかった。希望的観測はしない質だったので、二人が無事でいる可能性は低いと考えた。

 亘は疲れをぐっと堪えながら、木造のアパート『昭和荘』に足を踏み入れた。入り口が階段で二階に着くと、下駄箱があった。奥まで続く廊下には部屋が並んでいる。目的の『ナナイ』は一番突き当りの部屋だった。呼び鈴を鳴らすと、「ちょっと待ってね」と答える女性の声がした。

 少し待っていると、宅配だと勘違いしたのか、ハンコを片手に家人が出てきた。

「あら、小さなお客さんね」

「突然、お邪魔してすみません。“ナナイ”さんですか?」

「ナナイ……残念だけど、私は黒塚。ほら、ここに書いてある通り。あ、もしかして、あの子のことかも。ゴメンね、姪なんだけど、今、友達と出かけているの」

「何時ぐらいに帰ってくると思います?」

「そうね……夕方くらいになるかもしれないわよ」

 亘は黒塚に礼を告げると、重い足取りでアパートをあとにした。近くの公園のベンチで遅い朝食を頬張りながら、どうしたものかと途方に暮れていた。

 また夜となれば、あいつらは隣の町に繰り出していく。そうすれば、だんだん難しくなってしまう。どうにか早く手に入れないといけないのに。

 いつの間にか、隣のベンチでは同年代の子供が数人騒ぎ始めていた。亘のいる公園は枝葉の大きい木々が多く立っているせいか、直射日光はあまり当たらない。

「よおし、今日こそやってやるぜ。見てろよ、お前ら」

「うまくいくといいね」

「頑張ってみるだけ無駄だよ」

 無駄に元気のある声、能天気そうな声、やたら暗い声の応酬が耳に入る。

「池沢、お前はどうしてそう何でもできないとは言うんだ。やってみねえと分からないじゃないか」

「大体、この世界に魔法とか魔物なんているわけがない。二十一世紀だぞ、今。信じているのは仲上ぐらいだ。山ノ辺、君も信じていないだろ?」

「うーん。僕は、そうだねえ、あった方が便利じゃないかなって思うよ」

 亘はため息を漏らした。お気楽なものだ。こっちは実在する魔物に困っているというのに。改めて、自分の町で起こっていることがいかに異常なのかと実感した。別の町ではこうやって平穏な日常が過ぎているのだ。

 件のナナイさんが帰ってくるまで、どこかで待つしかないか。

「よし、儀式を始めようか。この本に書いてある通りなら、悪魔の王ルシファーを召喚できるはずだぜ」

「だいたい、眉唾物なんだよな。本のタイトルが『悪霊妖怪図鑑』だなんてさ」

 亘は思わず顔を上げた。隣では三人の少年が地面に魔法陣を書き込んでいる。そして、眼鏡をした一人がその本を持っていた。間違いない。例の本だ。そういえば、ナナイさんは友達と出ていると言っていた。

「あの――」亘は彼らに呼びかけた。「ナナイさんですか?」

「へ?」

 彼らのリーダーらしき男子に声をかけた。名前は確か、仲上だったか。ボサボサの頭に色黒の少年でランニングシャツ(『燃えろ、オレの青春!』なんて声に出したら首をくくりたくなるようなフレーズが刺繍されている)に半ズボンと靴は踵を踏んでいる。

「その本の持ち主で、ナナイさんっていう人はここにいますか?」

 亘は即座に、わんぱく少年がナナイではないと見抜いた。何だかしっくりこないのだ。他の二人もそう思えた。

「オレは仲上だ。そんな女みたいな名前じゃねえぞ」

「ごめんなさい、ネットのハンドルネームなんだけど、その名前の人が、その本をオークションで買い取ったらしくて。僕はその本を探しに来たんです」

 青空を陣取る積乱雲のような少年が、「はて?」と首をかしげる。名前は確か、山ノ辺。寝ぼけた老犬に似ている。シャツには、カピバラのキャラクターがプリントされている。彼でもないようだ。

「君の話が本当なら、この本は確かに君が捜している分と同じかもしれないね。だけど、どうして、この本を探しているんだい?」

 たどたどしく話すメガネの少年。ねっとりとした雰囲気に、根暗な感じ。池沢だったか。彼の服には、ただ一文字『萌』とある。ああ、そういう人なんだろうなと、亘は推察した。

「お願いがあるんだ。その本を貸してくれないか?」

「え、こいつを」

「どうしても必要なんです」

「まあ、ルシファー召喚の儀式が終わったら、少し貸してやってもいいけどよ――」

「ダメよ」

 空から鉄壁が落ちて道を塞ぐように、凛とした声が仲上の言葉を遮った。

「その本は希少本なの。どこの馬の骨だか分からない人に気安く貸せる代物じゃないの」

 三人に隠れるようにして今まで気づかなかったが、ベンチに一人の女子が座っていた。その姿は珍しくないはずだった。今時の女子にしては地味ないで立ちに、肩まで伸びた黒い髪は顔半分まで隠れるほど。しかし、その前髪をかき分けた時、亘は電流が走ったように言葉を失った。その少女の前髪の隙間からのぞく目がこちらを刺すように鋭かったせいだった。

「その本の今の持ち主は私。その私がダメと言っているの。お分かり?」

「君がナナイさん?」

 亘は小宅田から住所を教えてもらって、ここまで来たことを説明した。

「そうだったよね。小宅田とか言ったかな。私は確かに、去年、彼から本を落札した。今頃になって、もしかして、返してくれと言ってきたわけではないようね」

「僕は、篠田亘といいます。人にものを頼むのに、ハンドルネームで呼ぶのはしっくりこない」

 少女は白い歯をのぞかせながら、凍てつく笑みを浮かべた。同年代ぐらいなのに、目の前の少女はまるで、別次元の存在に思えた。貫禄の生だろう。

「安西栞。あなたが探しているナナイというのは、おそらくこの私」

 彼女は地面の砂に足で文字をなぞった。

 NANAI。

 その隣に、アルファベットを置き換えた。

 ANZAI。

「お願いします。本を貸して下さい」

「同じ答えの問題は同じよ。オークションでどんな経緯があったにせよ、今の所有者はこの私なの。それに、この本は希少本。名前しか知らない他人に渡せる道理なんてない」

安西さんの主張は理路整然としている。いきなり出てきて本を貸してくれと頼んだところで、貸すのはむしろおかしい。

 だからといって、このまま諦めるわけにもいかないのが、今の亘の立場だった。雛や未来、一也、他の皆を助けるには、彼らの持っている『悪霊妖怪大図鑑』がどうしても必要なのだ。ショウに太刀打ちできる武器があるなしでは全く違ってくる。

「仮に、こちらが貸したとして、一体何に使うつもりなの? 展示するわけでも、ページの隙間にラブレターでも忘れたわけでもなさそうね」

「ゴメンなさい。理由は言えない。言ったところできっと信じない」

「答えなさい。内容によっては交渉してもいいいよ」

「魔物と戦うため」

 亘は覚悟を決めて、平然とそう答えた。公園の広場が静まり返った途端、三人組がゲラゲラ笑い出した。安西さんの方は無表情を崩さない。

「おいおい、お前さ、もっとすごい嘘を付けよ。オレだって引っかからないぜ」

「この物質文明と合理主義とネット社会の現在に魔物なんかいるわけないじゃないか。いるとしたら、安西ぐらい――」

「口は災いの元だよ、池沢くん。でも、さすがの僕もびっくりしたよ。安西さんはどう思う?」

「信じる」

 仲上くんは一瞬吹き出しそうになったが、安西さんに睨まれて、必死に飲み込んだ。どうやら、彼女を恐れているみたいだ。

「この人は嘘をついていない。魔物がいるかは別にしてもね」

「どうしてそんな事がわかるんだ?」

「私は色々な人間を見てきた。自然と、嘘をつく人と、そうじゃない人の区別がつくようになったの。目や口の動きや、顔色や癖で。嘘の下手な人ほどそれらが表に出るの。でもこの人は違う。言っているのが事実か、嘘つきの天才のどちらかね。少なくとも、この人は、魔物がいることを信じていて、その事実を私達に話している。決して、嘘を吹聴しているわけではない」

「ことを荒立てるつもりなんかない。たかが本一冊の持ち主が変わっただけだ」

「ふふっ。話が分かるじゃない。さっき、本は貸せないと言ったけど、交渉次第では考えてもいいよ」

 安西さんは親指と人差し指をこすりつけた。

「お金?」

「それ以外にあなたを証明できるものはない。お金は人の信用を測れる、最低限のバロメーターなの」

「今は帰りの電車賃しかないんだ」

「とんだ無駄足をしたわね」

 安西さん達は公園から出ようとする。

亘は慌てて彼らの前に出ると、その場で土下座をした。

「何のつもり?」

「お願い! 今日だけでいいんです。明日には絶対に返します!」

「呆れた。もう少し頭のいい人だと思った。馬鹿な人ほど、簡単に土下座をするし、見せられる側も容易く信じてしまう。残念だけど、この私に土下座は一切通用しない」

「僕のことはどう言ってもいい。でも、この本がいるのは、友達を助けるためなんだ。僕は何もできなかった。のこのこ町の外まで逃げるしかなかった。もう逃げたくない。自分を問題から遠ざけたくないんだ。お金なら後で払います。明日になるか明後日になるかわからない。でも、必ず返します。お願い……どうか……」

 亘は地面に頭をこすりつけた。陽光を浴びて砂になっていく雛。ショウの邪悪な顔、今も街を跋扈しているもののけ達。止められるのは、もう自分しかいない。他に誰もいないのだ。でも、今の自分では無力だ。武器がなくてはいけない。翔が残してくれた手掛かりが……。

「はい」

 その時、三人の一人、山ノ辺くんが本を差し出した。

「おい、正気か?」と池沢。となりの仲上が顔を下げて震えている。

「貸してあげようよ、安西さん」

「独断専行は許さない」

 すると、仲上くんが雄叫びを上げた。顔には大粒の涙を流している。

「うおぉぉぉッ! なんて熱い奴なんだ! 友達のために土下座までするなんて。オレは、こんな友達想いの奴に会ったことなんか一度もねえ! ていうか、オレがやりたかった。貸してやるぜ。釣りはいらねえぜぇ」

「はぁ……馬鹿がいるのを忘れていた。池沢くんはどう? まさか、この二人に賛同するわけじゃないでしょうね?」

「僕は……二人の友達だし、その」

「あなたを向こうに回せば、私は一人ね」

「じゃあ、僕だけでも反対に回るぞ」

「貸してあげる」

 池沢くんは裏切られた顔を固めた。

「ただし、明日の夕方までには返すこと。ちょっとでも傷をつけたら、買取価格の二倍を払ってもらうから、そのつもりで。それと期限が遅れても同様。あなたには無理そうだから、この三人が連帯保証人になってもらう」

「えええーッ!」

 三人が一斉に叫んだ。きっと、今後は公開しているに違いない。

 亘はそれでも嬉しかった。これで一歩前進する。厚い壁がひび割れ始めた。

「ありがとう……ありがとう」

 安西さんに丈夫なカバーをつけてもらい、アパートをあとにした。亘は駅に着くと、常盤市の手前にある街の駅までの切符を買った。ショウにとりつかれた街に降り立つリスクを回避するのは当たり前の話だが、他に理由があった。

 もう二つの武器、二人のある人に会いにいくためだった。

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