『妖怪悪霊大図鑑』
26
昼休みの時間になり、翔は未来の案内で図書室へ向かう事となった。
一、ニ時間目に一人で行けなかったのには理由がある。以前の場所に図書室がないせいだった。消えた生徒の数を調べる必要もあったので、図書室探しは後回しにしていた。
「お昼ご飯は食べたの?」
「給食室からちょろまかしてきた」
そう言って、服の隙間からパンと牛乳をのぞかせた。
「昔からそうしてたの?」
「ああ。どうせ、余ったら捨てるんだから別にいいじゃん。それより、図書室はどこにあるんだ」
「図書室というより、うちの学校の場合は図書館かもしれない」
未来達は芝生の中庭に出た。向かって右手には、巨大なタイヤが積み重なったアスレチックが鎮座し、奥に、低学年の下足場へと通じる大きな扉、左にはウサギの飼育小屋が並んでいる。正面の表校舎へ入ると、図書室とは違う方向へ向かう。
校舎の奥から外に出ると渡り廊下があり、隣接している体育館がある。その後ろにはプールがあるはずだと、翔は言った。
未来は首を振って言った。
「今のプールは体育館にあるの」
「体育館に?」
「うん。地下に室内プールがあるの」
「ゴージャスなことだ」
「私が入学した頃に工事が終わってさ、最初に使ったけど、おかげで夏でも冬でも使えるんだよ。土日には一般の人に有料で使われてるんだって。もちろん生徒はタダ」
「なあ、この学校は公立だよな?」
「今はね。なんでも、将来は私立になるって噂があるの」
「誰かが学校を買うのか?」
「うちの校長が……」
「どんな奴だ?」
未来は気まずそうに、体育館入り口の壁面に設置された液晶テレビの映像を見せた。タイミング悪く、五分に一度流れるプロモーションが再生された。
(住みよい地域、自然溢れる景観、そして、私達は子供が学び、大人の憩いの場となる学校を目指します)
口当たりのいい言葉を語る一人の女性が映しだされた瞬間、翔は目を丸くした。
「こんな奴なの」
「こいつは……佐奈田のババアじゃねえか。こいつが校長かよ?」
「うん。残念だけど」
(閉じられた学び舎から、開かれた学び舎へ。常盤台南小学校が目指すのは、大人も通え、地域と親と子供が渾然一体に学べる、自由の場です)
「冗談じゃない。こいつはおれや母さんをどれだけいたぶったと思ってる? 貧しい上に母子家庭の子は協調性がないから、社会に出ても役に立たないか、落伍者になるのが決まっている。奴は五年のおれにそう言ったんだぞ。担任がだぞ! なんでこんな奴が校長になれて、バカ息子の清が教師に収まってんだよ!」
「私に言われても困るんだけどな」
「ごめん。図書室へ急ごう」
二人は体育館の脇の廊下を歩き、九五年の頃にはプールがあったはずの場所へと向かう。翔の記憶では、フェンスが並び、更衣室、シャワーやプールがある一角があるはずだった。ところが、そこには三階建ての新図書館がそびえていた。
「まさか、ここが……」
「そう、ここが新しい図書室だよ」
「こいつは図書館だろ」
その建物の正式名称は常盤台新中央図書館である。訪れた者がすぐに目につくであろう、大きく正面に流れる片流れの屋根。そこにはソーラーパネルが隙間なく設置されており、赤レンガとステンドガラスからなる西洋風の壁面と対をなすデザインとなっている。建物の周りは砂利と石畳で敷かれ、堀が張り巡らされており、澄み切った川面には小魚が泳ぐのが見える。外観はもちろん、敷地にも修飾に余念はない。
未来が入学した年の夏に、プール施設の新体育館に移設されたのをきっかけに同時進行で建てられた。元あった中央図書館は取り壊されて、今なお更地のまま売却も決まっていない。
「時代が進んだでしょ?」
「本当に浦島太郎の気分だ。九五年にあったものがすべてなくなっているんじゃないのか。まるで、ここにいる自分が嘘のように思えてくるよ。やな感じだ」
「そんな事ないと思うよ。例えばさ、黒澤くんの頃にはどんなゲームがあったの? ちなみに今は、妖●ウォッチっていうのが流行ってるよ」
「マリオとか、ゼルダとか、ドンキーコングとか」
「どれも、今も知ってるよ」
「そうなのか」
「うん」
「そうか、よかった。ドラクエとかある?」
「あるよ。新作もたくさん作られてる」
「じゃあ、ファイナルファンタジーは?」
「十四作まであったと思う」
「そんなに続いてたのか。なんか嬉しくなってきたな。じゃあ、マザーシリーズは?」
「何それ?」
「ロックマンは? 無印かXは」
「うーん、知らない」
「……もういい。時間を無駄にしたくない」
二人は重い足取りで図書館の中に足を踏み入れた。
27
図書館の内装が外装と引けを取らない壮大さを誇っていた。所蔵されている本の数はもちろん、地下一階から三階にかけて、中央の吹き抜けを樹木のオブジェが貫いている。枝葉には色とりどりの実が垂れて、時間ごとに色が変化する仕組みになっている。フリールームからなる地下には噴水が設置され、そこに樹木が根を下ろす形となっている。水底が輝いて見えるのは、明滅を繰り返す照明によるものだった。
「ここはどこの国の図書館だ」
「一応日本だけど」
「まるでSFだな。あのババアのせいで、この学校の財政が傾いてるぜ、きっと。しわ寄せで給食がまずくなってるんだろうな」
「普通だよ」
二人はエレベーターで館内を回り、最上階の四階から階下を眺めた。一面の床は透明になっているので、図書館の象徴である樹木、それに沿うように横断する渡り廊下と、そこを行き交う生徒や、外からの利用者を俯瞰できるようになっていた。
恨みごとばかりつぶやいていた翔も、さすがに言葉もできないほどだった。
「すごいな、ホント。二十年も建てば、これだけ変わるもんだな」
「ねえ、そろそろ、目的の武器を教えてくれない?」
「ああ、そうだったな。よし探そう……オカルトとか怖い話のコーナーにあったと思う」
「もしかして、探してるのって本なの?」
「そうだ。頼りないか?」
正直、そうだが、今の未来は藁にもすがりたいのも事実だった。この際、件の本が強力な使い魔になってくれるモンスターを召喚してくれるような代物であってほしかった。
「怖い話のコーナーはどこだ?」
翔がマップと睨めっこしているが、やはり時代遅れだ。未来は自信満々に「私に任せて」と胸を張る。近くにあった検索機の前に立つと、タッチパネルで操作する。探したい本のタイトルか作者名を打ち込むと、閲覧場所や貸し出しの状況が分かる。目的の本がどこにも見つからない時に便利である。
「本のタイトルは?」
「『妖怪悪霊大図鑑』」
「すごいタイトル」
「ほとんど誰も借りていなかった。おれの前の貸し出しが二十年ぐらい前だった」
果たして、そんな古い本が残っているのか不安だった。
「作者名は……タイトルだけで十分よね」
未来はタイトルを入力すると、一縷の望みをかけて《検索》のボタンを押した。数秒後……。
「あった」
「よし。これで前進する」
だが、未来が同時に落胆した。
「どうした? 浮かない顔をして」
「これ、貸出中になってる」
「は? なんで、あんな本が借りられてんだよ」
「ワタルが先回りして、本を借りたとか」
「バカな。魔物が触れるとただれて、魔物に取りつかれた人間の目には見えない。特別な結界の表紙に施されている本だぞ」
「私に聞かないでよ。誰か、オカルト趣味の誰かが借りてるんだよ、きっと」
「誰だ、そのバカ野郎は?」
「空気の読めない人だと思う」
「そうだ。……ところで空気が読めないって、どういう意味だ?」
「KYってこと」
「知らない」
本が貸出中の場合、およその返却期間が表示されるはずだった。しかし、検索機の液晶には、未来や翔をさら絶望させる一文が表示されていた。
『この本は返却されないまま一年以上過ぎております』
「たぶん、前に借りた人が返してないのかも」
未来が冷めた目を翔に向ける。事の経緯からして、最後の貸出者は彼しかいない。
「おれは、奴を封印する前にちゃんと返した」
「黒澤くんの次の人だよ、きっと」
「借りパク野郎め。ぶっ殺してやる」
この本は一年以上も帰ってないという事は、返却を待っても期待は薄い。翔が重要なアイテムというからには、これからなくてはいけないはずだ。
未来達は一階のカウンターへ向かった。図書係は二人、そのうちの一人が見覚えのあるやつだった。未来の口元がほころんだ。説得できる相手である。
「まさか、借りてる奴の事を調べるのか?」
「うん。任しといて」
未来はカウンターの前に立った。サッカー関連の本を退屈そうに呼んでいた男子が顔を上げると、驚きの表情を浮かべた。スポーツ刈りに日焼けした顔はしばらく会わないうちに、カッコよくなった気がするけど、大げさな笑顔はまだ幼稚さが抜けてなさそうだった。
「よお、未来。珍しいな、お前が図書館って」
「それはこっちのセリフだよ」
五年二組の高橋一也。地元のサッカークラブに所属している幼馴染が、何の因果で不釣り合いの図書係になったのかは知らないが、話の分かる相手で助かった。
「ねえ、カズ。この本を借りパクしてる人、知らない」
「『妖怪悪霊大図鑑』ね。未来ってこんな悪趣味な本が好きだったのか?」
「人助けのためなの」
「ふうん。ところでさ、聞いてくれよ。チームのレギュラーにやっと選ばれた。念願のフォワードだぜ」
「すごいじゃないの。カズは幼稚園の頃からサッカーが好きだったよね」
彼の所属していたチームは確か、この地元では強豪チームだった。県大会の常連で、レギュラーになるだけでも難しいらしいのは、母から時々聞いていた。もっとも、未来はサッカーにまるっきり興味はなく、一也のサッカー蘊蓄を聞かされても、どこが面白いのか謎だった。
「でさ、今度の日曜日、初めてレギュラーとして出る試合があるんだ。別に応援しなくてもいいぜ。でも、もしも、暇だったらさあ――」
「ところで、本を借りてる人、まだ分からない」
「ところで、かよ……あった、こいつだ。四年二組、小宅田日比雄。三年の時から一年も延滞してやがるな」
「四年二組の小宅田ね。ありがとう、カズ」
「どういたしまして、日曜のサッカーの試合、考えておいて……」
彼の言葉を聞き流しながら、未来は早々と翔の方へ向かった。
「延滞している人が分かったよ」
そして、詳細を伝えると、翔は怖いほどの無表情になった。
「そうか、四年生か。後輩だし、優しく問い詰めないといけないな」
「ところで、そんな本にどんな力があるんですか?」
「あの本は特別な力がある。この学校にあっただけでも幸運だったかもしれない。それを見つけた事も。あれは、最初にワタルと遭遇してから数日後だった。俺は担任の佐奈田に居残りを命じられた」
図書館の入口に出ると、冷房の風が途切れ、日差しが照りつけた。積乱雲の大群が空に漂う。どこかで蝉の鳴き声が聞こえる。
「あの日が境目だった。おれはワタルから逃げるのを止めた。“あいつ”のためにもな」
28
一九九五年六月三十日……梅雨時には珍しい快晴の空だった。もっとも、夕方になると天気予報もなかったのに、少しずつ雨模様の気配が漂い始めていた。
暗雲のせいで学校の中はどことなく薄暗く感じた。廊下や階段、下足場など、人の数が減ったせいか、休み時間でさえも閑散になった。その変化に気づく奴は、おれを除いて誰もいない。
終礼後、クラスメイトが帰っていく中、一人で居残りをする事となった。担任の佐奈田が急に言ってきたのだ。また、あの一件をほじくり返すつもりかもしれないと思った。
おれはため息を漏らした。どうせ、納得するはずがないのは分かっていた。とりあえず、教室で今日の宿題や復習をしながら時間を潰していた。だが、担任が来る気配はない。職員会議でもやっているのか?
「あれ、黒澤くんはまだ帰らないの?」
教室の中には他に竹井がいた。おれと同じく、宿題をせっせとやっている。学校と塾の分だろう。十分ぐらいで早々と終わらすとランドセルに荷物を詰めていく。
「残れって言われてる」
「おかしいな。黒澤くんはいつも宿題をちゃんとやってるし、授業だって受けてるのに」
「さあな。この前の文句を言うためじゃないのか」
竹井の顔がやや曇る。めんどくさい奴だ。
「分かってるよ。お前の事は言わないから」
「ありがとう、黒澤くん。もしも、先生に何か嫌な事を言われたら、僕に話してくれ」
「なんで、お前に言わなきゃいけないんだ」
「この前も言ったけど、僕は学級委員だ。こういうのはよくないと思う」
「おれはいじめられてなんか――」
「それだけじゃないよ。あの先生もどこかおかしいよ。嫌いな人はたくさんいる」
「そうだな。考えとく」
「きっとだよ、じゃあ、また明日」
「あのさ、竹井……」おれは戸惑いつつも言った。「お前さ、人が急に消えていなくなる事があると思うか?」
「神隠しの事?」
「まあ、そんな感じ」
こんなのを聞いていいのだろうか。おれは心の中で後悔した。きっと、おかしな奴と思われるだろうな。
竹井は大袈裟なほど腕を組んで低く唸った。
「ない事はないよ。例えば、メアリー・セレスト号事件が有名だ」
「メアリー? マリー・セレスト号じゃなかったか」
「その通り。よくテレビや本で乗っているマリー・セレスト号というのは、シャーロックホームズの作者コナン・ドイルが、事件をモデルにして書いた時に出てくる船の名前さ。それが間違って広まったんだと思う。だから、正しい名称はメアリー・セレスト号」
竹井は説明を続けた。
一九七二年十二月五日に、大西洋を航行していたマリーもといメアリー・セレスト号。ところが、異なる航路を漂流されるところを発見される。乗り込んだ船員達が見たのは、無人の船内だった。乗組員と乗客の十人が忽然と姿を消していた。船長室では、今しがたまで朝食をしていたかのような形跡があった。彼らはどこへ来たのか、という謎は今をもっても解明されていない。
「海賊とかに誘拐されたとかじゃないのか?」
竹井は首を振った。
「実は、メアリー・セレスト号には食料や酒樽が手つかずのままだった。海賊だったら根こそぎ盗んでいく。伝染病でもない。死体も見つからなかったそうだし。津波で全員が海に投げ出されたなんて、もっとあり得ない」
無人の船内。沸き立つ状態で放置された朝食、書きかけの日記……その情景を想像すると、どうしても、あのワタルを思い出してしまう。奴の場合はもっと違う。
「日本でも神隠しというものがある。でも、これのほとんどは誘拐か事故に巻き込まれたというのが多いかもしれない」
「あのさ、こういう事はどうかな? 誰かが消えると、そいつを知っているはずの奴らが皆、そいつの事を忘れてしまうなんてのは」
「つまり、存在自体を消えてしまうって事?」
「あ、ああ……なんかおかしいかよ」
竹井は少し楽しそうに笑っていた。おれが変な事を言ったせいかもしれない。顔から火の出る恥ずかしさだった。いつもはこうではないのに。
「黒澤くんって、意外と面白い人だなって」
「変な奴だって思ったろ?」
「ううん。オカルトとか超自然現象とかが好きだったなんて、黒澤くんの新しい発見だなって」
「うるせえな。悪かったな。忘れてくれ」
おれも宿題でも済ませておこうと思った。
「何か怪物みたいな奴がいて、そいつに誘拐されたり、食べられたりすると、そいつの魔力で周りの人間の記憶を操れるのかもしれない」
「竹井?」
「急にごめん。昔、何かの本で読んだのを思い出した。消えた人が元々いなかった人間で、何らかの理由で他の人の意識を操作していた。本人が消えて、人の心からそいつが消えたとか。幽霊みたいに」
いや、野村は幽霊ではなかった。あいつに肩を掴まれた時の感触、青白い顔は今でも覚えている。あれは幻でもなかった。そもそも、あいつの家族だっていたじゃないか。でも、彼らは野村健斗を知らない。そう言ったのだ。
あいつの存在がこの世から抹消されたのだ。
「黒澤くん」
竹井が遠慮がちに聞いてきた。
「僕の方からも聞いていいかい?」
「あ、ああ。別にいいぞ」
「君は家族にこの学校の卒業生とかいない?」
「いない。おれの家族は隣の町から越してきたんだ」
「そうか。実は、僕のおじいちゃんはこの学校の卒業生でさ、僕や妹の美咲が入学した時に、父さん達と結構もめたらしいんだよ。違う学校に入れさせた方がいいって。結局、この常盤台南小に入ったんだけど」
「なんで、お前の爺さんは反対したんだ?」
竹井は言いにくそうだったが、やがて口を開いた。
「この学校には魔物がいる。あまり良くないのがいるって」
二人だけしかいない教室。束の間の静まりが続いた。風が窓を叩く音で、静寂は打ち消された。
「あ、ごめんね。変な事を言って。でも、うちの親は迷信何か信じてないみたいで、結局、この学校に通ってるんだけど。そのおじいちゃんも去年亡くなった」
竹井はランドセルの横にぶら下げたお守りを見せてくれた。
「入学する時におじいちゃんがこれをくれたんだ。今じゃあ、形見みたいなものだから大事にしてるんだ」
「竹井は信じてるのか? その、この学校に魔物がいるって」
「分からない。見た事がないからね。でも……なんだか、時々変な感じがするんだ。学校に入ると何か外と空気が変わるっていうか、空気が重くなる感じがする。気のせいかもしれないけど」
おれは思い切って聞いてみた。
「仮に魔物がいて、そいつが学校の生徒を襲っているとしたら、竹井はどう思う? 知らないうちに知ってる奴がいなくなっても、気がつかないなんてあると思うか?」
「いるかどうかはともかく、そんな魔物がいても、僕らは何一つ気がつかないと思うよ。だって、襲われた人がこの世界から消えてなくなるんだから、分かりようがない。この場所にも関係があると思う」
「学校がか?」
「だって、学校ほど特別というか、特殊な場所はないよ。何百人っていう子供が集まって、半日共同で生活して、それを何年も続ける。何かの磁場になってもおかしくない」
「磁場……パワースポットみたいなものか。じゃあ、魔物はそれを操って、人の記憶を操る事もあり得るのか?」
「空想の話なら、あり得なくはない」
「じゃあ、学校の外はどうなると思う? 例えば、家族は? 親は学校に行く訳じゃない。その磁場の影響は受けないから、自分の子供がいなくなれば大騒ぎするぞ」
「それが難しい問題だね。魔物が磁場を利用して、僕らの記憶を操作できるのは学校の中だとして、外か……」
俺も考えてみたが、結局答えは出てこない。ワタルに連れ去られたのは、野村健斗を入れても、高学年から低学年と幅がある。何か狙われる共通点でもあるのか?
「ねえ、黒澤くんは見たの、その魔物を?」
俺は嘘をついた。
「冗談だよ。そんなのがいたら、今頃大騒ぎだぜ」
「それもそうだよね、ハハハ」
竹井はランドセルを背負い直した。
「黒澤くん、面白い話を聞かせてくれてありがとう」
「薄気味悪い奴と思ってくれていいぜ」
「ううん。でも、本当に君は何も見ていないんだね?」
「しつこいな。例えばの話だよ」
「そうか、よかった。じゃあ、さっきの質問の答えを考えとくから。また、お先にね」
「ああ、また明日な」
竹井が教室からいなくなった後、おれはさっきのやり取りを反芻していた。クラスメイトとあれだけ話したのは、何年振りだろうか。小学校に上がってから初めての体験かもしれない。
嬉しさの半面、急に恥ずかしさと後悔が押し寄せた。いつもの自分をはみ出した嫌悪感が込み上がる。
あいつは学級委員だ。どうせ、点数稼ぎのために、問題児の俺をあやしているつもりなのかもしれない。
そんなの、自分が卑屈になっているだけじゃないのか。
別の自分の声に、おれは頭を抱えた。本当は友達が欲しいんじゃないのか?
「一人でいいんだ。おれは一人の方が好きなんだ。どうせ、皆はおれなんか……」
独り言をつぶやいている自分に気づくと、慌てて回りを警戒した。席を立って気晴らしに窓を眺めた。高学年ぐらいの女の子と、低学年の男の子が歩いているのが見えた。女の子の方が赤い傘をさしている。雨が降って来たようだ。クソッ傘は持って来ていない。今日の天気予報は大嘘もいいところだ。
二人は仲よくはしゃぎながら帰っていく。男の子が傘から出て雨の中を走っていく。それを女の子が追う。姉弟だろうか。
おれは一人っ子だった。だから兄がほしいと思った事もあった。
親父も死んだ後、母さんには再婚を薦める知り合いもいたが、母さんは丁重に断っていた。俺は複雑だった。それで生活がよくなるならいいが、母さんが好きになった人を父親として見られるかどうか分からない。はっきり言って不安しかない。
兄弟か……そう言えば、野村健斗も六年生の兄貴がいたな。弟がドロドロに溶けて消えてしまったというのに、何の変哲もなく暮らしているんだ。
確か、同じクラスでいなくなった富阪藍にも弟がいた気がする。ズボラな奴で、時々、教室まで忘れ物を借りに来たかな。一組の田中も吉田も、姉や妹が……。
急に頭が冷たくなった。突然何かがひらめいた。おれは自由帳に書き込んでいたページをめくった。初めてワタルに遭遇してから、野村を含めて、奴に捕まってこの世から消された生徒の名前を書き込んでいた。
人の記憶は操作できても、出席簿までは改竄できないようで、消えた生徒の名前は修正液が塗られているだけだった。そこから名前を特定できた。知っているだけでも、消された奴らは三十二人もいた。一クラスに匹敵する数だった。
おれは、そのリストを何度も眺めて確認した。
確証はない。ただの偶然かもしれない。だが、もしも、この考えが当たっているとしたら、重要な手掛かりになるかもしれない。ワタルの行動を先読みする事もできるはずだ。
その時、教室中にけたたましいメロディが響いて、おれは飛び上がりそうになった。心臓に悪い。音の発信源を探すと、どうやら、竹井の机からだった。
こっそりと中を覗くと、そこには小さな電話機が入って来た。電話の受話器を薄くしたようなもので、頭にはアンテナが突き出ている。
それは携帯電話だった。サラリーマンのおっさんとかが使っているようなものだが、小学生のくせに、こんなハイカラなものを持っていたなんて。きっと、忘れたんだな
おれは恐る恐る、通話のボタンを押した。
(もしもし?)
竹井の声だ。きっと、学校の公衆電話からかけているのだろう。
「もしもし、竹井か。忘れ物だぜ」
(ああ、ごめん。やっぱり、教室に忘れてたんだね。すぐ取りに戻るよ。あ、それと分かったんだ!)
「何が?」
(さっきの君が出した謎の答え。魔物が捕まえた人の記憶を家族から消し去る方法)
竹井は息を整えてから、言葉を続けた。
(きっと、いなくなる人には兄弟姉妹がいるんだよ。同じ学校に通っている兄弟姉妹を介して、親や親せき、大人の知り合いの記憶まで操作してしまうんだよ。もしも、この学校に魔物がいるとすればだよ、きっと、獲物を選んでる)
(大当たりだよ)
その時、別の声が割り込んだ。そして、電話の向こうで「え? うわ!」と声が漏れ、何かが倒れる音。
「竹井……? おい、どうしたんだよ、返事しろ!」
(竹井は出られないよ、黒澤翔)
聞き覚えのある声だった。忘れかけたいた数日前の白昼夢が一瞬で頭の中で再生される。ドロドロに溶ける野村、口裂け女、大きな鳥……。
「ワタル」
(ケッケッケッケ……)とあざ笑いが漏れる。
「テメェ……竹井に何しやがった! ぶっ殺してやるッ!」
(一人で図書室に来い、臆病者の黒澤くん)
耳障りな高笑いと共に電話は切られた。




