36.推しの会
拾蔵の診察を終えた担当医は入院やその他諸々の説明があるからといって、琴音と美奈貴を伴って別室へと去っていった。
病室に残された玖瑠美、和香、沙苗の三人はやっとひと息ついたとばかりに、それぞれパイプ椅子を引きずってきてベッドの周りに陣取った。
「取り敢えず、笠貫君が復活してくれてほっとしちゃった……一時はホント、どうなることかと思ったから」
玖瑠美が疲労の中に僅かな喜色を浮かべて拾蔵の顔をじっと見つめた。
その隣で沙苗が、もう無茶はするなと妙に小姑じみた台詞を並べ始めた。
「折角琴姉ちゃんに新しい推しが出来たってのに、こんなところで死なれちゃ堪ったモンじゃないわ」
「何ですか、その、推しっちゅうのは」
一応拾蔵も、世間でよくいわれる推しというものの存在は知っている。が、何故自分が琴音の推しなのかが全く分からない。
余りに理解が及ばなかった為か、俺なんかただの高2の餓鬼やで、と思わず口走ってしまった。
すると和香が、やっぱり駄目だと妙に勢い込んでベッド上にずいっと上体を乗り出してきた。
「ほぉらぁ~……拾蔵君、そういうとこだよ。君は全然、自分が何者たるかを分かってない」
「っていうか、俺、今、病人やねんけど、何でそんな、怒られなあかんの」
未だ呼吸が本調子ではない為、どうしても息継ぎを間に挟まなければならない。自分でも少しもどかしいというか、苛々する部分もあったのだが、こればかりはどうしようも無い。
「やっぱり、あたし達で笠貫君をプロデュースするしかないかな」
「うん、くるみんに一票」
頬に人差し指を当てながら小首を傾げる玖瑠美と、腕を組んでふんすふんすと鼻息を荒くしている和香。不思議な組み合わせだった。
と、ここで拾蔵はいつの間にか仲良くなっているふたりを、交互に見遣った。
更にもうひとつ、思い出したことがある。拾蔵は今更ながら、驚きを禁じ得なかった。
「そいやぁ、ケツ山先生……さっき何気に、トレパクの件、話しとったな……もう皆、知ってんの?」
「あー、あれ? うん、もうここに居る面子には全部話しちゃった」
どうやら和香は拾蔵の付き添いでこの病院まで足を運んだ後、他の女子らとの間で、拾蔵との関りについて語り合う場を設けたらしい。
そして相手が女子ならば隠す必要も無いと判断し、自らがイラストレーターのケツ山ゴン太郎であることも明かしたのだという。
他の面々は多少ならずとも驚いたらしいが、意外と冷静に受け入れて貰えたとの由。
「まあ、そらぁ、良かったんと、ちゃうかな。素の自分を、出せる相手は、ひとりでも多い方が、エエわ」
拾蔵は心の底から胸を撫で下ろす気分だった。
今まで和香は、クラスの女子達の間でも比較的浮いている様に見えた。その彼女が、校内スクールカースト最上位に君臨する玖瑠美と友達になれたというのは、これは大いに喜ぶべき話であった。
「そうか……なら、ケツ山先生も、俺から、無事に卒業、やな……」
「え、何いってんの拾蔵君。あたしもくるみんも、拾蔵君推しの会のメンバーなんだからね。これからもずっと拾蔵君追っかけ廻すよ」
まさかの返答に、ベッドの上で凍り付いた拾蔵。冗談でも聞きたくない台詞だった。
「あ、それでね……折角推しの会も発足したんだし、出来たらあたしも、拾蔵君って、呼んでも良いかな、なんて思っちゃったり……」
玖瑠美が微妙にもじもじと気恥ずかしそうに上目遣いで見つめてくる。拾蔵は、以前程には彼女の中に女性を感じることは無くなっていた所為か、玖瑠美のこの仕草にも苛々することは無かった。
が、矢張り余りに馬鹿馬鹿し過ぎて溜息だけはどうしても出てしまう。
「いや、まぁ、呼び方、なんて、別に何でも、エエけど……」
「え! ホント! ホントに良いの! じゃ、じゃあ今から呼び方変えるからね! 後になって、やっぱ駄目でしたってのは無しだからね!」
余りに興奮して我を忘れた様子の玖瑠美。流石にはしゃぎ過ぎたのか、偶々他の入院患者の様子を見に来ていた看護師から、静かにする様にと注意を受ける有様だった。
「んもう……くるみんたら、はしゃぎ過ぎ」
「あぁ、う……ご、御免なさい」
和香に突っ込まれるまでも無く、玖瑠美は大いに恥じ入って両掌で顔を覆っていた。
「ついでにアタシも、拾蔵さんって呼ばせて貰うから」
沙苗がしれっと当たり前の様に宣言した。
彼女とはまだ数回しか顔を合わせていなかった筈なのだが、いきなり拾蔵さん呼ばわりとは一体、どういうことなのか。
そんな意味の疑問をぶつけると、沙苗は途端に顔が真っ赤になった。
「え……い、良いじゃん別にぃ。琴姉ちゃんが推してるんだから、アタシが推したって全然良いよね?」
最後の方はどちらかというと、拾蔵ではなく玖瑠美や和香に同意を求める様な発言だった。
「うん、勿論!」
「おけまるー」
玖瑠美と和香が揃って笑顔の花を咲かせたが、拾蔵だけはひとり仏頂面のままだった。
と、ここで沙苗が物凄く不思議そうな顔つきで病み上がりの拾蔵にちらりと一瞥を寄越した。何故か彼女の頬は上気している様にも見えた。
「でもやっぱ、超不思議……何で拾蔵さん、彼女居ないの? こんなに女子にも人気があって心配もされるぐらいなのに、そんなイケメンで彼女作らないってのはおかし過ぎるんですけどー?」
またこのネタか――拾蔵はデジャヴを覚えたが、しかし避けては通れぬ道であることも重々承知していた。
ここはもう暗い話で空気を重たくして、この三人の妙な連帯感にヒビでも入れてやろうかと画策。
辛い過去ではあるが、今の拾蔵には利益を感情に優先させる精神力が既に身についていた。
「ホンマいうたら、俺って女性嫌いやねん」
「え? そ、そうなの? 何かあったの?」
沙苗が物凄い勢いで食いついてきた。玖瑠美と和香も期待の眼差しで拾蔵を見つめている。
(ようし、見とけよ……気分ガタガタに崩したるわ)
そうして拾蔵は、幼馴染みの明菜から受けた仕打ちと、その後の地獄の様な日々についてカジュアルに語ってみせた。
すると玖瑠美も和香も、そして沙苗も、ほとんど同時に顔が凍り付き、恐ろしい程の罪悪感に打ちのめされている様子を見せ始めた。
(そら、こうなるわな)
しかし、件の経験を話すことで最も心理的に打撃を被っている筈の拾蔵は、平常心そのものだった。
あの経験は最早、女子を黙らせる単なるツールと化していた訳である。
そして、この事実を受け入れることが出来た自分に対し、ご褒美を進呈したい気分だった。




