現在(いま)の問題
1
時は移り、現代――。
「おれの知る情報は以上だ。信じられない事かもしれないが、すべて事実だ」
場所は、学校から程近い場所にある公園にある、コロセロムの広場。一時間にも及ぶ説明が終わり、舞台に立つ黒澤翔は一息ついた。
眼前の椅子に座る、四人、篠田亘、仲里雛、未来の弟で徹、一也の妹の美月は眠たそうな瞳を浮かべていた。
時刻は夕方過ぎ。時は二〇一五年の七月二十日。未来と一也がワタルの顔をした砂に飲み込まれてから、ちょうど三十分が経とうとしていた。もちろん、その間、二人が生還する様子もなく、安否を確かめる術もなかった。
「それって、マジな話なんだよね?」
疑い深そうな顔を浮かべつつ、雛が口火を切った。
茶髪に染めた髪に、細く削いだ眉に細い瞳は一見ガラが悪そうだが、あんな出来事があった上に、話を聞いた直後のせいか、ひどく青ざめていた。
(おれはこの子を知ってる気がする)
二十年前のクラスに雛に似た女子がいた記憶が残っている。デジャブなのか単なる記憶違いなのか。今にして思えば、未来が教室に異変に聞いてみたのが、彼女だったと聞く。まさか、今回、雛がワタルの恐怖に巻き込まれたのは単なる偶然なのか。
「どうなんだよ?」
「今さっき体験したのが全てだ。そいつも一緒に追いかけられたんだろ? 二人一緒に同じ幻を見ていたなんて言わせないぞ」
「僕は本当だと思う」
亘がおずおずと口に出した。小太りの割には利口な印象を受ける少年だ。オバケを信じるというより、この目で見たのだから否定しようがないという考えは自分もそうだった。
「あんた、それマジで言ってんの?」
「うん。この目で見たんだから。僕一人なら幻か夢でも見たってなるけど、雛ちゃんもあの怪物を見たよね。間違いないよ」
「はあ……それもそうだよねって、雛ちゃんって呼ぶな、このデブ!」
雛は隣に座る亘の脇を蹴った。
「じゃあ、僕の事もデブって呼ばないでよ。結構、傷つくんだよ」
「先にお前が止めろよ。だったら、あたしも止めるから」
「痴話喧嘩なんかしてる暇はないぞ。お前らはよくも悪しくもワタルから逃げおおせた。つまり何を意味してるかというと――」
「僕達も襲われるようになる?」
「そうだ。あの子達もな」
「あんたは同じ名前だから見逃してもらえるかもね。もしかしたら、仲間にしてもらえるかもね」
「そんなのヤダな。でも、高橋くん達は大丈夫なの?」
「それが問題だ。二人をどうなったのかを調べるとともに、お前らも気をつけないといけない。明日から、奴はつけ狙ってくる。ワタルは、自らの爪から取りこぼした獲物を決して逃そうとしない。どんな手を使ってくるか分からない」
「あたしは大丈夫だから」
「どうしてそう言える?」
「そんな間抜けな目には遭わないようにする。要するにさ、一人にならなきゃいいんだろ? 教室にいれば平気だって」
「トイレはどうする? 他に誰もいなかったらどうするつもりだ」
「それは……」
「僕がついてってあげようか?」
雛が盛大に亘の頭を叩いた。
「変態死ね、ボケッ! もう、なんであんたみたいな奴と義理でも従姉弟なわけ? マジあり得ないんだけどさ!」
「とにかく。問題は、この子達だ。二人がいない間、奴から身を守る方法は、学校を休むほかないが毎日できるわけじゃない。それとなく、二人を見守るようにしてほしい。おれもいつもできる保証がないからな」
「分かった。でも……」
「小宮ともう一人の奴を助ける方法なんてあるの?」
「それを探してみる。ワタルに囚われたわけじゃないのは確かだ。彼女はおれのお守りを持っているはずだからな。だが、いつまでも助かる保証もない」
二人の行方はもちろんだが、ワタルの封印は最大の課題だ。しかし、重要な書物『妖怪悪霊大図鑑』がない以上、儀式の詳細を思い出す必要がある。
「もう一度おさらいしようか。あの学校には、魔物が住んでいる。名前はワタル。だが、おれにもあいつが何者なのか見当がつかない。奴は、生徒を餌にしている。一人でいる子供が好物だ。捕まった子供は、存在をこの世から消されてしまう。そして、狙われているのは、兄弟姉妹が通っている子だ。あの学校は何かしらの霊的な磁場、パワースポットになっている。ワタルはそれを利用して、教師や生徒に暗示をかける。そして、消された子の兄弟を媒介させて、外にいる家族の記憶も改ざんさせる」
亘は律儀にもメモを取っていた。雛は御託はいいみたいに手を払っている。あとの二人は幼すぎる。このメンツで守りきれるのか心配だった。
「あたしとデブは義理の従姉妹だけど、それも関係あるの?」
「それは謎だ。奴は、一人っ子のお前達を狙うのは、何か違う意図があるのかもな」
「そう言えば、僕――」亘がおずおずと手を上げる。「あいつに授業中に出会ったかもしれない」
「その時、奴は何か言ったのか?」
「僕と自分は似た者同士だって。怖い目にはあったけど、こうして無事だった」
「どうして早く言わないのよ」
雛が噛み付いた。
「夢を見ただけだと思ったんだ。でも、あいつは今は何もしないって言った」
その時、近くにあっる電話ボックスが鳴り響いた。最初は何かの間違いだと思った。だが、胸騒ぎを覚えた翔はボックスに駆け寄ると、緑色の受話器を取った。
「もしもし」
(ガガ……ジジッ……黒澤くん?)
「未来ちゃんか? どこで話しているんだ。今どこにいるのか分かるか?」
(私達……###にいるの)
肝心なところでノイズが走る。電波が届くかとどかないかのギリギリの場所にいるのだろうか。学校の外にいてもつながるということは、彼らはほとんど近くにいるのではないかと思った。
「聞こえない! 頼む。もう一度言ってくれ」
(わたしと一也は……過去にいるの)
「過去……」
(九五年、七月。……でも、もうダメ。このままでは私まで消えてしまう!)
「落ち着いて、詳しく話してくれ」
(助けて、黒澤くん。儀式を……運命の夜に儀式を――)
そこで電話が切れた。心配そうに亘と雛がやって来ていた。
「ねえ、どうしたのさ」
「二人の居場所が分かったかもしれない」
「本当に?」
「だけど、それには必要な武器がない。おれは何とか探してみるから、君達二人は明日から、自分の身とあの子達を見守ってほしい」
未来と一也が消えたといっても、亘に襲われたように、存在そのものが消えたわけではない。さっき、徹の持っていた子供用の携帯電話から、母親から着信があったのだ。お姉ちゃんはどうしたの? そう聞いたという事は、未来はまだ消えてはいない。
問題は、二人がいなくなったのを大騒ぎにしたら厄介になる。色々悩んだ末に、一つの妙案を思いついた。
翔は寝ている徹を起こすと、携帯電話を借りた。そして、慣れない手つきで小宮家に電話する。そして、雛にある事を頼んだ。最初はためらっていたものの、仕方なく翔の案に乗った。
(もしもし?)
「あ、もしもし、小宮さんのお宅ですか? あたしは小宮さんと同じクラスの仲沢といいます。実は、今夜は同じクラスの女子で勉強会をしようと思いまして、泊りがけになりますので」
(まあ、そうなの。未来はどうしてるの?)
「今、音楽聴きながら寝ぼけてます」
(あら、そうなの。でも気が絵とは大丈夫なの?)
雛は咄嗟に言った。
(大丈夫です。彼女も、あたしたちも着替えを持ってますから。心配しないで下さい。はい、はい、それでは……)
そして、雛は電話を切った。
「こんなものでいいの?」
「十分だ。次は君に頼もうか。高橋くんの家に掛けてくれ。彼女と同じ要領で言い繕うんだ」
心配そうにしていたが、案外簡単に親は承諾してくれた。これで今晩はごまかせる。今晩までだ。明日までにはか解決しなくてはいけない。もう一睡も休む暇はないと思った。どのような方法を使ってでも、未来と一也を助け出さねば。
2
篠田亘は息を切らして家に帰ると、里親の紀子が出迎えてくれた。
「遅かったじゃない、亘」
「ごめんなさい。ちょっと、図書館に寄っていました」
仄かに残っている緊張感からいつもの癖で敬語で返すと、亘は部屋にこもっていた。さっきまで体験した恐怖の連続が夢であるように祈ったが、目が覚めないところ夢ではないらしい。
自室として与えられた八畳間は、三年前まで暮らしていた児童養護施設の相部屋よりも広く、彼は正直持て余していた。里親の二人が何かを買ってあげようかと誘っても、亘は遠慮していたので、部屋の中には勉強づくとベッドと古い漫画本や図鑑の収まった本棚しかない。同年代の部屋と比べれば、殺風景だろうが、亘として気にするところではなかった。
里親の二人に遠慮しているわけではない。館長だった岸野さんからは、「君は今日から、篠田亘になる。法律ではお二人の子供になる。気兼ねする事無く何でも話して、絆を深めていきなさい」そう言われてきたのだが、数年経った今でも、亘には抵抗が残り香のようにこびりついていた。
その現れがたどたどしい敬語での会話だったのだが、本人は全く気付いていない。
ドアをノックする音がした。
「あ、どうぞ」
慌てて返事をすると、紀子だった。年は四十五歳で、十年前に一人息子を亡くしている。その事実を知った上で、亘は篠田家の長男になることを選んだ。
「今日は遅くなってごめんなさい」
「いいえ、別にいいの。亘くんだってもう五年生なんだから、門限も買えてあげないといけないって思っていたの」
「いえ、今日はちょっと学校で色々ありましたから」
まるで大人の背伸びをしたような言い方に、まずと思いながらも癖になっているのだから仕方がない。
「どういう事があったの?」
少し心配そうに尋ねてくる義母。もしかすると、自分がいじめられているのかもしれないと思われているのだろう。二人に余計な心配をさせたくない。
「図書館で探していた本を読んでて時間が過ぎてしまったんです。すみません。今度から気をつけますので」
「本当にいいの。気にしないでね。でもね、何かあったら遠慮なく話してちょうだいね」
「はい」
紀子はドアを閉めると、亘は深く息を吐くと、自分の頭を叩いた。一体何をしているのだろうと後悔した。もっと、普通に離せないなんておかしいと思われているに違いない。いじめられていると思われるかもしれない。
「何やってんだろ、馬鹿みたいだ……」
自己嫌悪のアリ地獄に嵌っていく自分をイメージしてしまう。
何の前触れもなく、ドアがまた開いた。茶髪の頭を見て、「うわっ」と声が出ていた。相手はつかつか歩み寄ると、強力なパンチを繰り出してきた。
「あたしが来たら悪いの?」
雛は大きなカバンを持っていた。
「どうしたの?」
「こんばんはここで泊るから」
「なんで?」
「あんな事があったんだぁら仕方ないじゃない。それとさ……亘にお願いがあるんだけどさ」
「なんでしょうか?」
「学校に忘れ物をしたの」
「うん」
「大事なもので置いとくわけにもいかないわけ」
「なるほど……それで?」
「何で分からないかな。今から行くからついて来てくれない?」
「う……ん。でもさ、学校はまずいんじゃないの?」
「大丈夫だって。用務員さんだっているだろうし。今の時間なら他の先生も残ってるかもしれないし」
「じゃあ、雛ちゃん一人で行ってもいいんじゃないの?」
雛の眉がきっと上るのを、亘は見逃さなかった。この後の展開はもう学習したので、枕をヘルメットが割にした。すると、鋭い手刀が腹をえぐった。
「あたしから逃げようなんて百年早いの」
「うう……暴力反対」
「まあ、そう腐らないの。だってさ、あたしだって女の子なんだよ。あんな怖い目に合った学校にさ、一人で行かないといけないんだよ。それを見捨てていくのをって、男子としておかしく思わない?」
「思わない」
「薄情もの」
「止めといた方がいいよ。黒澤さんだって言ってたじゃないか。夜の学校には近づかない方がいいって。もうその魔物に消された生徒だって出始めているらしいのに」
「でも、今の時間なら先生もいるし大丈夫だと思うけど」
「ううん、でもなあ……」
亘が考えあぐねていると、流石の雛も業を煮やした。
「分かった。もう一人で行くから。ワタルだろうがオタルだろうが出てくればいいの」
雛は乱暴にドアを閉めて出て行ってしまった。亘は慌ててドアを開けると、案の定、廊下に彼女がスタンバイしていた。
「早かったじゃん」
「終わったらすぐに帰るからね」
亘はため息をついた。この義理のいとことは馬が合わない。
3
小宮徹は家に帰ると、急に心細くなった。
「おかえり、徹。遅かったじゃないの。どうしてたの?」
「学校で遊んでた」
「門限は何時までだったかな?」
「五時まで。ごめんなさい」
一人になると弱気になってしまう自分がいる。いつも入るはずの姉がいないせいだった。
「泣かないの。そんなに泣くことじゃないじゃない。でも心配はかけさせないでね」
「うん」
「あ、そうそう、お姉ちゃんは今日、友達の家でお泊りするから」
「うん」
徹は手洗いを済ませて二階に上がり、姉の部屋に入った。
すでに、翔が待っていた。
「すまないな。こんなことに巻き込んで。怖くないか?」
なんとか首を振る。
「おにいちゃんも怖くない?」
「怖くないわけじゃないよ。でも、男にはいつか戦わないといけない時があるんだ」
「もし、負けたら?」
「どうかな……おれでも勝てるかどうかもわからないしな。でも、おねえちゃんは絶対に助け出す。約束だ」
翔の心強さに徹は少し救われた気がした。今日の出来事は本の中だけの出来事だと思っていたほどだった。
「よし。じゃあ、お前も美月ちゃんを守ってやれよ。好きなんだろ?」
徹は赤面した。翔は意地悪く笑う。
「すきなんかじゃないよ!」
「怪しいな」
その時、下の階から母親の声がした。
「どうしたの? 誰か来てるの?」
「誰もいないよ」
そう言ったものの、母が階段を上がってくる。部屋のドアが開かれた時、翔の姿はどこにもなかった。
「お姉ちゃんのお部屋には言っちゃダメじゃない。あら、窓が開いてる」と窓辺に近づいた時、「キャッ!」と叫んだ。
「庭に誰かいたわ。泥棒かしら!」
そう言うと、窓をしっかり締めてしまった。これでは翔は家の中に入ることができない。外に出るわけにも行かない。
どうしよう……徹は一人で頭を抱えた。




