デート日和
1
「何の用? また殴られたい?」
らん子が拳に息を吐きかけた。
「違うの。渡したい物があって来たの。ところで、あなたの教室……」
「かなり減ったね」
翔が言うには、五年五組の教室には生徒が三十人いたらしい。ところが今ではどう見ても足りない。予鈴の前なのに、半分ほど足りない。つまり、彼らはワタルに捕まってしまったのだ。
翔は窓際の席で一心不乱に何かを書いている。きっと、ワタルを封印する儀式を見つけ出したのかもしれない。
「あいつの話、今でも信じられないけど現実みたい」
「らん子さんは怖くないの?」
「バーカ。怖くねえよ、そんなもん。それより用があんなら早く言えよ」
「ええとね、これ」
未来は一枚の封筒を彼女に渡した。
「何、これ?」
「ラブレター」
らん子は未来の額を四本指で弾いた。四倍の苦痛にうめいた。
「あんたバカなの? なんで、女同士で告ってんだよ」
「ち、違うの! 私じゃなく、黒澤くんから」
「あいつから? ウソこけ、クソが」
「ホントよホント。彼から頼まれたの。あなたに渡してくれって」
「あいつが自分で渡せばいいだろうが」
「その、恥ずかしいからって」
ここに来てらん子は黙り込んだ。
「本当に黒澤からなの?」
らん子がラブレターを開けようとして、未来が慌てて止めた。
「彼からの伝言。今は開けちゃダメだって。開けるのは二十年後の今日。とても特別な日になるから、その時に開けて」
「二十年後だあ! ふざけろよ!」
「待って。黒澤くんはあなたと結婚したいの。だから、これは子供同士の恋愛ごっこじゃなくて、お互いに大人になったらそれを開けてくれって言うの」
「あいつが、そんなことを言うわけないじゃん。あたしを担ごうなんて、二十年早いね」
「そう。じゃあ、この手紙は裕美子さんに渡しとくね」
「え?」
「だって、彼の言葉を信じられない人が持っていても意味ないしさ。じゃあね」
らん子が慌てて、未来の袖を掴んだ。
「待てって。いらないとは言ってないじゃん」
「じゃあ、信じてくれる?」
「でも、いつものあいつらしくないよ。どういう風の吹き回しなわけ?」
「これはらん子さんにだけ話しておこうと思ったんだけど……実は、黒澤くんはもうすぐ転校するの。だから心が穏やかじゃなくて」
「マジかよ!」
「声が大きいよ。彼には口止めされてるの。彼はね、それをあなたに託したの」
「分かった。一応預かっとく。あいつがそんなに悩んでたなんて」
らん子が教室に戻ったのを見計らって、一也が顔を出した。
「二十年後、仲里の母親に殺されるぞ。てか、娘の前で手紙を出すかな」
「娘がいたら、手紙の内容を見せてあげてって、最初に書き添えておいた」
「そんな律儀に従うかよ」
「あの子、案外人がよそさそうだから」
「でも、よく仲里の誕生日を知ってたな」
未来は自分の手帳にクラスメイトの名前や生年月日やアドレスをちゃんと保存しておいたのだ。
「一か八かだな」
「うん」
2
過去の世界はゆるやかに時間は流れていき、ある休日、運命の時はやってきた。
未来達は翔の住むアパートの前で隠れて張り付いていた。二十年後の彼が教えてくれた日は今日の日付と同じだ。ワタルは今晩、翔の手によって封印されるはずなのだ。
「本当に今晩に起こるのかよ」
「うん。そこに私達が立ち会えば、あいつの封印する方法を確認する。そして、おぼろ屋敷に向かって、四隅の儀式で元の世界に帰る」
「そんな都合よく行くか? そもそも、二十年後のあいつらが気づいているかどうかも分からないのに」
「でも、信じるしかないよ。この日を逃したら、私達、ずっとこの世界にいる羽目になる気がする。もっと悪いことが起こるかもしれない」
「それはいいんだが、いくらなんでもこの時間は、ちょっと早過ぎねえか」
「しょうがないじゃない。この世界の時間は気まぐれでも変わるから。あっ見て」
アパートから翔が出てきた。心なしか、普段よりも髪を整えているようにも見えた。それに着ている服も少し綺麗な感じがする。
「今日が学校は休みのはずなのに」
彼の話では夜に学校に忍び込んだと聞いている。儀式で使う道具を調達するつもりかもしれない。
とにかく、二人は彼の後ろをついていった。やがて、人通りの多い駅前の交差点に出て、噴水のある広場で足を止めた。ベンチに座り、例の本を読みながら、時折、腕時計を確認している。
「誰かと待ち合わせしてるのかも」
未来の勘は正しかった。ちょうどいいタイミングで、一人の女子が声をかけた。保健室で出会った翔の幼馴染。ポニーテールに大人びた顔立ちの少女。落ち着きと不安が綯交ぜになった印象だったが、今の彼女は落ち着きと安心を抱かせる。
「翔ちゃん」
「よお、裕美子。頼むからちゃん付けはよせ。恥ずかしい」
「ごめんね。でも、こうやって二人で会うのは本当に久しぶりだね」
「それより、塾に行かなくてもいいのか?」
「いいの。いつも行ってるから今日ぐらい息抜きで休もうかなって」
「おばさんに何か言われたのか?」
「うちのママはいつもうそうだよ」
「この間、裕美子から電話があった時はビックリしたよ。一緒に遊んで欲しいって。女子から誘われたのは生まれて初めてだ」
「そうなんだ」
「だってさ。小学校に上がってからろくに誰とも遊ばなかったからな。おれはずっと一人で時間を潰してきた」
二人はベンチで並んで座っていた。彼らの話を聞き耳するために、未来はベンチの後ろの茂みに隠れていた。なんだな、聞いているこっちが恥ずかしくなってきた。
「私ね、翔ちゃんに謝らないといけない事があるの。小学三年生の時に」
「気にすんなよ。そんな昔のことなんて、おれも覚えてない」
「お願いだから聞いてほしいの」
裕美子は顔を沈めるとゆっくりと話し出した。
「小学三年生の時、私は、一度だけ翔ちゃんが私のクラスメイトにいじめられているのを見たの。五人ぐらいで寄ってたかって。私は物陰から怖くて何もできなかった。助けないといけないのは分かっていても体が動かなかった。怖かったの。何もできなかったらどうしよう、自分もいじめられたらどうしようって……。だから、私はそのまま逃げたの」
裕美子は泣き出した。よっぽど、心に抑えてきたのだろうと、未来は思った。自分でも同じ状況にあったら助けられるか分からない。もっとも、一也みたいな奴ならいじめられる心配はなさそうだが。
「お前も馬鹿だよ」
「そんな事でずっと悩んでたのか」
「ごめんなさい」
翔は何も言わず、ただハンカチを出してあげた。
「少し思い出したよ。そんなのがったっけ。確か、あの後に三人の顔を凹ませてやったんだった」
翔は歯を出して出して笑うと、裕美子も釣られて微笑んだ。二人は立ち上がってどこかへと向かう。
「デートよ、絶対デートだ」
未来は芸能レポーターになった気分で興奮して、二人の動向が気になって仕方がなかった。一也は呆れながら言った。
「ワタルの封印はいいのかよ。俺らは無事に未来に変えられるのか」
「元の世界に戻ったら、あの人を困らせるネタに出来るでしょ」
翔と裕美子の二人は、とある映画館へ入った。そこは古いビルだった。そこはミクも知っている場所だった。確か、一階が銀行で二階が学習塾になっていた常盤台南テナントビルだった気がする。消えたクラスメイトが通っている塾がある。しかし、目の前に立つビルの外観は全く違っていた。
今時、入口の上に上映中の映画作品の看板が大きく掲げられているのだ。考えてみれば、今は一九九五年なのだから当たり前なのだが。
「ここって、昔は映画館だったんだ」
「たぶん、グリーン・ローズ劇場だな」
「なんで、一也が知ってるの?」
「社会科の授業で調べたんだよ。グリーン・ローズ劇場は常盤台市に昔からあった映画館なんだ。近くには商店街も活気づいていたから結構賑わっていたらしい」
ところが、平成不況に手伝って、二〇〇一年に郊外にできたショッピングモールに設けられた複合施設に映画館ができると、ほとんどの客がそっちへ流れてしまい、数年後には多くの地元住民に惜しまれつつ閉館したのが、二〇〇三である。未来達が生まれる以前の話だった。
「とにかく行きましょう」
「ちょっと待てよ。金は足りるよな」
「大丈夫。なかったら貸しとくから」
「違うって。よくあるじゃん、俺達の時代の金がここでは使えないみたいなパターン」
「野口英世とか樋口一葉がダメなの? 大丈夫、私に任せて。たぶん、これで大丈夫だと思うから」
映画を選ぶ翔の後ろで見張っていた。この劇場では、昼間は二作品しか上映されていないようだ。グリーンとローズと称するスクリーンに分かれており、上映が新しい作品はグリーン、上映されて日が経つ作品はローズで観られるようになっているようだ。
「見ろよ、未来。すごいラインナップだな」
グリーンスクリーンの上映作品……『学校の怪談』。
ローズスクリーンの上映作品……『トイレの花子さん』。
ロビーを埋める客の殆どは『学校の怪談』のあるグリーンへと流れていくようだ。入口には『立ち見ごめん』とある。
翔達は少し迷った挙句、ローズの『トイレの花子さん』の方を選んだ。遅れてチケットを買う時、未来は隠し持っていた千円札二枚を出した。それは当時のお札、『夏目漱石』だった。
「やるじゃん」
「私、夏目漱石の本が好きで、読書感想文に選んでいるの」
ローズスクリーンは客がまばらだった。既に座っている翔と裕美子の後ろに座ると、彼らの会話に耳を立てる。
「だいたい、トイレの花子さんなんているわけないんだよ」
「そうかな。ワタルなんて怖いお化けもいるのだし、もしかすると、花子さんだっているかもしれないよ」
「おれは信じないぞ。今晩には、そのワタルもいなくなるんだ。消してみせるさ」
まもなく、映画が始まった。今と違って予告も少なく本編の幕が上がる。
ある町で、児童が殺される残忍な事件が頻発していた。小学校ではトイレの花子さんのしわざではないかと、噂で持ちきりだった。そんな時、主人公のクラスに一人の美少女が転校してきた事で、彼女が花子さんで、次ににラウ子供を探しているという噂が立ち始める。そして、学校内で飼育していたヤギが惨殺されて、恐慌に陥った生徒たちは彼女を真夜中のトイレに監禁して……。
未来と一也は見入っていた。お化けが出てくる作品ではない。タイトルの花子さんも実際に姿を現す場面はほぼ皆無である。しかし、無責任な噂でヒステリーに陥る子供がリアルに描かれている。
いるかどうか分からないお化けや怪物が恐ろしいのではない。本当に怖いのは、姿形のない噂と、それを疑いもなく信じ過ぎて、振り回され他挙句、正しい判断ができなくなる人の心だと、未来はこの作品から感じ取った。
翻って自分達を取り巻く現実はどうか。ヒステリーになる子供はいない。ほとんどがその存在を知らず、知らないところでじわじわと恐怖が感染していく。
ワタルも、自分達の作った噂の産物であればどれだけよかったか。
映画がラストに差し掛かった時、未来にとって、予想の場面が流れた。主人公の少年と転校生の少女が誰もいない教室でキスをして、エンドロールが流れたのである。同じ世代の子がそれをするのを、初めて見て未来は口元を思わず押さえた。
隣に座った一也も、ポップコーンを手に持ったまま呆然としていた。
当然、前列の二人も同様だった。翔は咳払いすると、明後日の方に頭を向けている。隣の裕美子に至っては顔下に下ろしたまま動かない。暗い劇場の中でも二人の顔が赤く染まっているのが分かり、楽しいやら恥ずかしいやら複雑な思いだった。
映画が終わり、ローズグリーン映画館を足早に出ると、二人は下のベンチに座っていた。双方、無言を貫いている。居心地の悪さが数分続いた後、口火を切ったのは裕美子だった。
「映画、面白かったね」
「ああ。『学校の怪談』も面白そうだけど、こっちもなかなかな。でも、最後はさすがに驚いたな」
馬鹿。未来は毒づいた。これではまた無言タイムになってしまうじゃない。
しかし、それは杞憂だった。むしろ、裕美子は明るく笑って返した。
「翔ちゃんもあんな事をしたような女の子がいるの?」
「いるわけないだろ! だいたい、おれには早すぎるし、仲の良いやつなんて一人も……」
彼の言葉は続かなかった。なぜなら、彼の肩に彼女が寄り添っていたからだ。
「おい、裕美子」
「私もずっと一人だったの。家でも学校でも。いくら友達がいても、家に連れて行けない。うちのママはいつも値踏みをして、あの子は頭が悪いからダメ、礼儀がなっていない、あなたの友達にふさわしくないから家に上げるなって本人の前で言うの」
「おばさんが思う裕美子の友達は、おばさんの頭の中にしかいない」
「そうね」と裕美子は頷いた。
「誰も私を遊びで誘わなくなった。学校では仲は良い子もトイレで私の陰口をするのを、時々聞いたわ。私もママみたいに他の人を馬鹿にしているんだって」
「裕美子はそんな奴じゃない。いったい誰だ、そんな事を言ったのは?」
翔は語気を荒げたが、やや落ち着いてから言った。
「裕美子はさっき謝ったけど、おれも謝らないといけない。本当にごめんな」
「どうして、翔ちゃんが謝るの?」
「おれは自分の事ばかり気にして、裕美子のことも忘れていた。みんなが自分の敵だと殻に閉じこもって、誰とも関わろうとしなかった。でも、裕美子もずっと辛かったんだよな。それなのに気づいてやれなかった」
「もういいの。今までの事なんて、何もかもどうでもいい。今は、こうして会えたのだから」
それ以降の二人のやり取りを、未来達は確認できなかった。周りの風景が急にゆがみ始めたのだ。交差点の歩道橋も、行き交う車や人も、二十年後には様変わりしているであろうローズグリーン劇場も、そして、ベンチの座る二人の姿も、細かい粒子となって世界は一変した。
「なんだ、今度は一体何が起きるんだ?」
一也の声を聞いたのが最後だった。未来の視界を漆黒のカーテンが落ちて、一切の音が途切れた。




