真夜中の決死行2
3
「隠れて」
亘に引かれて、雛は電柱の後ろに隠れた。目の前の曲がり角から、松明を持った鬼の一団が通り過ぎた。
「もういいよ」
亘が左右を確かめながら、向かいにある篠田家の門をくぐると、こっちへ来いと合図する。雛は一気に走り抜けると、彼は門に鍵をかけて、玄関のドアを開けた。
「何とか着いたね」
「僕の部屋に手掛かりがある」
亘は階段を上がって、自分の部屋に入った。窓の向こうは時々車が走り、サイレンが響いている。
「あった」
机の引き出しから、一枚の紙を取り出した。
「本当にその本が役に立つの?」
「分からない。でも、今の僕らには武器が必要なんだ」
「あんたを信じるよ」
問題はここからだ。ショウの事だから、この町を出るには電車を乗るのは危険だ。走るには遠すぎる。別の方法を考えなくてはいけない。
階段を降りたところで、玄関の向こうがやけに明るいのに気づいた。
照らされた光りのようだ。亘は舌打ちした。
「篠田亘くん、仲里雛さん。君達は完全に包囲されている。無駄な抵抗をせずに出てきなさい」
外から声が響いた。魚眼を覗くと、門の外にはパトカーが何台も止まり、その上には鬼が何体も乗っている。
後ろでガラスを割るのが聞こえる。裏口には人の気配がする。家の周りを囲まれたのだ。逃げ道は他にない。
「亘! 出てくるんだ。お前は私達の息子じゃない。亡くなった息子よりも出来が悪いが、せめて私達の迷惑だけはかけないでくれ」
「亘、あんたは親不孝者よ。お情けで引き取ってあげたお父さんや私を、これ以上困らせないで頂戴」
さらに訴えは続いた。
「雛、早く出てきなよ。逃げ道なんかないよ。結局さ、蛙の子は蛙なの。親の私が捕まったのに、あんただけが逃げ切れる訳がないでしょう」
「あのババア……」
「雛ちゃん、僕が囮になる。その間に外へ逃げて。その紙に書いてある人を訪ねて、本を貸してもらうんだ」
「バカ。そういうのはさ、もっとヤバくなったらいうもんなの」
「雛ちゃんは何か作戦でもあるの?」
「ある」
雛は階段を上がると亘の部屋に入り、勉強机の窓を開けた。
「待って。まさか、屋根伝いに逃げるの?」
「隣の山田さんの屋根とそんなに離れてないでしょ」
「でもさあ――」
「うるさいな。男だろうが!」
亘は先に窓枠をまたがり、瓦の上に降りた。続いて雛が出た時に、部屋に両親が殺到した。服は彼らだが、頭は鬼に変わっていた。
「いたぞ! 外から逃げるぞ」
亘と雛は山田家の屋根を伝い、物置の上に飛び乗った。塀から降りようとして、亘は固まった。塀の向こうには堤防沿いになっており、五メートル下は水路になっている。
「まさか、飛び降りろとか言わないよね?」
「飛べ!」
雛に掴まれて、亘はそのまま落下した。
目を閉じたまま、彼らは水路に飛び込んだ。亘は慌てて手足をばたつかせながら、水路の端に手をついた。深さは足がそこに着かないくらいあった。
「助かった……雛ちゃんも無茶するよ」
隣に彼女の姿はなかった。たった今着水したところに泡が浮いている。
亘は水の中に潜ると、手をかき分けた。指先が何かに触れる。水の上に出ると、雛を助け出した。
ここは危険だ。早く、別の場所に逃げないと。雛をおんぶして、亘は水路を走った。間もなくトンネルが見えてくる。何も出てこないことを祈りながら、その中に入った。
4
「僕があの魔物に襲われた記憶を思い出したのは、大学に入った直後だった。原因は、交通事故に遭った事だろうな」
寛和の話を聞きながら、未来は忍び込んだ家で拝借したスナック菓子を食べていた。他の面々もカップラーメンをお湯も入れずにバリバリ食している。
「その事故で僕は大学生活のほとんどを昏睡して過ごした。長い闇の中で夢を見たのは、おそらく、昏睡から目覚める直前だったよ」
「どんな夢だったんですか?」
「古ぼけた校舎の中で、僕は翔くんに会った。彼は何か化から逃げていた。そして、僕に向かって言ったんだ。早く逃げろって」
外では相変わらず、サイレンが行ったり来たりしている。足音が近づく気配はない。時間は夜の零時を少し過ぎている。学校を逃げてから、五時間は経ったことになる。そして、暁が出るまで五時間余り。
「僕は彼と一緒に廊下を走り続けた。後ろからは何かが追いかけてくるのが、気配で感じ取れた。何か大きな影のようなものだ。僕達は向かう先に外があると願いながら走り続けた。しかし、どこまで行っても光りはなかった」
「それでどうしたんですか?」
「黒澤くんが言った。起きろ。早くしないと手遅れになる。奴が外に出る。そう言った。そして、急に目が覚めた。気がつくと、僕は病室に寝ていた。一三〇〇日目の目覚めだったよ」
寛和は一息ついた。
「その時に思い出したんですね」
「余すことなくね。小学五年の頃にワタルという名の魔物に襲われたことをすっかり忘れていた。今の僕には、あの出来事を細部まで書き出せるほどの記憶がある。ワタルの犠牲から生還した子供は皆、当時の記憶が大人になっても抜け落ちていた。僕の場合は、事故による衝撃で熱く閉じられていた“フタ”が偶然開かれたのだろうと思う。黒澤くんの蒸発と魔物は関係していると考えて、大学を出た後にこの町に戻った。そして、地元の出版社に入った。地元紙を発行する傍らで、この町や学校を調べた。その過程で様々な情報を知ることができたよ」
彼はショルダーバッグを開けて、中から分厚いクリアファイルを取り出した。古い切り抜きの中に翔が行方不明になった記事も貼られていた。
「一九五五年に発行された『常盤古史』には、この町に関する神話が記載されている。神話というよりも民話に近い」
この町は、古くは広大な森であった。その森に立ち入った者は二度と戻っては来ない。不帰の森と呼ばれて恐れられていた。しかし、入っていく人間は後を絶たない。豊かな水と木々、獣がいたおかげだった。そこを避けると、人々の暮らしは成り立たなかった。
やがて、村人達は生贄を森の神にささげるようになった。人柱によって、森に立ち入ることの許しを得ようとしたのだ。年は五から九歳の幼子ばかり。当然、生きて戻ることはならなかった。
ある時、村に一人の若い女がやって来た。女は妖術師であり、遠方より噂を聞いて、この地に訪れたのだ。
妖術師の女は言った。
「この地には禍々しい祟り神がいる。古来より、人をたぶらかし、幼子を喰らう。もはや、神ですらない」
女は生贄を止めるように村人に訴えた。しかし、保身にかられた長老らは耳を貸さなかった。代わりに、一人の若者が彼女を信じた。彼らは森の中に分け入り、魔物と対峙した。儀式は三日三晩続いた。空は暗雲に染まり、嵐が止めどなく続いた。落雷が村を襲った。そして、一際大きないななきが森に響いた。四日目の朝、森から出てくる者がいた。妖術師と若者だった。魔物を封印することに成功した。若者は村の英雄となり、老人たちは一掃された。
若者は村の長となり、妖術師に言いつけに従い、森を鎮守の地として、村人以外の立ち入りを一切禁じた。そして、封印されたとされる祠に立ち寄ることを固く禁じた。
しかし、後世に誰かが禁を破ることを考えられる。妖術師は、魔物が再びこの世にあらわれた時を備えて、森全体を強力な結界を施した。豪族となった若者もまた、森に人の手が加えられないようにした。
時は移り、若者の一族は三つに分かれ、村から街へと変貌していくこの地を治める権力者となった。
「その御三家が、常盤、佐奈田、そして、金江の家だった」
「佐奈田って。うちの担任の?」
「そうか、清くんがいるのか。お母さんは僕の時の担任だったんだよ」
「ひどい親子だよ。それと……金江ってどこかで聞いたような気がする」
「僕の頃に、その家のお嬢さんがいた。黒澤くんの幼馴染だった子だ」
「裕美子さん?」
「知ってるのかい?」
「それよりも、名字がなんだか聞いたことがあるんだけど、どこでだったかな。……ダメだ、思い出せない」
「僕が黒澤くんについて始めた調査は、最後には彼にたどり着いた。君の話によると、彼はワタルと一人で戦っていた。そうだね?」
「はい」
未来は寛和に空白の出来事を教えた。そして、彼が二十年目にワタルと共にこの世界に戻ったことも。もう隠す必要もない。
「彼もまた、大昔の宿命に導かれたんだ。金江さんと一緒にね」
「どういう事なんですか?」
「翔くんの消防士だった父親、黒澤幹雄さん。彼の家計を三代前までさかのぼっていくと、ある一族に突き当たった。常盤家だ」
「常盤家?」
「この町の実力者一族。恐ろしい因縁とは思わないか。黒澤くん、金江裕美子さんらは元々、その若者の一族の流れを汲んでいたのさ。途方もない時間を経て、魔物が甦り、彼らと対峙している。もしかすると、この一連の怪談は、人間では計り知れない、何か複雑な因果が絡み合っているのかもしれない」
「あのさ、小難しい話をしているところを恐縮なのですが、僕達がどうすればいいんですかね?」
サタマリアの一人、ネイキッドが聞いた。
「馬鹿野郎!」と怒鳴るクリムゾン。
「俺らがここにいるのも運命なのが分からねえのか。決して偶然じゃねえ。兄貴をブッ殺しやがったド悪魔が居やがるんだ。サタマリアがここにいるのは何のためだ? スローガンを言ってみろ」
「世界平和」
「自由性交」
「身分平等」
「そうだ! 救世魔軍サタマリアがこの町に舞い降りたのは、その化け物野郎を退治しに来たからだ。そうと決まれば、隠れている場合じゃねえぞ、お前ら!」
「おおっ」と手を上げる面々。そして、何を考えたのか、サタマリアの面々は家の外へと出ていった。
「おい、よせ! 君たちの手に負える相手じゃないぞ」
「パンピーどもはさっさと逃げな。朝までに俺らが戻ってこなかったら、総理大臣でも大統領でもいいから、この町に核ミサイルをぶち込むように言ってくれ! あばよ」
彼らは消えた後、どこかでサイレンが響いたが、やがて静かになった。
「今のうちだ。行こう」
「姪御さんは大丈夫なんですか?」
寛和には小学六年の姪で、美弥乃という子がいるらしい。あの騒動ではぐれてしまったのだという。
「あの子は大丈夫さ。僕と同じ守りを持たせてあるからね。とにかく、外に出るのは危険だ。朝になるまで待つしかない」




